3.海竜を殺す少年
“緊急総配備”は珍しい事象ではある。けれど、それほど深刻な事態ではない……。年に三・四回くらいは起こるものだ、故郷の大型砂嵐みたいなもの。
たいていは≪敵≫の数が一時的に増えたとか、監視班が水平線上に新たな海竜の姿を確認して増強部隊が要る、と言う時に動員される。
「来たばっかりでいきなりなのは、かわいそうやけど。うちらの足手まといになりよったら、後でしばくで……新兵?」
気遣ってるんだか脅してるんだか、よくわからない上から調子で、サミがイスラに話しかけている。
イスラがどう反応しているのかは見えなかった。どっちみち僕の背中側でのやり取りだ。
僕は混乱していた。大混乱、恐慌寸前と言っていい。けれど理術士なのだから、配備につく直前の今、呆けて突っ立っているわけにはいかない。
……いなくなってしまった
第六十一隊と第六十五隊の間に挟まって、陽の沈みかける浜辺を目指し進む。隊長として率いる部下のことは、振り返らない。柵を越えて第三塹壕に入る。十歩ほど先に広がる第二塹壕にいるはずの隊数が、やたらまばらなのに気づいた。
「見ろ、後方支援が前に出ばってんぞ?」
隣の配置地点から、第六十五隊長が言ってよこした。
本来なら後列、第二塹壕の中にいるはずの隊が、半数ほど前列の第一塹壕に組み入っている。
「……多いなぁ」
獅子頭の術士帽をかぶったサミが言った。僕もそうだが、今は全員が術士帽を顔面に装着して、背負っていた丸盾をぐるりと胸側に回している。でっかいサミの傍ら、小っさい新入り少年兵も同様だった。
目視できるだけでも、海竜は五体。今朝の担当時刻域では三体だったのに……。
一日のうちに二体も増えるのは珍しい。まさに緊急総配備案件である。現時点では、こっちの“防御壁”はちゃんと機能しているから、突破される心配はない。しかし前後列の隊が疲弊した場合に、僕ら増強部隊が介入する必要が出てくる。その合図を待てと言う指令が出ていた。
ずうううーん!! ぼうッッ!!
閃光雷光、火柱が時折、しぶきを上げてのたうち回る海竜を直撃している。
それで一時的にしずまるのもいれば、さらにいきり立って“防御壁”に体当たりをしてくる個体もいた。僕らはそれを延々と見守る。見守るだけだから次第に緊張感も薄れてくる。
塹壕壁の後ろによりかかるサミが、隣の少年に声をかけた。
「……どうえ? 新兵。初めて≪敵≫を見た、感想は~?」
獅子頭を回して、イスラがサミを見上げるのを、僕は横目で盗み見している。
「まあ、こんなもんかな、と」
「えー、何やその乾いた言い方は。新人なんやから、もうちっと派手にびびりよし?」
「言われてもなぁ」
「かわいげないなー。ところであんた、いくつなん?」
「十四です」
「げー、やっぱ若ー。あれだ、飛び級したくちやろ? 錬成校でよくできた優秀ちゃんやったからって、現場で調子こくでないぞよ」
「サミ、……
僕は低くたしなめて、サミの軽口を黙らせた。少年の向こうでは、ホノボ兄弟が微動だにしない横顔を並べて、海を見つめている。
びび、びぃー!
増強部隊介入開始、の合図の笛が西方向から響いてきた。それで僕らは聖樹の杖を構える。
指示を出してくれたクスボ前隊長はもういない。僕が第六十三隊長として、詠唱の指揮を始めなければいけないのだ。
「全員、“防御壁”詠唱用意ッ」
正確にはサミ以外の全員、と言うべきところではあるが(変人は守備ができない)、……僕は前任者に
「いざ来たれ」
「いざ来たれ 群れなし
凡庸な僕の先行詠唱に、低音ホノボ兄弟の安定した重唱が、……そしてイスラの声が重なって来た時、胸が震えて
少年の声が、詠唱の抑揚が、 ……やっぱり僕の親友、
そんな馬鹿なと叫びたくなるのをどうにか押しとどめて、僕らは光り輝く半球の泡膜を作り上げる。
それはふわっと前方へ飛んで行って、やや弱りかけていた第一・第二塹壕の部隊の防御壁に重なってゆく。
詠唱を続けながら、僕は広く視野をとって、サミの援護攻撃が必要なところはないかと探す。変人は攻撃の理術一点張りなだけあって、狙撃はお手のものだ。多少の距離を開けても、高威力の雷を落とすことができる。
「サミ。正面個体に、一撃準備」
「はーい!! いざ来たれ~ 群れなし
前にいる部隊の攻撃頻度に間隔があいてきていた。しかし≪敵≫は見たところ、元気いっぱいに水しぶきを上げてのたくっている……。サミの気色わるい雷撃で、弱らせてやれ。
「高みより~高みより~いざ
甲高くなったりどん底に落ちたり、耳
僕は自分の“防御壁”維持に集中する。 ……ひょい、と何かが左腕に触れた。
自己陶酔に満ちみちて詠唱するサミの背後をするりと抜けて、いつのまにか新兵イスラが僕の隣に来ている。
「元の配置に戻りなさ……」
「ずっと沖合にいる一体が、西進しよる」
僕の早口をさえぎって、イスラがさらなる早口で言った。
「“超老眼”の術、今もかけてんのやろ? 見てみ、外れる気やで……あいつ」
はっとして僕は顔を上げ、便利系小術のかかった眼で沖合を見た。
ぐうんと迫った水平線付近、本当に海竜が首をつき出して、左方向へと向かっているのが見えた。……まさか六体目!?
「止めなあかん。でっかいお
イスラは淡々と、攻撃の展開詠唱に切り替えた。
「……サミっ、対象変更だ! 沖合左方向にいる個体に、一撃!」
「えー? ……うえっ、何でうちの眼に“超老眼”かかってんのっ……って、あら、ほんまやね」
僕ではない。攻撃の術を詠唱しつつ、イスラがサミに“超老眼”の小術をかぶせがけしたのだ。こんな器用なまねができる人間を、僕は一人しか知らない。
「ほな行きます、 ……
変人狙撃手のすっとん絶叫が、塹壕内に響き渡る。サミが高く高く掲げた杖の先端からほとばしったばら色の雷光が、ぴきーんと上空へ走って行って、沖合の一体真上に落ちた。
「
低く力強い声が、僕のすぐ左脇でとどろいた。
イスラの杖の先端が、……いや少年の身体全体が、青じろい輝きをまとって揺らぐ。次の瞬間、僕は沖合の一体……サミのばら色雷撃に硬直していた≪敵≫が、突如周りにわいた青い竜巻に食い込まれ、めちゃくちゃに切り刻まれ、やがて無数の肉片となって、海面にぼちゃぼちゃと落ち沈んでゆくのを見た。
「ようし、
平らかな調子で言うと、少年は再びホノボ兄弟の詠唱に同調してゆく。
「……サミ。詠唱続行、続けて前方個体に攻撃準備」
「はーいー」
僕は絞り出すように指示を吐く。
西に向かって進みかけていた一体は、あまりに遠くにいた。監視役は気づいていたかもしれないが、その最期をしっかり見届けたのは恐らく僕だけだ。
攻撃ばかのサミだって、いやここにいる誰一人、海竜を倒す威力の攻撃は撃てない。と言うか現代の理術士は、≪敵≫を弱らせ追い払うのが精いっぱいなのだ。
僕は指揮を執るのに苦心する。動揺に耐えるのに必死だった。
隣にいる少年は、海竜を
それができうる人間を、僕はやっぱり一人しか知らない。自分の身体ごと、≪敵≫の頭を青い風刃で粉みじんにして殺した少年、僕の親友イスラ。
――その、イスラが……。
僕を忘れて、還り来たというのだろうか。
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