第4話 壁を超えて
「よし、このあたりで今日は休もう」
沙羅と勇斗はまず馬車で北西の村に移動し、そこで一泊して食料など準備を整えた後、そこからは歩いて西へと進んでいた。
勇斗はかなり早いペースを丸1日中乱さず歩き続ける。常人の沙羅には付いていくのが精一杯で会話の余裕すらなく必死に足を動かす。彼が休憩と言って足を止めた時には既に足が悲鳴を上げておりしばらくは歩く気力も出そうにない。
「あの、このあたりで休むって、村が近くにあるんですか?」
「あると思うか?」
深い森の中、勇斗は草枝を集めて焚き火を作りながらそう答える。簡潔な彼の返事に沙羅は改めて周囲を見る。辺り一面森の中、木々の隙間から差し込む光もなく、人の気配も当然ない。彼女は手際よく彼が用意した焚き火に視線を落として考える。
「もしかして、ここで夜を越すんですか?」
「そう言ってるだろ。そんなに俺と寝たくないのか?」
「そういうわけではないというか……こんなところで寝るのはちょっと」
「騎士のくせに野宿に文句言うのか?ワガママな奴だな」
「……」
そう言われると言い返しずらい。沙羅も訓練で野宿をしたことはある。だがその時はテントや寝袋など野宿をする準備は事前にしっかりとなされていた。
今回はテントも寝袋もなければ地面に敷けるシートすらない。地面に直接横になるしかない。騎士団が経験する野宿とは比べ物にならないほどに簡素で雑だ。しかしこの言葉は沙羅の心にとどめておくことにした。
「明日もう少し歩けば目的地に着く。野宿は今日だけだから我慢しろ」
勇斗はそう言いながら道中の村で買ってきた食料を広げ、氷水に浸かった魚を取り出すと串にさして焚き火の傍に突き刺す。
「そう言えば、結局私達どこに向かってるんですか?」
勇斗の口から「目的地」と聞こえてようやく沙羅もそれに突っ込む機会を得た。ずっと気になっていたが歩くのに必死でこの会話をするのはこれが初めてだ。
沙羅の言葉に勇斗はすぐには答えずその視線はまず上へと向く。明らかに周囲を取り囲む木々の高さを越え、空を眺めているように天を見上げる。そのまま首を回して空を一周した後ようやく口を開く。
「言ってなかったか?森に入るまでずっと見えてたから気にしてなかったよ」
「ずっと見えてた?いつからですか?」
「道中通ってきた村辺りからは確実に見えてたぞ」
勇斗の不可思議な返答に沙羅は首を傾げる。言ってる意味が分からなかったが彼の言葉の中にヒントは確かにあった。その意味を考えているうちに彼女は思い当たるものを見つけた。
「まさか、分国の壁ですか?」
「ああ、北の領土に行くつもりだ」
「北の領土って……無理ですよ。国境を越えることはどんな理由があっても許されていないんですから」
分国の壁とは、文字通り北、東、南の三領土を分断する巨大な壁のことだ。各国ははるか昔に和平と相互不干渉の誓いを立て、その証として築かれたのがこれである。
相互不干渉としているだけあって国境を越えるのは不可能、あらゆる理由があっても許されはしない。沙羅も分国の壁についてその程度の知識は持っている。
だからこそ彼が軽々しく「領土を越える」と言い放つことは到底理解し難いことだ。
「まあ策なら用意してある。そのためにお前を連れてきたわけだし」
「どういうことですか?」
「その時になったら説明してやる。取り敢えず食え。そのガクガクの足には明日も働いてもらわんといかないからな」
「……いただきます」
一向に減らないモヤモヤを勇斗との会話で解消することは諦め、彼に勧められるままに沙羅はご飯を口に放り込む。
「いい食いっぷりだな。こりゃ明日は期待できそうだ」
勇斗は沙羅の食べっぷりに軽口を叩くが彼女には届いていなかった。食べ始めると空腹を思い出したように手はどんどんと食べ物に伸びていく。彼は食事には参加せず彼女の食べっぷりを物珍しそうに眺めているだけだった。
「……あの、すみませんでした」
「別にいい。明日の飯は無しになったがな」
結局持ってきた食料を全て沙羅1人で食べ尽くしてしまった。さすがにそこまで食べると申し訳なさが勝ってしまう。
しかし勇斗はさして気にする様子もなくゴミと袋を焚き火に入れて荷物の軽量化を図っていた。
「まあそんなわけで明日の夜には北の領土だ。今日はちゃんと寝ておけよ」
「……はい、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
沙羅は一瞬躊躇したあと地面に横になる。固いし冷たいしゴツゴツする。環境は最悪だ。しかし不快感より疲労が勝ちすぐに眠気が彼女を包む。そう言えば何で北の領土にいく必要があるんだろう。ふと疑問が沸いてきたが、それが口に出る前に彼女の眠りは深く落ちていった。
………
分国の壁、世界を三分するために「建築」された世界最大の建造物だ。国境に沿う圧倒的長さと鳥すら越えられないと言われる程の高さを誇る。
名前に恥じないこの壁は壊すことも登って越えることも不可能だ。しかし国境は完全に閉ざされているわけではない。トの字に交わる壁の境界、つまり3国が最も近づいた場所に小さな関所が設けられている。これを利用することで物理的障害の全てを越えて国境を渡ることができる。
しかし国境を越えることはは3国不干渉の誓いにより許されていない。これはすべての人間が幼い頃から教えられるルールでもあり、それ故にこの関所を訪れる人間はごくわずか。
つまり、ここを守るよう命じられている騎士はすごく暇である。
「ツーペアだ。どうだ?」
「残念だったな。フルハウスだ」
「だー!くそ、5連敗じゃねえか」
守るとは名ばかりの2人の騎士が関所の前で呑気にポーカーに興じている。遊んでいることは明らかだが2人が悪いわけではない。ここに2人が仕事をさせてくれる人間はほとんど訪れることはない。年に1人くれば多いほうだ。
そんな環境で2人は年中ここに居ることを命じられている。森もはるか遠く、いちばん近い村との距離は歩いて数時間。だだっ広いだけの空間で2人は剣を打ち合ったり、雲を眺めたり、カード遊びをしたりと暇を紛らわせているわけだ。
そんな暇を潰すことに全力の2人に、珍しく仕事をさせる来客があったようだ。
「ん?おい、誰かこっちに来てねえか?」
「はあ?……本当だ。世間知らずのお馬鹿ちゃんは一体どこのどいつなのやら」
騎士の1人がこちらに近づく人影に気がついた。2人は急いでトランプを片付けて地面に転がっていた剣を広い腰に下げる。
年に1人くるかどうかの人間の中でそのほとんどは恐れ知らずの旅行志願者だ。金を持って権力を持つと例外も通るようになると思うのだろうか。しかしそういった奴らは彼らの権力をはるかに上回る法律の壁を思い知らされて追い返されることになる。
泣き帰って喚いても分国の壁に近づいた愚か者を慰めるものはいない。むしろそんなこと大っぴらに言おうものなら即刻牢獄行きだ。
どうせ今回もそんな愚か者だ。
仕事を前にしてもあくびが止まらない2人だったが近づく影が姿に変わった頃、ようやく2人にも多少の緊張感が現れてきた。
「なあ、どう思う?」
「俺が教えて欲しいよ」
2人の騎士は顔を見合わせて来客について話し合う。旅行志願の愚か者ではない。2人の内片方は騎士の制服を身につけている。もう1人は見たところ一般人、10年近くここを守る2人も経験のない組み合わせだった。
顔まで判別できる距離まで近づいたところで騎士の制服を身につけた女性が口を開く。
「お疲れ様です。脱国人の引き渡しに来ました」
「……脱国人、こいつがか?」
「はい」
女性は自身の騎士団証を2人に見せながらそう言う。
音露沙羅、見たところ若く騎士になって日が浅いのだろう。堂々と話そうとしているがその目には緊張の色が見て取れる。まあ彼女が何であろうと騎士であるなら別に他はどうでもよかった。
2人の興味はすぐにもう1人の、手枷をかけられた男に移った。
「脱国なんて情報は回ってきていないが」
「実は、村を巡回中に捕まえた窃盗犯がこれを持っていまして、確認のために伺ったんです」
沙羅はそう言ってもう一枚小さな紙を取り出した。騎士達は興味深くそれを交互に確認する。我妻勇斗、出身は確かに北の国で出身を証明する朱印も間違いはなさそうだ。ボサボサの髪と目付きの悪い表情は確かに悪さをしていても不思議ではない。
気になることがあるとすれば、確かに国境を越えたらしいこの男の情報をここを守る2人が何も知らないということだ。
「確認をしたいので北領土の方と直接話をしたいんですが」
「…おい、どうする?」
「俺達が話しても面倒だしな。いいんじゃないか?」
「そうか?そうだな」
2人は暇なくせに面倒事が嫌いだった。何も知らない脱国人なんて面倒な気配しかいない。沙羅が自ら志願したことでその面倒精神は一気に高まる。彼女が2人と同じ騎士だということもその判断を後押ししていた。
重要な判断を2人は対して考えずに下し、沙羅達を関所に入れることにした。
「向こうの奴らは呼んどいてやるから関所の中で話してくれ。間違っても別の領土には入るなよ」
「ありがとうございます」
関所の扉が開かれると沙羅は勇斗を引っ張って中に入っていく。それを見送った2人の騎士は多くの見落としをしていた。
勇斗の外傷の無さ、その割に反抗の素振りすらなかったこと。脱国した彼がなぜ証明を持ち続けているのか。なぜ沙羅は自ら面倒な役回りを志願したのか。2人が迂闊な判断を後悔するのはすぐのことだった。
「東国騎士の音露沙羅です。脱国人の引き渡しに来ました」
「ふーむ、確かに我が国の証書だ。だが念のため確認しなければならない。少し待ってくれ」
別の出入口から現れた男が2人を見つけると訝しそうな表情を見せながら近づいてきた。
沙羅は彼に対しても自身の騎士証と勇斗の証書を見せる。
男はそれを見て唸った後確認のためと言って扉の方に戻っていく。さすがに人を入れるだけあって慎重だ。もし間違って他国の人間を入れようものなら首が飛ぶどころの話ではない。
しかしその慎重さこそ、勇斗の狙いだった。
男が扉を開けて姿を消した瞬間、勇斗は沙羅を抱き抱えて走る。風を置き去りにするような速度で扉が閉まる前にその隙間を駆け抜けた。男が再び扉を開いた時には2人は遥か彼方に消えていた。
「・・・夢だったのか?」
2人が消えた後、男と2人の騎士は関所内で話し合っていた。何が起こったのかよくわからない。3人とも理論的な答えを見いだせていなかった。夢ではないのかという意見が真剣に議論されるほどに3人は錯乱していた。
この事がそれぞれの国の上層に報告されたのは実に一週間後のことであった。
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