埋め合わせ
「西城蒼さんはいるかしら」
帝黎高校一年二組の教室は、その瞬間、時が止まったかのような静寂に包まれた。
ドアを開け、悠然と教室内へ侵入してきた生徒。
美しい黒髪を揺らし、迷いなく教室奥の人混みへと向かっていく『冷血姫』に、生徒たちは言葉を忘れて道を開けた。
「おやおや、珍しいお客さんだね。―――はじめまして、九条さん。確かに、ボクはここにいるよ」
「ええ。はじめまして、西城蒼さん」
蒼の取り巻き達が、ゆっくりと捌けていく。
二人の間に挟まる者は誰もおらず、野次馬達が彼女たちの周囲を囲った。
「それで、ボクに何か用かな?」
「………来週の花火大会、御堂君と行くらしいわね」
沈黙していた野次馬達が一気に騒がしくなる。同時に、蒼の目が怪しく輝く。
「御堂って、エセホストか」
「まぁ、西城さん明らかに御堂君のこと好きっぽいし……」
「でもなんで九条さんがそれを?」
「やっぱりあの噂は本当だった………?」
野次馬達へ一瞬視線を向け、そしてすぐに玲香の方を向く。
彼女は肩をすくめて、微かに笑って、勝ち誇ったように語る。
「そうだね。彼の方からボクを誘ってくれたんだ。一緒に行かないか、って」
「御堂君の方から………?」
玲香は不機嫌さを隠そうともせず、眉間に皺を寄せる。
「もしかしてだけど、変わって欲しい、って話かな?」
「………ええ、そうよ。わかっているなら話は早いわ。花火大会には私と彼で行くから」
「ごめんね。それは無理かな」
『冷血姫』陥落の噂は真実だった!!と沸き立つ野次馬達を無視して、二人は鋭く、或いは小馬鹿にするように睨み合う。
「ボクは蓮司と花火大会に行きたいんだ。どうしてもね。───今の九条さんならわかるんじゃないかな?」
「………」
前の九条さんを知ってるわけじゃ無いけど、と冗談めかして笑う蒼だが、玲香は答えない。
「………御堂君と、随分仲が良いのね」
「まぁね。―――もしかして、嫉妬しちゃった?」
周りに聞こえないように、耳元で囁く。
玲香は顔を顰めて距離を取り、踵を返した。
「もう良いわ。あなたに何を言っても埒が明かないでしょうし」
「ふーん。一応言っておくけど、蓮司に言っても同じだと思うよ?彼、約束は絶対守るタイプだから。妹ちゃんの誘いも、ボクと先に約束してたからって断ってくれたし」
玲香の歩みが止まる。
―――自分が出遅れた事くらい、わかっている。
花火大会の告知があった日から今日まで、ずっと蓮司を誘う事ばかり考えていた。
わざわざ浴衣まで買って、二人で手を繋いで歩く妄想を何度も繰り返した。
だが、彼女は人を遠ざける事しか知らない。
恋心を自覚してなお「嫌い」や「迷惑」といった言葉しか吐けず、デートは自分から誘うどころか、一度断るような素振りを見せた上で受ける始末。手料理を振舞おうと思ってまず考えたのが、自分の料理が気に入ってもらえるかの確認の為に、コロッケパンを売り物に偽装して食べさせる作戦。
恋愛どころか、人付き合いすらままならないのが九条玲香だ。
今回も、どうしても『誘う』事が出来なかった。
「………ご忠告、どうも」
吐き捨てるように呟いて、教室を去っていく。
残された蒼が小さく息を吐くと、取り巻き達が小走りで彼女を囲んだ。
「さっ、西城さん!御堂君と花火デートするって本当!?」
「向こうから誘ってきたって言ってたよね!」
「うん、そうだよ」
玲香に見せていたような挑発的なものではなく、爽やかな笑みを見せる。
キラキラとしたエフェクトが幻視される笑顔に、取り巻き達が黄色い悲鳴を上げた。
「なんつーかさ、すげーな。流石『エセホスト』」
「まさかあの九条まで落とすなんてな」
「だって夏休み前のアレが、さっきのアレだろ?やべーって」
「ってか九条をあそこまで落としておいて花火は
「もうマジのホストだろ、アイツ」
もし彼が、玲香や貴音と言ったわかりやすい高嶺の花ばかりにアプローチを続けていれば、『勇者』としてその蛮勇を嘲笑と共に受け入れられたかもしれない。
だが蓮司は例え誰かの恋人であっても、あるいは誰かが狙っている『身の丈にあった女』であっても、声をかける。
自分が好きな女と良い感じになっている男を、それも女であれば見境なく声をかけるような気の多い男を、好意的に見られるような男が果たして居るだろうか。
―――とは言え、彼と高嶺の花達が繰り広げる恋模様に興味が無いかと言われれば、首を横に振らざるをえないのが思春期男子達。
『誰かとくっついてくれれば好きな子が取られる心配が無くなる』という思いもあり、彼の恋路は帝黎男子全員に注目され、良く会話のネタにされていた。
「………俺もしつこく話しかけたらワンチャンあったんかなぁ」
「現実見ろよ」
「ひでぇ、十年来の友人に言うセリフかそれ」
「確かにアイツ見た目は普通だけど、それ以外がハイスペックすぎるだろ。テスト全部満点とか初めて見たぞ」
「体育だって、運動部レベルに動けるし」
「しかもあの磯垣相手に勝ったろ。この前見たけど、マジで子ども扱いだったぜ」
勝てる要素がねぇ。
少年たちは深く溜息を吐いて、特に言葉もなく各々の席へ戻っていった。
♡―――♡
九条の機嫌が明らかに悪い。
全員が席に着いたタイミングで教室に戻って来た九条は、それはもう露骨に不機嫌そうな顔をして、刺々しいオーラを全身に纏っていた。
恐らく西城のクラスに行って、そこで何かあったのだろう。
王子様ムーブに苛立った、とかだろうな。
俺の勘違いムーブに近しいものがあるし、俺が嫌いな九条にはかなりのストレスだったかもしれない。
………でも、なんでわざわざ会いに行くような真似を?
「あの、九条さん」
五限、六限と授業を受け、帰りのホームルームが終わったところで声をかける。
彼女は俺を一瞥だけすると、すぐに手元に視線を落とし、帰り支度を続けた。
「……何」
「い、いや。一緒に帰ろう、って」
「………いつもは、何も言わずについてくるでしょう」
「あ、あはは……まぁね」
流石にここまで不機嫌なヤツに了承を得ずについていくわけないだろ。
そしてソレを言えるわけがねぇだろ。
「えっと………帰り道、寄りたいところがあってさ。良かったら、一緒にどうかなって」
「………鞄、持って帰らないの?」
「あっ、あー。いや、ちょっと待ってね」
わかりにくいが多分オッケーという事だろう。
急いで鞄に荷物をまとめ、彼女の隣に並んだ。
「それで、どこに行きたいの?」
「まずはコンビニ、かな。多分売ってるはずだし」
「まずは?」
「まぁ、買うまでのお楽しみって事で」
適当にはぐらかすと、九条は無言で前を向いた。
会話をする気はない、という事だろう。
俺も九条も一言も発さず、コンビニへ向かう。
普段なら訪れない沈黙が、妙な気まずさを生んでいた。
「らっしゃっせー」
コンビニへ入ると、やる気のない挨拶が奥の方から聞こえてくる。
まだ入店を知らせるチャイムが鳴り終わってすらいないのに、九条が急かすように口を開く。
「それで、お目当ての品は見つかった?」
「まだ入り口だし、あるかどうかなんてわからないよ………と、思ったけど」
言いつつ、目の前に求めていた物を見つける。
『夏と言えばコレ!!』と書かれたポップの下に、沢山並んでいた。
「見つかったよ。まだ残ってた」
「………それは」
「うん。見ての通り、花火だよ」
因みにお値段は―――うわっ、どれも結構高いな。買うけど。
「なっ………なんのつもりよ!」
「なんのって、九条さんと一緒に遊ぼうと思って」
誘いを断った時の九条さん、凄い顔してたからな。
不機嫌の理由の大半は西城にあるだろうが、俺が誘いを断った事もまぁ、多少なりと影響している気もする。
ご機嫌取り、という訳では無いが、何か埋め合わせをしようと思ったのだ。
九条は言葉も無く、しかし何かを言いたそうに口をパクパクと開閉させた。
顔は真っ赤で、目が大きく見開かれている。
えっと、これはどっちだ?良いのか?悪いのか?
………あっ、予定の確認してねぇじゃん!!
「そ、そういえば九条さんってこの後時間ある?もし無かったら別に空いている日を教えてもらえたらなぁ、なんて」
「―――だ、大丈夫よ。今日で良いわ」
「そっか、良かった」
酷いミスだ。勘違い野郎時代なら絶対に犯さなかったミス。これは反省しないとな。
頭の中で軽く自分に説教をしつつ、それを感じさせないように微笑む。
「九条さんの好きなヤツ、選んで良いよ。なんなら、まだ暗くなるまで時間もあるし、他の店まで選びに行っても良いよ。確かホームセンターの方が入ってる花火の種類が凄いって聞いたことあるし」
昔、父さんに教えてもらった気がする。ホームセンターの方だと小型の打ち上げ花火とかもあるので豪華だとか、なんとか。
俺の言葉に、九条は首を横に振った。
そして淡く微笑みながら、俺の隣にしゃがんだ。
「ここで良いわ。種類も豊富だし」
「そう?」
「ええ。その代わり、二人で選びましょう?せっかく二人で遊ぶのに、私一人で決めたらつまらない、でしょう?」
「そんな事は無いけど………それで良いなら、俺は―――」
二人して花火がたくさん入った袋をいくつも手に取って、話し合う。
まるで恋人同士、いや、家族か。そう言っても差し支えないほどに、俺達の間には親密な空気が流れていた。
クラスメイトの女子と。それも『冷血姫』と呼ばれた、氷のような少女と。
勘違い野郎時代だったら、きっと舞い上がって告白してたかもしれない。
……いや、どうだろうな。告白だけは滅多にしなかったからな、俺。
「じゃあ、やっぱりコレ?」
「量もちょうど良いし、内容物も申し分なし………そうね、それにしましょう」
長々と議論を続け、ようやく選んだ花火セット。それを手に取って、ついでにジュースを二人分選んで、レジに並んだ。
並んでいる最中、俺の脇に抱えられていた花火を見つめる九条の顔が幸せそうに見えたのは、きっと勘違いではない………と、良いな。
「日は大分沈んだけれど、まだ明るいわね」
「夏だからね。って言っても、俺は家までバケツ取りに行かないとだし、往復したら良い感じの時間になると思うけど」
「なら都合が良いわ。私も、家に取りに行きたいものがあるの」
「そう?なら、一旦解散しようか。集合場所は、えっと……あの、ここら辺で一番大きい公園で」
名前を忘れたので特徴だけ言ったが、一応通じたらしい。
九条は小さく頷くと、そのまま彼女の家がある方へと歩いて行った。
しかし、取りに行きたいもの、ね。虫よけなら俺の方で用意するつもりだけど………まぁ、使い慣れてるヤツがあるならソレで良いか。
♡―――♡
「水良し、花火良し、ライター良し、その他緊急事態用の備え、良し………以上、声出し確認終了っと」
俺の方が家も遠いし遅れるだろうな、と思っていたが、予想に反して俺の方が早く到着した。
しかも花火を始める準備を整えて、三度目の声出し点検を終えられるくらいの余裕があった。
えっと、これすっぽかされたとかそういう?
いやいや、でも一応さっき「もうすぐで向かえるわ」って連絡貰ったし………。
「ごめんなさい、御堂君。待たせてしまったわね」
ネガティブなイメージが脳裏を掠めたその瞬間、背後から九条の声が聞こえてきた。
振り向くとそこには、浴衣姿の九条が立っていた。わざわざ草履まで履いて、随分と気合が入っている。
「全然、今来たところだけど………凄いね、浴衣。藍色に、朝顔の模様かな?落ち着いた感じが九条さんにぴったりで、良く似合ってる」
「………そう。ありがとう」
壊れかけではあるが街灯があるおかげで、ある程度色も模様もわかる。
ただ花火をするのに良いロケーションな為、暗くて良くわからない部分も多い。
例えば、今の九条の表情とか。
「早速、始めよっか。あんまり遅くなってもアレだし」
「そうね」
流石に線香花火はシメだよね、とか話しながら、適当な花火を手に取って、着火する。
勢いよく吹き出すカラフルな火花に、なんだか童心に帰った気分になる。
「綺麗だね」
「そうね。………打ち上げ花火よりも、ずっと」
花火の音にかき消されてしまいそうなほどに小さな声。
聞かせるつもりの無かったのだろうその言葉に、俺は反応するべきか否か、彼女の方を向いて――――。
「………?どうか、した?」
「あ、いや……何でもないよ」
泣いていた。
花火に照らされた彼女の顔には、一筋の涙が伝っていた。
多分、触れない方が良い……の、だろう。気づいていないフリをして、俺は次の花火を手に取った。
「うわっ!?これ、煙が凄いヤツか」
「ふふふっ。驚きすぎじゃない?」
「いや、さっきのと同じ花火だと思ってたから」
一本、また一本と花火が燃え尽きていく。
大量にあった花火は、気づけば残り四本。全て線香花火だ。
柔らかな赤色が、俺達を照らす。
「………花火で遊ぶなんて、初めてだったわ」
「そうなんだ。楽しんでもらえた?」
「ええ。とっても」
九条が俺に、こうして素直に笑ってくれる日が来るとは。
嬉しく思うと同時、惜しいなとも思ってしまう。
もし今も、自分がイケメンだ、なんて勘違いをしていたなら。ついに俺の魅力の虜に!なんて、能天気に喜べたんだろうな。
「ありがとう、御堂君。私の事、気遣ってくれたんでしょう?」
「確かに、せっかく誘ってくれたのにただ断るだけってのもなぁ、って思ったのはあるけど………何より、九条さんと遊びたい、って思ったから。今日誘ったのは、俺の我儘だよ」
俺の花火が落ちる。
最後の一本かぁ、と名残惜しく思いながら取ろうとすると、手を掴まれた。
「もしかして、もう一本使いたかった?」
「そうでは、無くて」
俯く彼女からは、何の感情も伝わってこない。
俺の手を掴む力だけが、徐々に強まっていく。
「その………持ち帰っても良いかしら」
「これを?一本だけで良いの?」
「一本あれば、良いの」
その言葉にどういう意図が込められているのか、俺にはわからなかった。
だが、特に拒否する理由もないので、最後の一本は九条に渡した。
「で、使った花火の処分だけど……確か一日水につけて、新聞に包んで燃えるゴミ、だっけ」
「なら、私が処分しておくわ。あなたの家は遠いし、水の入ったバケツを持ち歩くのは大変でしょう?」
「じゃあ、お願いしようかな。でもまぁ、持っていくのは俺がやるよ」
「ありがとう」
ライターやら空の袋やらを鞄にしまって、水と花火が入ったバケツを持つ。
思えば、九条の家に行くのは初めてだ。
いつもは家が反対側にあるし、何よりプライベートな空間に近づきすぎると嫌われると思ってたから、適当な場所で解散してたからな。
「御堂君」
「何かな?」
そこまで遅い時間という訳でもないのに、住宅街には俺達二人しかおらず、足音がしっかり聞こえるくらいに静かだ。
「………良かったら、泊っていかない?」
「えっ」
俺の名前を呼んでから、体感五分。
言いにくそうに、口を動かし続けていた彼女が、ついに発した言葉。
あまりの衝撃に、俺は言葉を失った。
自分をイケメンだと勘違いしていた俺、反省するも口説いてきた美女達が許してくれない。 恋愛を知らぬ怪物 @kaibu2
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