第3話 自分の相手
黒沼久兵衛はバッティングセンターで一汗かいたあと、カケルの家に泊まることになった。カケルの父親も温かく迎えてくれ、風呂と食事まで用意してくれるという。
「さあ、遠慮せずたくさん食べな。力をつけないとな。」
カケルの父は、現役時代に通算百本の本塁打を打った元プロ野球選手だった。今は引退し、野球のコーチをしながら、家業である農業を手伝っている。
「ところで、どうして未来に来たんだ?」
久兵衛は、修行の内容を説明した。師匠から「五つのものを斬ってこい」と言われ、その対象が「白球」であること。そしてただ斬るだけではなく、球を遠くへ飛ばし、見事な放物線を描かせるのが目的だと話した。
「ふむ、なかなか面白い挑戦だな。明日、俺が特訓に付き合ってやろうか?」
久兵衛はその提案に即座に同意した。未来の剣術、いや野球を学ぶことが、修行の一環となるとは思いもよらなかったが、これもまた運命だと受け入れた。
「それにしても、未来の人々はみな温かいな。だが俺が生きていた時代は、戦が終わってから人の心が冷たくなったように感じる。俺のような侍には、もう戦で腕を振るう場もなく、ただ農作業を手伝うしかない時代だ。こんな修行が、本当に意味のあることなのか、時々疑問に思うのだ。」
それを聞いたカケルの父は静かに言った。
「俺も引退したとき、似たような気持ちになったよ。周りの人たちから、『お前の代わりはいくらでもいる』って言われてるような気がしてな。でも、理想と現実は違うもんだ。俺は野球を続けたかったが、身体も限界だった。だから、自分が今できること――体力と知識を活かしてコーチと農家の手伝いをすることにしたんだ。」
「こおちぃ・・・。」
久兵衛はそう呟き深くうなずいた。侍としての誇りはあったが、未来の人々もまた、自分たちの道を探していることが分かり、心が少し軽くなった。
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翌日、久兵衛とカケル、そしてカケルの父は広場に向かい、特訓を始めた。
「いいか、ただ力任せに振るんじゃない。ボールをしっかり見て、バットの芯で捉えるんだ。狙うのはボールの下の方だ!」
久兵衛は言われた通り、打席に立った。初めの数球はまるでかすりもしないが、少しずつ感覚をつかんできた。球筋を見極め、バットを正確に振ることに集中する。
やがて、タイミングがぴったり合い、打球は初めて遠くへ飛んでいった。それからは変化球も打ち返せるようになり、彼の自信が蘇ってきた。
「次が最後の一球だぞ!」
カケルの父が投げた豪速球に対し、久兵衛は見事なスイングで球を捉えた。打球は天高く舞い上がり、今までにない放物線を描いて飛んでいった。彼はバットを確認し、目盛りが「三」に増えたことを確認した。
「いいぞ、久兵衛!これならあの男にも勝てるさ。」
久兵衛は勝利を確信し、再戦の日を待ちわびた。エースとのリベンジが目前に迫っていると感じ、闘志がさらに燃え上がった。
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その頃、あのエースの男は川の下で一人、壁に向かって投球練習をしていた。彼は自分の球のコントロールを磨き、完璧な投球を目指していた。その練習をカケルの父が偶然見かけ、声をかけた。
「おい、侍がまたお前に挑戦しにきてるぞ。昨日とは全然違う仕上がりだ。試してみる価値はあるんじゃないか?」
男は投球を止め、カケルの父の言葉に耳を傾けた。そして静かにうなずくと、再びあの侍との戦いに向かうことを決意した。
「面白い・・・見せてもらおう、あの侍の本気ってやつを。」
カケルの父はその背中を見送り、かつての戦友がマウンドへ向かう後ろ姿を重ねた。それと同時に彼は昔の自分とは違う所を見ていると感じた。
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