第2話
電気が脳内を駆け巡るように、指示の言葉がシクザムを揺り動かす。シクザムの睫毛は静かに振動するが瞼は開かない。スゥーイーによって造りだされたサキュバスたちは、起きだすと次々と部屋の窓から翼を広げて飛び立ってゆくが、一体だけ、床に転がったまま起き上がらない個体がいた。
「なんで起き上がらないんだろうか」
その部屋で、送り出していた魔物たちが起き上がらない個体を囲むように覗き込んでいる。こんなことは今まで一度もなかったため、困惑の色を隠せない魔物たちはお互いの顔を落ち着きなく見合う。
起きてほしいと期待を込めた眼差しを個体に向けてしばらく待つが、微動だにしない様に、魔物たちも諦めてスゥーイーに報告することにした。
「はぁ、こんなこと初めてだからなんて言っていいかわからんな」
「ええ、でもほっとおくわけにもいかないですし、報告しましょう」
「私は残ってこの個体の様子を見ておきます」
「頼んだ」
それぞれ役割を振りあった魔物たちは、各々にもう一度寝ている個体を見やるが、シクザムの手が僅かに数度震えたことに気づくものはいなかった。
南手オークの集落は本当に大変な騒ぎだった。オークの集落では定期的にまぐわいの儀式が行われていて、今回は大規模な集落が一緒にその儀式を行うといことで、かなりの人数が南手に集まっていた。中止させようと通達したが、儀式の邪魔はさせないと抵抗されたので、散らすのに相当時間をとられてしまい、ひと段落ついたときには、サキュバスたちのことはすっかりスゥーイーの頭の中から消えていた。というのに、これはどういうことだろうか。自室にベットに転がり込んで、寝息をたてているインキュバスの安心して緩み切った顔を、不可解なものを見るようにスゥーイーは見下ろしていた。
時は少し遡るが、まだオークとの攻防を繰り広げている最中に、サキュバスとインキュバスの世話係の魔物がモニタールームに訪れてきた。
「スゥーイー様、一体起きない個体がいて、確認してもらえないでしょうか」
「今は手が離せない。たまたま、起きるのが遅い個体がいても不思議ではないだろうが、一旦、俺の部屋の隣を一時的に保管室として使っておいてくれ」
はい、と素早く部屋を出ていった魔物を気に掛ける間もなく、集落の状況を再度確認すると、まぐわいの儀式自体は止まっている。その祭壇の周りにいるものたちの交接は、絶頂を迎えてる組ばかりで、捕まえようもないほど薄れた精気が頭上から霧散してくのが見て取れた。思わず舌打ちがでる。
「もういい、大規模な集まりを今後は控えるように伝えてくれ」
思念で遣わした魔物に伝えると、大きく息を吐いたスゥーイーは椅子の背もたれにもたれかかると、片手で両目を覆う。
「スゥーイー様、少し、お休みになられた方がいいかと。もう三晩ほどお休みになっておられません」
「少し目を閉じてれば大丈夫だ」
そばに控えていた魔物が、スゥーイーを気遣うように声をかけるが、それ以上声をかけるなというように手をあげて振ると、魔物の気配が消える。モニタールームにはスゥーイーひとりだけが残る。
目に翳していた手を避けて、画面だらけの壁面をぼんやりとみつめる。どこをみていたわけではないが、ひとつの画面に焦点が合い始める。スゥーイーの自室のベットにみたことのない魔物が寝ているではないか。
「……あれはなんだ」
すぐさま自室に滑り込むと、ベットの上の魔物を繁々と観察する。頬を触れば温かみがある、鼻の下に手を当てれば呼吸を感じた。生きている。
「おい、お前起きろ」
肩を緩く掴んで揺らすが微動だにしない、次はもっと大きく揺する、しかし反応が返ってくることはなかった。これはさっきの起きない個体だろうと納得したスゥーイーだったが、自室に運ばれていることが不思議ではあった。隣の部屋を使うようにいったはずだが、伝わらなかったかと首を傾げながらも目の前の個体起こすために、個体の胸元に手を翳す。精気を集め、鼓動を叩くような衝撃を与えると、個体は大きくのけ反る。
瞼が重い。声がたくさん聞こえる。起きてと呼ぶ声がする。言うこと聞かない体に苛立ちを覚え始めたころ、急に体の芯が大きく打ち震えるような衝撃が貫いた。ドクンと鼓動が跳ねるのと同じように体も跳ね上がると、開かなかった瞼が開かれて視界がクリアとなる。
「やっと起きたか。他のやつらは起き出して行ったぞ」
シクザムが未だにはっきりとしない脳を働かせると、動かなかったはずの体は、力が全身に伝わるようになっていた。手を固く握っては開いてを二三回繰り返し、きちんと動くことを確認すると、目の前の声をかけてきたその人の頬に手を添えて微笑む。しかし、その男はシクザムの行動に面食らったように瞳を大きく見開いたかと思うと、思いっきり眉間に皺を寄せる。
「なんだ、寝ぼけてるのか?仕事だぞ」
「何って仕事しようとしてるんだけど」
シクザムは、首をこてんと横にもたげ上目遣いをしてみるが、目の前の男の表情は先程と同じで険しいままだ。本能的に、自身が美しく魅力的な生き物だと知っていたシクザムは、自分の行動になんの反応もないことに、一瞬おかしいなと頬に添えた手を下ろそうとした。しかし、いや、おかしいが、だからといって仕事をしないのは違うなと思い直したシクザムは、相対する男から精気を奪おうと下履きに手を伸ばす。すると、下履きに手がかかる前に手首を掴まれてしまう。
「何をしてる」
「だから、仕事」
男は眉間の皺を一層深くした。よくみると男の目の下には、大きく黒い隈が広がりせっかくの美形を台無しにしている。もったいないな、かっこいいのになと能天気に眺めていると、男の唇からため息が漏れる。
「指示がちゃんと入ってないな」
男の表情は固く重苦しいのに、声色は困惑を隠せていなかった。
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