第16話

「行ってしまいましたね」

 向かいの席でお茶を啜っていた登美子が、たった今娘の出て行った扉を見詰めていた。

「私がいることに気づけないほど喜んで」

 二人で苦笑してしまう。赤ちゃんの頃からずっと見てきたが、時雨があんなに興奮している姿を見たことは無い。

「だからこそ、心配でもあります。彰人くんはもう昔のように時雨ちゃんを受け入れはしないかもしれない。そのときあの子は……」

「大丈夫ですよ」

 登美子が不思議そうな目で私を見た。

「何故慧さんは、そんなに自信がおありなのですか」

 お茶に口をつける。温かいものを身体に取り入れるとほっとする。

「時雨ちゃんも彰人くんも、私たちの大事な子供たちです。親が子供を信じてあげなくてどうするのですか」

 あの二人なら、乗り越えられる。私の子供たちなのだから。

「やっぱり慧さんには敵いませんね」

 登美子の顔に笑みが戻る。

「私も、信じます。あの子達を」


 三年前の卒業の日。時雨は、彰人が最後まで泣かなかったと思っている。けれど、事実はそうではない。

「失礼します」

 院長室に来たのは、施設を後にする間際。

「どうしたんだい」

「時雨から逃げてきたんです。あいつ、俺の部屋にまでついて来るから……。少しの間、匿ってください」

 その日、時雨は朝からずっと彰人から離れようとはしなかった。スタッフ陣はその光景を微笑ましく思っていたのだが。

「時雨ちゃんと一緒にいたくはないの」

 尋ねると、激しく首を横に振って否定した。

「凄く嬉しいんです。でも、ちょっとだけ一人の時間が欲しくて」

 慧からも隠れるように、背を向けた。

「だって、見られたくないじゃないですか」

 両親を失っても、泣くことができなかった――それは自戒のためだと後で知ることになったが――その彰人が、肩を震わせ泣いていた。

「自分でもびっくりしているんです。こんな気持ちになるなんて」

 自分でも感情をコントロールし切れていないようで、涙を拭う手が忙しなく動く。

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