第10話 外堀を埋められる残念美少女
真衣さんが落としたのは、俺の名前が記名された資料集だった。
授業でごく稀に使うような代物である。家に持ち帰ったことはないはず。取り違えられていたとは思いもしなかった。
……いや、軽く流すことではないな。
なぜ真衣さんは俺の資料集を、あの鞄の中にしまっていたのか?
あの資料集を家に持って帰った記憶がない。そうなると、鞄紛失事件より前に取り違えられたと推測するのが妥当。
偶然にも程がある。運命の悪戯によるご都合主義とは、どうも思えなくなっている。
運命ではなく必然。故意による力が働いているんじゃないかと邪推してしまう。
落としてから急いで拾えば、記名部分が見えるのは一瞬であろう。
しかし、今回はそうもいかない。
真衣さんが俺の名前の書かれた参考書に気づいた時、目を見開いたフリーズしてしまった。
周りの注目を浴びる悪手である。
「ほぅ」
顎に手を当てて、近くにいた水田はひとりごちた。ほとんど周囲には聞こえない声量だ。
ただ、参考書を落とした半径数メートルのクラスメイトには、ばっちり俺の名前が書かれた参考書を目撃されてしまった。
正確性に欠けた憶測だとしても、それらしい証拠と結びつき、補助線が描かれたとき。
噂の信憑性は強化され、描かれた一本の線は、あたかも真実のような様相を呈する。
「嘘、だろ」「偶然にしちゃあ、できすぎじゃないか!?」
ざわつきは男子からも。
「真衣さんと、小瀬くんが?」「クラス内恋愛のダークホース誕生?」「いやどゆこと?」
そして女子からも上がった。
「あ、なんでだろう。私の資料集のはずが、どうして小瀬くんのものに!?」
おい待て真衣さん。自ら墓穴を掘るような真似になりかねない。自然に振る舞おうとしているのだろうが、目も泳いでいるし、口調もわざとらしくなっている。
「な、なんでだろう、小瀬くん?」
俺に振らないでくれ。怯えと笑顔がごちゃ混ぜになったような目でこっちを見ないでくれ。
「さ、さあな」
相槌を打つのが俺の精一杯だった。状況の改善にも悪化にも寄与しない、護りの一手だった。
そのつもりだったが、妙に真衣さんの視線が外れず、じっと見つめあうかたちになってしまった。
どことなく気まずく、恥ずかしい。まじまじと見ると、真衣さんの美しさを意識させられてしまう。
……よくない。頬のあたりがじんわり暖かくなるのを感じる。
すっと視線を外し、お互いに俯いた。見つめあっていたという事実が、いまさら迫ってくる。
ただのクラスメイトといい張るのに、一連のやり取りは無理があるだろう。
俺がそう思うのだから、クラスの男子などはよりいっそう強い実感を得ていたようで。
「眩しっ」「知らぬ間に青春の世界を紡いでいたのか……?」「悔しいかな、輝いてるぜ」
こんな有り様だ。
さっきのたとえでいえば、もはや彼らの中で補助線は十分すぎるほど引かれている。
もはや別の答えを見出すのが困難。
たとえ引かれた補助線に、方針の間違えがあったとしても、いまさら気づけまい。
「おめでとう、小瀬! 春が来たな!」「ヒュ〜ッ! よっ、イケメン!」
俺のクラスの男子に、事を静観する配慮というのは、いい意味で存在しなかった。
俺と真衣さんがくっついているのを、あたかも確定事項として捉えていた。無理もないとはいえ、いささか早急すぎる節があるんじゃないか。
覆水盆に返らずを体現したような状況。いまさらどうしようもない。
「おっ、なんだか盛り上がってますね〜」
担任がドアを開けて入ってきた。
一部の男子は、ニヤニヤと企みの笑みを浮かべ、
「あとでこっそり教えますよ」
なんて抜かしていた。俺に「任せとけ」とでもいうようなウインクをして。
話をこれ以上拗らせないでくれ。
真衣さんは抜け殻状態だった。焦りを通り越してすべてを諦めた状態ともいえた。
周りから見えないよう、真衣さんにメッセージを送る。
『亜依夢:きょうこのあと、作戦会議にしよう』
ややあって、返信。
『真衣:了解! 学校だと目立ちそうだし、放課後にまた亜依夢くんの部屋で』
またかよ、という気持ちはあった。
が、あまり目立たないように話をするには、俺の部屋が一番という結論は揺るがないだろう。
ふだん以上に感じる、周りからの目線。なかなか新鮮だ。あまり注目をされてこなかった人生だったぶん、いっそう強く思う。
真衣さんとの接触を避けて生活をしていたが、話題を振られることまでは回避できなかった。
男子チームで食べる昼食の時間には、質問攻めに遭ってしまった。
「付き合ったきっかけは?」「いったいどこまでいったのか」「真衣さんのどこに惚れたのか」
下世話なものを含め矢継ぎ早に問われた。
俺はなあなあな返事をして、軽くいなした。煮え切らない態度をとることで、付き合っているのだろうという確信は勝手に深まっていたようだ。解せない。
こういうのを見ていると、よくない誤解が広がったときに、汚名を返上するってのも大変そうだな、と思った。
「ま、真実は亜依夢くんのなかにしかないだろう? いずれわかることだよ」
そういったのは水田常樹だった。
彼は、俺を困らせるような態度をとらなかった。ある程度、俺の事情を推測しているのか、はたまた、噂程度の話題に便乗するのを避けているだけなのか。
真意を汲めるほどの察知能力を、俺は有していなかった。
かくして、俺と真衣さんは、勝手に公認カップルじみたものになってしまったのだ。
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