第3話 緊張の一夜

 奮発して出前を取ることにした。


 ひとり暮らしの我が家。


 高校から県内の私立に進学。高校自体の立地は良好なのだが、いかんせん自宅からは遠すぎた。老人顔負けの早起きに体がついていかず、一年生の後半からいまの生活に至る。


 家賃は親持ち、生活費も仕送りがあるという好条件。さすがに仕送りの額はそれなりだ。


 物欲にスイッチが入る年頃。食費は節約志向となるのも時間の問題だった。


「出前取るなら、名店のラーメン一択!」

「あしたも学校だろう? 大丈夫なのか」

「鞄の捜索が長引くに一票。見つかったときは、万全の口臭対策で一日を凌ぐつもり」

「勝負に出るんだな」

「同級生のひとり暮らし男子の部屋に泊まる時点で大博打。賭けるものが増えても、いまさらって感じ」


 感覚の麻痺だろう。いまの真衣さんは、一種の無敵状態だ。


「ラーメンの種類は?」

「二郎系全マシマシ」

「ギ、ギルティすぎる」

「この部屋にニンニクの凄みを教えてあげる」

「真衣さんと違って、俺は学校に行くのがほぼ確定してるのを忘れないでくれよ」

「たぶん亜依夢くんは大丈夫。臭いがどうてまあれ、周りの評価は変わらないよ。気にされない」

「なんかディスられてる?」


 さて、どうでしょう、と意地悪げに問いかける真衣さんだった。


 意気揚々と二郎系を頼もうとしていた真衣さん。


 しかし、二郎系の店がまさかの臨時休業。


 休業はきょうになり突然決まったらしい。店主の事情でこれから数日閉まるそうで。


 人をさりげなくディスったのがよくなかったんじゃないか、と考える俺であった。


「それなら醤油ラーメンかな」

「あぁ。二郎はドンマイだが、そういう日もあるさ」

「厄年ならぬ厄日かも……」

「きょうは運も底の底って日だったかもしれない。あした以降は人生上向き確定じゃんか」「前向き!」

「ひとり暮らしは、メンタル上昇思考じゃないと病むんでね。生活の知恵だよ」


 ポジティブであり続けるのは本当に大事。


 二郎系は断念し、代わりに醤油ラーメンを出前で取ることにした。


 ラーメンが届くまで、真衣さんとは他愛もない話を繰り広げた。


 お互いにクラスメイトではあったが、正直詳しい内面など知る機会がなかった。


 きのうまで真衣さんに抱いていたイメージは、クールでミステリアス。


 いまや若干のポンコツさとユーモラスを兼ね備えた人、といったところだ。


 勝手に抱いていたイメージとは真逆といってよかった。クラスで見せていないだけで、心の中に面白さを閉じ込めていたわけだ。


「かくいう亜依夢くんも、よく喋るタイプだったんだって、驚いたよ」

「悪かったよ、クラスでおとなしくしているタイプで」

「クラスの中心になって周りを率いる姿は、あまり想像できないし、実際にそうした光景を見たことがなかったし」


 言葉を濁しているが、要するに俺は陽キャだとか根アカだとか、そういった分類はされない。


「自分をけなすことはないよ。もしイケイケ系のクラスメイトに泊めて、なんていったら、身の安全とか考えちゃう」

「イケイケ男子ってそんな野蛮かね」

「どうだろう。紳士な人が多いのもわかってるけど、そういう流れをつくるのがうまかったりしそうじゃない? もしなにかあったら……あとあと禍根が残りそうでしょう?」


 複雑な気持ちだが、すくなくとも俺を信頼してくれているのはうれしかった。


 ちょっとしたいじりは若干気になるが、真衣さんなりのアイスブレイクなのだろう。からかわれて悪い気がしないってのも、また俺の本心だった。


 何度も考えていることだが、俺も真衣さんもひとり暮らしでないと、こういう成り行きにはならなかっただろう。


 俺は家から遠いのでひとり暮らし。


 真衣さんも似たような理由らしい。


 部活に勉強、遊びにバイトと充実した生活を送るには、健康を犠牲にする必要があり。身体を壊す機会がたびたびあったとのこと。


 実家暮らしをするのなら、無理をしない生活にしなさいと親に迫られ、ひとり暮らしを懇願したようだ。


 お互いの内情を話すと、どことなく打ち解けた気分になるものだった。


 ラーメンが届いた頃には、真衣さんと一緒に話すことへの違和感が消え失せていた。


 スープだけ温める必要があった。空腹の限界に達していた俺たちは、夕食の準備が整うと貪りつくようにラーメンとの対話をはじめた。


「うまっ……うめっ……」

「たまらんな、こりゃ」


 律儀に行儀良く食べるなんて考えはなかった。うまい料理を前にすると、語彙力は削がれる。ものの短時間でスープまで完飲した。


「これが究極至高のラーメン。冷えた身体に染み渡るよ」

「俺が来るまで立ちっぱなしだったもんな」

「芯まで冷えちゃったね。あとはお風呂入ったら完璧かも」


 服は俺のものを貸すことになった。下着はさすがに近場のコンビニで買わせた。その際に、ふたりで生活するのに必要そうなものも仕入れた。客を歓迎する準備をしていないのが露呈した。


 風呂から就寝まで、真衣さんの女性の部分に意識が持っていかれそうになるも、とりたてて大きなイベントはなかった。まったくだ。


 俺の愛してやまないラブコメの定番に乗っとれば、ハプニングのひとつやふたつあってもおかしくないというのに。


 同級生の女子を家に招くシチュエーションを過度に理想化し、そわそわしていた過去の俺よ。


 あくまでフィクションはフィクション。現実は非情だ。


「じゃ、おやすみ〜」


 俺のベッドを明け渡し、予備の布団で俺は雑魚寝することになったのだった。

 

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