第22話「つまみ食いはダメ」
どっきりビッキー梅見台店。
斎京線梅見台駅の駅前から延びる大通りと国道が交差する交差点の角に、その店はあった。
駅からは程近い距離で、通勤や帰宅時の会社員が立ち寄りやすい。
近くには梅高こと梅見台高校があり、地域住民だけではなく学生客も見込める。
駐車場も十分な広さがあって、国道から来た車が入りやすい・・・というのは、今まさに千場須さんの車で送ってもらって気付いたんだけど。
今から私達は、ここで働くのだ。
「・・・入口が開かないわ」
「従業員は裏口から入るんですよ・・・裏手に回ってみましょう」
お店はまだ開店前なので入口は閉ざされ、店内の照明もついていなかった。
不景気の影響か24時間営業じゃなくなったファミレスは結構多い・・・ここもその一つのようで、朝8時から深夜1時までの営業になっている。
駐車場を通って反対側へと回り込むと、店の壁と同じ色をした鉄製の扉が一つ・・・
「あ、ここですよ!すいませーん」
「ちょっと右子、そんな乱暴に叩かなくても・・・」
ドンドンと扉を叩くと、扉の向こうから人の気配・・・物音のようなものが聞こえた。
程なくしてガチャっと内側から扉が開かれ・・・あ、鍵掛かってなかったんだ。
「君達か、おはよう」
「お、おはようございます」
八重樫店長に迎え入れられて中に入ると、そこは以前面接を受けた部屋だった。
面接の時は部屋の方にまで意識が向かなかったけれど、こうして見ると思ったより広い。
壁際に置かれた長机の上には、ビニールの包みが3つ・・・それぞれに私達3人の名前が書かれた紙が貼ってあった。
「これは・・・制服かな」
「ああ、各自自分の名前の物を受け取って・・・そこが更衣室になっているから、着替えて来てくれ」
店長の指した先にはスライド式のドアがあり、その向こうは更衣室と呼ぶにはちょっと小さい部屋になっていた。
中には荷物置き場と思われる棚と靴箱が置いてある・・・しかし3人同時に着替えるには狭そうだ。
「じゃあ、綾乃さ、んからどうぞ・・・」
「ええ・・・靴は・・・」
「靴は共用になってるから、サイズの合う物を適当に履いてくれて構わない」
靴は共用か・・・ちょっと抵抗あるかも・・・接客用だから物は綺麗なんだろうけど。
しばらくすると、着替えを終えた綾乃様が更衣室から出て来た。
「これで良いのかしら・・・」
うん、すごく似合ってる。
おそらく夏服なのだろう、上は半袖、下はショートパンツというスタイルだ。
紐状のヒラヒラが付いた西部劇風の制服に、綾乃様の青い目と金髪が良く馴染んでいた。
ウエスタンハット風の帽子を被るんだけど、ウエスタンハットそのものではない為ポニテにも違和感がない。
「ほう・・・さすがだ・・・」
八重樫店長も思わずそんな呟きを漏らしてしまうのも頷ける。
このお店の看板娘間違いなしだ。
「じゃあ私達も着替えてきます・・・左子、いこ」
「・・・ん」
やっぱり狭い更衣室だけれど、二人までなら何とかなりそうだ。
余計な時間を掛けても悪いしさっさと着替えてしまおう。
あ、左子の制服は微妙にデザインが違う・・・ヒラヒラがついてないし、帽子の形も違う。
なんか一緒に着替えてると違和感があるけど・・・これなら双子の区別がつくか。
・・・後で聞いた話だけど、キッチン担当の制服は衛生面への配慮でこうなっているのだそうだ。
ヒラヒラの部分が取れて料理に混ざったりしたら困るもんね。
私もキッチンの仕事をやるようになったら、こっちの制服を渡されるらしい。
「着替えが終わったら、このタイムカードに打刻するように・・・ちなみにもし打ち忘れた時は、こっちの用紙に記入してもらいます」
おやアナログ式だ。
私が前世でアルバイトした時はパソコンに入力する感じだったから、ちょっと新鮮な気分だ。
自分の名前の書いてあるカードを機械に差し込むと・・・がちゃんと現在の時刻が印刷される。
「それでは、これから仕事に入ります・・・ついて来てください」
「「はい」」
部屋を出ると右手側にキッチン、左手側に進めば客席がある。
キッチン担当の左子とはここでお別れだ。
「ええと三本木・・・左子さんはこっちへ・・・三船さん、この子が今日からキッチンに入ります、教えてあげてください」
「あいよ」
三船さんと呼ばれて出てきたのは、ちょっと目つきの鋭いおばあちゃんだ。
どうやらサラダの仕込みの最中らしく、野菜の青臭い匂いが漂ってくる。
「三本木、左子です・・・よろしくお願いします」
「・・・ふーん、まぁやるからにはしっかり働いてもらうよ」
うわぁ・・・なんか偏屈そうな人だ・・・大丈夫かな左子。
「二人はこっちへ・・・まずマニュアルの接客トークを覚えてきているかを確認します」
「はい、大丈夫です」
さすが綾乃様、自信ありそうな顔してる。
そこは毎日練習してきたからね・・・全部覚えているのは間違いない。
「では開店前にここで実演してもらいます、基本の1番から二人で交互に・・・」
「は、はい」
綾乃様の顔がちょっと引きつった。
やっぱり緊張しちゃうか・・・ここは私からやろう。
「いらっしゃいませ!」
「ど、どっきりビッキーへようこそ・・・」
いいよ綾乃様、ちょっと上ずってるけど言えてる言えてる。
不安だったけどちゃんと練習の成果は出てるよ、これならきっと・・・
「・・・二階堂さん、もうちょっと元気に言えますか?うちは陽気なアメリカンスタイルが売りなので・・・」
「・・・はい」
えええええええ・・・結構拘る人だったか・・・
いきなりダメ出しされて綾乃様の表情がさっきより硬くなってるよ。
「では最初から」
「いらっしゃいませ!」
「どっきりビッキーでようこそ!」
「どっきりビッキー、へ、です・・・間違えないように」
「は、はい・・・」
うぅ厳しい・・・その後も八重樫店長によるダメ出しは続き・・・
「時間もありません、今日はこの辺で良いでしょう・・・トークは接客の基本なのでしっかり覚えてください」
「・・・はい」
早くも綾乃様が泣き出しそうな顔になってる・・・練習頑張ったのにな。
「開店前の準備はもうやってあるので、今日はお客様への対応を中心に覚えてもらいます」
来店したお客の席への誘導、注文の伺い方、メニューボードの扱い方等。
店長から一連の流れを教わった所で、開店の時間になった。
ここからはもう練習じゃない、本番だ。
・・・カランカラン
入口に付けられているベルが鳴って、お客様の来店を告げる。
店長は後ろの方から見ているだけだ・・・教わった通りに私達が接客しなければいけない。
「ひらっしゃいまし!どっきりビッキーへようこしょっ!」
店長の厳しいダメ出しですっかり参ってしまった綾乃様は最初からもうカミカミだ。
さすがに放っておけない、慌てて綾乃様に駆け寄り、お客さんからは見えないようにその手を握る。
「綾乃様・・・落ち着いてください・・・大丈夫ですから」
「・・・そ、そう?」
「おや、外人のアルバイトさんか・・・日本語上手だねぇ」
「あ、ありがとうございます・・・こ、こちらの席へどうぞ・・・」
記念すべき最初のお客さんは優しそうなお爺さんだった。
なんか綾乃様の見た目で外国人だと勘違いしてくれたらしい・・・これなら多少たどたどしくても許してもらえそうだ。
お爺さんはアメリカンコーヒーを注文・・・あ、店長がもうコーヒー淹れてある。
「あのおじいさんは常連さんだから、いつもアメリカンを注文する・・・でも熱いのがダメで少し冷ましてから提供、覚えておくと良い」
「は、はい」
よく来るお客さんは覚えてるんだね、さすがは店長か。
その後も、ぽつりぽつりとお客さんがやって来たけど、やっぱり綾乃様の見た目にはみんな反応してた。
さっきのお爺さんみたいに外国人だと思って優しくしてくれると良いんだけど・・・
「三本木さん、君も見てばかりいないでお客様の対応をしてくれないか」
「は、はいぃぃ!いらっしゃいませぇ!」
そうだった・・・私も綾乃様にばかり働かせるわけにはいかない、頑張らないと。
でも常にあの店長が後ろで目を光らせてると思うと、すごい緊張するんだよなー・・・
時間の経過とともにお客さんの数は増えていく・・・
やっぱり、どっきりビッキーは『朝食を食べるお店』ではないようで、朝から食べにくるお客さんは少ないみたい。
お客さんの対応に追われずに済むのは、まだ仕事を覚えながらの私達にとっては有り難い。
「おはようございま~す」
店の奥の方から聞こえてきたその声には聞き覚えがあった。
面接の時にいたお姉さん店員だ。
たしか今日は11時から・・・ちょうど私達と入れ替わる形で入っていたはず・・・
もうそんな時間なのかと思ったら時刻はまだ10時、新人の私達を心配して早めに来てくれたのかも知れない。
無視するわけにもいかないので、手の空いたタイミングを見計らって綾乃様と二人で挨拶しに向かった。
「今日からここでアルバイトする事になりました、二階堂綾乃グレースと申します、よろしくお願いします」
「ええと、同じく新人アルバイトの三本木右子です、よろしくお願いします」
「あらまあ、ご丁寧に・・・十河 美穂子(とがわ みほこ)です、よろしくお願いします」
パート主婦の十河さん、結婚してすぐここで働き始めてもう5年目だという。
あの大きな声と、このお店によく合う明るい雰囲気は、長年の経験のなせる業なのだろうか。
「十河さんは長く働いているベテランさんだから、もし私がいない時は彼女を頼るように」
「店長・・・そうやってすぐ私に責任背負わすのやめてもらえません?」
「いや、そう言われても・・・他に任せられる人がいないしな・・・」
あの店長相手に正面から物を言えちゃうあたり、本当にベテランさんって感じだ。
本人は嫌がってるみたいだけど、すごく頼りになりそう。
「そう言えばもう一人いたよね?たしかキッチンの・・・三船さんにはもう会った?」
「はい、何か気難しそうな人ですね・・・左子・・・上手くやれてると良いんだけど」
「あの人結構きっついから、その子泣かされてないと良いけど・・・」
「・・・え」
あのおばあさん、そんなにヤバい人だったの?!
たしかに目つきは鋭くてちょっと怖い感じだったけど・・・
「あの人、私以上の大ベテランで、自分が仕事出来るもんだから出来ない人に厳しいんだよ・・・これまでにも女子高生のバイトを何人か泣かせちゃって・・・それが原因で辞めちゃった子も・・・」
「!!・・・ごめんなさい、ちょっと行ってきます」
他人と話すのも苦手な左子が、そんな人と仕事なんて出来るわけないよ。
綾乃様を心配して接客を希望したのが完全に裏目に出た・・・左子、無事だと良いんだけど・・・
「左子!」
「・・・姉さん?」
キッチンの扉を勢い良く開けた私の目に飛び込んできたのは・・・すっかり目を赤くした左子の姿だった。
やっぱり泣かされてる?!
「なんだいこんな時間に・・・まだあがりには早いよ」
鋭い視線で睨んできたその姿はまさに鬼婆、くぅ・・・よくも人の妹を・・・
鬼婆はその手にフライ返しのような物を握っていた、お好み焼きで使うやつよりも一回り大きい。
こっちも何か、武器になるものを持たないと・・・く、接客側にはフォークとナイフくらいしかない。
こうなったら二刀流だ・・・左子、今お姉ちゃんが助けてあげるからね。
左手にフォーク、右手にナイフを持った私は鬼婆から左子を庇うような位置を取り、油断なくじりじりと間合いを・・・
「姉さん・・・つまみ食いはダメ」
「うぇっ・・・ひ、左子?!」
後ろからすごい力で引っ張られた。
振り返ると、左子が私の腕を掴んだままジト目で睨んでいる。
いや、私は左子を守ろうと・・・それにつまみ食いって、アンタじゃあるまいし・・・
「なんだい、お腹が空いたのかい・・・うちは社割制だから、まかないはないよ」
「や、そうじゃなくて・・・左子、その目大丈夫?」
「え・・・これは・・・」
「ほら、焼き上がったよ」
そう言いながら鬼婆が鉄板の上にフライ返しを滑らせると、程よく焦げ目の付いた大きなハンバーグが宙を舞い・・・ご飯の盛られた大きめのお皿の上に着地した。
ランチセット用のプレートだ。
「・・・ん」
そこへすがさず左子が動き、そのハンバーグの上に何かを乗せていく・・・
こ、これは・・・たまねぎのみじん切り?!
そのまま左子は流れるような動きでソースをかけると、付け合わせのサラダを盛り付けた。
「はい・・・7番テーブル・・・持ってって」
「あ、うん・・・」
押し付けられるように渡されたそれを、言われるがまま客席へと運ぶ・・・え、どういう事なの?!
左子のあの目は・・・ひょっとしてたまねぎのせい?!
「三船師匠は・・・すごい人・・・あの人が焼くのは理想のハンバーグ」
・・・後に左子はそう語った。
し、師匠って・・・いじめられてたわけじゃないみたいで良かったけど・・・
思いの外あの二人の相性は良かったらしく、11時に入れ替わりでキッチンに入った別のアルバイトさんは目を丸くして驚いていた。
「絶妙な焼き色・・・しっかり中に閉じ込めた肉汁・・・私もいつかは・・・あんなハンバーグを・・・」
なんか夢見るような目をして語ってる。
まぁ左子がうまくやっていけそうで良かったよ。
それに対して綾乃様はと言うと・・・
「・・・燃え尽きたわ」
「あ、綾乃さ、んんっ!」
そのやつれぶりに、つい様付けしそうになったけど、あがったとは言えまだ店内だ油断してはいけない。
綾乃様は完全に疲れ切った顔をしていた・・・見知らぬお客さん達への接客が相当堪えたらしい。
「大丈夫ですよ、ちゃんと出来てたじゃないですか」
「そうかしらね・・・」
「そ、そうですよこの調子で」
「いいや、まだまだ・・・明日はもっと元気に声を出してください、いいね?」
「・・・はい」
店長・・・綾乃様の心が折れちゃうよ、もうちょっと手加減してあげて。
その後、左子がどっきりビッキーで昼食を食べる事を希望したけど、綾乃様の食欲がなかったので今日は諦めてもらった。
屋敷へ戻ると、綾乃様は自室に閉じこもってしまった。
よっぽど疲れているんだろうか・・・大丈夫かな・・・
しかし、その翌日・・・
「右子、左子、さぁ今日も張り切って働くわよ!」
綾乃様、なんかすごい元気になってる。
「店長様が仰っていたでしょう?明日はもっと元気にって・・・だから今から元気になっておこうと思ったの」
「ああ・・・そういう事ですか」
そういえば、綾乃様は形から入るタイプだったね。
朝からこんなノリで疲れないと良いけど・・・
でもその甲斐あって、なんとか接客に関しては合格をもらったよ。
次は開店前の準備作業を教えてくれるんだって・・・絶対今週中にマスターしろって言われたよ。
なんか来週のシフト、朝のメンバーが私達だけになってるし・・・大丈夫かなぁ。
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