第5話「海ですよ海」

窓から差し込む初夏の朝日が薄緑のカーテンを通して、室内を染めていく。

まだ靄の掛かったような頭のまま、私はゆっくりと身体を・・・


「いたっ!」

「姉さん・・・大丈夫?」

「だいじょうーぶだいじょーぶ、ちょっと足をぶつけただけ」


二段ベッドの柱部分に小指をぶつけた、結構痛い・・・

この屋敷に来て数年起ったが・・・私の寝相の悪さはまだ直っていない・・・というか、前世からの筋金入りだから直らないと思う。

上の段からひょっこり顔だけ突き出した左子に、心配ないと親指を突き出して見せる・・・やせ我慢だが、私にも姉の意地があるのだ。

それで納得したのか、顔を引っ込めた左子がゆっくりと梯子を下りてくるのに合わせて、私もベッドから抜け出した。


時刻は朝6時ちょうど、身体はもうすっかりこの時間に馴染んでしまった。

そのまま二人で部屋に備え付けのユニットバスへ向かう。

この時期は少し寝汗をかいてしまうので、軽くシャワーを浴びる事にしているのだ。


私と左子に体型の差は見られない・・・本当に鏡を見ているような不思議な気分になる。

さすが中学生というか、さすがゲームキャラと言うべきか・・・前世の記憶の私よりも整ったプロポーション。

さすがにぼんきゅぼーんみたいなのには程遠い普通体型だけれど、無駄なお肉がない・・・これが今の私だと思うと、ちょっと嬉しい。


「・・・」

「・・・あ、ごめん」


私がそんな事を考えてる間に左子はさっさと洗い終わってしまったようで、無言で私を見つめてきた。

じぃーーーという効果音が聞こえてきそうなジト目だ。

このジト目は私にはない、左子独自の特徴だった気がする。

左子は口数が少ない分、視線で語って来るのだ。


慌てて私も洗い終え、タオルで身体を拭くんだけど・・・これが息の合ったコンビプレイなんだな。

自分の身体は拭きやすい所しか拭かない、背中はおろか肩周りや利き腕なんかは相手に任せてしまうのだ。

幼い頃より親元を離れて暮らす私達が編み出した連携のなせる技だ、そこらの双子じゃこうはいかないんじゃないだろうか。

ちょっと得意げになりつつ髪をとかす、ここでもドライヤーをかけにくい側は左子任せ・・・双子って超便利。


メイド服を着て髪を縛ったら朝のお仕事へ出動だ。

今の私達はもう中学生、つまみ食・・・味見が目的の厨房じゃないぞ。

目的の部屋へと到着した私はドアノブをガチャリ。


「「おはようございます、綾乃様」」

「おはよう、今日もよろしくね」


そのままノックせずに扉を開けると、綾乃様が笑顔で出迎えてくれる。

その無作法を責められるような事もない・・・まぁ影武者だしね、本人も仰々しく扱われたくないみたい。


今の私達には「綾乃様の髪をとかす」という仕事が与えられていた。

私と左子が手にしたのは同じデザインの銀のナイフのような櫛・・・二つでワンセットになっている綾乃様専用の櫛だ。

そんな事しなくてもサラッサラの金髪に櫛がスッ・・・っと通っていくのはなかなか気持ち良い。

・・・しかし、こんな綺麗な金髪の持ち主をよく見つけられたものだ、やっぱり千場須さんが探し出したんだろうか・・・


「二人にはいつも手間をかけるわね・・・この髪も短くしてしまおうかしら」

「そんな、切ってしまうだなんてとんでもない!」

「でも毎朝こんな事をして・・・二人は煩わしくない?」


二人して同時に首を振る・・・煩わしいものか。

あの傲慢ちきな綾乃グレースならまだしも、影武者の綾乃様ならこれくらいの手間は苦でもない。

今もこうして気を使ってくれてる優しい子だしね。


「全然手間じゃないです・・・それに、こんなに綺麗なんだから・・・もっと長い方が良いくらいです」

「そう?じゃあ伸ばそうかしら・・・」


今の綾乃様の髪は肩に掛かる長さといったところ。

常識的にはちょうど良い長さだけど、もっと長ければ・・・この金色はさぞ映える事だろう。

そう、思い切って腰くらいの長さでも・・・と想像して、私は・・・あれ・・・


妙な違和感・・・いやこれは既視感?・・・前世の記憶が何か引っかかっている?


久々に味わうこの感覚・・・なんだろう・・・


しかしその感覚は「ぐぐぅ」というお腹の音と共にさっぱり消え去ってしまった。

音の発生源は二つ、私と左子による胃袋のハーモニーだ。


「ふふっ・・・そろそろ食堂へ行きましょうか」

「はーい」


私達が食堂に着くのを見計らったように、千場須さんが朝食を運んで来る。

相変わらず三ツ星シェフの料理は絶品だ。

しかし、去年から食事マナーの教育が始まっていて・・・私はまだ馴染めずにいた。


「・・・右子様」

「はひぃぃ!こ、こうですよね?わかってますよ、わかってます!」

「・・・ならば、よろしいです」


油断するとすかさず千場須さんが指摘してくる・・・彼は些細なミスも見逃さない。

ムチで叩かれるような事はないけれど・・・なんか殺気みたいなのがあって怖いんだよね。

なんか私ばかり重点的に見てる気がするし・・・ううぅ、緊張する。


「・・・姉さんは、落ち着きがないから」


いや、この状況で落ち着いてなんていられないって・・・左子って結構図太い性格なのか。


「右子は頭が良いから、千場須に気に入られたのかも知れないわ」


うぇぇ、それ今だけだからっ!

まだ中学なのに、もう前世の記憶での優位が消えつつあるからね?

こんなに難しかったっけ?って、勉強頑張らないといけないかもって・・・むっちゃ危機感感じてるからね?!


朝食を終えたら千場須さんの運転する車で通学だ。

少し距離があるので、私と左子は移動中に車の中で着替えてしまう・・・と言ってもこのメイド服はパーツを取り換えるだけで制服になる素敵仕様だ。

でも私達の入学の年から切り替わった制服ってあたり、すごく大人の事情を感じる・・・二階堂家が何かしたんだろうね。


今日のホームルームは夏に予定されている臨海学校についてだ。

海辺のホテルに2泊3日、海のない県出身の私としてはすごく楽しみにしている行事。

担任が作ったらしい、予定表が書かれた紙が配られ・・・綾乃様?・・・なんか一瞬固まったような・・・気のせいかな。


ええと、予定表に書かれていたのは・・・


一日目、移動と海水浴、自由時間が多め

二日目、水難訓練、クラス対抗水泳大会、ビーチバレー、スイカ割り、夜には肝試し大会に花火と盛りだくさん

三日目、臨海水族館を見学、イルカショーも見れるらしい、その後一度学校まで戻って解散


うん、楽しそう。

こんなに遊んで大丈夫なんだろうかって気までしてくる豪華ラインナップだ。

さすが私立、前世で私の通ってた公立にはこんなのなかったよ。


「海かぁ~」

「姉さん・・・楽しそう」

「そりゃあね、左子だって海は初めてでしょう?初日は海の家で焼きそばを食べるわよ」

「海の家・・・焼きそば・・・じゅるり」


なんでも、海の家で食べる焼きそばというのは一味違うらしい。

前世では味わう事がなかったその味をついに・・・行く前からテンションだだ上がりだ。


「二人とも、楽しそうね」

「だって海ですよ海、綾乃様は楽しみじゃないんですか?」

「え・・・ええ、楽しみ・・・ね」


どこか歯切れが悪い・・・何か気がかりな事でもあるのだろうか。

実は泳げない?・・・いやいや、綾乃様は運動神経も抜群・・・屋敷にはプールもあるし去年の夏は一緒に泳いだはず。

では他に何が・・・


その答えは二日目にあった。



「・・・右子、左子、手を離さないでね?絶対に、離してはだめよ」


手を離すもなにも・・・すごい力でがっつりと握り締められて痛いくらいなんですけど?

綾乃様はその右手で私の手を、左手で左子の手をきつく握りしめ、両方の瞼をその手と同じくらいきつく閉ざしていた。

その状態のまま、私達は綾乃様が転ばないようにゆっくりと手を引いて歩みを進める。


「・・・」

「ずっと無言もやめて、何か喋って、こわいこわいこわい」

「や、そう言われても・・・ねぇ?」

「姉さん・・・がんばって」

「ひだりこぉぉ・・・」



・・・そう、肝試しである。


特に仕掛けやお化け役がいるわけでもなく、海辺の洞窟まで行って戻って来るだけのシンプルなものなのだが・・・

担任が雰囲気を盛り上げるために直前に話した「海に引きずり込む亡者の怪談」が殊の外刺さってしまったのか、怯え切った綾乃様はスタートすらままならない。

仕方がないので彼女には目を閉じて貰って、私達が引っ張るという作戦になったのだ。


「ひ・・・あ、足にぬるっとした何かが・・・」

「うちあげられた海草です、ワカメです・・・あ、昆布かも」

「!・・・何か物音が!」

「猫です、昼間漁師さんが餌をあげてたかわいいやつ、ほら今にゃーって鳴いた」

「痛い、何か足にちくって」

「これは・・・うにですね、持って帰って料理してもらいましょう」

「・・・じゅるり」


こんな感じでいちいち何かに反応する綾乃様をなだめながら、何とか洞窟を折り返す。

当然時間の掛かり方も半端じゃない、もう他のチームは全員帰還済みだ。


「もう少しだぞ、がんばれー」

「こっちだこっちー」


しまいには声援が飛んでくる有様だ、まるで24時間のマラソンランナーになった気分。


「!!・・・も、亡者達の呼び声が・・・」

「クラスのみんなですよ、さすがにわかってあげて・・・ってか、もう目を開けた方が良いんじゃ・・・」

「いいえ騙されないわ、途中で目を開けたらきっと亡者の世界に引きずり込まれて・・・」


・・・お前はイザナギノミコトか。


そんなこんなでなんとか無事にゴール。

緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまった綾乃様の頭をよしよしと撫でる。

うんうん・・・よくがんばったね、私・・・うぅ腕が痛い。


そのまま夜の浜辺で花火大会へと移行した。


「えいっファイヤーソード!」

「こっちは二刀流だぜー」


まぁ花火大会と言っても市販の花火セットで遊ぶだけなんだけど。

勢いよく火花が噴き出るタイプの花火が男子達に人気だ。

人気の花火はあっという間になくなってしまう。


私達は綾乃様をなだめていたので少し出遅れてしまった。

残っているのは地味な線香花火・・・これも風情があって良いのにね。

フッ・・・物を知らぬお子様共が。


ようやく落ち着いた綾乃様を交えて、三人で静かに線香花火の火花を見守る。


「さっきはごめんなさい・・・また二人に迷惑をかけたわね」

「いえいえ、綾乃様のお世話が私達の仕事ですから」


こっちの綾乃様のお世話なら全然辛くない。

むしろあんなに必死に怖がる姿を見れたのは結構楽しかったかも。

こっちが本体なら良かったのに・・・


「・・・そうね・・・」


私の心の声を聞いたかのようなタイミングで放たれたそのつぶやきにドキッとした。

小さな火花が照らし出すその横顔は妙に大人びて見えて・・・またあの既視感だ・・・この顔を私は見覚えがある?


「千場須から聞いたわ、今年の夏休みは実家に帰りたいって・・・」

「ああ・・・ちょっと色々考える事があって・・・将来の事とか」


そう、このまま中学時代が過ぎてしまう前に、私にはやる事があった。

やがて来る高校生活・・・ゲーム本編に向けての情報収集だ。

まずはゲームの主人公である一年葵(ゲームでは名前変更可能)が存在しているのかどうか・・・これを確認する必要がある。

彼女の家は姫ヶ藤学園の徒歩圏内・・・今の時点でも探せば見つける事が出来るかも知れない。

そして、あわよくば彼女と・・・というのが帰省という名の自由時間を求めた目的だ。


もちろん実家にも帰りたい、こっちの母親も何か幸薄そうで心配なんだよね。

左子も会いたがってるみたいだし、ちょうどいい機会だと思う。

千場須さんも1週間くらいなら大丈夫でしょうと言っていた。


「・・・私も将来の事、考えなきゃね」

「や、綾乃様の将来なんて・・・」


きっと二階堂家の輝かしい未来が約束されている・・・そう言いかけて私は絶句した。

・・・そうか、影武者の役目が終わった後の話なんだ。

綾乃グレースの影武者なんてゲームには出てこない・・・なら、この子はどうなってしまうんだろう。

まさか口封じに・・・いやいやこの現代でそんな・・・


「ねぇ、二人に聞いてもらいたい事があるんだけど・・・」


思いつめた顔で私達を見つめてくる・・・その青い瞳から私は目が離せない。

・・・あの女から、そして二階堂家から逃げる為の相談だろうか。

出来れば危ない橋は渡りたくない・・・でもこの子を見捨てるのも・・・


強い決意を秘めた眼差しで、彼女は口を開いた。


「私・・・生徒会長に立候補しようと思うの」

「へ・・・」



・・・そして翌年、彼女は生徒会長となった。

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