第4話「これからもずっとお友達でいてね」
この私、三本木右子の朝は割と早い。
二段ベッドの下段で目覚めた私はゆっくりと上体を起こす。
・・・寝相の悪い私に上の段は危険だった、今もベッドに対して私の身体は妙な角度が付いている。
その状態で少し横を向くと、ほぼ何もないこの部屋のワンポイント、アンティーク調の壁掛け時計が6時を告げていた。
(うわ・・・まだ6時だ・・・)
まだ眠りから覚めきらず、ぼーっとする頭で私が現在時刻を認識したその時、ミシリ・・・と真上から小さな気配を感じた。
左子が起きたのだ・・・あの子はほぼほぼ私と同じタイミングで目を覚ます、やっぱり双子だからなんだろうか。
さすがに二度寝するわけにもいかず、私はゆっくりとベッドから降り立った。
もちろんこの起床時間は私の本意じゃない・・・例の「早起きして隠し部屋を探そう作戦」の影響だ。
無理して早起きしたあの日から、すっかり体内時計がずれてしまったのだ。
思った以上に子供の身体は難儀なもので、夜になるとすぐ眠くなってしまう・・・とても遅くまで起きていられない。
おかげで「早朝がダメなら深夜作戦」はなかなか実行に移せずにいた。
「お姉ちゃん・・・おはよ・・・」
「ん・・・おはよ、左子」
眠そうな顔をした左子が少々危なっかしい動きでベッドの梯子を降りてくる。
二人とも寝起きは苦手な方だ、そのまま二人同じ動きで洗面台へ向かい顔を洗う・・・まるで鏡のように全く同じ動き、このタイミングの私達の区別は母親でも無理だと思う。
そして寝癖の少ない直毛の髪をヘアゴムで縛る・・・これでようやく右の子と左の子に分かれるのだ。
それから私達はメイド服に着替えて厨房へと向かう。
何もない自屋にいても退屈なので、ちょっとしたお手伝いをする事にしたのだ。
「「おはようございます」」
「うん、おはよう」
厨房で私達を出迎えてくれたのは、三ツ星シェフこと三ツ星隆行さん。
すごく紛らわしいけれど三ツ星さんという名字だ・・・三本木と同じく二階堂家の分家らしい。
同じ分家のよしみからか、私達に優しくしてくれる。
本物の三ツ星を貰っているわけではないけれど、料理の腕前は確かで・・・今も美味しそうな匂いが漂って・・・
「・・・じゅるり」
「左子、よだれ、よだれ出てるよ」
左子はすっかりその味の虜になってしまったようで・・・匂いだけでももうよだれを垂らす有様だ・・・まさにパブロフの左子。
・・・まぁ、私には前世の記憶があるってだけで、大抵の子供はこんなものかも知れない。
「ははっ、じゃあさっそくソースの味見をお願いしようかな」
そう言って新作のソースの入ったスプーンが私達に差し出された・・・先程からかぐわしい香りを放っていたのはこの特製ソースらしい。
三ツ星シェフの方も子供の純粋な反応が気になるのか、それとも単に可愛がってくれているだけなのか・・・
こうしてちょくちょく味見をさせてくれる・・・うん、おいしい。
前世の私には縁のなかった複雑な味わいが口に広がる・・・いったいどんな料理に使うソースなんだろう。
「これは何のソースなの?」
「このソースはね、卵黄・・・卵をベースにしているんだよ、隠し味に梅肉を入れてある」
「や、そうじゃなくて・・・」
ソースそのものについての説明を始めた三ツ星シェフ。
しかし私が知りたいのはそっちじゃない、メニューの方だ、そしてあわよくばそっちの味見も・・・
「ふふふ・・・ダメだよ、今日の味見はソースだけだ、後は食べる時までのお楽しみさ」
「えぇぇ・・・」
どうやらこっちの目論見は、まるまるお見通しだったらしい。
私達姉妹の不満の声にも、三ツ星シェフはどこ吹く風だ。
仕方ないので私達は本来のお手伝い・・・食器の用意をすることにした。
朝食に使われる食器は毎回同じ物で、大きめのお皿が一枚とスープ皿のセットだ。
それらを人数分並べられたトレイに乗せていく・・・私がお皿で左子がスープ皿担当だ。
なおフォークナイフスプーンの三点セットはテーブルの方に配置されているので、ここで用意する必要はない。
そっちの手伝いは千場須さんに却下された・・・まだ幼い私達にナイフを扱わせたくないらしい。
私達が並べている間に、三ツ星シェフが完成した料理を盛り付けしていく。
スープの方は匂いでなんとなくわかる、今日はコンソメスープだ。
気になるメインの方は・・・見る前に素早く蓋をされてしまった、丸い銀色の蓋だ・・・名前はクローシュというらしい。
最後の方では身体を使って視界を遮って来た・・・そこまでして隠されると気になってしょうがない。
こっそり蓋を開けようと伸ばした私の手は、ぴしゃりと叩かれてしまった。
「香りが飛んじゃうから、食べる直前まで開けちゃいけない」
「う・・・ごめんなさい・・・」
心なしか三ツ星シェフの目付きが鋭い・・・彼にも料理人のプライドがあるのだ。
これ以上彼に歯向かっては「ご飯抜きの刑」が待っているに違いない。
それでも、なんとかヒントを求めて調理場のゴミ箱を覗いた私の目に飛び込んできたのは、たくさん割られたと思しき卵の殻、そして・・・
「???・・・三ツ星さん、この黒いのって・・・」
「あ・・・あ~見つかっちゃったか・・・」
私が「それ」について質問すると先程の迫力はどこへやら、三ツ星シェフはばつの悪そうな顔を浮かべた。
「うん・・・ちょっと、失敗しちゃって、ね・・・」
しかし「それ」は、とてもちょっとの失敗とは思えない丸焦げの・・・えーと、なんだろう・・・
「実は今デザートを研究中なんだ・・・」
「デザート・・・」
この黒いのが?・・・ひょっとして、ケーキか何かだったのだろうか?
しかし、三ツ星シェフともあろう人がこんな失敗を?
その疑問が顔に出てしまったようで、彼は慌てて弁明した。
「ああ、僕そっちは専門外なんだよ・・・でも作ってみたくて勉強中なんだ。だから今日のメニューが一品少なくなってるとかは無いから安心して」
凄腕料理人の彼も、全ての料理に精通しているわけじゃないという事か・・・まぁ得意不得意は誰にでもあるよね。
でも彼ならいずれ・・・そう遠くない日においしいデザートを食べさせてくれるに違いない。
「じゃあ上手く出来た時は味見させてください」
「うん・・・そうだね」
こうして出来上がった料理はカートに乗せられ、この屋敷の人達の朝食となる。
私達は自分達の分と綾乃様の分、計三人分を運ぶのが最後のお手伝いだ。
他のカートより一回り小さい、お子様サイズのカートにトレイを積んで、私達は食堂へと向かう。
綾乃様もだいぶ早起きなのか、すっかり身支度が整った状態で食卓に付いている。
無駄に長く見えるテーブルの端っこに座る綾乃様の両脇が私達の席だ。
さっそくカートから3人分の料理を出して並べていく。
並べ終わったら三人仲良く「いただきます」だ。
いよいよ銀色に輝く丸い蓋・・・クローシュを開ける時・・・蓋の隙間から美味しそうな香りが広がる。
あの卵の殻の量からして卵料理かと思ったけれど・・・ひょっとしたら卵はあの黒焦げの物体の方に使われたのかも知れない。
果たして、その中身は・・・
「なにこれ・・・ぷるぷるしてる」
半分に切られた丸いパンの上で、丸い物体がプルプルしていた。
その上には先程のソースがたっぷりと・・・隙間から見える緑色の物体はアボ・・・ガト?アボカドだっけ?
なるほど、よくわからないけれどお洒落な気配がするぞ。
こうしている間にもその匂いが食欲を刺激する・・・はやく食べたい、でもコレ、どうやって食べればいいんだろう。
さすがにこの見た目で手掴みはないよね・・・このプルプル感を見る限りはスプーンを使いたい、けれど・・・
綾乃様の手元を伺う私と左子、左右対称の動きだ・・・綾乃様は自然な手付きでフォークとナイフを取り・・・ああ、そうやって食べるのか。
丸いプルプルはやっぱり卵だったらしい・・・すかさず真似してナイフで切って口に運ぶ。
おぉう、見えない所からベーコンが・・・うまうま・・・さすがは三ツ星シェフ・・・良い仕事してる。
もうその頃には先程の黒焦げ物体の事など、私はきれいさっぱり忘れ去っていた。
私がアレの正体を知ったのは、それからしばらく経っての事だった・・・
私達3人が通うのは二階堂家に程近い私立の小学校だ。
と言っても、やる事は普通の小学校と変わらない、数字とひらがなの書き取りからだ。
薄く印刷された文字の上を鉛筆でなぞるやつ・・・いきなり書けても不自然だから適当に間違えて書かなきゃ・・・
「あ」とか難しいよね、うっすらと苦労した記憶があるよ。
私は違和感なく「お」を書くような感じで、わざと間違えて書く事にし・・・
「右子ちゃん、もう鉛筆の握り方が出来てるのね、すごいわ」
え・・・
「お姉ちゃんすごい」
うわ、そこからだったか・・・まだ「ぐー」で握ってた頃かー。
クラスの視線が私に集まる・・・やめて恥ずかしい。
激しく動揺する私の右手が何者かに掴まれた・・・綾乃様だ。
謎の権力によって、席順は私と左子に綾乃様が挟まれる形になっている。
「え?綾乃様?」
「みぎこ、動かないで」
彼女は真剣な眼差しで鉛筆を握る私の右手を観察していた。
きっとお付きの従者風情に負けてはお嬢様の影武者として立つ瀬がないのだろう・・・この子も大変だ。
同情した私は彼女に鉛筆の握り方を教え・・・どう説明したら良いんだこれ。
「ええと・・・親指と人差し指で鉛筆を挟む感じ・・・かな?中指は添えるだけ・・・ああでも3点で支えてるような気もする・・・」
「ふむふむ・・・」
私のたどたどしい説明を真剣に聞いて色々握り方を試す綾乃様、その度に綺麗な青い瞳がくりくりっと・・・うう、ちょっと羨ましい。
結局その日のうちに握り方を身に着けてしまった・・・これが才能か。
その後も綾乃様は、どこかで私が手加減を間違える度に貪欲に私から教えを請い続けた。
それは彼女が負けず嫌いや努力家というよりも、何かしらの強迫観念があるように感じずにいられない。
やっぱり影武者なんだろうな・・・元はスラム出身の孤児だったりするんだろうか。
そんなこんなで時が流れて5月の25日。
この日は気を抜くと忘れるけれど、大事な日だ。
・・・もちろんこの時の私は、すっかり気を抜いていた。
朝の早起きはすっかり習慣となってしまい、その日もいつものように厨房でお手伝い。
この頃になると例の黒焦げ物体は、なんとなくスポンジケーキだと認識出来るくらいになっていた。
うんうん、三ツ星さんも頑張ってるね。
綾乃様も相変わらず早起きで・・・でも、気を抜いてしまうのか私達と一緒の時だけこっそり欠伸を漏らすようになっていた。
そして本体の方も相変わらず尻尾がつかめない、例の隠し部屋も千場須さんのガードが鉄壁過ぎて近付けずにいた。
やっぱりゲーム本編の始まる高校入学までは余計な事が出来ないのかも知れない。
それもしょうがないと思い始めたそんな折・・・
「あれ、今日の日直って確かわた・・・」
「ああ、鈴木さんが明日都合悪いからって一日入れ替えたのよ、右子ちゃんは明日の日直お願いね」
「はーい」
鈴木さんは出席番号順で私の次の子だ。
出席番号は五十音順なので姉の私より左子が先になる。
この時の私はそういう事もあるだろうと特に何の疑問も抱かなかった。
私が違和感を覚えたとするならそれは下校時刻。
終業の鐘が鳴るなり、綾乃様が私達の手を引いた時だ。
「みぎこ、ひだりこ、はやく帰るわよ」
「ちょ、綾乃様?!」
「綾乃様・・・いたい・・・」
校門には千場須さんの迎えの車が・・・それはいつもの事なんだけど・・・この日はいつもよりも早くから来ているようだった。
綾乃様は妙にそわそわしていて、一刻も早く帰りたいらしい。
まるで楽しみにしてるテレビ番組でもあるかのようだ。
今時は夕方に子供向け番組とかやってないんだけどなー・・・特番か何か?
意地悪をしてもしょうがないので、少し急ぎめに帰り支度をして車に乗り込んだ。
「綾乃様、そんなに慌てて今日何かあるんですか?」
「え・・・べ、別に慌ててないわよ・・・なな何もないし」
「??」
や、どう見ても慌ててると思うんだけど・・・
本当にいったい何があるのか・・・あの様子だと悪い事じゃなさそうだけど・・・
屋敷に到着した後も綾乃様はやっぱり同じノリで私達を急かしながらいそいそと進んでいく。
・・・って、あれ・・・この方向は・・・
「綾乃様、こっちは旦那様の部屋だから近付くなって千場須さんが・・・」
「そうよ、ここがお父様の書斎・・・そして、二人に見せたいものがあるの!」
そう言いながら綾乃様は書斎の本棚の中から一冊の本に手を伸ばすと・・・それを引き抜くのではなく、押しこんだ。
「!?」
ススッ・・・と音も立てず滑らかに、本棚が横にスライドしていく・・・
「こ、これは・・・」
ごくり、と息を飲む私達・・・間違いない、例の隠し部屋だ。
という事はこの奥にあの女が・・・影武者ではない綾乃グレース本人が・・・
「さぁ入って、もう準備は出来ているわ」
影武者の綾乃様が私達を室内へと促す・・・
準備?何の準備?
まさか鎖にでも繋いでここに軟禁する気なのか?!
あ、何かが焦げる臭いがする・・・ここで私達に奴隷の焼き印でも入れるつもり?!
一気に警戒心を高めた私だったが・・・
その向こうに見えた光景は、予想に反して随分とかわいらしく・・・
「?!」
その部屋には鎖があった・・・折り紙で出来たカラフルなのが部屋中に。
花もあった・・・真ん中をホチキスで留めるやつだ、懐かしい。
なんか鶴もいた・・・うわ千羽鶴だ、千羽いないけど千羽鶴だ。
部屋の真ん中にはテーブル、その上にはなんとなく見覚えがある気がする微妙に焦げ臭いケーキが置かれている。
そして正面の壁には、大きな文字が描かれていた。
みぎこ ひだりこ
おたんじょう日 おめでとう
「あ・・・」
三本木右子、左子は5月25日生まれの双子座である。
「単に双子だから双子座にした」ってゲームデザイナーのインタビュー記事をどこかで見た覚えがあった。
・・・うん、すっかり忘れてた。
や、前世の誕生日が12月のね・・・そっちの感覚が強くてね・・・
そんな理由で固まってた私(左子の方はわからない)に、綾乃様はすごく満足そうな笑みを浮かべ・・・
「みぎこ、ひだりこ・・・お誕生日おめでとう、これからもずっとお友達でいてね」
・・・そう言って、プレゼントの小箱を私達に差し出したのだった。
中身はお揃いのペンダントだ。
そういえばあの双子、首から何か下げてた気がする。
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