第80話 藍と紅
「直くん…?」
紅が、驚いた顔で直人を見た。
「私、何か直くんに悪いことしたの?もう、直くんと一緒にいちゃダメなの?」
泣きそうな紅に、直人は苦笑を返した。
「違うよ。べにの誕生日はもう教えただろ?《数持ち》から外すのは、単にその資格が無い――前当主・高天原識の娘じゃない、それだけだ」
ざわめく親族達を煩そうに手で制して、直人は続けた。
「紅から、高天原姓までは取り上げない。これも、紅には高天原を名乗る資格があるからだ。こんな場で発表することになってしまったけど、親族一同が揃っているのは調度いいかもな。遺伝子鑑定の結果が出た。――――先代の《陸》、高天原心人、貴方が
「え……?」
直人は、戸惑う紅に微笑した。
「藍色、
紅が、下座に控えている心人を振り返った。他の者たちもまた。
でも、心人は紅ひとりだけを見つめて、微笑を返した。
「ごめんね。君も知らなかったお母さんの名前を隠したままで」
画家としてやっていくのには、『高天原』というあまりにも目立つ名前は出したくなかった。
だから、一生に一度の恋をした女性の名を取って、藍に染まる、藍染心人と名乗った。
「心人……さん。ほんとに、私の、お父さん……?」
「そうだよ。直人君――当主様から送られてきた、君の出生記録の写しを見た時には、驚いたよ。3月3日生まれだったんだね。……嬉しかった」
心人は微笑んだ。
「初めて出会った日に、僕は、君と藍を見間違えた訳じゃないんだ。藍が産んだ女の子だって、すぐに判ったんだ。……僕の娘だったらいいのにって、君と別れてからも、ずっと思っていたよ」
心人は、「ラン」ではなく「あい」と呼んだ。
「大きくなったね。べに」
「おと…さん」
紅の黒い瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れた。
会いたかった、恋しかった、その心を一気に解き放つように。
「お父さん……っ!」
紅は綺麗に着付けた着物の袖をお転婆に翻して、真っ直ぐに駆け寄って、真っ直ぐに父親の胸に飛び込んだ。
「お父さん……お父さん、お父さん…おとう、さん……っ、……」
しゃくり上げて、声が続かない紅を抱き留めて、心人は大切な一人娘の髪をそっと撫でた。
「藍は言っていたよ。もし、自分が家庭を持つことが許されるのなら、生まれてくる女の子には、赤い色を連想するような名前をつけてあげたい、って」
その、赤色の名を持つ女の子は、何の罪もないのに呪われて生まれてくる。
そして、藍の望む幸せを、必ず高天原識は壊しに来るだろう。
だから、藍は紅を身篭もったと知ってすぐに、心人の元を離れた。
識の嫉妬と殺意が、心人に向くことがないように。
自分の体を犠牲にしても、いつか『ご縁』で巡り会ってしまう識の娘だと錯覚させた。
密かに不幸な女達を救ってきた医師の元で出産し、そこにだけは『藍』の名と娘の本当の誕生日を残した。
きっと、いつか、藍が愛した心人と、その娘の紅が出会うことが出来ますようにと、祈りながら。
「ごめんね。藍と一緒に育ててあげられなくて。君が高天原家に来てからも、僕は君に何ひとつしてあげられなくて」
紅は、首を振った。
「そんなこと、ない。ちゃんと、会えたもの。どんなに辛くても、お母さんのことを、忘れずにいてくれたもの……!」
涙に濡れた瞳で、紅は父親に尋ねた。
「お父さん、お母さんのこと、好きだった……?」
「好きだったよ。ずっと忘れられずに、愛していたよ。……今でも」
紅は、小さく笑った。
「あのね、お母さんは、お父さんに伝えたくて……でも、伝えられなかったことがあるの」
「え……?」
「お母さんも、お父さんのこと、ずっと大好きだったんだよ。愛してたよ。事情があって、言えなかっただけなの。……信じてあげて、お母さんのこと」
その『事情』を、紅は一生口に出来ない。
藍の一生と紅の今までの人生は、心人にはあまりにも残酷だから。
「信じるよ。君が僕に辿り付いてくれたのは、藍が手がかりを残していてくれたからなんだから」
「うん……。離れていても、会えなくても、お父さんとお母さんは、ずっとずっと、両想いだったんだよ」
「ありがとう、べに。藍の心を届けてくれて」
直人は、集まった親族を解散させると、紅と心人だけ残して部屋を出た。
いつも、明るく笑っていた紅。それでも、直人では埋めてやれない寂しさも、きっとあったはずだから。
今は、やっと出会えた父と娘を、ふたりきりにしてやりたかった。
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