第79話 新当主(二)
直人は、当主としての最初の命令を下した。
成人の儀の時には、継人を当主に指名すると言ったが、順番を変えた。
「前当主の正妻淑子を、高天原家から除籍する。現在の私物に加えて余生に不自由しない程度の財産を分与し、一週間以内に高天原家の全ての敷地内から退去させろ。手続きは忍に一任する」
「了解、新当主様。継人兄さんには酷だろうだからね」
「…………」
余計な事を言うなと直人はじろりと忍を見遣ったが、忍は涼しい顔だ。
「それから、俺はもう次期当主争いなんてくだらない諍いは御免だ。だから今この席で、俺の後継を先の《高天原の末》、了に定める」
「ええぇーーー!?」
了は叫んだが、周囲の者も驚きに目を見張りざわめいた。
「ちょっと待って直兄!僕の気持ちは言っても無駄っぽいから理屈の方を言うけど、高天原家の継承は直系男子優先だよ?僕は当主の弟だし腹違いだし、思い切り傍系なんだけど?」
「優先は、優先以上の意味を持たない。だから非常時の為に《数持ち》という次の優先者が存在する。側室も子供も山ほどいても、男児が産まれなかったり早世したりで、傍系に移行した前例はある。俺より年少で俺と一番血筋が近いお前が適任だ」
「う~……」
了は、困り切った顔をした。
裏ではあれこれ暗躍しつつ、天使の笑顔で可愛らしく無害な子供を演じてきた了だけれども、手の内を全て知っている直人には通用しない。
でも、
「直兄……僕が、本当は何になりたかったのか、知ってるよね?」
「知ってる。だから、これからはヤンチャは程々にしておけ。お前はもう、高天原家の表の顔だ」
「…………」
了は唯一、本気で直人が当主になることを望んできた人間だ。
当主となった直人の《影》として、役に立ちたかった。直人が継人しか兄と呼ばないように、了も異母兄であっても直人だけを兄と呼ぶほどに。
《末》という最下位で、何の期待もされず母からも愛されなかった了は、自分よりも冷遇されているのに揺るがない直人という兄に憧れた。
強くなりたいと《一族》に入り、直人の役に立てる天賦の才があることを知って、嬉しくも誇らしかったのに。
「直兄は、僕のこと、要らないの……?」
「必要だから後継に指名したんだろ。俺は、お前を半人前だとは思っていない。まあ、俺と一緒に悪巧みでもしようぜ。……っていう訳で、先の《高天原の弐》継人兄さんを高天原財閥総帥に任命する。俺は、兄さんの為に何でもしてやる」
「えっ……?」
継人が、ぽかんとした。周囲も忍と了と紅以外は似たようなものだった。
これでは、事実上当主がふたりいるようなものだ。しかも、本来の当主が、財閥総帥の《影》になると言っているのだ。
「あはははっ!そういう事かぁ直兄。いーねー悪巧み。一緒に表でも裏でも色々遊ぼうよ!」
了は喜んで、忍は面白そうに言った。
「成程、そう来たか。いい手だと俺も思うよ」
「忍、へらへら他人事みたいに笑うな。副総裁は忍に命ずる。広い視野と博識ぶりと特定分野のオタクっぷりを、兄さんの為に発揮しろ。当然、技術部門のトップも任せる。了の代まで頑張ってくれ。部下の子は部下なんだろ?イヤならさっさと忍に替われるくらいの人材を育ててくれ」
忍が天を仰いだ。
「うっわ~、お前、人使いが鬼だわ」
「兄さんは鬼になれないからな。鬼の俺が必要だと思えば、信頼出来る優秀な人材を、適材適所に配置する」
忍は、意外そうな顔をした。
「へえ?直人でも他人を信用することがあったのか」
「俺に親しみ持ってるって言ったのは誰だ。忍は、言わないことは山程あっても、嘘は言わないだろ。そこは信用してる」
もうひとり、信じていた。
睦がいたなら、きっと、継人を支える要職を任せていた――――
「あはは、直人にしては好評価か?まあ、光栄だと言っておくよ、当主様」
「忍が言うと嫌味臭く聞こえるから、今まで通り直人でいい」
「ひでぇ」
まだこの一連の事態に順応していない、常識人代表の継人が言った。
「直人、僕は……大学卒業を目前にしても父上に指名されなかった時点で、僕と宗寿兄さんは、後継者候補から外れたと思っていたんだよ。そう読んでいる人達も、少なからずいたと思う。母上も、最終的には僕を後継から外した。直人が僕を次期当主に望んでいたことは知っているけれど……でも、二度も否定された僕に、高天原財閥の総帥が務まるのかどうか、たくさんの人達が付いてきてくれるのかどうかわからない。僕は、自信を持って期待に応えるとは言えないよ」
直人は、広間に集まった親族一同を無言で見渡した。ざわめいていた全員が黙る。
「俺は、兄さんを依怙贔屓してる訳じゃない。兄さんは、《数持ち》の中では一番人望も実績もある。兄さんは、《数持ち》の中では唯一後ろ暗い所のない人だ。新しい高天原財閥の頂点に相応しいのは、前当主とは真逆の、クリーンな人間なんだ。障害物は、兄さんが関与しないように俺と忍と了で叩き潰すから、兄さんだけは安心して清廉潔白な人でいて欲しい」
「えっ!?叩きつ……、いや、努力するよ……」
困ったものだと、継人の胸にほろ苦い思いが込み上げる。直人は、継人の手だけは決して汚さぬようにと、新体制の布陣を整えたのだ。
そして、直人は忍の母である梓を見た。
「梓さん。高天原識に最も信頼される部下であることが、貴女の誇りだったことは知っています。でも、俺は貴女には高天原家に残って、総帥の継人兄さんを支える相談役になって欲しい。それが、旧体制から新体制に移行する為には、最も確実で安全な道だからです。引き受けて貰えますか」
梓もまた、直人を真っ直ぐに見つめ返した。
「私に、拒否権などありましょうか」
「あります。忠臣は二君に仕えず、と貴女が言うのなら、俺は止められません」
「……そうですね。当主様が二人目の暴君であれば、私は迷わず辞していたでしょう」
梓の目元が和らぎ、微笑した。
「私は、睦の母親を失格しました。忍まで見失っては、私は人間として失格です。忍が当主様と継人様の部下となるなら、私は忍と共に継人様と当主様の御為に尽力させて頂きます」
「ありがとうございます、梓さん」
直人は、当主となって初めて、頭を下げた。
「勿体ないですよ、当主様」
「俺は、卑屈な人間ではありません。貴女には、当主の俺が頭を下げて高天原財閥と総帥を託す価値があります」
そして、最後になってしまったと思いながら、直人はその名を呼んだ。
「高天原紅。先代当主に《高天原の玖》と定められた日に遡り、《玖》の称号を無効とする」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます