第76話 最後の依頼(四)
高天原識は、ふと目を開けた。
此処は、何処なのだろう?
黄昏時のような、不明瞭な視界の空間に、識は横たわっていた。
起き上がれば、足元は夜の闇のように真っ黒で、びちゃりと泥のように識の体に纏わり付いていた。
――――キタ。ヤット、キタ……
――――オマエダ。オマエガ、ワタシヲコロシタ……
――――オマエガ、オレヲコロシタ……
――――オマエガ、ワタシノオットヲ、コロシタ……
――――オマエガ、ワタシノコヲ、コロシタ……
――――アア…ヤット、ミツケタ……!
――――ミツケタ、ミツケタ、ミツケタ……!
「……そうよ。この男が、あなた達を……あなた達の大切な人を、殺したの」
美しい少女が、立っていた。
美しい女が、立っていた。
「蘭…ッ!」
ひとりは、青いスカーフの、セーラー服の少女だった。
もうひとりは、青いマーメイドラインのスカートの女だった。
セーラー服の少女の方が、幾分顔立ちがあどけなかったけれども、抜けるように白い肌も、睫毛の長い黒い瞳も、赤味の強い唇も、それを引き立てる口元の黒子も、全く同じだった。
「蘭!そこに居たのか、私の蘭…!!」
「ああ、こんなところに居たんだね。捜したよ、----」
セーラー服の少女が、その声に振り向いた。
その視線の先には、年若い青年がいた。
「永人…さん……」
赤い唇が、その名を呼んだ。
「もう、彷徨わないで。もう、自分を責めないで。僕は、ずっと君を待っていたんだ、----」
永人が、少女の名を呼んだ。しかし、その部分だけ、識は聞き取ることは出来なかった。
識は、泥のような闇に足を取られて、動けなかった。
信じられない。喘ぐように言った。
「永人…ッ!」
殺したはずだ。何故、そこに居る?
何故、若い姿のままに、蘭と向かい合い、見つめ合っている?
「おいで、----。一緒に行こう。ずっと…いつまでも、一緒にいよう」
少女の瞳から、涙が伝い落ちた。少女は、青年の胸に、飛び込んだ。
「はい…永人さん。いつまでも一緒に……」
ふたりは、幸福そうに手を繋いだ。識に背を向けて、遠く、遙か遠くへ、去って行く。
「蘭!何処へ行く!?蘭…ッ」
「……貴方の居ない所なら、どこでも」
識は、その声にハッとした。
そうだ。蘭は、もう一人いたのだ。
「今、私の魂の半分が、愛する人と旅立ったわ。……でも、私はもう少し待たなきゃ。私を、二度目の恋で救ってくれたあのひとの命が、これから長く続いてゆく、その先まで……」
何を言っている?
識の子を望んだ、この美しい女は、何を言っている?
――――僕のお父さんだなんて、有り得ないんだよ――――
有り得ない、有り得ない、そんな事が…!!
「私の娘が、私の《依頼》を果たしてくれたわ。もう、二度と、私の大切なひとを奪わないで。……もう二度と、私の娘から、娘が愛するひとと、娘の幸せを、……」
天女のような女は、こよなく美しく、笑った。
「奪えはしないわ。もう、『ご縁』はおしまい」
そして、女は長い黒髪をふわりと揺らして、背を向けた。
「蘭!!」
――――ニガサナイ……オマエハ、ニガサナイ……
――――シネ、シネ、コンドハ、オマエガシネ……!
――――コロス……コロス……コロス……!
――――アア、ヤット、ミツケタ、コロセ……!
――――ミツケタ、ミツケタ、ミツケタ……シネ、シネ……!
べたり、べたりと、黒い泥のような、人間の手の形をしたものが、識の足を掴み、絡みつき、怖ろしい力で下へと引っ張った。
「何だッ?!放せ!放せえッ!!やめろォォォ!!」
――――ヤメテト、ワタシモ、イッタノニ……
――――ヤメナイ、ヤメナイ、コロス……
――――タカマガハラ・シキ、シネ、シネ、シネ……!
――――タカマガハラ・シキ、ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ……!
無数の黒い手に、高天原識は掴まれ、黒い泥のような闇にずぶり、ずぶりと沈んでいった。
そして、もがく声も、怨嗟の声も聞こえくなった。
最後に、脱力した識の指先が、トプンと音を立てて沈み、消えた。
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