第75話 最後の依頼(三)

 30年前、当主の座を継ぐ直前だった《壱》の永人が投身自殺した、ことにした。


 高天原家の人間の死に、警察が介入することは稀だ。

 大っぴらに捜査をされては、高天原家には暴かれては不都合なことが多すぎる。

 

 永人の『自殺』は、母で当主の正妻であった周子の懇願で、例外的に秘密裏に警察の協力を仰いだが、他殺の証拠は何ひとつ出て来なかった。対外的には、スキャンダルを避ける為に病死とされた。


 前当主は病を患っており、まだ40代だったがすぐに当主の座を譲る必要があった。

 永人が死に、前当主は識を新しい当主にせざるを得なかった。


 識にとって、全てが満足する結果だった。

 直後に謎の襲撃を受けたことなど、些細な事だった。被害は右手と右足で、どちらも大した怪我ではなかったから、すぐに忘れた。

 

「高天原識。お前は、《弥栄》に殺しを依頼した。だから、《一族》はお前の利き手と利き足を潰して破門した。、30年気付かずにいたのは傑作だな。日常に支障はなくても、重いものを持てなくなったとか、関節の可動域が狭くなったとか、突きや蹴りに力が入らないとか、不自由じゃない程度の不便はあっただろうに。戦えないお前は、言うほどその剣と相性がいいって訳じゃねえんだよ」


 識は、怒りに目をぎらつかせながら、《息子》を見た。


「お前……!玄冬一族の、何だ!?」

「《一族》のを聞きたいのか?」


 淡々と、直人は言った。

「玄冬一族とか、玄冬の一族とか、ソイツは通称だよ。上に居る奴ほど、単に《一族》って呼ぶことが多い。理由は知ってるか?」


 知らない。この、高天原識が、高天原家の当主、頂点たるものが、知らない。答えられない。

 識は、屈辱と痛みに呻いた。


「《玄冬》は、一族の名じゃない。一族の頭領の名だ。……だから、《玄冬》は

「…………!」


 認めたくない、怒りと殺意しか感じない、識の目が見開かれた。


「《玄冬》は、俺の名だ。破門された程度の雑魚が、身の程を知れ」


 謎多き殺人武闘団。謎多き限られた幹部と、その幹部しか誰なのか知らない頭領。

 謎の中の謎、その頭領《玄冬》が目の前にいる。


「つまらぬ嘘を……ッ」

「信じなくても別に構わねえよ。お前がどう思おうと、《一族》には何の関係も無い。――――でも、一部の幹部と俺が許した者以外で《玄冬》の正体を知った者は、死ぬ」


 直人は言った。

「べに。俺は掟により《依頼》はしない。でも、《玄冬》も今言った通りの事情だ」

「ありがと。共犯者の王子様」


 法律など無くとも、人として、人を殺してはならないという本能。人が人である為の心。

 その一線を越える罪を、直人が共に背負う。


 紅は、識の顎の下に、水平にした直刀をあて、ぐいと上向かせた。

「あのさ、僕からも、教えてあげたいことがあるんだよ」


 識の目に、真上から目を細めて笑う天女の顔が映った。


「《人殺し》に弥栄なんておめでたい名前が付く訳がないって思わない?」

「…………」

高天原たかまがはらって、天照大神あまてらすおおかみが治める天の国の名前でしょ?それを不敬にも名字にしてるんだから、日本神話くらい知ってるよね?――――現世うつしよ黄泉よみをつなぐ、黄泉比良坂よもつひらさか。イザナギが、イザナミとの約束を勝手に破って、ヘタレにも逃げ帰って、夫に辿り着けなかったイザナミが『一日に千人殺してやる』って闇堕ちしちゃった、あの坂道だよ」


 始まりの女神イザナミ。夫となるイザナギと出会った時は、瑞々しく美しい少女おとめだった。

 その頃、自分が『黄泉津大神よもつおおかみ』と呼ばれる黄泉国の女王になるとは、思ってもみなかっただろう。


 美しい少女が、その瞳に昏い炎を宿して、笑う。


「黄泉比良坂の別名を、《伊賦夜坂いふやさか》って言うんだよ。弥栄いやさかなんて、とんでもない隠し名だよねえ。……本当は、憎い男を黄泉に引き摺り込む、《伊賦夜坂》が僕の一族の本当の名前なんだよ!!」


 紅の細い指が、真上を向いた識の口に、漆黒の小さな丸い玉をポトリと落とした。

 そして、むせる識の顎をギシリと押さえ付け、涎の垂れる口を塞いだ。


「ほら、ちゃんと飲んでよ。この薬って貴重品でさ、僕もそれ含めて三粒しか持ってないんだから。――――さあ、いい夢を見てね――――」


 ゴクリと、識の喉が鳴った。

 識は、視界を見失った。

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