第74話 最後の依頼(二)
紅も、気付かずにいたのだ。
『くれない』は通称だ。紅の本名は『くれない』ではなく『べに』だ。直人しかそう呼ばないので、誰もが愛称だと思っているだけだ。
でも、母は「名前を聞かれたら『くれない』と答えなさい」と、つまり嘘をつくようにと言っていた。
ならば、「誕生日を聞かれたら『3月30日』と答えなさい」と教えたならば、本当の誕生日は3月30とは違う日だということだったのだ。
「教えてあげるね。僕の本当の誕生日は、3月3日なの。探し当ててくれた忍くんと直くんには、感謝してもしきれないなあ」
「忍だと!?」
あの《情報屋》が、直人と手を組んでいたとは。
「あ!ごめん!言っちゃったよ忍くん。でも、実際に足を運んで、お母さんが出産した場所と出産記録を見付けたのは、直くんだよ」
八坂蘭が出産場所に選んだのは、田舎にある廃業した産婦人科医院だった。
看板も無く、公的にはその病院は存在していない。密かな口コミで案内された女性だけが、中絶の為に訪れる。
中絶するには配偶者やパートナーの同意書が必要だが、子育てをする気も無いのに、経済的に無理なのに、同意を得られない。
そのような女性たちが、誰にも打ち明けられない苦しみと小さな命を、ひっそりと終わらせるための場所。
蘭は、その産婦人科を訪れて、決して知られてはならない出産を助けて欲しいと頼んだ。そして、その病院では20年ぶりに、元気な赤ん坊が産声をあげた。
母子手帳は無いが、女性が子供を授かった日に心当たりがあるなら、その子供の妊娠期間も推測できる。
「僕は、大体出産予定日辺りの3月3日に生まれてきた子供で、出生時の体重は平均よりちょっと重めの3250g。まるまるとした元気な赤ちゃんだったんだって。お前が僕の父親だなんて、時期的に有り得ないんだよ」
紅は嬉しそうに言ったが、少し顔色を曇らせた。
「お前の所にお母さんが行った時には、お母さんのお腹にはもう僕がいた。……それなのに、体を差し出したお母さんの心は、引き裂かれてしまいそうに辛かったはずだよ」
蘭が産む子供は、弥栄の呪いを受け継いだ女児であると決まっていた。
蘭は、考えたのだ。
愛する男との間に授かった愛する娘を、守る為にはどうすればいいのか。
愛する男を、高天原識の目から隠す為に、どうしたらいいのか。
「蘭が、他の男の子供を産んだだと!?そんな訳がない!!そんな男がいるようなら、必ず突き止めて殺してやる!!!」
「……ほら、ひとでなし。お前は絶対に、お母さんの大切な人を、僕の本当の父親を殺そうとするんだよ」
紅はずっと、自分が母親に対する暴力で妊娠した子供なのではないかと、恐れていた。
母は紅を愛して育ててくれたけれども、愛情深い母ならば、望まない妊娠でも新しい命に罪はないと、産み育てることを決意したかもしれないと思ったから。
でも、今の紅なら、言える。
母は、父親を愛していた。紅は、心から望まれて生まれてきた。
望まない妊娠だったのなら、暴力だったのなら、母は紅の父親の存在を隠す理由は無い。
愛した男の命だから、娘である紅に託したのだ。
「僕の呪いは、お母さんが半分解いてくれたけど、残りの半分は呪われたままだった。だから、ろくでもない『ご縁』でお前に出会ってしまったんだよ。《依頼》したお母さんは、苦しんだはずだよ。半分呪われたままの僕は、お母さんに執着するお前に見付かって、一度や二度喰われても仕方がない運命だったんだから!!」
「うっ!?」
高天原識の首筋の擦れ擦れに、ひゅんと空気が唸り、回転する何かが飛んだ。
それを、ぱしりと紅の華奢な掌が受け止めた。
「直人……ッ」
識は、殺意を隠そうともしない目でぎょろりと直人を射抜いた。
「ソイツがべにの標的か?」
「ラスボスにして唯一だよ。順番も最後で正しいんだ。始めににコイツを殺してたら、僕は他の敵を見落としていた」
八坂蘭が、娘の呪いを解く為に、八坂蘭自身はは果たせなかった、愛する人と共に生きてゆく未来を娘の為に望んだ、最初で最後の依頼。
母と娘、二代かけて呪いの連鎖を断ち切り終わらせる。
「僕は、お母さんが愛した人を、二度も死なせない!僕が愛してるひとも、絶対に死なせない!!」
「俺の手助けは?」
「ありがと、直くん。これだけで十分だよ」
「了解。……この一回だけ、べにに守られてやるよ」
紅が握りしめていたものは、既に鞘から抜いてある直刀だった。
無造作に飛んで来たのに、紅は掴むことを躊躇わず、その剣は決して紅を傷付けなかった。
直人のように、その剣もまた紅を守る、その証のように。
何の訓練も受けていないとひと目でわかる、剣を構えた紅を見て、高天原識は哄笑した。
「それで、この俺を殺そうというのか?実にいじらしい!実に愚かしい!!蘭は聡い女だったものを」
「やっと、僕とお母さんの区別が付いたのかな?お前の狂った頭にしては上出来だよ」
紅が、飛んだ。
「《弥栄》の
識もまた自分の剣を手に取り、ギンと刃を防いだ。
何度も識を襲う斬撃に、識は不審なほどに防御ばかりになる自分に気付いた。
紅が振り下ろした剣を、高天原識は自分の剣で受け止めた、つもりだった。
「うがァッ!!」
右手が割れるような痛みに襲われた。傾いた体を支えようとした右足にも電流のような激痛が走り、識は膝を付いて呻いた。
何故、こんな非力な少女が振るうなまくらを、薙ぎ払うことが出来ない?
直人が、漆黒の闇のような目で、識を見下ろしていた。
「識。覚えているか?《一族》の掟だ。《一族》の者は、《依頼》無くして人を殺してはならない。自分が手を下せないからと言って、外部に殺しの《依頼》をしてもならない。この禁忌を犯した者は、《一族》から破門される。――高天原識、30年前のお前だ」
「一族……?」
識は、記憶を辿った。
30年前は――――
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