第5章 白い蝶 紅い花
第39話 天女の依頼
今回は回避したが、同じ学校の同じ学年である以上、いつか柳子と出くわすことになる。
どうしたものかと直人が考えていると、隣の紅が言った。
「ごめんね、直くん。僕、嘘吐いちゃったよ」
「何が?」
「僕は、直くんを僕だけのナイトなんて、思ったことないんだよ。僕だけの王子様だもん」
直人は、柄じゃない、と言いそうになるのを、今日も思い留まった。
せめて、白馬に乗ってやって来るやつじゃなくて、囚われの姫をかっ攫いに行くイメージにでもしておこう。
「実は、シンプルに《僕だけの直くん》って思ってるけどね!」
「…………」
「沈黙は、肯定なんだよー?」
「…………」
直人は、言った。
「俺だけのべに」
「……………………」
紅は、直人を見上げてしばらく黙り、そして、その白い頬が一気に赤くなった。
「うわあああん!!直くんの、天然殺し文句ーーー!!!」
廊下を駆け出していく翻るロングヘアとロングスカートの後ろ姿を、直人は見送った。
「……どこに行くんだ?」
教室をとっくに通り過ぎて、廊下の突き当たりの進路指導室の前で、紅は肩で息をしながらぺたんと座り込んでいた。
「授業サボるなら付き合うぞ」
「直くん……ホントに天然だよ……さっきのは、反則だよ……」
直人は黙った。どうして紅が言うのはよくて、直人が言うと逃げ出すのだろうか?
「あ……やっぱり、追いかけてきた」
「傍にいないと守れないだろ」
「ふふっ、直くんは、殺し文句の天才だね」
紅は立ち上がると、スカートについた埃をパンパンと払った。
「直くんが追いかけて来てくれるのは、ちゃんと信じてるよ。僕が言ったのは……こっちのこと」
紅は、ポケットを探ると、折り畳まれた白い紙を取り出した。…否、一部が焦げたように黒くなっている。
広げてみると、それは人型だった。
直人に《成り代わった》人型よりも小さく、書いてあるのは紅の名前と数え年だ。
「僕の一族は、自分と他人の境界が曖昧になりやすい。…って以前教えてあげたよね。それって、呪われやすいってことでもあるの。こんな風に…」
紅は、その白い手に人型を載せると、ふぅっと息を吹きかけて人型を軽く飛ばした。
ふわりと宙を舞った人型は、突然、バチッという音と共に弾けた。
まるで、鋏で切り刻んだかのように、細かい和紙の破片がはらはらと床に落ちる。
「僕を追いかけてきたのは《生霊》だよ。今、形代が身代わりついでに《呪い》を返したから、本人は今日明日くらい寝込んじゃうかもね」
にこ、と紅は手品を披露したように笑った。
直人は、笑わなかった。
「誰の生霊?」
「直くん、そこは生霊って何?とか聞くのが普通だよ」
「べにを殺したい人間がいるのなら、本人を殺せばいい」
紅は、驚いた顔をして、でもすぐにクスリと笑った。
「物騒だなあ。でも、そういうところも大好きだよ、直くん」
「形代がバラバラになるくらい、べにに殺意を持っている奴に、手加減は必要ない」
直人は、言った。
「高天原識も、お前の許可があれば、殺す」
紅は、目を見開いて、しばし直人を見つめた。
「お前じゃなくて、べにだよ」
「…………」
調子が狂う。でも、
「俺は、依頼者が望まない殺しは出来ない。それが俺の《一族》の掟だ」
直人の脳裏に、功の言葉がよぎる。
――――守りたいものがあるなら、手段を選ぶな。
「俺は、そういう世界の人間だ。罪は山ほどあっても、罪悪感を持ったことはない。そこに十人や二十人加わった所で、何も変わらなない。……べにが、罪を負うこともない」
直人は、静かにそう言った。何の感情も無いかのように。
紅を守ること以外、全てを捨てているかのように。
「直くんって……怖いひとだね」
「最初に、俺は言った」
「覚えてるよ。でも、僕には怖くないひとだよ。初めて会った日から、信じてるもの……ずっと」
ホームルームの時間を告げるチャイムが鳴ったが、直人は紅の手を引いて階段を上った。
「どこ行くの?」
「授業って気分じゃないだろ」
そして、針金でチェーンの鍵と屋上のドアの鍵を開けた。
「直くん、ピッキング犯になれちゃうよ」
「必要な時しかやらない」
「今って必要?」
「多分」
キィ、と小さく軋むドアを開けると、見晴らしの良い屋上の初夏の風が、さあっと紅の長い黒髪をなびかせた。
「わあ、気持ちいい!」
真っ青な空の下に紅は駆け出して、両手を広げてくるりと回れば、長いスカートの裾が朝顔のように広がる。
「ありがと、直くん!」
「たまにはいいだろ」
「えへへ、初めてサボっちゃったよ」
直人は、中学の頃は中学の屋上で、ひとりで武術の鍛錬をしたり、仮眠を取ったり、ただ流れる雲を眺めたりして過ごしていた。
高校に上がったら、高校の屋上で同じように過ごすだろうと思っていたのに、今日初めて来た。紅を連れて。
「うちの学園って、こんなに広かったんだね」
「ああ、幼稚園から大学の研究施設まで、やたら詰め込んであるからな」
忍がいる研究棟が見えた。直人は、ポケットの内側で信号を打った。
高校の屋上を監視するカメラと音声を全部切れ、という暗号を読んだ忍のニヤニヤした顔が思い浮かんで、微妙にムカつく。
「直くん、怒ってる?」
紅は、勘がいい。
「べにに怒ってる訳じゃない」
「僕を呪ってる人?」
「それは、怒るを通り越してる」
「まだ、誰も、殺さないでいて」
紅が、直人を見つめた。
「僕は、これから僕が殺すべき人間が誰なのか、炙り出さなきゃいけないの」
この学校では、『普通』の女子高生でいたかったはずの少女が、泣きそうな顔で直人を見つめていた。
「お母さんの遺言は……僕に《依頼》した人殺しは、絶対に間違えちゃいけないの。その標的だけは、直くんが殺しちゃ駄目なの」
紅が、初めて明かした、母親の遺言。
それは、殺人の依頼だと紅は言っている。
しかし、母親は標的が誰なのか明言しておらず、紅が自身を危険に晒しても、見つけ出さなければならないと。
「俺は、何をすればいい?」
「僕が、お母さんの《依頼》の人殺しを終えるまで、僕を守って。その途中で僕を陥れようとする敵がいたら、その人を殺して」
「わかった」
直人の返事は短かった。
無条件に、紅の意志を受け止めた。
「ごめんね」
紅の瞳が、潤んだ。
「こんな、素敵な場所でするお話じゃ、ないのに」
直人は、紅を抱き寄せた。
「謝らなくていい。……泣いてもいい」
誰も見ていない。誰も聞いていない。
「べに、好きだ。この《依頼》が終わっても」
「うん……ずっと、直くんが好きだよ。いつまでも、好き」
柔らかい唇は、仄かに涙の味がした。
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