第37話 高天原の陸――睦(二) 

 紅は、遠慮のない口調でズバズバと続けた。


「女は、可愛けりゃいいみたいなとこあるから、ちょっとくらい子供扱いされてもお得なこともあるけど、男が子供っぽく見られて得するのって、ヒモになりたい奴くらいでしょ。まともな男なら、いつまでもマザコンやシスコンやっていないで、さっさと大空に飛び立っていくんだよ。そういうの、お母さんやお姉さんは寂しいけど、でも飛び立つままに見送ってあげるのが愛なんだよ。いつまでも『あの子には私がついていなきゃ』なーんて言って、しがみついちゃダメなの。今の睦ちゃんは、そういう駄目なお姉ちゃんになってるよ?」


 紅が、睦を袋小路に追い込んでゆく。


「直くんがもう少し小さい頃なら、世話焼きのお姉ちゃんがいてくれるのはいいことだったのかもしれないね。でも、そんな睦ちゃんの役割は、


 お終いに、紅は睦の罪を裁く。


「睦ちゃんってウソツキだね。本当は気付いてる癖に。直くんは、その辺の世間知らずの少年少女とは違うって。睦ちゃんが何を言っても、直くんは一貫して自分のペースで、睦ちゃんの助言が役に立ったことは一度も無いって、知ってる癖に」


 睦は、何も言い返せなかった。

 紅が言ったことは、全て睦が『考えないようにしていたこと』だったから。


 直人が、継人の言うことなら聞くのは、正しいからではない。

 直人にとって、継人だけが特別だったからだ。――――今までは。 


「どーして黙ってるの?ウソツキは悪い子なんだから、ごめんなさいしなきゃだよ。睦ちゃん、直くんに謝ってよ。僕はね、『あなたの為を思って~』っていう言葉が世界で二番目に嫌いなんだよ。これ言う人って、本当は『自分の為』なんだから」


 伊織が、面白そうに口を挟んだ。


「じゃあ、紅ちゃんが世界で一番嫌いな言葉って何?」

「『悪気は無かった』だよ!悪気がなきゃ許されるの?冗談じゃないよ」

「何番目まであるの?」

「とりあえず三番目は『遺憾です』だよ!アレって、他人事です~って言ってるのと同じでしょ」


 ぽん、と直人の大きな手が、紅の小さな頭部を撫でた。

 表情は変わらなくても、優しい仕種。


「べに、もういい。お前が怒らなくたっていいんだ」

「ふふ、直くん、そういう甘さも大好きだよ。でもね、僕には僕の、怒る理由があるの。…ああ本当、腹が立って仕方が無いよ。僕を誰よりも守ってくれる、僕だけのナイトをお子様扱いするなんて、僕自身を侮辱されるよりも、許せない」


 紅は、もう笑っていなかった。

 その瞳も、声も、刀の閃きのようだった。


「直くんは良くても、僕が良くないんだよ。意地でも直くんに謝りたくないなら、一番怒ってる僕に謝ってよ。直くんを貶めるなんて、誰であろうと絶対に許さない。謝らないなら、――殺すよ」


 ゾクリと、一気に気温が下がる感覚がした。――直人以外は。


 よく晴れた日の朝の校舎は賑やかなのに、まるで此処だけ空間が切り取られたかのように、昏い帳が下りてくるような気がする――――




「なーんてね。ちょっとブラックな冗談だよ!」


 紅が明るく笑って、睦は悪い夢から覚めたように、しばし茫然とした。


「僕だって、自分の立場くらいわかってるもの。いくら淑子さんに預けられたっていう名目でも、《高天原の玖》なんてご大層な名前をもらっちゃっても、突然登場の庶子だからね。睦ちゃんは、生まれた時から高天原家のお姫様だもん。そう簡単に頭を下げちゃいけない立場だよね。偉そうにしてごめんね、睦ちゃん」

「…あ、…うん……」


 紅は、さらりと謝った。

 が、自分に非が有ると思い知らされた睦は、頷くしかない。


 完全に、紅の勝ちだった。

 この場の空気を支配したのは、《突然登場の庶子》の九番目だった。


 直人は、出会ってすぐに気付いていたが、紅は『空気を創る』能力に長けている。

 創ったのは紅自身だから、笑顔ひとつでその空気を壊してしまうことも出来る。


 《玄冬》の名を持つ直人ですら、調子が狂った――――狂わされたと思ったことは、何度か有る。


 紅の本質は、その類い稀な美しさで人を魅了することよりも、《混沌》ではないのか。


 紅のお披露目は、大いに荒れた。紅を中心に嵐が巻き起こったかのように。

 直人と共に早々に退場したが、あの後会場に集まっていた人々は、パーティーが終わるまで《高天原の玖》の話題が尽きなかっただろう。


 だが、《混沌》であるが故に、紅自身もその能力をコントロール出来ていない。


――――を守って。

 まともな男でも《僕達》の領域に入ると狂ってしまって、獣みたいに喰らいに来るの――――


 このままで済むはずがないと、直人の勘が告げている。


「べに。行くぞ」


 早く、この場から離れた方がいい。

 だが、紅は珍しくすぐにはついて行かなかった。


「睦ちゃん。なら、今がチャンスだよ?」

「え…?」

「ホントは可愛いのに、そんなごっつい伊達眼鏡かけてなくてもいいんだよ?髪の毛も三つ編みやめればサラサラでしょ。もったいないよ」


 紅は、直人に駆け寄って手を握ると、もう片方の白い手をひらりと振った。

「今、柳子ちゃんのイライラは僕に向いてるから。睦ちゃんは大丈夫だよ!」

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