第34話 高天原の捌――柳子(一)
側室・
沙也香はブラウン寄りの金髪と鳶色の瞳を持ち、クォーターならではの美しさで高級クラブのホステスとして人気を集めていた。その沙也香を見初めたのが、高天原識という男だ。
広大な本邸の中で、沙也香のスペースだけ豪華な洋風に統一されているのは、ホステスだった愛人を《妻》として迎え入れた際の、当主からの『ささやかな』プレゼントだ。
4人の妻の中で一番若い沙也香は、嫁いだ時から一番の寵愛を受けてきたのだし、沙也香の子供達だけはほかの《数持ち》とは違い、識に可愛がられて育った。
そう、信じていたのに。
「何よ…何なの?あの小娘…!識さんも…」
――――ひどいわ、と罵る言葉を、沙也香は飲み込んだ。
寵愛を受ける女は、男にとって美しくも可愛らしい存在でなくてはならない。少しの嫉妬なら悦ぶ男でも、ヒステリックに責める女は煩わしいだけだ。
「お母さん、大丈夫だよ。紅は、ただの忘れ形見だ。八坂蘭という人も、父上には想い出にしかなれない人だ」
沙也香の愛しい息子・伊織はそう慰める。
伊織の言うことは、正しい。――――正しくなければならないのだ。
しかし、想い出になった女は、永遠に若く美しいままだ。
死ぬことで永遠となった失われた女と、生き写しだという15歳の娘が現実に現れた。
若いうちに見初められた沙也香は、4人の妻の中で唯一まだ四十の歳を超えていない。
自分はまだまだ若く美しい。そう誇ってきた沙也香でさえゾッとするほどに、《高天原の玖》は美しかった。
恐ろしいことに、あの娘はまだ満開の花ではないのだ。これから、もっと美しくなる化物だ。
「ねえ伊織!当主になってよ」
苛々と、《高天原の
柳子もまた、機嫌が悪い。
白薔薇のように美しい姉、《参》の蜜花が嫁いでせいせいしたと思っていたのに、あんな規格外の異母妹が現れたのだ。
学校でも、四月半ばという中途半端な時期に編入してきた『メチャクチャ美人の九番目』の噂を聞かない日は無い。本当に腹が立つ。
あの《妹》は、何もかも手に入れようとしている。
可愛がられる娘は柳子1人で十分なのに、母の沙也香さえ不安にさせるほど、一気に父の一番のお気に入りに上り詰めた。
――――違う。一番なんて、認めない。認めてやらない。
今、側室たちは恐れているはずだ。沙也香がそうであるように。
戸籍の保証を持たない妻とは、法律上は同じ屋根の下に暮らす愛人に過ぎない。『正妻』がいる以上、内縁の妻を主張することは難しい。
当主のひと言で、側室という高天原家独自のルールの存在は、いとも簡単にその座を失う。
そして、側室のうちひとりと《離婚》すれば、ひとつ空いた席に若き日の過去の女と同じ姿形の娘を、妻の座に据えることさえ出来るのだ。
高天原家の近親婚の側室の前例は、大正時代を最後に見ていないが、長い高天原家の歴史の中では、たかが百年前などつい最近のことに過ぎない。
「伊織ってば!継人兄さんはともかく、馬鹿の宗寿ややる気ゼロの忍や偽物の直人に負けるつもり!?」
「ははっ、継人兄さんは別枠なんだね」
「……無害だからよ」
我が侭で好き嫌いの激しい柳子でも、継人は嫌いになれない。
何を言ってもやっても、継人は少し困ったように微笑むだけで、でも次に会う時には優しく「柳子ちゃん」と呼んでくれるから。
あの《偽物の漆》とはずいぶんな違いだ。
しかし、ずいぶん違う無愛想の権化みたいな《漆》まで、《玖》は手に入れた。
直人と正妻・淑子の不仲は公然としたものだ。直人は、淑子に命令されたからという理由だけで、簡単にボディーガードを引き受けるような少年ではないはずなのに。
「ねえ!伊織が当主になって、紅を側室にすればいいじゃないの!」
いい考えだと柳子は思った。紅を追い出すのは難しくても、伊織が当主になれば柳子の地位は『当主の同母妹』という高いものとなり、沙也香は当主の母という不動の地位を手に入れられる。
沙也香にとってずっと邪魔だった、現当主の『正妻』という淑子の地位は無意味なものとなり、沙也香も柳子も父を失わずに済むのだから。
だが、沙也香は柳子を憎しみさえ篭もった目で睨み、声を荒げた。
「冗談じゃないわ!あんな娘に、私の大切な伊織を渡すものですか!!」
柳子は、ビクッと身を硬くした。
母は気紛れな性格で、侍女に八つ当たりするような女ではあるが、柳子に厳しい物言いをしたことはなかったのに。
柳子もまたへそを曲げ、リビングから飛び出すと自室のベッドに突っ伏した。
「何が《高天原の玖》よ!あいつの所為で、この家はメチャクチャよ!!」
紅という異母妹は、邪魔だ。あの美しい少女さえいなくなれば、全てが元に戻るのに。――――戻る、はずだ。
「あいつ、邪魔よ…、邪魔だわ…!」
柳子は、シーツをきつく握りしめた。
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