第33話 数持ちの思惑(三)

 紅が華麗にあしらった、《高天原の壱》高天原宗寿かずとし


 宗寿が、目の上のたんこぶの継人と、継人が大切にしている直人に突っかかってくるのは毎度のことだが、紅まで言外に『お前は高天原直人に及ばない』という態度に出たのは、厄介なことになりそうだ。


 直人が知る限り、宗寿は側室・多喜子の期待と溺愛に応えて無駄にプライドが高く、しかしいつまでも継人よりも優位だと認められないコンプレックスを何年も積み重ねた、こじれた粘着質だ。

 今後、宗寿は意地でも紅を手に入れるように動くだろう。


「俺の関節外しで十分だった。お前までわざわざ焚き付けるなよ」

「お前じゃなくてべにだよ。焚き付けちゃったのは結果論で、僕は直くんが一番で、あんたなんかお呼びじゃないの、ってハッキリ言いたかっただけ。僕は、本当のことを言ったの。だから、僕には直くんが世界で一番素敵だっていうのは、冗談にも戯言にもしないでね」

「……わかってる」


 紅が、意外そうに長い睫毛を瞬いた。

「直くんが、スルーしないで認めてくれた……!」

「感激しなくていい」

「するよ!直くんは、簡単に他人を心の中に入れてくれるひとじゃないもん」


 そうだ。紅はいとも簡単に、直人の心の鍵と扉を開けてしまった。

 そして、直人の《認知の領域》にさえ、気付かぬうちに入り込んでいた。


 何故、直人は紅の気配に気付けなかったのか。

 何故、直人が眠っているとは言え、毎晩寝首を掻けるところまで近付くことが出来るのか。


 それは、紅が言っていた『《僕達》は、自分と他人の境界線を曖昧にしてしまう』という能力と、関係しているのか。


 紅が、生き延びたいと切実に願った理由は『お母さんの遺言を叶えたい』からだ。でも、紅はその遺言の内容を、直人に話したことはない。


 謎は多く、わからないことだらけだ。それでも、直人は紅の《依頼》を受けた。


 ――――お前は、誰かを守ると言うことを覚えろ。

 亡き師から何度も聞いて、でも長い間意味がわからないと思っていた言葉を、思い出した。


 俺は、誰かを守ると言うことを、覚えてゆく途中にいるのかもしれない――――


 殺人武闘団頭領・第101代目玄冬を襲名した直人は、闇の中で生き、暗躍する存在だ。正義の手段を使えない人間だ。

 だから、師はこうも言ったのだ。何かを守りたいならと。迷うなと。


「僕は、宗寿くんは、嫌い。目を見てすぐわかった。あの人は、暴力っていう選択肢を日常的に使ってる目をしてる。天女の羽衣を奪って隠して、無理矢理に妻にして、子供を産ませて縛り付けて、自分ひとりだけで幸せになれる男だよ」

「…………」


 紅は、男という暴力を嫌悪している。怖がっている。


 でも、紅は、宗寿と直人は違うと言っているのだ。

 直人は、自分ひとりだけで幸せになれる男ではないのだと。


「直くんは、初めて会った時、まるで神聖なものに触れてはいけないような目をしてた。でも、僕がただの15歳の女の子だってことも、わかってくれた。僕の方から一方的に近付いたのに、決して傷付けたくないと思ってくれてた。搾取されるのが当たり前だった僕を、守るって誓ってくれた。……そういう直くんはね、僕にとって世界で一番、素敵な男のひとなんだよ」


 当たり前、と紅は言った。

 でも、だった、と過去形にした。


 世界で一番、だなんて大袈裟だ。

 でも、それらの言葉は、紅の惨い生い立ちを暗示しながら、今は幸福だという心を、痛々しいほど素直に語っていた。


「……俺だけならいい。他の奴らの前でそういうこと言うと、まずい方向に誤解されるから気を付けろ」

「僕が直くんの側室希望に聞こえるってこと?」


 直人は黙った。

 お披露目という表舞台に出る前に、直人は紅に高天原家の近親婚について説明した。


 本当は、言いたくなかった。しかし、高天原家が紅にとって危険な場所だということとその理由を、いつまでも伏せているわけにはいかない。


「誤解じゃないよ。高天原家では、当主の近親婚は尊ばれて、戸籍上の正妻と同格なんでしょ?本望だよ」


 兄妹かもしれない。でも、兄妹ではないかもしれない。


「俺の心に入れるなんて、今更そんな当たり前の事で喜ぶなよ」

 直人は、歩を止めて、紅を見つめた。


「俺は、べにが好きだ。当主にはならない。側室も要らない。べにだけでいい」


「……うん」


 今までで、一番幸福な笑顔だった。


「僕も、直くんが好き。直くんだけいいの」


 一本、取られた気がした。

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