第31話 数持ちの思惑(一)

 継人は、母を失望させない為に言わずにいるが、自分が当主に相応しいとは思っていない。困り切って声量を落とした。


「やめてくれないかな……蜜花ちゃんまで」

「あら、直人君は本気で言ったのだから、継人兄さんも本気で受け止めなきゃダメよ」


 かつて、幼い直人に付けられていた侍女が、側室である母親・多喜子様よりお美しい、と噂話をしていた姉は、21歳という若さが輝く年齢と人妻となった落ち着きを併せ持って、やんわりと釘を刺した。


「高天原家の嫡子として、私達は一般人が見た事もないお金や贅沢品を当たり前に手にして、一生住めるはずもないお屋敷で、何ひとつ不自由せずにのうのうと生きてきたのよ。高い地位には相応の義務が伴うわ。義務と責任から逃げるのは、優しさや奥ゆかしさとは違うでしょう?」


「……僕は次男だからね。宗寿かずとし兄さんが納得しないよ」

「ふふ、宗寿兄様は、自分が次男でも納得しない人よ」


 宗寿とは蜜花と同じく多喜子の子で、《壱》の数を持つ当主の第一子だ。

 三男の忍は『やる気の無い天才』で、四男の伊織はまだ若すぎるということから、実質『側室の長男対正妻の次男』の戦いだろうと言われている。


 実態としては、対抗心を燃やしているのは長男宗寿とその母多喜子、そして正妻淑子であって、温和で無欲な継人に闘志は全く無いのだが。


「直人君が爆弾発言をしたお陰で、あちこちで次期当主は継人兄さんがいいだろうって噂してるわ。私も継人兄さんの味方よ。……ふふっ、直人君の味方かしら?」

「……蜜花さんは、直くんの、お姉さん?」


 美しくも愛らしい《妹》の興味津々の問いに、蜜花は答えた。


「そうよ、紅ちゃん。直人君は『蜜花さん』呼びで、姉とは呼んでくれないけれど」

「直くんは、蜜花さんのこと嫌いじゃないよ。継人お兄ちゃんが特別すぎるだけで。《数持ち》の中でも蜜花さんは『物静かでまとも』だって言ってたもの」

「そうなの?嬉しいわ。辛口の直人君に言われたのなら、『物静かでまとも』は結構なプラス評価だもの」


 実は、『馬鹿の宗寿の妹にしては、静かでまともな世渡り上手』と直人はコメントしたのだが、紅は無難にアレンジして切り取ってくれた。

 そして、『世渡り上手』は、権力と財力を巡って常に策謀が渦巻いている高天原家の中では、貴重な才能だ。


 蜜花は、大学在学中に20歳で資産家に嫁ぎ、祝福されながら正々堂々と高天原家の正門から脱出した。8歳年上の夫との仲も良好だと聞く。


 高天原家の上位にいる男子は、権力を握るか、跪くか、排斥されるかという極端な道に分かれる。

 だが、女子は『名家か金持ちのまともな男』に嫁げば、排斥ではなく政略結婚の駒という義務を果たし、『上手くやれば』婚家で大事にされる。


 蜜花はその典型だが、誰とも敵対せずに現在の地位にいる器用な賢さは、直人にも決して悪印象ではない。

 高天原識でさえ「男に生まれていれば当主に向いていた。だが、男にするには惜しい美人だ。婚家でも上手くやれるだろう」と評した。


 その蜜花が、同母兄の宗寿ではなく、直人が推す継人を支持する、と言っている。


「どうして、蜜花ちゃんは宗寿くんじゃなくって継人お兄ちゃんなの?」

「私の嫁ぎ先も、高天原家とビジネスで繋がりがあるの。乗るなら勝ち馬に乗りたいわ」


 蜜花はくすりと笑った。

「嫁いだ私はキングメーカーになれないもの。だから、勝ち馬に乗るのが私と夫と……この子の為になるのよ」


 蜜花の優美な手が、ボディラインを拾わないドレスを撫でると、腹部の仄かな膨らみが見えた。


「わあ……赤ちゃん」

 紅が目を輝かせて、少し屈んでその膨らみを見ている。


 紅は子供好きなのだろうかと、直人はふと思った。

 それとも、そんなに愛おしそうに憧れの視線を向けるのなら、紅が口にしない密やかな夢は、幸福な母親になることなのだろうか。


「あまり話し込んでいると怪しまれるから、もう行くわね。……直人君、紅ちゃん、私のお母様と宗寿兄様には気を付けてね。今、とっても機嫌が悪いから」

「まあそうだろうな。気を付けるよ」


 紅は、不思議そうに小首を傾げた。

「どうして、気を付ける中に、継人お兄ちゃんが入ってないのかな?」

「多喜子と宗寿は、兄さんが絡むといつでもどこでも機嫌が悪い」

「そっかぁ。お兄ちゃんは、いつでもどこでも多喜子さんと宗寿くんには近付かない方がいいんだね。大変だなあ」


 だから、継人には《一族》の者を複数護衛に付けているし、時には影武者も務める。


 既に、宗寿は継人を排除したくて堪らない。

 ――――のが、高天原識に似ている。


「じゃあ兄さん、また」

「またね。今度離れに行くよ」

「何か用があるのか?」

「顔を見たい、だけじゃ駄目かな」


 直人は、目を瞬いた。

 そして、以前も同じやり取りをしたことがあったと、懐かしい記憶を思い出した。

「……駄目じゃないよ、兄さん」


 継人から離れて、直人は紅の手を引いて歩いた。

「他に、会っておきたい奴いるか?」

「ううん。誰が来ているか知らないもの。直くんが紹介したいって思ってる人がいるなら、一緒に行くよ」

「特にいない」


 忍は忍らしくすっぽかしているし、伊織とは既に学校で会っているし、睦ともそのうち会うだろうし、柳子はトラブルメーカーなので避けたい。了は小学生なのでこの場には来ていない。


 それ以外の分家筋、外戚、名家や資産家たちを把握したければすぐ調べがつくし、下手に紅が挨拶しようものなら、それをきっかけに縁談が殺到して面倒くさいことになるのは必至だ。


「俺は、伊織の一万分の一の社交性もないから、こういう場所は好きじゃない」

「直くんは、面倒くさがりなのがもったいないなあ。学校でだって、チョー達様でダンク様だから崇められてるのに」

「崇めなくていい」

「ま、僕もいーや。草履で足が痛いし。振袖の重装備で成人式から二次会まで行けるお姉さんたちって勇者だよ」


 紅を気遣ってゆっくり歩いていくと、方々から声をかけられる。しかし、直人が軽く睨めば大抵は引っ込んでゆき、扉に向かって道が出来る。

 モーゼの十戒みたいだね~と紅が面白がっていると、急にその道を塞いで若い男が立ち塞がった。


「お前が、父上が30年も羽衣を手放さなかった女の娘か。随分な美人だな」


 大柄な男は、薄く笑いながら振袖姿の紅をじろじろと遠慮無く見た。

 その天女の如き少女の、赤い唇が開いた。


「紅です。初めまして、宗寿お兄様」

「ん?俺を知ってるのか」


 紅は、神秘的な目を細めて微笑を返した。


「《高天原の壱》が、一番お父様の面影が有ると聞いていたので。外さなくて良かったわ。でも、私を天女に例えた男は二番目ね」


 宗寿は、ぴくりと眉根を寄せた。


「一番目は、父上か?」

「違うわ」

「誰だ」

「気になりますの?天女だなんて、戯言でしょう」


 紅はくすくすと笑ってはぐらかした。

 まずい、と直人は思った。


 宗寿の苛立ちに、会場に緊迫した空気がビリビリと張り詰める。

 何を狙ったのか、紅の言葉も態度も、未熟な男をからかう女のそれか、でなければ「お前は一番の男ではない」という挑発だ。


 少なくとも、宗寿はそう受け取った。

 何事につけ、正妻が産んだ《一番目》の男子である継人と比べられる宗寿には、どんな話題であっても「一番ではない」という言葉は地雷なのだ。

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