第30話 成人の儀とお披露目(三)

「今日は、私の娘を紹介しよう。私が当主になる前に出会ったが、妻の座を辞退した八坂蘭という女性がいた。子を設けた後母子ともに行方不明になり、私は長らく彼女を捜し求めていた。そして、ついにこの娘が見つかった!母親の方は残念ながら故人となっていたが、母親に生き写しの娘は保護することが出来た。よって、我が妻淑子に預け《高天原の玖》高天原紅として一族に名を連ねることを、ここに宣言する!」


「……誰が、誰をしたって?」

 直人は、怒りと呟きを押し殺した。


 直人は、《成人の儀》という茶番劇をぶっ壊すつもりで言いたいことを言いたいように言ったが、当主・高天原識は紅の《お披露目》で秩序を破壊したのだ。

 会場がざわめき、特に高天原姓をもつ者たちの視線が《庶子上がりの玖》という前例のない娘に突き刺さるのは当然だった。


 紅の母親は、八坂蘭。

 正妻の高天原淑子、側室の藤川多喜子、早乙女梓、井崎沙也香という一族の掟で定められた四人の妻ではないのだ。

 つまり、戸籍上でも高天原の掟でも、紅は庶子に過ぎない。


 その庶子を、正妻の淑子を後ろ盾にしてまで《数持ち》という嫡子に仕立て上げた。

 しかも、高天原識は当主の座に上る前、正妻の淑子と結婚する以前から紅の母を妻にするつもりで、今頃やっと《娘》を見付け引き取るほどに、その母親を捜し求めていたと言ったのだ。


 当主が最も愛した女が産んだ娘、それが《高天原の玖》の紅なのだ。


 掟破りだ。

 だが、高天原識が何かと掟破りの当主だということは知れ渡っている。

 そして、高天原家当主が公式の場で宣言した以上、その言は掟よりも優先される。


 籍は入れてなくとも、正妻の肩書きは持っていなくとも、紅の母を淑子と同格であると認め、この場に居る者にもそのように思えと命じたのだ。

 当主の忠臣である梓以外の側室、多喜子と沙也香の胸中は穏やかではないはずだ。


「紅、挨拶を」

 当主の手が届かない距離で立ち止まっていた紅と、当主の間に淑子が入り、司会者の手でマイクスタンドが紅の前に移された。


 紅が、ざわめく会場に向かって軽く掌を向けた。

 静粛にと、或いは「黙れ」と、無言で命じたのだ。


 しんと静まった空間に立つ振袖姿の少女は、奇跡のように美しく、高貴だった。

 花のかんばせを見れば、この少女の母親の美しさはいかばかりだっただろうかと、想像を掻き立てられる。


 黒目がちながら涼しげな目元は、観音像のような慈愛を宿しているようにも、地上の生き物を見下す天上の女のように高慢にも見えた。

 高天原識ですら手に入れられなかった、羽衣を取り戻した天女のような女の娘は、新たに下界に降り立った天女のようだった。


 天女は、名乗った。


「私は《高天原の玖》。名は高天原紅。お見知りおきを」


 紅は、凜としてそこに立ち、会釈すらもしなかった。

 そして、誰の許可も得ずにひな壇から降り、淑子も後に続いた。


「息子の成人の儀と娘の披露を見届けてくれたことに礼を言おう。今日は楽しい時間を過ごして欲しい」


 欠片も動じていない当主はそう締めくくり、ひな壇の反対側に去った。

 あとは『ご歓談』という社交の場だ。


 此処には高天原宗家の人間も、近縁の分家の人間もいる。外戚もいる。外部の人間もいる。

 多くは、高天原財閥のビジネスに関わる者たちだ。早速、あちらこちらで挨拶、仕事の話題が行き交う。


「直人お兄様。わたくし、上手に出来まして?」

「何の設定だよ」

「令嬢ものですわ。少々悪女風味で」


 直人は、紅の頭を撫でられないのは、案外不便だなと思った。

「ああ、上手くやった」

「ふふ、よかった。…でも」


 紅は、いつもの無邪気な笑顔で言った。

「お兄様、なんて心にも無いことは、言いたくないわ」

「俺は一応、くれない、って呼んでおく。お前もべにって言われて、いちいち殺すって言って回るの面倒だろ?」

「いちいち言っても良くってよ」

「やめろ」


 直人は、野次馬に囲まれる前に紅の手を引いて歩いた。

「サイズは大丈夫だったね」


 直人たちが向かってゆくと、継人の方からも近付いてきてくれた。

「助かったよ。金はあるけど無駄な買い物はしたくない」

「無駄じゃないと思うけど…。礼装は一着あれば安心だから、その着物はあげるよ」


 尤も、直人はすぐに継人の身長を抜いて、裄や丈が合わなくなってしまう。

 その時が来たら、面倒くさがりの弟のために、新しい着物をプレゼントするのがいいのだろうと継人は思った。


 今日の継人は、紋付袴ではなく黒スーツに白ネクタイだ。主役級の格好をする必要はないし、細身の継人にはスーツが似合う。


「君が紅さんだね。僕は《弐》の継人。直人の同母兄だよ」

「…………」

 紅は沈黙し、しかしその瞳はきらきらしていた。


「えぇと、どうかしたのかな」

「ああ、紅は俺に『君』って二人称を使わせたかったんだよ。俺の柄じゃないから却下」

「残念だなぁって思ったんだけど、直くんが『そのうち継人兄さん辺りが素敵な感じに言ってくれる』って予言したの。ふわあぁ…『君が紅さんだね』とか、素敵すぎ!さすがは直くんの優しいお兄ちゃんのソフトなイケボ…っ!」


 むやみに感激されて、継人は反応に困った。気品のある凜とした少女だと思っていたのだが、何かを見間違えたのだろうか。


「初めまして、お兄ちゃん。…って呼んでもいいですか?」

 紅は人懐こく言った。


「直くんが兄さんってよぶの、継人さんだけって言っていたから」

「……いいよ」


 少し変わった感じの少女だが、気難しい――継人以外には――直人の横に、ぴったりとくっ付いて仲睦まじい様子の紅を、可愛らしく思った。

 この少女なら、直人の心に触れてくれる、そんな気がした。


「紅ちゃん、直人をよろしくね」

「はい!ちゃん付け嬉しいです。直くんのことはよろしくします。直くんは、私にはいっぱい優しいから」


 確かに、『には』で合っている。

 直人は、付き合いのある忍に「仲良くなれない奴」と言われたし、伊織とは無難に口を利いているだけだし、宗寿とは明確に嫌い合う仲だし、謎に絡んで懐いてくる了には「邪険にはしない」程度だ。


 長い間、継人だけが特別だった。幼い頃、短い時間ではあったけれども、孤独以外の生き方があることを教えてくれた最初の人間が、継人という兄だった。

 そして、出会ってすぐに、紅が特別になった。きっと、きっかけさえあれば共に在る時間の長さは関係ないのだろう。


「あらあら、仲良しね」

 艶のある声が聞こえた。


「ああ、久しぶり。蜜花さん」

「みんな元気そうで良かったわ」


 かつての《高天原の参》、嫁いだ今は唐橘からたちばば蜜花みつかとなった姉が目を細めた。


「次期当主の継人兄さんと、《影》の直人君。……それから初めまして、紅ちゃん」

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