第29話 成人の儀とお披露目(二)
何をどう見違えるというのか。
当主は堂々と大柄な体躯で、一見態度も威厳と余裕を併せ持っていたが、その目の奥にはギラついた炎が宿る。
「紅、よく似合っていること」
「ありがとうございます。御台様」
淑子が紅に声をかけ、紅も丁寧な言葉で答えた。
やはり、淑子は紅を気に懸けている。紅の身に何が起こったのか、知っている。
だが、どうせこの夫妻は《息子》には何の関心もないのだろうと思っていると、当主が直人と紅を同時に視界に映した。
手に入れた女が、無表情の若造に助けを求めている気配を察して、薄く笑った。
「だいぶ懐かれたようだな、直人」
「信頼されているだけです」
直人は淀みなく言った。
「お初にお目にかかります。当主様」
紅は、はっと直人の顔を見上げた。その横顔は、静かだ。
物心ついた時には、離れに放置されていた子供。
子供をどう扱うかは、子を産んだ妻たちに一任されている。高天原識という男が、子育てには欠片の興味も持ってこなかったのは明白だ。
急に《成人の儀》という表舞台に引き出された今、直人は初めて《父親》と対面したのだった。
「淑子に似ているな」
「残念ながら」
「だが、私の母方の叔父の面影がある」
「残念です」
直人は、話す口元以外は、何の表情も動かさなかった。
だが、話した内容は、はっきりと両親のどちらも拒否しているし、どちらもどうでもいいと言っている。
「生意気な奴だ」
「…………」
「だが、面白い息子だ」
どうやって紅を《手懐けたのか》が不思議あり、可能であった直人が目障りという意味なのだろうか。――――それだけなのだろうか?
「来なさい、紅」
当主の大きな手が差し伸べられ、表面上は凜とした面差しを保っていた紅の顔が、微かに強張った。
「エスコートの先約がありますので、俺は約束を守ります」
直人が差し出した手に、そっと白い手が載せられた。
直人が紅を見下ろすと、紅は安心して微笑した。
当主は無言で背を向け歩き出し、直人と紅、後ろに淑子が続いた。
観音開きの扉が丁重に開けられると、マイクでアナウンスが入る。
「高天原宗家当主・高天原識様、御夫人淑子様、御子息直人様、御息女紅様のご入場です」
そこは高天原家所有のホテルの大宴会場で、数百人を招待する結婚披露会場にも使われる場所だ。
今回は社交の場を兼ねているので立食だが、やはり何百人もの人々が、異例の五男とその上を行く異例の《数持ち》の娘を見物しにきているのだろう。
「我が息子・高天原直人の成人の儀、並びに新たに我が娘として名を連ねることになった、高天原紅を披露する場にお集まりの方々に御礼申し上げたい」
当主・高天原識の挨拶はそれだけだった。
これが校長先生の挨拶だったら大人気の校長だろうな、と直人が淡々と考えていると、司会が言った。
「成人の儀。《高天原の漆》直人様、壇上にお進み下さい」
直人は雛壇に上ると、大柄な当主の前に立った。
直人は育ち盛りの16歳で多分175cm程の身長だが、当主は190cm近くありそうで、ガッシリとした骨格で横幅もある。
でっかいな、という感想と共に、ぱっと見の体型ならば、師匠の功も似たようなものだったと思った。ただし、
姿勢でわかる体幹、着物の内側の筋肉。
――――ああ、殺すの簡単だな。
分家出身の侍従が、細長く薄い箱を恭しく当主へと差し出すと、その中には剣が入っていた。
一般的な日本刀ではない。古代日本の剣に似たようなものがあるが、鞘の中身は片刃の直刀だ。
「高天原の第七子にして五男、高天原直人。ここに高天原の成人として立つことを許す」
当主が、横にした直刀を直人に向けた。
通常は、ここで賞状のように両手で受け取り、深々と礼をする。そして、定型の誓いの言葉を当主に宣言する。
つまり、有難き幸せに存じますとか、今後益々高天原家繁栄の為に尽力いたしますとか、その辺りだ。
だが、直人は無言で剣を受け取り、頭も下げることなく
「おい、ソイツ貸せ」
「…え?」
司会者の手からマイクを抜き取ると、来客に向けて告げた。
「俺は当主になるつもりはない。一万分の一の確立で当主に指名されるようなら、最初の命令は《高天原の弐》高天原継人に当主になれと言うことだ」
形だけでも《不義の子》の体裁を整えてやるだけの儀式だと思っていた観衆は、ザワザワと揺れた。
そして、広い会場でも前の方にいる、戸惑った様子の継人に向かって言った。
「悪い、兄さん。正妻の長男の責任を全うしてくれ。俺は補佐ならやるよ。――――何でもしてやる」
これは、外部からの客人にはわからなくても、高天原家の直系とその近い所にいる分家ならばわかることだ。
今、高天原直人は、高天原継人を当主に、自分は《影》になると言ったのだ。
「……で構わないよな、当主様」
無表情で飄々という息子に、当主は豪快に笑い出した。
「お前が一番当主に向いているかも知れん」
「え。何でだよ。イヤだ」
直人にしては珍しく、心からイヤそうに言うと、剣を侍従に放ってそのまま雛壇から降りた。
「直くん、格好良かったよ!」
「全く…何をしているのです?」
と、こめかみに指を当てて溜め息を吐く淑子は、ヤンチャな息子に手を焼く普通の母親に見えた。
「茶番に付き合わされた礼の座興だよ。……御台様、紅を当主に近付けるな」
直人の言葉に、紅は言った。
「くれないじゃなくてべにだよ」
紅の通常運転に、直人も溜め息を吐きそうになった。
「そういう建前なんだよ。今日お披露目されるのは《高天原の玖》だ」
「ん。我慢する。行ってくるね」
紅はにこりと笑って、淑子に続いて雛壇に上がった。
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