第25話 身代わり(三)
※ 無理矢理描写注意。苦手な方は飛ばして次ページへ。
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直人の敏感な聴覚は、屋敷の玄関が堂々と開けられ、そして締められた音を捉えていた。
鍵を使った様子はない。
おそらく、紅がそうした。直人と離れたタイミングで自ら鍵を開け、侵入者が紅の元に訪れるように手はずを整えていたのだ。
紅の部屋の襖がスッと開かれた。
「久しぶりだな。紅」
「そうでもないよ。一ヶ月かそこらだもの」
足音はしなくても、古い廊下の軋みの音で直人は気付いていた。やって来たのは、大柄な体躯の男だと。
かつて玄冬一族に所属し、そして破門されたと言われている男――――高天原家現当主・高天原識。
直人の、そして紅の、父親かもしれない男。
そして、父親ではないかもしれない男。
どちらであっても、年頃の娘の部屋に深夜に訪れるという、不自然。異常。
直人は、自分の心拍数を制御した。
もしかしてと、思っていた。一方で、考えないようにしていた。
過去の紅は守れなくても、これからの紅を守っていけばいいのだからと、自分の心を封じていた。
(絶対に、僕を助けないで)
「ん…?」
男の興味が、紅から逸れた。
「ここに、お前の護衛でも隠しているのか?」
「………!」
紅が、抑えながらも微かに息を飲んだ気配。
そして、男が、直人がいる押し入れに近付く畳の上の足音。
スパァンと、男は勢いよく押し入れの戸を開け放った。
(絶対に、声を出さないで。絶対に、物音を立てないで)
紅が懸命に訴えた声を一瞬でも忘れていたなら、直人は本能の反射で高天原識を屠っていただろう。
「……気の所為か」
高天原識は、確かに押し入れの中をじろりとその鋭い眼光で見渡したのに、何も見えなかった。
そこには、今部屋に敷いてある布団が入っていたのだろうと思われる、板張りの空間があるだけだった。
――――今、《本物の高天原直人》は、自室の布団で寝ているのだから。
(汝は空の人型にあらず、命よ生れ。高天原直人の血を持ち成り代わり給え)
「やりたいなら、さっさと済ませてよ、お父さん」
直人が知らない、蓮っ葉な女の声だった。
「今日、球技大会だったんだ。疲れてるの」
「今更、『普通』の娘のような言い訳か。微笑ましいことだ」
男の声は、余裕とからかい、そして明確な支配者の響きを持っていた。
「だが、蘭はそんな逃げ道は作らなかったぞ。自身がひとでなしだということを、よく知っていた」
「お母さんを、侮辱するな!!」
紅が、怒りに叫ぶ。
「お母さんは、呪われていたからお前のような外道と『ご縁』が繋がってしまっただけだ!人殺しなんて、お母さんが望んだことは一度もなかった!!」
「その呪いを解く為に、人殺しをしていたのだろう?俺の《依頼》を引き受けたのは、そういうことだ」
「……っ」
紅が、怯む。
母親を庇うことが出来ない自分の不甲斐なさに、無力感と怒りに震えながら。
「自分の手で犠牲者を出したくないならば、自死すれば済んだ話だ。蘭は、自分が生き残りたいが為に他人を殺した。紅、お前がその証だ」
「…黙れ」
「蘭が生き残ったから、お前が生まれて来たのだ」
「黙れ!…黙れッ!!」
必死なその声は、追い詰められた小動物の悲鳴のようだった。
「そう脅えるな。安心するがいい。教えてやっただろう?お前は俺の娘だと」
「嘘だ!」
「十六年前、蘭は再び現れたのだぞ?俺の子供を産みたいと言ってな。俺はもう、次の殺しの《依頼》など必要ではなかったものを」
「嘘だ!嘘だ!嘘だッ!!」
悲鳴であっても、紅は必死に愛する母親を守ろうとしていた。
「お母さんが…!実の娘を犯すような下衆の子供を、欲しがるわけが無いッ!!」
「では、お前が望む遺伝子鑑定でもしてみるか?」
「…………」
紅の抵抗が、止まった。
脅えている。これ以上の現実を突き付けられたなら、まだたったの15歳の少女は、壊れてしまう。
「お前は、俺を『天女の衣を奪った男』だと言っていたな」
「…………」
「その男の妻となり、子を産んだという話を知っているか?天女は、自分だけが天に帰ったのだ。実の子を地上に置き去りにしてな」
「…………」
「天女の娘は、天女ではないのだ。地上で人間として生きるしかないのだ」
もう、紅が抵抗する気配はなかった。
「だが、お前は、蘭の忘れ形見だ。……本当に、奇跡のようだ!初めて出会った時、蘭は十六だと言っていた――《人殺し》の女が本当のことを教えたのかどうかは分からんがな。だが、今のお前は、あの頃の蘭と瓜二つだ!お前は、俺のものとなる為に生まれてきたのだ!」
残酷な男の狂った歓喜と欲望が、少女の心にとどめを刺した。
「紅。お前は、蘭の身代わりだ。蘭そのものだ。子を欲しがった蘭のように、美しく、淫らに咲き誇るがいい」
直人は、全てを聞いていた。
耳を塞ぎたいなどと、無駄なことを思い付いたのは、功に引き取られる前の幼い子供の頃の名残だろうか。
紅は、守って欲しいと言う《依頼》を取り消した。
そうしないと、「直くんは本当の僕を見ることが出来ないから」と。
紅は、もう一度高天原識の贄となってまで、直人に《本当の僕》を知ってほしいと望んだのだ。
だから、直人は全てを聞いて、全ての気配をありありと感じているしかなかった。
浴衣が乱暴に引き裂かれる音。粘膜が擦れる湿り気を帯びた音。
泣くまいと、助けてと叫ぶまいと、必死に耐える紅の、押し殺そうとする小さな呻き声。
やがて、少女の息づかいに、自虐的な甘い喘ぎが混じってゆく。
「そうだ、いい子だ。紅、お前は蘭だ。悦ぶがいい。お前は、お前が愛した母親と同じだ」
(僕のお母さんが若い頃、天女みたいって言われてたんだって。お揃い!)
《父親》は、知り尽くしていた。
どうすれば、紅の心が折れるのかを。
母親と同じだという言葉に、紅が逆らうことは出来ないという事を。
どれだけの時間が経ったのか。
この惨劇を、戸を一枚隔てた場所で全てを聞き取り、感じ取りながらも、直人の体内時計は夜明けの時間だと把握していた。
満足した男は、部屋を去って行った。
廊下を歩き、堂々と玄関から出て行く。
「……出て来ていいよ、直くん」
弱々しい、虚ろな声が聞こえた。
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