第18話 人殺しの天女(二)
歴代の高天原家当主の子には、正妻と三名以内の側室の子に限り、数字が与えられている。大抵は、名前で何番目の子供か判る。
いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・きゅう(く)。
或いは、ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ、という日本古来の数詞か、それを連想させる名前を付けられるからだ。
また、何番目であろうとも、当主が判断した最後の跡取り候補の可能性が《末》であり、《末》は第十子を限度とする。
判りやすいのが、七番目だから『なおと』、四番目だから『しのぶ』といった名付けだ。
また、連想の例は、《壱》である『かずとし』、《弐》で次男の『つぐと』、《末》の『
先代では、正妻が産んだ第一子という申し分ない生まれで優秀だったという、『ひさと』が時期当主に当主に内定し、既にその父親の右腕の役割を果たしていた。
現当主の『しき』は、次男とは言え側室の息子で、全体としては《高天原の肆》という第四子だった。
「先代当主が、病身で衰えた体調を理由に《壱》の永人に正式に当主の座を譲る、その直前に死んだから、《肆》の父上を跡取りにせざるを得なかった。《弐》と《参》は女だから除外、《伍》の功は永人の影に内定していて、継承権を辞退していた。《陸》の
「…………」
つまり、直人の師・高天原功は、永人とも識とも母親を異にするが、直人の叔父に当たる。
功は家庭を持たなかったが、当主にならなかった男子はその時点で『分家』と呼ばれて格が下がる。
高天原識は、『格が下がる』のは自分に相応しくないと豪語していた男だ。
その宣言通りに当主となった識は、長男の永人を葬ってその座に就いたのだとと噂された。
――――否、今でもなお、そう思っている人間は多い。
だからといって、逆らう者はいない。識が築き上げた権力と財力は、確かに絶大なのだ。
現在の正妻の地位にいる淑子は、高天原識が当主に決定する前から、高天原家当主の正妻に内定していた。
だから、永人とは兄妹のような幼馴染みであり婚約者であった淑子は、永人を失うと高天原識の婚約者へ、そして妻へとスライドした。
永人と淑子との婚約は政略的なものだったが、淑子は永人を慕っていた。淑子は、愛する男を殺したかもしれない男の手に落ちたのだ。
淑子が識を殺人者だと確信し、深く憎んでいることは周知の事実であり、識にとっても淑子は己の正統性を証明するブランドの女でしかない。
「御台様は御台様で、執念の女性だって言われていることは、知ってる?」
「…………」
忍の問い掛けに、直人は答えなかった。
直人も父に似ていると言われた事は無いが、淑子が大切に育てた継人もまた、当主には似ていない。
優しく温和な継人は、その気質も姿形も亡き永人に似ている、と言われている。
直人は資料として写真を見たことがあるが、「俺よりも継人の兄弟みたいだ」と思った。
父系のみながら叔父と甥が似ていても不思議はなく、継人は淑子が嫁入りして間もなく身篭もった子であり、不義の子の疑惑をかけられたことは無い。
淑子は、高天原識を強く拒み、執念で愛する男に似た息子を産み溺愛した……と人々は噂した。
跡継ぎは、永人に似た継人ひとりでよい。淑子はついでのように《漆》を生んだが、死なない程度に放置した。
これも、秘密でも何でもなく、公然の事実だ。
――――俺は、誰にも望まれずに、この世に生まれてきた。
今更、波立ちもしない心の呟きに、ふと幸福そうな少女の声が重なった。
(運命の人)
(大好きだよ、直くん)
「……それで、俺としては、ここで捜査を打ち切りたいんだよ。直人に無能だと思われても構わない」
直人は、お前らしくないなと言いかけて、やめた。
仲良くもなければ親しんでいたわけでもない自分に、忍の何が解る?
直人は、気付かないうちに忍に気を許していたのかもしれないと、思った。
「……人殺しの
忍の発した言葉に、直人はハッとした。
科学者の口から、その名を聞くとは思わなかったのだ。
「忍は、知ってるのか?」
「噂レベルだよ。これ以上知らない方が、俺の身が安全……っていう勘かな。科学者は、勘を大事にする人種なんだよ。エジソンも言ってるだろ。1%の勘が無けりゃ99%の汗も無駄って」
「そうだっけ?」
「努力すりゃいいってもんじゃないんだよ。《弥栄》が絡むのなら、尚更ね」
人殺しの弥栄。弥栄一族。
直人も、名前は知っていた。
弥栄という、繁栄を願う名で呼ばれながら、殺人を生業とする女たち。
女たち、というのは今のところ僅かな言い伝えでは若い女しか登場しないという意味なのだが、便宜上の三人称を『彼女たち』と言う。
殺し屋でも暗殺者でもなく、単に『人殺し』という二つ名の不気味。
その不確かな噂のひとつが、『ご縁』による殺人依頼を受ける、という特殊性だ。
ご縁があれば、彼女たちは必要なタイミングで依頼人の元に現れる。
ご縁が無ければ、どこをどう捜そうとも、彼女たちに出会うことは出来ない。
しかし、彼女たちは依頼があろうと無かろうと、無差別に、意味も無く、人を殺し続けているとも言われている。
本当は、差別も区別もしているかも知れないし、意味もあるのかも知れないが、外部にそれを知る人間はいない。
彼女たちの殺人の手口も謎だ。
凶器や手段は何を得意とするのか。
呪殺とも噂されるが、そもそも呪殺という技術は存在するのか。
あったとして、それは確実な技術なのか。
謎だと言われながらも、『殺人武闘団』と呼ばれる玄冬の一族とは全く違う。
弥栄一族は、実在するかどうかすらもあやふやである。と、その名を知る者さえ多くが疑っているのだから。
だが、直人は『殺人武闘団』の頭領という特異な立場だ。
だから、『実在する』ことだけは知っている。
「ああ、俺も呪殺って奴の精度が高いなら、どうしようもないな。対抗手段がわからない」
《依頼》は、可能だから契約するのだ。だから、成功率不明になった時点で撤退する。標的の周辺に少しでも《弥栄》を感じたら、手を引くのが鉄則だ。
「俺もだよ。日本中の監視カメラに姿が映らない美女、なんて科学者としては今のところお手上げだしね。父上みたいな異様な執念も無い」
「べにの姿は、監視カメラに映るんだな?」
「うんうん、べにちゃん、ねえ。特別感があるねえ」
忍は、何をニヤニヤしているのだろうか。《高天原の玖》という妹かもしれないのに。
――――妹じゃないかも、しれない、のに――――?
「特別だから、俺以外の奴がべにって呼んだら殺すって言ってたぜ」
「え?は?呼んでない。呼んでない。口にしただけだから」
「忍。お前、胆試しが駄目なタイプだろ」
「…………」
紅の母親、八坂蘭は、《弥栄蘭》かもしれない。
『ご縁』が有って高天原識が出会った、天女のように美しい人殺し、なのかもしれない。
そして、高天原識は自らの手を直接汚すことなく先代の《壱》を葬り、血に濡れた玉座に着いた。
……のかもしれない、は必要無い。
直人の勘はそう言っている。
「忍、これ以上何もするな。ここからは、俺が動く」
忍の研究室を去る直人の脳裏に、紅の声が蘇った。
――――お母さんは、私が殺した――――
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