第13話 伝説の男(一)

 紅は、授業中こそちょこんと直人の隣でお行儀良くしていたが、休み時間になると直人にベッタリで、


「直くん、トイレまでエスコートしてっ!」

「しねえよ」


 あの無愛想と無表情の権化《高天原の漆》に、懐きまくってじゃれつく美少女《高天原の玖》という組み合わせは、あからさまに興味の視線を集めていた。


 ……良くない。色んな意味で。

 直人は、長くなった前髪が鬱陶しい、そう言えば半年以上散髪をしてない、と思いつつチラリと視線だけで教室を軽く見渡した。


「おい、そこで5人セットになってる女子」


 ピタリと直人の視線の的になった女生徒達は、固まった。

 怖い。何かされたことがあるわけじゃないけれども、笑った所を誰も見たことがないという高天原家の男という時点で、既に怖い。


「コイツを連れてって、連れ戻してくれ」

「コイツじゃなくてべにだよ。どこにー?」

「トイレ行くんじゃなかったのかよ」

「行くー」


 紅は、それ以上文句を言うことなく、人懐っこく女子の集まりに声をかけると、一緒に教室を出て行った。


(僕はね、直人には同じ年頃の友達と、楽しく過ごす時間を覚えて欲しいんだ)


 高天原家に戻って来た頃、継人の《影》をやりたいと言った直人に、継人が困ったように微笑んで言った言葉。


「…こういう気分だったのかな」

 と、胸の内で呟いた。


 紅を守るという依頼は受けたが、直人は出来るだけ紅に不自由をさせたくないし、不自由を不自由だと、そして不自然だと気付いて欲しいと思っていた。


 紅は、かつて母親とふたりきりで、あまり他人と関わることなく、学校に行くこともなく、それを不満に思う事なく逃避行をしていたという。

 紅にとっては母親が全てで、母親がいてくれればそれだけで幸せだったと言った。


 母亡き今は、どういう訳か直人を『運命の人』だと言い、直人が世界の全てでいいとまで言った。

 まるで、最初に見たものを親だと思い込んで、付いて行く雛鳥のように。


 紅の特殊な生い立ちと、15歳という年齢を考えれば、今はまだそれでもいい。だが、紅は直人とは違う。

 制服の仕上がりを楽しみにするほど、学校という平凡な場所に憧れ、楽しみにしていた『普通の』少女なのだ。


 少しずつ、距離を取っても大丈夫なようにしてやりたい。


 紅が、母親の遺言だという願いを、叶えるまでに。

 ――――そうして、ふたりの契約関係が終わるまでに。




「じゃあ、おとなしくしてろよ」

「うん!」

「…………」


 紅が、何かを期待したキラキラした瞳で、じーっと直人を見上げている。

 直人は黙って、紅の小さな頭部に手をやって、ぽんぽんと宥めてやった。


「えへへ。いってらっしゃい!」


 紅が満面の笑顔で言うと、直人は背を向けて軽くひらりと手を振り、教室から出た。

 訳が分からない。紅がしきりに「頭ぽんぽん」というのでスマートフォンで検索したら、「ただしイケメンに限る」と出てきたのだが?


 直人が去ってしばらくすると、女子がキャーッと言った。


「初めて見た!幼児向けじゃないリアル頭ぽんぽん!」

「でしょー?格好いいでしょー?」


 紅は得意気だ。

 トイレに案内してもらった行き帰りで「お兄さん怖くない?」という質問に「怖くないよ!とっても優しいもん」という意外すぎる答えと共に、具体例として「頭ぽんぽん」が挙がったのだ。


「そっか…直人君、背が高いから決まる」

「やらなさそうな人だと思ってたのに…、ギャップがいい」

「そーだよ。ときめきは意外性からなんだよ!」


 紅は得意気で、一見微笑ましい妹だ。

 でも、兄にときめいている辺り、ブラコンを通り越した危うい感じを醸しているような……と歳が近い兄がいる女子は思ったが、高天原家のお嬢様には何も言わないことにした。

 でも、ひとりっ子や姉妹だけ、生意気な弟しかいない女子にはかなり好評だ。


「じゃあさ、僕が知らない直くんのお話、何でもいいから教えて?僕はつい最近高天原本家に来たばかりだから、まだ直くんのことよく知らないんだよ。みんなが直くんを怖がる理由になった、怖いお話でもオッケーだよ!」

「…うーんと…。怖いお話っていうか…。大体は、相手の方が悪いんだけど」


 直人が中学校に入学して間もない頃。その頃は特に長身という印象はなかった、というよりも単に影が薄かった。

 直人が無口でおとなしそうな『高天原』だと知ると、高天原特権を忌々しく思っている生徒や教師が、直人を狙っていじめを仕掛けた。


 紅が、ゆらりと椅子から立ち上がった。

「直くんをいじめたの…?何処の誰…?僕、ソイツらひとり残らず呪い殺したいんだけど…?」

「く、くれちゃん落ち着いて!」


 天女の美貌で殺気を放つと、呪いを通り越して祟る女神みたいに怖い。

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