第5話 ドラゴンと空と海

食事が終わり、出かける準備をする。


今来ているスーツだとさすがに怪しいということで、真っ黒のローブを借りる。少し丈が短いが、スーツは隠れているので問題はないだろう。


「これしかなくてごめんなさいね。」

「いいえ、大丈夫です。貸してくださってありがとうございます。」


今日のアウラさんは、長袖の白地のシャツに、赤茶色のベストを合わせており、たおやかな胸が美しい曲線を描いていた。


茶色のズボンは、膝下まである編み上げブーツに入れ、肩にはマントのようなものを羽織っている。


昨日はそのままにしていた長い黒髪は、ポニーテールに結い上げており、白く綺麗なうなじが覗いている。


ーー昨日の白いワンピースも素敵だったが、今日のパンツスタイルも良い…!!


いわゆる魔女のイメージといったら、全身黒色で、とんがり帽子をかぶるものと思っていたのだが、どうやら違うようである。


「では行きましょうか。」

「ちなみに、ここからどれくらいなんですか?」

「そうね、大体10分くらいかしら。」

「へー、結構近いんですね。この森を抜けた先ですか?」

「森を抜けたもっと先よ。ここから東へずーっと進んでいくと、海が見えるんだけど、そこに港町があるの。貿易が盛んで、色んな国の物が手に入るから、買い物に行く時は、いつもそこに行くの。」

「海…?」


アウラさんの家は、高台にあるため、ここから遠くの景色も見えるのだが、辺りには森が広がるばかりで、近くに海らしきものは見えなかった。


アウラさんの話ぶりだと、かなり距離があるようだが、どうやって行くのだろうか?


疑問でいっぱいな俺を横目に、アウラさんは崖に向かって歩き出していった。


「あ、危ないですよ!」

「大丈夫よ。ちょっと待っててね。」


そう言って、肩から下げていた大きめのショルダーバックの中から、笛のような物を取り出すと、それを口に咥えて息を吐いた。


音が鳴るのかと思いきや、何も聞こえない。


「それ、壊れてるんじゃないですか?」

「壊れてないわよ?」


不思議そうな顔でこちらを見るアウラさんだが、解せないのはこちらである。


「何をしたんですか?」

「すぐ分かるわ。」


アウラさんがそう言った刹那、急に目を開けていられないほどの風が吹きつけてきた。


思わず目を閉じて、顔の前に手をかざして身構えると、バサ、バサという音が耳に入った。


すぐに風は治まり、恐々としながら目を開ける。


それと同時に、アウラさんの声が聞こえた。


「この子が、町まで連れて行ってくれるわ。」


それは、2階建ての家くらいの大きさで、赤黒く硬そうな鱗で包まれていた。


人を丸呑みできそうなほど大きな口には、鋭く尖った歯が見え隠れしている。


手には全てを切り裂けそうな大きな爪があり、黄色い目はギョロギョロとこちらを睨みつけていた。


そう、ドラゴンである。


ーーどこからやってきたんだ!?っていうか今、これが連れて行ってくれるって言ってた…?


カタカタと体を震わせている隣で、アウラさんは無邪気にドラゴンに話しかける。


「カナル。元気にしていた?」


ドラゴンはグルグルと低く唸りながら、アウラさんに顔を近づけた。


「アウラさん!」


咄嗟に叫んで手を伸ばすが、届く距離ではない。


これ以上は見ていられないと目をぎゅっと閉じる。


「なあに?」


しかし、聞こえてきたのは、間の抜けたアウラさんの声だった。


恐る恐る目を開けると、なんとアウラさんはドラゴンの顎を撫でているではないか。


ドラゴンの方も、気持ちよさそうに目を閉じている。


俺は、信じられない気持ちでそれを眺めるしかなかった。


「あ、あの、危険じゃないんですか?」

「大丈夫よ。カナルは優しい子だから。私のお友達なの。カナル、こちらはソータ。今日は、彼も一緒にお願いできるかしら?」


そうアウラさんが言うと、その言葉を理解しているかのごとく、こちらに目を向けた。


びくりと体が震える俺に向かって、そのドラゴンは、まるでお辞儀するかのごとく、首を下に下げて戻した。


「ありがとう、カナル。」

「こ、言葉が分かるんですか?」

「ええ、もちろんよ。レッドドラゴンは、賢くてとても心優しい種族だもの。特に彼女は長く生きているしね。」

「グルルルルルル…」

「あ、年の事は余計だって?確かにそうね。ごめんなさい。」

「グルル」

「あら、それは言わない約束でしょ?」

「グルグルグル」

「ふふふ。」


ドラゴンが友達というのは、嘘ではないらしい。


ドラゴンとアウラさんは、何やら楽しそうに会話をしている。俺には全く、ちんぷんかんぷんだが。


「それじゃあ、日が暮れる前には帰らないといけないから、早速出発しましょう。」



◇◇◇


「うわぁーーーー!」


ビューという風の音と、バサ、バサという翼の音が耳元で響く。


アウラさんの後ろに必死にしがみつきながら、俺は今、空を飛んでいた。


レッドドラゴンの鱗は思ったよりも艶々していて滑りやすい。


もちろんシートベルトなんてあるわけがないので、いつ振り落とされるかも分からない恐怖でいっぱいだ。


飛び立つ前、アウラさんと密着する状況に浮かれた心も、今や絶体絶命の危機に浮足立っている。


目を閉じて下を見ないよう、必死になる俺を背中で感じたのか、アウラさんがこちらを振り返りながら、大きめの声で話し出す。


「ソータ、ほら見て。」

「この状況で、何を見るっていうんですか!?」

「大丈夫よ。カナルの背からは絶対に落ちないから。目を開けてみて。」

「そんな、無理ですよ!?っていうか、落ちないって、何で断言できるですか!?」

「カナルは優秀だもの。今も、あまり風が当たらないように調節してくれてるのよ。」

「嘘ですよ!ビュービューいってますもん。」

「でも、体への衝撃はあまりないでしょう?本当だったら、こんなものではすまないわよ?」


そう言われてみれば、こんなに大きく音がなっているにも関わらず、風が体に吹き付ける感覚はあまりなかった。


「大丈夫だから、見てみて!見ない方が絶対後悔するわ。」


脅し文句のようなアウラさんの声が聞こえる。


後悔とはなんなのだ。何も考えずにほいほいとドラゴンに乗ったこと以上に、後悔することなんて、ないじゃないか。


ーーああ、もう、どうにでもなれ!


半ば自棄になりながらも、ぎゅっと閉じていた目を開く。


すると、真っ青な空が目に入った。


眩しいくらいの太陽の光を浴びて、ドラゴンは赤く煌めく。


その向こうには、キラキラと輝く海が見えた。


「すごい…。」


自然の美しさを詰め込んだような、そんな絶景が目の前に広がっていた。


良く見れば、空には小さな島が浮いていたり、周りの森には高層ビルのように巨大な木がいくつも生えていたり、見たこともないような変な生き物が飛んでいたりと、まさに異世界と言わんばかりの幻想的な景色であった。


ーーこんな景色、日本じゃ絶対に見られない。それに…。なんだかこういう、景色を楽しむっていうのは、久しぶりな気がする。


最近は、ビルが立ち並ぶ都会の中を歩き回っていたから、こうした自然の美しさを感じる場所も、暇もなかった。


まるで心が洗われるような美しさが、胸にしみわたる。


「あそこ、見えるかしら?あれが今から行く町よ。」


アウラさんが指さす方向を見やると、大きな船のようなものがいくつか見えた。


今からあそこに行く。


なんだか、冒険に旅立つ前の少年に戻ったかのように、心がワクワクと踊り立つのを感じた。

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