第4話 翌朝

部長に怒られる声がする。


また、契約を取れなかったことを、言われているようだ。


体はひどく重かった。今すぐ逃げ出したい気持ちになりながらも、まるで岩でも乗せられているかのように、体はぴくりとも動かない。


ーーもう、やめてくれ!


そう叫んだと同時に、目が覚めた。


どうやら夢を見ていたようだ。


ハアハアと荒く息を吐くが、胸の辺りが苦しく、上手く息ができない。


まだ夢から覚めていないのかと、辺りを見渡すと、目の前にぬぼーとした生物の顔が一面に広がっていた。


「うわあ!!」


思わず大きな声を上げる。


俺が起きたのを確認したからか、毛玉はベットからぴょんっと降りて、のしのしとキッチンの方へ向かっていった。


ーーあいつ…!!


カピバラもどき、もといグランドットという生き物で、カイという名前らしい。


あいつが俺を見る目は、不審者を見るそれで、まるでアウラさんを守るナイトのように、昨日から常に俺を監視していた。


何度も俺の上に乗ってきやがって…。最悪の目覚めだ。


体を起こすと、窓からは眩い日が差し込んでいた。


ーー一体、どれくらい寝てたんだろう?


こんなにスッキリした朝は、久しぶりだった。


いつもは泥のように眠っては、アラームに叩き起こされ、慌ただしく家を出る毎日だったから、ゆっくり熟睡できたのはしばらくぶりだった。



「今日はもう遅いから、休みましょう。」


昨夜、自分の寝室を譲ろうとするアウラさんを必死に説得して、一階のソファーで一夜を明かした。


ソファーは3人掛けのため、少し足がはみ出るだけで、充分快適であった。


キッチンに目をやると、人影が見え、いい匂いがこちらまで香ってきていた。


「あら、起きた?おはようソータ。」

「おはようございます。アウラさん。すみません、ぐっすり寝てしまって…。」

「いいのよ。よく寝れたようでよかったわ。ごめんなさいね。狭いところで寝させて。」

「とんでもないです!充分広々と眠れました。貸してくださってありがとうございます。」

「どういたしまして。今、お昼ご飯を作っているから、そこに座って待っていて。」


アウラさんは、すぐに作業に戻っていった。


大人しくダイニングの椅子に座ると、テーブルの上には、レースのテーブルクロスがかけられ、真ん中には小さな透明なビンに一輪の黄色の花が飾られていた。


昨日は色々と考える余裕がなかったが、見るからに女性の部屋という様相である。


足元からこちらをじとりと睨みつける、二つの目がなければの話だが。


何を考えてるのか分からない顔をしたカイは、テーブルの向かい側から、相変わらずこちらを警戒していた。


椅子から立ち上がって近づくも、カイは相変わらずこちらを睨みつけ、動こうとはしない。


右手を伸ばし、茶色のふわふわした毛を触ろうとすると、いきなり大きな口を開けて、ガブリと噛みついてきた。


「痛っ!!」


すぐに手は離されたが、かなりの強さだった。


「どうかした?」


料理ができたらしいアウラさんが、食器を持ちながら、こちらを訝しげに見つめた。


「いや、何でもないです。運ぶの手伝いましょうか?」

「大丈夫よ。もうできたから、一緒に食べましょう。」


テーブルの上には、こんがりと焼けた丸パンと、ゴロゴロした野菜がたっぷり入ったシチューのようなもの、緑の野菜が盛られたサラダ、昨日のパンに挟んであったハムとチーズが小皿に盛り付けられていた。


見てるだけでよだれが出てくる。とても美味しそうだ。


「どうぞ、召し上がれ。」


カイの前にもご飯を置きながら、アウラさんは向かいの席に座った。


「いただきます。」


手を合わせて食べ始める。


パンは焼きたてのようで外はサクサク、中はふわふわだ。シチューも絶妙な塩加減で、肉が入っていて食べ応えがある。


サラダはあまり好きではなかったが、こっちの野菜は癖がないのか食べやすかった。昨日食べたハムとチーズも、そのままでも味が濃くてとても美味しい。


手を組んで、何かを呟いてから、アウラさんも食事を始める。こちらの食前の挨拶は、こんな感じなのだろうか。


そう考えつつも、手と口は止まらずに食べ進めていく。


昨日も思ったが、アウラさんの料理は素朴ながらも優しい味で、いくらでも食べられてしまうくらい美味しいのだ。


「食べ終わったら、町に行こうと思うの。色々と必要な物を揃えないといけないでしょう?」

「すみません、何もかもお世話になって…。」

「気にしないで。1年近くあるんだもの。遠慮する必要はないわ。」

「でも…。俺、この世界のお金とか持ってないですし…。」

「大丈夫よ。これでも私、結構なお金持ちなのよ。色々と頼りにしてちょうだい。」

「…ありがとうございます。」


妙齢の女性に頼りきりというのは、さすがに胸が痛む。とはいえ、俺には持てるものなど何もない。


元の世界で持っていたはずのカバンはどこにも見当たらなかった。


あったのは、ポケットに入れていた充電が切れたスマートフォンと、取引先を不快にさせない程度のそこそこ高級な時計だけだ。


元の世界ならばともかく、異世界では全く役に立たない。


「本当にすみません。こんなにしてもらっているのに、何も返すものが無くて…。」

「本当に気にしなくて大丈夫よ。ソータは、ただ巻き込まれただけの被害者なんだから。」

「でも…」

「それよりも、あと1年もあるんだもの。何か好きなこととか、やってみたいことでも考えたらどうかしら?基本は森に住んでもらうから、旅とか遠出するのは難しいんだけど…。ソータは何か好きなことはある?」


好きなこと。そう言われてもピンと来なかった。


最近は仕事ばかりで余裕がなかったし、忙しくなる前も、特に趣味もなかった。休日は動画を見たり適当なゲームをしたりして時間を潰していただけだった。


言葉に詰まる俺を見ても、不審な顔もしないで、アウラさんは言う。


「特にないんだったら、これから考えればいいのよ。時間はたっぷりあるんだから。」

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