第3話 魔女の家

草木が生い茂る森の中は、一応、人が通れる幅の土道が伸びていた。


鬱蒼とした森中を、前を歩く女性の、ランプの明かりを頼りに、足を進めること数分。


森を抜けた開けた場所に、彼女の家はあった。


2階建てのログハウスのような造りで、家の前には畑が広がっていた。


「そこに座っていて。」


家に着くなり、テーブルに俺を座らせると、彼女はキッチンに入っていった。


さっきは暗くてわからなかったが、明るいところで見た彼女の瞳は、海のような深い青色をしていて、とても綺麗だった。


何やら準備をしている彼女に合わせて、艶やかな黒髪が揺れる。


白いワンピースから伸びる華奢な手は、忙しなくあちらこちらに動いていた。


キッチンにいる彼女を盗み見ている俺を咎めるように、足元から茶色いもふもふがじーっとこちらを見つめている。明るいところで見ると、ますますカピバラであった。


そもそも、こいつには二度も痛い思いをさせられたのだから、そんな目で見られるいわれはないのだが。


先ほどの出来事を反芻していると、ふと、重大な事実に気づいた。


ーーさっきは気づかなかったけど…。もしかして俺、彼女に膝枕されてたんじゃ…。


あのカピバラのせいで全く意識していなかったが、あの頭に当たった柔らかな感覚、彼女が座っていた位置、それらを考えると、絶対に間違いない。


ーーなんてことだよ!全然覚えてないぞ!勿体無い!


思わず頭を抱えて悔しがっていると、準備ができたのか、彼女がキッチンから顔を出した。


「お待たせしてごめんね。どうぞ。」


そう言って、即席で用意したにしては豪華な料理が並べられる。


「ハーブを練り込んだパンに、ハムとチーズとハーブを挟んだものと、野菜のスープよ。これで足りるかしら?」

「あ、ありがとうございます。いただいてもいいんですか?」

「どうぞ、召し上がれ。」


こんな見るからに美味しそうな料理を出されて、我慢できるはずもない。


早速パンに手を伸ばし、ガブリとかぶりつく。


ーーうまい!ハーブって癖がある気がしたけど、なんかいい香りがして、ハムとチーズにめちゃくちゃ合う!スープも美味い!最高の組み合わせだ!


思い返せば、昼からまともに食べていなかった。空腹の体に、優しい味の料理が身にしみて、ガツガツと一心不乱にむさぼっていく。


一瞬で完食して一息つくと、目の前の席に、彼女が座っていた。


「満足したかしら?」

「は、はい、すみません。がっついてしまって…。」

「いいえ。美味しそうに食べてくれて嬉しいわ。食後のお茶はいかがかしら?」

「あ、ありがとうございます。」


脇目も降らずに食べ尽くしたことを恥ずかしく思うも、彼女は気にした様子もなく、さらにお茶を差し出してきた。


白いティーカップに入ったそれは、赤みがかった茶色をしていて、紅茶の味がした。


「さて、食事も済んだことだし、本題に入りましょうか。」


少し真面目な顔になった彼女にならって、背筋を伸ばした。


「まず、お名前を聞いてもいいかしら?」

「あ、山口颯太です。あ、山口が苗字で、颯太が名前です。」

「そう。じゃあソータって呼んでも?」

「はい、大丈夫です。」

「ありがとう。私はアウラよ。私は、この森を守護する魔女なの。」


ーー魔女…?なるほど、異世界っぽい言葉が出てきたな。


「魔女って、ほうきで空を飛んだり、魔法を使ったりする、あの魔女ですか?」

「うーん、ほうきは使わないけど、空は飛べるわ。魔法も、まあ似たようなものは使えるわね。」


おもむろに手を目の前に出し、人差し指を伸ばすと、その指先にボッと火を付けて見せた。


「っっ!!!」

「これは、厳密には魔術なんだけどね。」


そう呟きながら、指先の火を消す。


「ここは、あなたが住む世界とは別の世界なの。」


そう、その話を聞きたいのだった。


本物の魔女に会い、魔法を見たという謎の高揚感で浮ついた心を落ち着け、続きを促すように頷いた。


「この精霊の森は、その名の通り精霊の加護を受けた森で、ときどき人智を超えた現象が起きるの。今回、あなたがこちらに招かれたようにね。おそらく、何らかの原因で精霊の力が高まって、あなたの世界とこちらの世界が一瞬繋がったのね。ソータ、こちらに来る前に何か起こらなかった?」

「確か、夜道を歩いているときに、いきなり黒い穴が現れて、それに飲み込まれたんです。」

「なるほど…。先々代の記録の通りね。過去にも、同じような現象が起こったことがあるの。今からおよそ千年ほど前のことだけれど…。おそらく、それくらいの周期で、何かしらの力が働くのね。」

「その人はどうなったんですか?僕は元の世界に帰れるんでしょうか?」

「記録によると、その人は、こちらに来てからちょうど1年後に、元の世界に帰れたそうよ。元々、この世界のものではない物が存在し続けるには、何かしらの力が必要なの。異世界との道を繋げ、対象物をこちらの世界に繋ぎ止めるのは、恐ろしいくらいのエネルギーがかかるから、いずれ尽きる時がくる。その力が切れたら、自然に帰ることができるわ。」

「そ、そうなんですか…。」


正直、言っていることの半分もよく分からなかった。


ただ、自分と同じようにこちらに来た人間がいること、その人は1年後に帰れたこと。この2つが分かったのは、かなり大きな収穫だ。


俺も、元の世界に帰ることができると分かり、すっと胸のつかえが取れた気がした。


「あの、なんでこんなことが起こるんですか?」

「精霊のせいとしか言いようがないわね。多分、理由なんてないわ。」

「じゃあ、精霊って何ですか?」

「この世界に存在する、目に見えない意思のある力ってところかしら。一つ一つは小さいけれど、集まれば大きな力になる。この森は、そうした力が集まりやすい場所で、彼らの意思が強く働くの。」


ーーうん。分からない。


相変わらずよく分からないが、精霊というやつのせいらしいことは分かった。


漫画とかでも、精霊は気まぐれって設定が多かったし、ここでもそうなんだろうか。


「多分1年くらいで元の世界に帰ることはできるから、安心してちょうだい。」

「はい、それを聞いて安心しました。」

「ただ1年後、精霊の力が尽きた瞬間に、この森にいないといけないわ。この場所が、あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ入り口のようだから。もし力が尽きるその日に森にいなかった場合、あなたはこの世界に存在できなくなる上、元の世界にも帰れないわ。」


思わず、背中にゾワっとしたものが走り抜けた。


「それはつまり死ぬってことですか?」

「分からないわ。どこか別の世界や空間に行くのかもしれない。魂がきちんと元の世界を覚えているなら、元に戻ろうとするかもしれないけれど、それに体が付いていけるか分からないわ。」


恐怖で体がすくむ俺を見て、安心させるかのように、アウラさんは柔らかく微笑んだ。


「でも安心して。この森にいれば、きちんと無事に帰れるはずだから。私もそばにいるし。しばらくの間、ここで過ごしてもらえるかしら?」

「よ、よろしくお願いします!」


願ってもない申し出に、立ち上がって頭を下げた。


こうして、俺の異世界での暮らしが始まるのであった。

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