第2話 精霊の森
ふっと目が覚めた。まだ寝ぼけているのか、周りがよく見えなかった。
いつの間に寝ていたのだろうか。
それに、何故だか体がすごく重いし、地面に触れている背中やお尻が、ズキズキと痛む。
ーー何をしていたんだっけ…?
目を閉じて記憶を呼び起こすと、さっきの意味不明な事件を思い出した。
ーーそうだ!!変な穴に吸い込まれたんだ!
思わず目をカッと見開いて起きあがろうとすると、顔面にもふっとしたものが当たった。
突然の感覚に驚いて、また勢いよく体を戻すと、今度は後頭部に、柔らかくふにっとした何かにぶつかった。
とりあえず目の前にあるものを確かめようと目をこらすと、その塊は動き出し、さらに顔に近づいてきた。
「な、なんだ!?」
思わず身構えたが、特に何もしてこない。
よく見ると何かの生き物のようで、腹の上に鎮座しているようだった。
体が重いのは、こいつが原因だった。
一先ず害はなさそうであるが、ボケーとした顔をするその生物に、どこか見覚えがあった。
ーーなんだっけ?動物園によくいる…。ラマじゃなくって、えっと…。か…、カピバラだ!
多少違いはあるが、見た目はカピバラそっくりだった。しかし、なぜそれが自分の上に乗っているのかは、全く分からなかった。
さらに考えるべき謎が増え、ますます混乱する。
それをかき消すように、頭上から優しげな声がした。
「気がついたかしら?」
はっと上に目を向けると、長い髪をした女性の顔が見えた。
十人が十人美しいと言うだろう、優しげで綺麗なその顔に、思わず見惚れていると、さらに心配そうな声がかかる。
「大丈夫?こちらの言葉はわかるかしら?」
「は、はい!大丈夫です!」
「なら良かったわ。」
安心したように、女性はふわりと優しく微笑んだ。
これは一体どういう状況なのだろうか。
改めて辺りを見渡すと、空は暗く、まだ夜のようだった。
周りには木々が生い茂っており、どこかの森の中のようであった。
足元も、コンクリートの道ではなく、少し湿った土と草が広がっている。少なくとも、駅から自宅までの帰り道に、こんな場所はなかったはずである。
突然の状況についていけないが、とりあえず、腹の上に我が物顔で座っている巨体のせいで、そろそろ体が悲鳴を上げていた。
「おい、俺の上からどいてくれないか。さすがに重いし、苦しい…。そろそろ限界だ…。」
「あらあら。カイ、こちらにおいで。」
渋々といった様子で、カピバラもどきは女性の隣にぴょんっと移動した。
途端に圧迫感が消え、大きく息を吸い込んだ。まだズキズキとする体を起こして立ち上がり、辺りを見渡すも、やはり見覚えのない場所である。
ーー一体ここはどこなんだ?
改めて女性の方を見る。
地べたに正座で座り込み、足元には先ほどの生物と、おしゃれキャンパーが使うような、電気ではなく火が付くタイプのランプが置かれ、彼女の姿を照らし出していた。
黒っぽい髪と、青か紺のような、少なくとも日本人にはいないような色の目をした美しい女性は、もふもふと隣にいる毛玉を撫で回している。
女性は、こちらが落ち着くのを待っていたのか、もふもふから手を離して、声をかけてきた。
「気分はどう?」
「あ、はい。大丈夫です。あの、ここは一体…?」
「ここは、精霊の森。バーレント帝国の東端に位置するわ。」
「精霊…?バーレント?」
「この場所に見覚えは?」
「い、いいえ。」
「そう…。ラーシュ王国は知ってるかしら?」
「いいえ…。」
「やっぱりね…。」
そういうと、女性は立ち上がり、パンパンとスカートについた汚れを叩いた。
「あの、どういうことなんですか?ここは一体、どこなんですか?」
「さっきも言ったように、ここは精霊の森。人の理では計りきれない、様々な意思が絡み合う、魅惑の土地。…分かりやすいようにいうと、ここは、あなたがいた世界とは全く違う世界よ。」
サーと風が吹き、女性の長い髪を撫でる。
ーー違う世界?どういうことだ?それって最近よく聞く、異世界ってやつなのか?ということは、俺は異世界トリップをしてしまったってことか…?
予想だにしない言葉に固まった。
そんな、まるで漫画やアニメみたいな展開に、自分が巻き込まれるなんて思いもしない。
皆、一度は異世界に行ってみたいだなんて妄想するけれど、実際に行けるだなんて、誰も思ってはいないのだ。
そんなことを信じているのは、現実逃避して未だに夢みがちな奴らだけである。
そうだ、これは夢、夢なんだ。こんな夢を見るなんて、よっぽど疲れているらしい。やっぱり、人間、働きすぎると碌なことがないのだ。
「夢ではないわ。残念だけれど…。」
まるで、こちらを見透かしたように、真剣な眼差しで女性は言う。
夢ではない?じゃあなんだと言うのか?こんな現実があるはずがない。
「いや、これは夢だ。夢に違いない。それか、俺の頭がおかしくなったのか。いや…」
ブツブツと呟く俺に向かって、ドシンと凄まじい勢いで何かが足元にぶつかった。
思わず尻餅をついた俺の前には、先ほどのカピバラが座っていた。さっきの衝撃は、こいつのせいのようだ。
「さっきからなんなんだ!?痛いじゃないか!痛い…」
そう、痛いのだ。地面についた手に感じる土の感触も、さっきの衝撃の痛みも、夢にしてはあまりにもリアルすぎる。
それに、夢では痛みなんて感じるはずがない。
ーー夢じゃないのか…?本当に異世界に来てしまったのか…?
放心して固まる俺に、カピバラもどきは、ふんっと息を吐く。まるで、ようやく分かったのかとでも言いたげだった。
思考をまとめようとするも、想像の範疇を超えていて、何も考えがまとまらない。
改めて、女性に質問するため、立ちあがろうとしたところで、間の抜けた音が響き鳴った。
「グーーーー」
俺の腹の虫が鳴いた音だった。こんな状況でも腹は減るらしい。あまりも恥ずかしい状況に、思わず赤面して下を向いた。
そんな俺に、女性は近づいてきて柔らかな笑顔でこう言った。
「とりあえず、私の家においでなさい。」
全く状況はわからなかったが、この人に付いていけば、全てが解決する。
なぜかそう思わせるような、心に染みわたる笑みだった。
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