第一傷 初めて、初めての裏垢男子と鐘 第6話

「これからわたしの恋人としてよろしくね、沙々くん」


 沙々は無言で握った手を引いた。


「絶対、だからね」


 念押しされて保健室を出た。出て、右側にある壁に背中を預ける。


――クラスの女子と付き合っちゃった…………付き合うってこんな感じで始まるんだ……案外あっさりだな。まあ、脅される形で付き合ったし、これでいいのかな……。


 胸がドキドキして、うるさかった。

 これは零にドキドキしているのではなく、イケないことをしている、という罪悪感をまくたてられて興奮状態に陥っていた。

 おまけに傷を治してくれるという有益な彼女を手にしたのだ。興奮しない方がおかしい。


「あ、綾小路くんだよね? どうかしたのか、授業始まってるぞ」


 独り突っ立っているところを保健室の先生に声を掛けられ、心が飛び上がる。


 メガネをかけた細身の見た目で取り立て特徴のない、若めの男性の先生だ。

 保健室の先生が男性ということが珍しいので、始業式で一目見てから憶えている。


戒田カイダ先生。い、いえ、体調が悪くなったと思ったんですけど、よくなったので戻ります」


「名前、憶えてくれてたんだ。まだ始まって一か月くらいなのに、嬉しいな」


 戒田先生はにっこりと笑顔になった。

 どちらかというと、ヘラヘラして薄っぺらく弱弱しい笑顔で良い印象は抱かなかった。


戒田真カイダ マコト先生ですよね。僕、身体が弱くて倒れちゃうのでお世話になると思います。これからよろしくお願いします」


 沙々は軽く会釈した。

 もう授業に遅れるくらいなら、お世話になる人に挨拶した方が得だ。


「下の名前も憶えてくれたのか」


 戒田先生がメガネをずらして、沙々の顔を凝視した。


――ネームプレートに書いてあるから、それを見ただけなんだけどな。天然なのかな。


「綾小路くんは親御さんから身体のことは聞いているよ、何かあったら、何でも頼ってね」


 そう言って、戒田は沙々の先、治したばかりの方の腕を軽く叩いた。


「はい、お願いします。じゃ、これで」


「ああ、あんま急ぐなよ」


「はい」


――急げって言わないんだ。


 叩かれた腕を手で握って、沙々はその場を離れた。

 最後まで戒田先生が見送ってくれたので、気まずくなり、急ぎ足で教室へ向かった。



 戒田先生が保健室のカーテンを開けた。


「太刀川ーどうだった?」


 そこに零がいるのを事前に知っているかのような口ぶりだった。零はベットに寝そべっていたが、上体を起こし、顔を合わせる。


「……はい、ちゃんと綾小路くんと恋人になれ、ました」


 先とは打って変わって、零はしおらしく返事をした。

 視線は常に下を向いており、陰キャ感がぬぐえないぬぐえない。

 クラスでよく見る太刀川零の姿だった。


「そうか、よくやったな」


 戒田先生は零の頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。零は頬を染めながら、髪を整える。


「ど、どうも。先生の役に立てて嬉しい、です」


 訥々とつとつと喋る零の言葉は大変聞き取りずらく、クラスで独りぼっちになるのも否定できない。


 戒田先生はどかっと脚を大きく広げ、完全に背もたれに背中をあずける。

 唐突な大きな態度に急変し椅子に座ると、コーヒーをすすった。それからポケットに入れていたスマホを取り出す。

 沙々の裏垢を開き、投稿をスクロールしてアカウントを消してないか確認する。


「あー、あのイケメンがこんな裏垢を持ってたなんてなー、先生、目の付け所がいいっ。おまえと綾小路、両方、俺の支配下の中だ‼」


 戒田先生は両手を広げる。


「せんせ、わたし、もういいい、ですか?」


 カーテンから出て、上履きを履こうとする零を見て、戒田先生は冷たいビー玉のような目で言い放った。


「駄目だ。一緒に仲良くしてから、授業に戻れ。おまえがいなくても、先生方になにも影響はでないからな」

 

 そうコーヒー臭い吐息を出して、ゾンビのようにいやらしく零をベットに押し倒した。


「はい……」


 それを当たり前のように零は受け入れ、戒田先生に抱き着いた。


「わたしのこと、わかってくれるのは、先生だけ、です」


「ああ、そうだ」


 零は自ら、制服のワイシャツボタンを一つずつ外した。戒田先生はカーテンを勢いよく閉めた。そして、ゆっくりと事は始まった。

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