第13話 溢れる涙

「少し、外歩かない?」

蓮は夜に黎明の部屋を訪ねてきた。


「うん、いいよ」

黎明は披露宴の後2人で話すのが初めてだったので、少し緊張していた。


「少し冷えてきたから何か羽織ってね」

蓮はそう言うと、2人は結婚式が行われた教会に向かった。


教会へ続く小道は昼間と違い、キャンドルを模したライトでライトアップされていて幻想的な雰囲気を醸し出していた。秋になっても暑さが続く東京と違い、やはり肌寒くなっていたが、秋の夜の特別な香りを黎明は胸いっぱいに吸い込んで浸っていた。


2人は当たり障りのない会話をしながら並んで歩いていたが、披露宴でのことにはどちらも触れなかった。


小道の半ば、蓮は黎明の手をとった。お互いの緊張が伝わってきた。


そのままゆっくり教会の前に来ると、蓮は黎明に向かい合った。


黎明はいつもと違った張り詰めた雰囲気に戸惑いを感じていたが、蓮は真っ直ぐ黎明を見つめ、その目は真剣だった。


そして突然跪いた。

黎明は突然のことに驚いて目を見開いた。


すると、蓮は握っていた黎明の右手にキスをした。教会を照らす温かな光が蓮の瞳を輝かせ、蓮の一つ一つ滑らか動きがスローモーションのように見え、黎明はその美しさに心を捕らえられていた。


「俺と結婚してくれないか」


蓮は唇を離すとそう言った。


黎明は、信じられないような思いで、すぐに言葉が出てこなった。


蓮は何も言わずに答えを待っていた。


少しの沈黙が続いた後、黎明の目に一筋の涙が流れた。


蓮は驚いて少し口を開きかけた。

しかし、その時


「ええ……もちろん、もちろんよ。蓮の………蓮のお嫁さんにしてください」


そう言いながら黎明の目から涙が次から次へと溢れてきた。


「良かった、一生幸せにするから」

そう言って、蓮は立ち上がるともう一度両手で黎明の手を包み込むようにしながらキスをした。そして、唇を離すとそこにはキラリと輝くものがあった。


「!」黎明は驚いて蓮を見上げた。


「これ…いつ………」黎明が言い終わらないうちに唇が塞がれた。


「んっ」

蓮は黎明にキスをしながらその頬の涙を拭った。


やっと唇が離れると蓮は珍しく照れたように笑っていた。


「実は、前にちょっと賭けをしてて」

そういうと気まずそうに頭をかいた。


「三木とアスミと飲んだ時に、お前らはいつ結婚するんだって聞かれて。ブーケトスで黎明が取ったらなって冗談半分に言ったんだけど、でも、後になって本気で考えたんだ。そんな軽口叩きながらもう結婚するって自分で決めてたのに気付いたよ。

お前以外に考えられない。そしたら、もう待つ理由も遅らせる理由も何もない。俺は別に学生でもないし、黎明は学生だから早いかと思ったけど、同じ警察官になるなら就職してからよりする前に結婚した方がいろいろといい。だから、これ、すぐに用意した。アスミに指輪のサイズ聞かれなかったか?」


「あ、そういえば…」

黎明は思い当たることがあった。


「いつ渡そうかと思ってたけど。やっぱり今日しかないと思って。」そう言うと蓮はまたはにかんだ。



「ありがとう。本当に嬉しい。今まででこんなに幸せだって思ったことない。私も蓮以外に考えられない。ずっと大好きだったの…子どもの時からずっと。でも、蓮は私よりずっとお兄さんだったから…早く大人になりたかった。

大きくて、強くて、かっこよくて大好きな蓮のお嫁さんにずっとなりたかったんだよ」


涙をポロポロと流しながら溢れる感情のままに必死で言葉を紡ぐ、黎明のその突然の告白に蓮はもう平静ではいられず、黎明を強く抱きしめた。そしてもう一度キスをした。また黎明の目から涙が流れた。蓮はそれを優しく拭うと、


「本当に綺麗になったな。」そう言って黎明を見つめた。


「綺麗な髪」そして、黎明の髪を掬い取るとそこにキスをした。


「綺麗な目」そして目の上にキスをした。


「綺麗な鼻」鼻の上にもキスをした。


「綺麗な耳」後れ毛を耳にかけると優しく唇で耳たぶを挟んだ。


「くすぐったいよ」黎明は恥ずかしがりながら小さな声で言った。


「綺麗な声」蓮はそのまま耳元で囁くとまた唇にゆっくり優しくキスをした。


「もう誰にも見せたくないくらいに。本当に綺麗だ。」

そして、涙が流れた跡に唇を這わせた。


「本当に愛してる」

そう言った蓮の目は今までにないくらいに熱い熱を帯びていた。


こんなに情熱的な人だとは、思わなかった。


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黎明を部屋に送り届けると、蓮は言った。

「明日帰りに俺の家に寄っていい?」


「うん、いいよ」


「親父に話をしておかないといけないと思って」


黎明はその日あったことがまだ夢のように感じていたのだが、そのとき結婚があらためて現実味を帯びたものに感じて今夜は寝れそうにないと思った。


その日の晩黎明は薬指にはまった指輪をいつまでも眺めていた。


次の日の朝、2人は誰よりも先に黎明のたった一人の血の繋がった家族である暁のところに報告に行った。


暁は突然のことに心底驚いていたが、蓮の誠実さはとてもよくわかっていた上、黎明の本当に幸せそうな顔を見て自分のことのように喜んだ。そして、真剣な顔で

「どうか妹をよろしくお願いします」

と、蓮に丁寧に頭を下げた。


黎明は「妹なの?」と突っ込んでいたが。


その日3人は、他の参加者が観光に行く中、人気のない森に向かった。

久しぶりの”キャットラン”のためだ。あらかじめ可能な場所をピックアップしておいたのだった。

観光地ではなくとも、静かな秋の森はとても美しかった。

暁は狩りをしようとしたところ黎明に狩猟免許がないとダメだと指摘されていた。


蓮も走り回ってきた二人とスパーリングに加わった。蓮は総合格闘技などを子どもの頃からやってきたが、体格には恵まれていた上、黎明という驚異的な身体能力を持つ相手と訓練してきたおかげで普通の人間ではとても相手にならないレベルの強さを持っていた。さらに、速さと力だけでは2人には敵わないので、頭脳を使った闘い方を常にアップデートしていたので傭兵を相手に訓練していた暁も驚愕するほどだった。


たっぷり運動して汗を流した後は温泉に向かった。


暁が脱衣所で服を脱ぐと、その貴公子のようで繊細な出立ちに反して、引き締まってまるで肉食動物のような美しい筋肉が露わになった。しかし、大きな傷が背中にあるのが見えた。だいぶ古い傷だろう。蓮はまじまじと見るつもりはなかったものの、傷はほとんど治るものだと思っていたので少し驚いて意識してしまった。

暁は蓮の目線に気づくと、


「これ、気になりますよね。子どもの頃に山で死にかけたんですよ。ほとんどの傷は治りますけど、あんまり深いと残っちゃうみたいです。あと”人の”皮膚は案外弱いんです」


と、周りを少し意識しながら”人の”の部分を強調して言った。


蓮は暁が非人道的な訓練を受けてきたことを聞いていたので少し眉を顰めた。


「痛かっただろう」

蓮がそう言うと


「ええ、まあそうですね」

と暁は答えて困ったように笑った。もう少し別の答え方があったかもしれないが、暁は自分の痛みに対してそんなに心から思いやる言葉をかけられたことがなかったので、実のところ戸惑ってしまったのだった。


2人が風呂場へ入ると控えめながら驚愕の視線があちこちから集まった。


露天風呂では、元ヤン風の男がどうやったらそんなふうになるんだとやたらと絡んできた。話しかけやすい空気の2人ではないはずなのだが愛嬌のあるタイプでどうも無下にできず、蓮が「警察官だからトレーニングはかかせないんだ」と、言うと、


「あれーお巡りさんでしたか!昔はお世話になりました!!」と、おちゃらけて笑うとそそくさと去っていった。別に悪いことをしているわけではなくとも警察官からは逃げたくなる性質が身についてしまっているのだろう。


ハハっと暁が笑った。笑った顔は黎明にそっくりだと蓮は思った。


「でも、確かに普通にトレーニングしてもそんな体型にはならないですよね」と暁は言った。


「まあ、これは遺伝と、あとは黎明のお陰かな。いくらやっても人間では絶対に追いつけないレベルを子どもの頃から相手にしてたらな」


「ハハッそうですよね。まともに付き合い続けたのがすごいですよ」


「俺の親父がな、黎明に俺が出来ないことは普通の人間では出来ないことだから隠すようにって教えたんだ。だから、全部に必死だったよ」


暁は衝撃を受けて言った。

「それはすごい重荷のようにも感じますね」


蓮は答えた。

「確かにプレッシャーはあったけど、俺も楽しかったし、常に限界に挑戦し続けたから今の自分があると思ってる。そして、何より、生き生きと飛んだり跳ねたりしてる黎明を見ててずっと笑ってて欲しいと思ったんだ。自分が頑張れば頑張るほど彼女が自分らしくいられるならって」


暁は蓮が黎明を大切にしていることを理解してはいたが、ここまでとは思わなかった。そしてそう語る蓮の顔は黎明への愛情で溢れていた。暁は蓮の思いの深さに畏れさえ覚えた。


「黎明は本当に幸せ者ですね」

暁は心からそう思って言った。


風呂を出て黎明と合流すると、彼女はとてもご機嫌な様子だった。よっぽど気持ちがよかったのだろう。その様子を蓮と暁は蕩けそうに優しい愛情のこもった目で見ていた。


先ほど蓮に話しかけた男はソファでコーヒー牛乳を片手に黎明を見ると「あー、まあそうだよね。美女に決まってるよねー」

と呟いた。隣に座っていた妻に足を踏まれた。


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3人は蓮の運転する車で帰路についたが、暁を先に下ろしてから蓮と黎明は誠一郎の元に向かった。


暁は

「お義兄さん頑張ってね」とウィンクして帰って行った。


誠一郎は蓮から話があると聞き、家で待っていた。まさかその話が結婚だとはつゆも思わなかった。


「け、結婚?」誠一郎は驚いて目を丸くした。


「ちょっと、早くないかい?」誠一郎は頭をかいて参った参ったというように言った。


「俺はもうとっくに社会人だし、黎明は学生だけど警察官になるだろ、職場結婚は色々と面倒だろうと思って、かえっていい時期だと思うんだ」

蓮はそう答えたが、ある意味本当である意味嘘だった。早く結婚したかったし、職場で変にちょっかいかけられる前に誰のものかはっきりさせてやろうという魂胆があった。


「まあ、俺も同じ職場な上面倒なのは否定できないがねえ、黎明はそれでいいのかい?」



「はい、私は蓮と結婚したいです。」

黎明は緊張しながらも真剣な目で答えた。


「そうかそうか、いやあ参ったな。もう2人ともそんなに大人になったのか…」誠一郎はしみじみと言ったが、


「俺は卒業してだいぶ経ってるけど」

と蓮が訝しげに言った。



「お前たち………うむ、聞きたいことはいっぱいあるがねえ…………娘はやらん!とか言ってみたかったなあ。」と、精一郎は少しお茶目な顔をした。


「いや、俺は親父の息子だろう」


そこで初めて3人が笑った。


「いやあ、そうなんだ。残念ながらなのか、幸運なのか蓮は俺の息子だ。そして、自慢の息子だ。こいつにならやってもいい。いや、どうか蓮をよろしく頼む。」

そう言うと黎明に頭を下げた。


「こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします。」黎明は誠一郎に丁寧に頭を下げた。


「いやあなんともどっちつかずになってしまったなあ。でも嬉しいことだよ。黎明のことはずっと娘のように思っていたよ。そして今度は本当に娘になる。」


黎明は微笑んだ。

「ありがとうございます。これからは"お父さん"と呼んでもいいですか?」


「ああ、もちろんだ」誠一郎は目頭が熱くなるのを感じた。"お義父さん"ではなく、"お父さん"と黎明が言ったのだと感じた。


「蓮、黎明をよろしく頼むぞ。母さんも喜んでるはずだ。」


「ああ、任せてくれ。」蓮はそう言うと黎明の肩を抱き、リビングの奥の写真立てに目をやった。幼い蓮の肩を抱いて母親が笑っていた。


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