第12話 彼女と彼
12.彼女と彼
日本に帰ると、黎明はあまりの情報量の多さに頭が痛くなってしまった。スイスでは、どこまでも感覚を研ぎ澄まして、遠くの川の音、風が吹き、木々が揺れて、葉っぱが落ちて、そんな一つ一つの音や香り生き物の気配拾い、広い自然の広がりを身体全体で味わっていた。しかし、東京に同じ気持ちで着いたら、音も匂いも何もかも泥のように入り混じって頭がズキズキした。しばらくは起きている間もヘッドフォンをして過ごした。
蓮はしばらく黎明が心配で車で送り迎えをしていた。電車や駅などで気分が悪くなってしまうことが多かったためである。
送り迎えをしているうちに、三木は蓮と黎明が付き合い始めたと気付き落ち込んだ。2人がスイスにいる間も落ち込んでいたところをアスミに慰められていたが、ある日の朝、車から降りる前に蓮が黎明にキスをするのを見てしまったのだ。
三木はその日の夜酔っ払いながら管を巻いていた。
「黎明はなぁ。俺の美学そのものなんだ。俺の俺だけのミューズなんだよおおおお」
アスミはもう何回も同じ話を聞いたので呆れながら聞きいていたが、言った。
「あなたが愛しているのは『美』であって黎明ちゃん自身ではないんじゃないの?」
「どういうことだよ」むすっとしながら三木は言った。
「黎明ちゃんは、あんたの美学を最高の形にするツール。あなたのキャンバスということよ。あなたは彼女を愛しているんじゃなくて彼女を通してあなた自身が表現する美そのものに陶酔しているのよ。」
「なんだよおお、よくわかんねえよおお」
「あなた、蓮にどれくらい嫉妬してるの?蓮から彼女を奪いたい、自分のものにしたい、キスしたい、結婚したい、彼女との子どもが欲しい。そう考える?」
「極端だなあ」三木はそう言った。
「でも女性として愛しているってそういうことだと思うわ」アスミは言う。
「なんだよ、お前こそ嫉妬しちゃってたりして〜?」と三木が飲んだくれながらふざけて言うと、
「嫉妬して何が悪いの?」と言ったアスミの魅力的な赤い唇が弧を描いた。
その日、アスミは家に帰らなかった。
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黎明の大学3年の秋、三木とアスミが婚約した。三木は修士2年、アスミは編集者として働いていた。三木は学生であったが、音楽、デザイン、写真家など、様々な分野で仕事を受注しながら名前も売れてきていた。秋に修士に進学していたので、秋に卒業できたのだが、またもや卒業を引き伸ばして春に卒業することにした。
黎明はというと、進路に迷っていた。すでに周りは就活を終えている者も多かったが、黎明は進路を決めていなかった。東京の騒音に再び身体が慣れてきてからはSPの仕事は続けていたし、そのまま正社員として働くことも提案されていたが、孤児院時代のことが気になった。非行を行う子どもたち、それを利用する大人、児童虐待。黎明は弱い立場の人たちを守る仕事がしたいと思い、自分も誠一郎や蓮と同じ警察官になろうと思った。しかし、現場の市民に寄り添って仕事をしたい気持ちがあったので、ノンキャリを目指した。一応分野は似ているからとキャリアも薦められて試験を受けたら受かったので、警察庁や公安、語学の活かせる外務省を見てみたが現場とは遠いと感じてピンと来なかった。そのあとは鬼のように省庁から電話がかかってきて困った。荻野目からもぜひキャリアにと連絡がきたが丁重にお断りした。しかしもし気が変わったらいつでもと念を押された。
黎明が大学4年の9月、暁が大学に復帰した。しばらくヨーロッパにいた暁は以前にも増して本当の貴公子のように見えた。暁はピアニストになることは考えいないと言っていたが、オーストリアやドイツで作曲技法や現代音楽について学んで、向こうで音楽家としての活動も始めていた。大学に復帰してからは、三木に誘われて共同制作を始めたが、在学中に三木と共同経営で会社を設立した。
暁と黎明は帰国してすぐは一緒に住んでいたが、マダムの邸宅の売却が決まったので、グランドピアノを暁に譲るということになった。それに伴いピアノが置ける家を探して引っ越すことになった。
そして10月に、三木とアスミの結婚式が長野の教会で行われた。アスミはいつも美しかったが、真っ白なウェディングドレスに身を包んだ姿は、今までで一番美しかった。「大切な人のために綺麗に」と話していたアスミを思い出した。結婚式の牧師は外国人モデルではなく、その教会の日本人の牧師だった。「互いに愛し合いなさい」というキリスト教の有名なメッセージであったが、その意味を知るのは初めてだった。キリストが十字架の上で人間たちの罪を代わりに背負って死んだ、それが一番大きな愛なのであると。イエスという人物は、自分を裏切ったり迫害したりしたものでさえ慈しんで、そのために十字架にかかったのだという。互いに愛し合うでいうところの「愛」は、その人のために命を捨てるほどであるということであった。使徒たちはその愛をキリストから受け取ってさらに人々を愛して「互いに愛し合う」を実践していったそうだ。結婚式のメッセージとしては重いように感じるが、黎明には、誠一郎の顔が浮かんだ。それは暁も同じであった。暁は危険な場所から自分を助けてくれた誠一郎を殺しかけた、それなのに誠一郎は自分を愛してくれている。そして、蓮や黎明も。誠一郎の愛を受け取った2人が自分をさらに愛してくれているのだと心が熱くなった。
結婚式はすごく感動的なものになった。
披露宴は、結婚式とはまた違った雰囲気になったが奇抜でとても楽しいものだった。全てが三木のプロデュースで趣向を凝らしてあり、その全て、細部に至るまでアスミの美を引き立てるものだった。普通は花嫁の希望に合わせドレスを選んだり演出を選んだりすることが多いようだが、いつまでもあーだこうだと言っていたのは三木だったらしい。披露宴で着たドレスは結局三木がデザインしたそうで、アスミは天使のような美しさになっていた。いつものアスミのイメージとは全く違っていたが、アスミの内面をよく理解して、繊細で美しく三木がアスミを再解釈して作ったようなものだった。こんなアスミのイメージは三木意外に浮かぶ人はいないだろうと黎明は思った。お互いに本当に良く理解し合っている2人だった。
三木の近しい友人であった黎明たちは、生演奏を三木に頼まれたが、三木は、自分がでないのだから蓮が出ればいいと言った。理由はわからないが、蓮と三木は同時に出演してはいけないというルールがいつの間にかできていたらしく、三木のバンドに数回だけ参加したことがあったらしい。黎明は、蓮がボーカルをやればいいとはしゃいだが、
「ボーカルはやらない」と蓮は頑なに拒否した。暁、黎明、保井の3人は、じゃあ他に何をやるのかと困ってていたところ、蓮が
「チェロを弾く」と言ったので皆仰天してしまった。聞くと中学の時に吹奏楽部でチェロを引いていたらしい。
「え、蓮さん吹奏楽部だったんですか!?」と保井は仰天していたが、蓮は格闘技の部活がなかったから吹奏楽部に入ったらしい。三木がチェロをときどき鳴らしていたのは元々蓮のものだったそうだ。
そこで暁が編曲とピアノ、そして保井がドラム、蓮がチェロ、黎明がシンセとボーカルで演奏することになった。ほとんどインストに近く、あまり歌詞がなかったので、黎明は自分の音声をライブで加工したり、暁の指示通りにシンセサイザーをいじったりしていた。いつか黎明は三木に、歌詞がほとんどないからサンプリングで十分だと怒った気もしたが結局サンプリングでも十分なくらいの曲なのに歌ってしまった。
本番は新郎新婦の写真や動画と共に演奏されて好評だった。保井は実はドラムがうまいかったことに皆改めて気付いた。三木がどんなジャンルを演奏してもついてきたし、今回はだいぶ不規則なリズムで捉えにくいものだったのに、保井は完璧に演奏してみせた。
留学でメキメキと力をつけてきた暁には三木もご満悦だった。
披露宴の最後に恒例のブーケトスが行われた。
「絶対取ってね」アスミは黎明に約束させていた。この日のために何度もまっすぐ投げる練習をしたのだ。アスミはしっかりまっすぐ投げると、黎明の右手が綺麗にキャッチした。
歓声が上がった。すると三木が
「レ〜〜〜〜〜〜ン!!!」と叫んだ。
余計なこと言いやがって、と蓮は思ったが、黎明のそばに歩いて行った。
皆がハッと息を呑んだ。
黎明は、自分の身体が傾き一瞬何が起こったのかわからなかった。
蓮が黎明の背中を支えて斜めに倒しながらキスをしたのだった。
絵になりそうなその光景に女性陣たちのため息が聞こえた。一瞬静まった直後
「きゃーーーーーーーーー!!!!」という女性陣の歓声と、共に祝福の声で会場がいっぱいになった。
蓮は少し唇を離すとそのまま黎明に「愛してる」と誰にも聞こえないように囁いた。
黎明の頬はまるで朝焼けのようにうっすら染まった。
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