第11話 スイスへ

大学2年の夏休み、暁はスイスにいるマダムに会いに行った。あの襲撃事件の後マダムとは会うことがなかったし、誠一郎はマダムを危険視していた。しかし暁は一度気持ちの整理をつけて向き合いたいと考えていた。


黎明は寂しそうにしていたし、心配そうだったけど「大丈夫だよ、黎明」と暁が言うと微笑んで暁を送り出した。



蓮は黎明を夏休みを取ってキャンプにでも誘おうかと思っていたが、暁がスイスに着くとしばらくして、連絡があり、黎明もスイスに来て篠宮に黎明の健康状態を診断してもらわないかと提案があった。黎明の特殊な身体で普通の病院に連れて行くリスクが高く、病気に罹ったりすることもなかったので、荻野目襲撃の時の外傷以外で病院にかたかったことはなかった。黎明本人は気にしていなかったが、蓮は黎明が寝ている時に無意識に豹になることが多くなっていること気になった。誠一郎も一度診てもらった方がいいかもしれないと同意したので黎明はスイスに行くことになった。しかし、誠一郎が初めての海外に1人で行くのは心配だと言うので、蓮が夏休みを取得して黎明とスイスに行くことになった。


蓮が職場で休みを取ることを伝えると、

「真木さん旅行でも行かれるんですか?」

と後輩の男性職員が聞いてきた。真木が海外に行くというと、


「良いなぁ〜!お一人ですか?」

と聞いてきた。その瞬間オフィスのパソコンのキーボードを叩く音も書類を捲る音も静まった。女性職員はもちろん、男性職員まで耳をそば立てた。


蓮は、

「いや…」と、言ってから考えた。黎明は蓮にとってなんなのだろうか。友だち、というとしっくりこない。家族?妹?……それとも?黎明との関係性がなんと呼ぶものなのかなんて考えたことがなかった。黎明は誰よりも大切で、尊く、かけがえがなく、蓮にとって黎明はただ唯一だった。


「いや…」の後に当然続くはずだった言葉を皆が期待していたが返答はそこで終わってしまった。

誰も

「いや。」であると受け取った者はいなかった。

鋭い女性たちは全員、「女だ…」と思った。

蓮を狙っている女性職員は多かった。私大卒だというのにキャリアとして入庁し、初めの頃は私大卒ということで権威主義的な警察組織では舐められることもあったし、寡黙で隙のない蓮はベテラン刑事たちには、生意気だと言われていた。しかし、体育大を出ているノンキャリも敵わない、圧倒的な身体能力と、ベテラン刑事をも黙らせるその頭脳とマネジメント能力で一目置かれるようになった。さらに旧帝大卒の生粋のエリートたちを出し抜いて主席で入庁したとの噂も囁かれていた。その俳優さながらの見た目の上、男性中心社会の組織の中でも女性にも平等に接したことから女性からの人気も高かった。女性からのアプローチも絶えなかったが、あからさまな好意を丸出しにして近づかれても、蓮は女性から向けられる感情に全く関心がなかったことから取り付く島もなく、そのうち自分からアプローチしようという勇気のある者はいなくなり、むしろ仕事で認められようと熱心になる者達が多くなり、それがさらに蓮のリーダーとしての力量として評価されることになったのであった。年下のモデルと付き合っているとか、いや歌手だとか、そのまた実はゲイでロン毛の彼氏がいるとか色んなことを言う者がいたが誰も本当のところは知らなかった。近付きにくい雰囲気の蓮に誰も馴れ馴れしくする者はいなかったが、先程旅行に1人で行くのかと聞いた蓮の後輩の溝口は別だった。人懐っこい子犬のような彼は、蓮を慕っていた。蓮は近付きにくい雰囲気ではあるが、わざと人を遠ざけているわけでもなかったし、すごく冷たいというわけでもなかった。話しかければ口数は多く無いものの普通に答えたし、食事に誘えば忙しくない時には、一緒に行ってくれた。


「真木さんってお付き合いしてる人とかいるんですか?」溝口は昼休みに食事をしながら真木に聞いた。


「特にいない」と答える真木だった。


「彼女さんと旅行に行くのかなあ〜とってきり思ってたんですが違うんですね」

溝口はスプーン一口としては多すぎる量のカレーを掬いながら言った。


女性と2人で旅行するなら普通は彼女か。と、蓮は思った。旅先で暁と合流するとはいえ、長めの休みを取って、海外が初めての黎明と観光をしながら空港からだいぶ離れた篠宮夫妻の滞在場所まで移動することになっていた。


「彼女か」


黎明が彼女。蓮は彼女という言葉に薄っぺらさを感じて嫌だった。暁と黎明が双子だと知る前は暁が黎明に近付くことに気が気じゃなかった。三木に関しては、胸がざわつくことはあったが、三木が黎明を見る目はむしろ職人的なところがあり、完全に安心していたわけではないが、黎明は自分だけの特別な存在だと蓮は思っていた。蓮はその時初めて黎明の「彼氏」ができたらと現実的に考えた。黎明に男が近づかないようにしてきたのは自分だ。それは単なる親心のようなものだろうか。その時思い出したのはアスミに黎明がメイクを教えた日、三木と4人での食事の時に黎明が俺に微笑んだ顔だった。あんな顔を他のやつに見せてたまるかと思った。そして、豹の黎明が自分の膝の上で寝ている時、人の姿の黎明が自分の膝で眠っているところを想像してしまったことも思い出した。


黎明が彼女、いや、黎明の「彼氏」は自分以外に許せない。そう蓮は思った。


「おや?」と溝口は思った。「彼女か」が何を意味しているのかわからない。何か言おうと思ったけれど、どんな感情を含んだ言葉なのか読み取れなくて次の言葉が出てこなかった。蓮が人を寄せ付けないことの一つの理由は感情が読み取れないことだった。ただ蓮の顔は、いつもより色気があるように感じ、男の溝口もうっかり見惚れてしまった。



--------------------------------

誠一郎は黎明を心配していたもののスイスの旅はとてもスムーズだった。黎明もドイツ語が流暢に扱えたし、蓮もそれは同じだった。


スイスの首都ベルンに着いたのは夜だったので、荷物も大きかったのでとりあえずホテルにチェックインすることにした。


そこで問題が起こった。2部屋取っていたのが手違いで一部屋になっていたのだ。フロントスタッフは、謝罪したが、

「キングサイズのベッドですし、部屋のグレードも上がっていますのでご安心を。もちろん手違いですからお値段はそのままで」というとウインクした。カップルだと思われたのだ。それに、他の部屋に空きがなく、2人を何としてもその部屋に入れる必要があったのだ。蓮がそれでは困るというと、フロントスタッフの目が泳ぎ始めて、いろんなサービスを付けると提案してきた。蓮も他に空きがないのだと察した。

黎明は「良いよ。大丈夫。寝る時は問題ないから。」と、蓮に言った。豹になってしまえばい関係ないということだ。


蓮は黎明の言っている意味を察すると了承した。ホテルの部屋は思いの他広くかなりグレードが上がったのだと察した。テーブルの上には、これで勘弁してくれと言わんが如く押し付けがましくフルーツとスイスチョコレートとシャンパンが用意されていた。


夕食はホテルの隣のイタリアンレストランで食事をした。日本の高級店でもなかなか出会えないほど美味しかった。黎明はトリッパの煮込みを目を輝かせながら頬張っていた。


ホテルに戻ると、デザートに蓮がテーブルに用意されていたフルーツをカットして、2人で乾杯した。黎明はかなりご機嫌で、

フルーツを頬張ると「甘いね!」と言ってニコニコしていた。クールビューティといった雰囲気の黎明だったが笑うととても愛らしく、蓮の頬も緩んでいた。


スイスは日の入りが遅く、暗くなったばかりだったので時間の感覚がおかしくなりそうだったが、もう時刻は10時過ぎになっていたので、明日に備えてシャワーを浴びて休むことにした。


アンパッキングに時間がかかりそうだからと黎明は蓮に先にシャワーを浴びてもらった。


黎明はいつもと同じように見えていたが、内心はとてもドキドキしていた。蓮と2人での旅行にはしゃいでいたし、ホテルの部屋が一緒になった時は心臓がバクバクしていた。一緒の部屋でいいなんて我ながら大胆なことを言ってしまったと思った。蓮は家に来たこともあるし、2人きりになったのだって初めてではないけれど、ホテルに2人となると全く違った気分だった。


荷物を取り出している時に黎明は部屋着を忘れてきたことに気付いた。ホテルにはバスローブしか用意されていなかった。明日買えばいいし、まあ、豹になってしまえば着なくても変わらないと黎明は思った。


シャワー室の扉が開くと濡れたままの蓮がバスローブを羽織って出てきた。黎明はドキりとした。蓮の温まった身体から発せられる熱と、外国のソープの香りが黎明の五感を刺激した。まるで獲物を前にした肉食獣かのように全ての感覚が研ぎ澄まされて、蓮の髪から滴る水が一粒一粒床に落ちるのまで全て感じた。次に何粒床に落ちるのかもわかった。


「お次どうぞ、シャワー、硬水だったよ」

と蓮が言った。


黎明ははっとして蓮からすぐに目を逸らした。シャワーを浴びている間も黎明は蓮の姿が頭から離れず恥ずかしくて髪を必要以上にわしゃわしゃと洗った。


蓮はベッドで、先ほどフロントでもらった観光案内を見ていた。明日の予定を軽く黎明と話してから寝ようと思ったが、シャワーの扉が空いて出てきたのが豹だったので諦めた。


豹は出てくると、小さめのソファに丸くなりそのまま寝ようとした。


蓮は「こっちにおいで」と、ベッドの脇を手でポンポン叩いた。豹は戸惑い蓮を見つめていた。

「俺だけベッドに寝るなんてできないよ。ベッド大きいから十分寝れるよ。」と、言うと豹は歩いてきてひょいと登ってきた。蓮はTシャツとスウェットに着替えていたが、想像以上に夜が冷えていたので、温かい豹の体温が心地よかった。


何度か豹を撫でて蓮は、「おやすみ」と言って電気を消した。日々の仕事の疲れ、そして飛行機の中で黎明が眠ってる間にうっかり豹にならないように見張るために少しも眠ることができずに疲れていたのですぐに眠りについた。


しかし、黎明は時差ボケで眠れなかった。それに、ドキドキして目が冴えてしまっていた。蓮から見たら自分は豹だが、黎明から見たら蓮という男性と同じベッドで寝ているのだ。寝たふりをしばらくしていたが、蓮の規則正しい寝息が聞こえてくると目を開けて蓮を盗み見た。整髪料のついていないサラサラとした髪。綺麗な顎のライン。そして安心する大好きな匂い。黎明はそっと蓮の頬に触れようとして自分の真っ黒な獣の前足に気づいて引っ込め、人間の手で気付かれないように触れた。少しだけならと、そのままもっと近くに寝て、蓮の左肩に自分の頬を寄せた。蓮の呼吸、静かに上下する胸。薄くて柔らかくて気持ちがいいTシャツの生地。直に伝わってくる暖かさ。その全てが黎明を安心させて、眠れない夜しばらくそうしていた。



蓮は、アラームが鳴る前に目覚めた。アラームをかけるといつも少し前に目覚めたが、その日はそれより前に、少し身体が重かったから目覚めたのだ。そこでとんでもないことに気付いた。人の黎明の腕が自分の胸に載っている。自分に抱きつくようにして黎明が寝ていた。そして、さらに驚いたことに服を着ていなかった。


(勘弁してくれよ。なんで服着てないんだよ)

蓮は思った。女性と関係を持ったことがないわけではなかった。少しグレかけた高校時代、そして三木と過ごしていた大学時代、後ぐされのない相手と関係を持ったことは何度かあった。しかし、黎明はその中の誰よりも美しかったし、、、それ以上蓮は考えるのをやめた。意識しないように必死に耐えた。まず、このままアラームが鳴るのはまずい。身体を動かさないようにして、枕元のスマホのアラームを切った。


そして、寝たふりをしたままほんの少しだけ身体を動かした。左腕を動かしたことに後悔した。ふわりと柔らかだった。すると身体の上の腕が急に重くなるのを感じた。黎明が豹になったのだった。


ホッとして、蓮はすこし待ってから眼を開けて眠そうに言った、

「おはよう、ちょっと、重たいよ」

豹はくるっと丸まるとシーツの下に隠れてしまった。でかい図体なのに仔猫のように可愛らしい。そのうちのそのそと、ベッドを出ていくとバスルームに向かった。

そして、出てきたのはバスローブを羽織った黎明だった。


(ああ、部屋着を持ってきていなかったから昨日横着してそのまま出てきたんだな)蓮はやっと訳がわかった。


黎明の髪はボサボサだった。


「昨日ちゃんと髪乾かさななかったな?硬水だって言っただろ?」


「ブラシ貸して、そこに座りな」そういうと蓮は黎明の髪を優しくブラシで解いた。黎明は無表情だった。でもその内心は只事じゃないという感じだった。


ああ、やってしまったと黎明は穴があったら入りたい気持ちだった。うっかり心地よくて人のまま眠ってしまったのだ。朝まで蓮は起きなかっただろうか。蓮を見るといつもと何も変わらないように見えた。


しかし、蓮は自分の行動を後悔していた。ボサボサの黎明を見てついこんなことをしてしまったが、バスローブから覗く黎明のうなじを見て先ほどの光景が蘇り平静を保つのに必死だった。


「観光だけどどこか行きたいところある?旧市街を見るのはどうかと思ってたんだけど。」


蓮は意識を別なところに持っていこうとした。


「そうだね、私もそうしたい。ハイキングとかしか考えたなかったけど、市街地と自然、どっちも観れたらいいね。」


黎明は穂積からスイスについて聞いて以来ずっとスイスに憧れていた。山の中をハイキングしたりすることばかり考えていたが、市街地にも美しい観光名所がたくさんあるみたいだ。


2人とも着替えるとホテルでの朝食に向かった。黎明は花柄のワンピースを着ていた。三木に買ってもらったものに似ていたが、少し気温が低くても着れるものを今回の旅行のためにθέαで新しく買ったのだ。


蓮が「とても、よく似合ってるね」と言った。蓮が口に出して誉めることなんて滅多になかったので黎明はにやけそうになるのをひた隠しにしていた。


朝食のフロアは人が賑わっていたが、蓮と黎明は一際目立っていた。

近くのテーブルに座っていたイタリア人のカップルの男性が、恋人に

「彼らは、韓国のスターだよ。お忍びで来てるのさ。このホテルはよくそう言うことがあるんだ。」と、恋人に適当なことを言っていた。実際は、安い宿ではなかったけれど、そこまで特別高級なホテルでもなかった。お忍びで芸能人が来るような場所ではなかったのだが。


旧市街の観光はどこを切り取っても絵になる風景で、博物館や大聖堂を見たりして、黎明も蓮もとても楽しんだ。


夜は2人とも音楽が好きだったので、生演奏のあるレストランに行った。ゆったりとしたジャズと美味しいワインに2人は酔いしれた。陽が落ちると一気に冷え込んだ。歩いてホテルに戻る2人の距離は自然と近くなった。蓮が黎明の腰に手を回した。黎明が蓮を見上げると、蓮が熱のこもった視線でこちらを見ていた。いつもと違う蓮に目を逸らさないでいると、蓮は黎明の頬に触れ、そして抱き寄せると頭にキスを落とした。黎明は蓮の大きな背中に腕を回した。


------------------------------

ホテルに戻ってシャワーを浴びると黎明は今日はパジャマをちゃんと着て、髪もしっかり乾かして先程購入したフランスで人気のブランドのいい匂いのするオイルを付けた。蓮がシャワーから出るまで念入りにブローした。


蓮は、シャワーを浴びて寝る準備をすると、ベッドに腰掛け、昨日と同じように

「おいで」と言った。


黎明はカラーコンタクトを外していたので、金色に輝く目に、オレンジ色のベッドサイドのランプの光が映り、燃えているようだった。


黎明は蓮の隣に腰掛けた。すると黎明の髪に指通すとすくって自分の顔に近づけた。

「とってもサラサラになってる。いい匂いがする。」と言うと髪に唇をつけた。


そしてまた黎明を見ると、黎明の髪を耳にかけてやりながら言った。


「やっぱりこのままがいいね、とっても綺麗だ。」そう言うと髪を耳にかけた手で頬を包むように触れて黎明の目の下を親指でスッと撫でた。


「もっと良く見せてよ。」

というと両手で黎明の頬を包んで顔を近づけてきた。


黎明の心臓はバクバクと高鳴り、緊張して頭がおかしくなりそうだった。蓮の息遣いが伝わるほど近づいたその時、黎明は眼をギュッと閉じて、豹に変身してしまった。


蓮は驚いて目を丸くしたがクスクスと笑うとベッドに倒れた。


「寝ようか」蓮が黒豹に言った。黒豹は蓮の隣に伏せると目を閉じた。昨日と逆に、蓮は黒豹に腕を回して抱き抱えるようにして、眠りについた。


朝蓮がいつものように早く目覚めると人の形の黎明が引っ付いていた。抱き寄せると、

「あぁ、もう…」と言いながら蓮の胸に顔を埋めた。蓮が寝てから人に戻って朝には豹に戻っているつもりだったのに、またうっかり人のまま寝てしまったのだ。


蓮はずっとそのままでいたかったがその日は、マッターホルンを見に行くため、移動時間が長く必要だった。そこで渋々黎明を離すと起き上がり、枕元のクッションを抱えて丸くなった黎明の頭にキスをして洗面所に向かった。自分が耳まで真っ赤になったのに気付いてまた豹になってしまった。


その日からしばらく黎明はカラーコンタクトをやめた。海外で、目の色が真っ青の人や緑の人もいたので、目立たないだろうと思ったのもあるが、昨晩蓮に綺麗だと言われたのが嬉しかったのもあった。


------------------------------

移動までの鉄道の景色は素晴らしかった。2人の目的地はマッターホルンを望む景色が有名な街だった。


マッターホルンにはその街から早朝に出発してケーブルカーに乗ることになっていたので、その日は街の周辺のハイキング、そして夜に夜景を見に行くことになった。


街は観光客がいっぱいで、アジア人、日本人も何組か見かけた。黎明は穂積と買いに行った登山靴で準備万全でハイキングコースに臨んだが、軽装の観光客も多く、拍子抜けしてしまった。しかし進んでいくと登り坂が多くて、軽装の観光客はあまり先まで進めなかったので、蓮のスピードに合わせて歩けた黎明はやはり準備をしてきて良かったと思った。


黎明の体力は蓮が心配する必要がなかったので、2人は景色の良いところが見つかるとしばらく休憩して眺めた。美しい湖があり、マッターホルンが映った景色はとても感動的だった。空気がとても綺麗で、都市部でのあらゆる騒音から解放されて、黎明はこんな清々しい気分になったのは、初めてではないかと思った。だが隣で遠くを見つめている蓮を見て、中学生の時に蓮が自分を連れ出してくれた時のことを思い出した。ここ一緒に来たのが蓮で本当に良かったと黎明は思った。


その夜、滞在先のコテージ近くでスイスの伝統的な食事を楽しんだ後に2人は夜景を観に行った。すでにたくさんの人が集まっていたが運良く良い場所に入り込むことができた。陽が沈みはじめるとマッターホルンの麓にまるでおとぎ話のような景色が浮かんだ。東京で見るカラフルなネオンの夜景とは違い、灯籠が並んでいるように温かな光だった。


2人とも息を飲んで見つめていた。自分が見ている景色、自分が立っている場所、それが夢なのではないかと感じた。


陽がすっかり沈んでしまったあともしばらく2人は寄り添ってその景色を見つめていた。夜がふけると星空が広がった。


2人は人がまばらになった後にゆっくりと歩いてコテージに戻った。コテージでは、キッチンが使えたので、黎明はベルンのホテルでたくさんもらって食べきれなかったチョコレートで、ホットチョコレートを作った。夫婦で来ていたスイス人の女性が黎明の作ったホットチョコレートにちいさなマシュマロを浮かべてくれた。


少しキャンプみたいな気分で楽しかった。

ホットチョコレートを飲みながら、コテージの他の滞在者とも会話を楽しんだ。土地柄イタリア人やフランス人も多く、ドイツ語以外にもさまざまな言語が飛び交っていた。共通言語である英語で会話をすることが多かったが、英語が苦手なフランス人と黎明はフランス語で会話をしていて、驚かれていた。三木がフランス語の歌を歌わせることがあったので勉強したら覚えてしまったらしい。イタリア人とはイタリア語で聞いて英語で返していた。フランス語と似ているのでなんとなくわかってしまうらしい。蓮はというと、ドイツ人の大学院生とハイデガーの話題で熱心に話し込んでいた。


見た目も、考え方も、言語も、“標準”が存在しないこの空間は、黎明にとってとても居心地が良かった。


蓮と黎明の部屋はグループでも泊まれる部屋で不思議な形でベッドが三つもある部屋だったので一部屋でもプライバシーを保てるようになっていた。2人はその晩ぐっすり眠ることができた。


朝いつものようにアラームが鳴る前に起きた蓮は黎明を見にいくと、人のまますやすやと眠っていた。暁が黎明が寝ていると突然豹になってしまうことが増えていると言っていたのを聞いていたのだが、今日は大丈夫みたいで安心した。


その日、早朝に2人はマッターホルンに向けて鉄道に乗った。天気が良く、朝焼けに染まったマッターホルンが見られて、観光客たちが歓声を上げていた。朝早くだが同じルートに向かう観光客がたくさんいた。


登山鉄道に乗りマッターホルンのより近くまで来ると、まだ雪も残っていた。2人はその荘厳さに圧倒された。この険しい山の登山では多くの人が命を落としているそうだ。人を簡単に寄せ付けず、強く凛々しく立ち、多くの人の憧れの眼差しを浴びるその姿は、蓮のようだとだと黎明は思った。


「思いがけない旅だったが、来て良かったな。」

写真や映像で見るのと実際に見るのでは全く違う。有名すぎる上、過大評価されているのではないかと思って、期待はほどほどだったが、蓮は一生忘れられないほどの素晴らしい経験になったと心から思った。


黎明も感動していた。穂積の父はマッターホルンに登ったことがあるらしい。山頂へ向かう登山家たちを見て、黎明は畏敬の念を抱いた。


マッターホルンの近くでは夏でもスキーができる場所があり、蓮の希望でその日はスキーをすることなっていた。黎明はスキーは初めてであったが、蓮が丁寧にコツを教えるとすぐにできるようになったので、蓮と同じコースを同じスピードで滑走することができた。


コースからはアルプスの山々を望むことができて、黎明は夢が叶ったようで大満足だった。手加減せずに思いっきり身体を動かすことができたのもとても解放感があって気持ちよかった。


しかし蓮はまだ黎明にさせたいことがあった。自然の中を走らせたらどんなに気持ちが良いかと思ったが、思いの外観光客が多く、人目があってそれができなかったのだ。蓮はこっそり街で出会う人々に良い場所がないか聞いていた。すると、何度もその街に来ている人に、夏なら歩いていける渓谷があると教えてもらった。


蓮はスキーの帰り、その渓谷の近くの駅で途中下車した。ここからなら歩いても宿へ戻れる。



温かいコーヒーを買って歩いた。2人とも常人離れした体力があったのでそれほど疲れは感じていなかった。


渓谷には期待通り人がおらず、薄暗くなってきた川が流れていた。


「黎明、ここなら何をしても見つからないよ。隠れんぼしよう。」


「嘘でしょ?」黎明は驚いた。


「オオカミがいるかも」黎明は心配した。


「狼と豹ってどっち強い?」と、蓮は聞いた。


「狼なんて戦ったことないから分からないよ。」黎明は答えた。


「狼と熊はどっちが強い?」蓮は聞いた。


「一頭なら、熊の方が大きいから強いかな。」黎明は答えた。


「じゃあ、大丈夫じゃない?そんなに山奥ってわけでもないし。それに今は豹になれるから前よりもっと強いよ。」蓮は楽観的に言った。


しかし黎明は蓮が1人で森に入ることを許さなかった。

「じゃあ私は豹になるから一緒に行く。」


「そしたら意味ないじゃん」


「適度に逸れて遊びながら着いていくよ。」


「そっか。じゃあこっち側のハイキングコースの方向から言って、もう一つのハイキングコースと合流するところから下ってここに戻ってこようか。」蓮が提案した。


「オーケー。適度に逸れるかもしれないけど、蓮は見失わないから大丈夫。」


すると黒豹と蓮は歩き始めた。森の奥の方に入っていくと、闇が深くなってきた。黒豹は暗闇に溶け込んで見えなくなる。流石に蓮も足元が不安になり、懐中電灯をつけた。黒豹は何かを見つけたのかピタッと止まった。すると、静かにコースをそれたと思うと突然走り出した。そしてしばらくすると走って帰ってきて、人間になったかと思うと蓮に嬉しそうに言った。

「小さい動物を見つけたよ!」

「食ったのか?」と蓮が聞くと

「食べてないよ!可哀想じゃない!」と黎明が怒った。

「食べれはするの?」と聞くと。

「暁がいうことには食べられるらしいけどね。食べるものにも困ったら山に行けって言われたわ。」

「まじか」と蓮は呆れた。

そのあとも時々動物を追いかけたり、時々人のまま木に登ってみたり、黎明は活発に動き回った。開けたところにくると、全力疾走して走ったりしていた。その時、

「ガルルルル!」黒豹が唸った。

すると、遠くから何かドイツ語で叫ぶ男性の声が聞こえた。まずい

「黎明!」

黒豹は戻ってきて蓮の後ろに隠れた。

男性が叫んだ何かの固有名詞は、犬の名前だったようだ。男性が走ってこちらの方に来ると話しかけてきた。


「すいません。うちの犬が。」男性は大型犬を連れていた。

「うちの犬、大きいでしょう。猟犬でね。走らせるところがなくて、たまにこうやって夜に走らせてるんです。」

そういうと蓮の後ろの黒い塊を見た。

「お宅のは、相当大きいですね。」

そういうと蓮は焦りながら

「ええ、まあ」と目を泳がせた。

「驚かせてしまったのはうちの方です。人見知りで、ごめんなさい。すぐに離れますね。」そういうと背を向けてそそくさと歩いた。

男性は「真っ暗だからお気をつけて!」というと、随分としっとり歩く犬だなぁと不思議に思った。


十分に離れると、黎明は人に戻って言った。

「ごめん、狼かと思ったの」


「いやあ焦ったな。どう見ても猫科なのに、犬だと思ってくれて本当に良かったよ。」蓮は髪をかき上げて笑った。


「戻ろうか」というと、2人は渓谷に向かって歩き始めた。


渓谷に着くと川の流れだけが響いていて、あたりは真っ暗だったので、満点の星空が見えた。


2人は河原に座って星を眺めた。


「綺麗だね。」そう言いながら、黎明は中学生の時に蓮に連れ出されたことをまた思い返していた。


蓮がある曲を口ずさんだ。80年代のスロウジャムだ。黎明は驚いた。蓮が歌っているところを初めて見た。何でこの人は今まで歌うことがなかったんだろうと思った。何で蓮がいるのに三木は自分なんかをボーカルにしたんだろう、そう思った。

その曲は蓮と”黎明のプレイリスト”の中の曲だった。


Baby, can I hold you tonight ?

Maybe if I told you the right words

Ooh, at the right time

You’d be mine


甘く、身体の奥に響き渡る心地よい声で蓮は歌った。


「覚えてる?また連れってやるって言ったのにね。」


「覚えてるよ。埼玉だったのが上位互換になったね。」


「そうか」そういうと蓮は笑った。


蓮は黎明の髪を撫でると頬に手を添えた。

見つめあった時、少し顔を近づけた時、また黎明が豹になってしまった。


「俺には黎明の顔が良く見えてないよ。恥ずかしがらないで。黎明には良く見えているでしょ?俺、どんな顔してる?教えて?」


豹は黙って見つめていた。蓮の目は熱く熱をはらんで、それでいて優しく、どこまでも温かった。


「どう?俺には黎明の顔が見えない。俺の顔を見て、どう思ってるのかも分からないよ。」


その時黎明は人間に戻ると、蓮の両手を自分の頬に触れさせた。


「これでわかる?」黎明は言った、


「まだわからない」そういうと蓮は黎明の唇に指を這わせた。そして蓮は指を黎明の指に絡ませると、そのまま口づけをした。


何度も何度も、角度を変えて、確かめるかのように。片方の手は黎明の指に絡ませて、もう片方は黎明のうなじに添えて、逃がさないというふうにしっかりと捕まえていた。


そして、唇を少し離した隙に

「これでわかった」と言ってさらに深くキスをした。


--------------------------------

次の日は、篠宮夫妻のいるチューリッヒに向かう予定だったが、ゆっくり出発しても十分に間に合ったので、街をゆっくり散策して歩いた。


馬車に乗ったりもして、2人は存分に観光を楽しんだ。観光の間、蓮はふと突然キスをしてくることがあった。


「逃げない方法を思いついた。」

そう蓮は言った。人前では絶対に豹になれないと思ったのである。


蓮は他にも、ことあるごとに「綺麗だよ」「とっても可愛い」と言ったふうに黎明を褒めるので、黎明は突然の変化についていけずに戸惑ったが、嬉しく、以前のように隠すことはなく、微笑んだ。


チューリッヒに着いたのは夕方で、篠宮の妻は家から出ることは許可されていなかったので、篠宮の家で食事をすることになっていた。


篠宮の髪は白くなっていたが、聡明で快活な人だった。黎明を見るととても喜んだ。マダムも黎明に会うのは初めて出会ったので、暁の双子の片割れである黎明に興味津々であった。


暁と黎明を久しぶりに会うと、抱きしめて喜んだので、マダムは非常に驚いて、自分が一方的に暁にしてきたことにあらためて罪悪感を覚えた。


食事会の雰囲気は明るく篠宮たちは、スイスでの生活事情や、これまでの経緯などいろいろと話してくれた。また、篠宮は双子の人体実験には直接関わっていなかったと教えてくれた。地下の施設は中国人研究者がほとんどで、その研究内容も、篠宮には理解し難いことが多かったという。というのも、単に動物の遺伝子を組み込むというのではなく、アフリカの民族に信仰されている神獣、魔女狩りで狩られたと言われる魔女のDNA、超能力者、中国の仙人、狼人間、吸血鬼、など非科学的と思われるものを世界中から集めて実験をしていたというのだ。それゆえ双子が造られた経緯について正確に把握しているわけではなかった。ただ、全て失敗に終わっており、生き残ったものはいないと思われていたそうだ。今回の検査は、異常な値が出た場合に日本の病院では対応できないので、極秘での一般的な健康診断と、暁の今までの「訓練」を通して得られた結果の共有、そして暁との健康診断のデータの比較ということであった。すでに暁にはない、寝ている間の豹化現象があったのでそれについても詳しく調査するとのことだった。


次の日に篠宮の同僚で同じく「粛清」された医師が今働いている病院で検査をすることになった。

検査は順調に進み、人間の場合、豹の場合どちらとも健康に異常はないということだった。異常値が出ている部分は回復力の高さに関連しているとのことだったので、日本の病院で大きな検査はしない方がいいということであった。

暁を実験動物のようにすることは篠宮夫妻は絶対にしたくなかったので、検査報告はほとんど経験的なデータの共有になった。

まず、黎明の幼少期からの様子を誠一郎に文書で報告してもらい、蓮からも直接今までの黎明の様子について聞いた。ある程度暁と能力は変わらないだろうことが分かると、黎明の能力について説明を受けた。IQがとてつもなく高いこと、そして、運動能力が高く、筋肉、骨共に、車に轢かれた程度ではそれほど影響を受けないほど強いだろうとのことだった。また、燃える研究所で生き残ったことから、熱耐性があるだろうとわかった。今回のマッターホルンへの旅、そして暁の経験からも、高所や低温にもある程度強いのではないかと予測されるとのことだった。水中に関しては一般的な人間より長く息は止めていられるが、人間の延長線上にある程度の能力であると言われた。要するにいきなりヒレが生えてきたりはしないということだ。エネルギー消費量が高くなる傾向にあるので、食事量は増やした方が良いことや、タンパク質を多く摂ることなどの指示も受けた。

 異常な回復力が体力、持久力、耐衝撃性などを支えていると考えられるが、限界がわからないのであまり油断しないようにとのことだった。また、豹の状態の方が耐衝撃性などが強まるとのことであった。普通の銃で撃たれても結構痛いくらいで、死にはしないと言われた時には驚いてしまった。

 次に生殖に関する話をされた。篠宮という人はあまり細かい気配りができるタイプの人間ではなかったので、蓮がいる前でそのまま話し始めてしまった。黎明に、


「君は子どもをつくる予定はあるかい?」と聞くと、黎明も蓮もたじろいでしまった。


「もしあるなら、安心して欲しいのは、生殖自体は問題ないだろうということだ。」


「しかし…」篠宮は続けた。

「当然ながら子どもに形質が遺伝する可能性が高い。つまり、普通の人間として生まれてくる可能性は低いということだ。」


黎明も蓮も少し不安になった。


「だが、安心してくれ。染色体の数に異常はないから生まれてくるのはちゃんと人間だよ」篠宮はそう言って笑った。


「あとね、妊娠した場合、病院に通院することはまずできないと考えて欲しい。この病院で見られるようにしておくから、大変かもしれないが妊娠した場合はすぐに渡航して欲しい。」


「わかりました。ありがとうございます。」黎明は言った。


「それと、寝ている間に豹になってしまうとのことだったが、検査の結果暁と全く相違はないんだ。彼女の生育環境からすると、恐らく精神的なものだと考えられるね。」篠宮は蓮を見て言った。


「彼女が初めて豹になったのは、一度高校生の時に彼女が寝ている時に君のご友人が見ただけで、その後は大学生の時だったね。その時は覚醒状態で豹化して、そのあと自在に豹化するようになったそうだね。恐らく抑圧された環境で、無意識に彼女の潜在能力に鍵をかけていたのだと考えられる。暁との全力での戦闘、そして意識的な豹化がその鍵を開けてしまったんだね。しかし本人は鍵が閉まっている時のように抑圧しているものだから、気が緩んだ睡眠時に豹化してしまうのだと考えられる。」


「ではどうすれば治りますか?このままだと日常生活に差し障りがあります。」蓮がいうと、


「定期的にストレスを抜いてあげるんだよ。犬もたまにドッグランに連れて行ったりするだろう?あれと一緒だよ。」


そう篠宮がいうと黎明が微妙な顔をした。


「キャットランですか…」

真顔で蓮がいうと、この人何言ってるんだろう?という顔で黎明が蓮を見た。


篠宮も冗談で言ったのか、真面目に言っているのかわからずに、笑うべきか戸惑ってなんとも言えない表情で固まっていた。


「それと、寝ている間に逆に無意識に人間に戻ってしまうこともあるみたいなんですが…」と、蓮が聞くと、黎明が被せるように、

「それは心配ないわ」と言った。


「え、でも…」と蓮がいうと


「大丈夫なの」と黎明が念を押すように言ったが、顔が真っ赤だった。


蓮は少し不思議そうな顔をしたが、しばらくして何かを察すると誤魔化すように口元に右手を当てて、表情が崩れてしまいそうになるのを必死で隠した。


---------------------------------

その次の日、暁と黎明はキャットランに行った。篠宮は車を走らせて、人のあまりいない森に2人を連れて行った。広々とした空間もあり、自由に暁と黎明が走り回れるスペースはあった。篠宮と蓮は周囲の見張りで行ったが、2人が駆け回っている間、篠宮は蓮に話があると言って話し始めた。それは双子の身体に関することだったが、黎明の前では話したくないとのことだった。それは暁の受けてきた訓練の話だった。暁は能力の限界を知るために過激な訓練を受けてきたという。そのおかげである程度は、身体の限界についてわかっていると言った。ロシアの傭兵相手に訓練し、銃で撃たれる、刺される、森で1人置き去りにされるなどさまざまな状況に対応して、相当の能力が備わっていることが判明したとのことだった。恐らく黎明には関係がないことかもしれないが、不死ではなく、限界は存在するとのことだった。蓮は心を痛めた。


その頃暁は黎明に狩を教えていた。黎明は初めは抵抗があったが、教わるうちに楽しくなってしまった。白豹と全力疾走している時に昔見た夢を思い出して、胸が熱くなった。ウサギを取って戻ると蓮にギョッとされてしまったので、一頭食べたことは黙っておいた。

篠宮は栄養補給には手っ取り早い方法だと話した。さらに狩によって能力値が上がるとも言っていた。

そのあとは、人の姿で森をかけたり、スパーリングをしたりしていた。2人のスパーリングは凄まじく、時に踊っているようでもあった。2人がバンドで呼吸がぴったりだったことや音楽に類い稀な才能があることを話すと、

「人より感覚が鋭く、私たちが感じていないことを感じているからね、感性が違って来るのはあるかもしれないけれど、音楽の才能はどちらかというと2人の個性と言っていいだろうね。」と篠宮は微笑んだ。


そのあと蓮も混ざってスパーリングを行った。荻野目襲撃の時に暁が飛んだのは一体どういう技だったのか聞いたら

「映画で見たんだ」と笑っていた。暁も蓮もあのヌンチャクは一体なんだと黎明に問い詰めたら「映画で見て練習した」と言ったので大笑いした。

「あ!そうだ黎明!これ見てよ!」というと、暁は、豹に変身してから、また変身したと思ったら耳と尻尾が生えた状態になった。

「半変身!」そう言って暁はニッと笑った。

「半分にしようとしたら全部変身しちゃった。たぶんこれ一部だけ変身ってことができるんじゃないかと思うんだ。そして、人間の時より身体能力が上がるんだ。身体が軽いのに爪もあるから木とかすごく登りやすくなるよ。バランスもとりやすい気がする。」

黎明もやってみようとしたが、豹になっただけだった。次に半分だけ人間に戻ろうとしてみたら上手くいった。耳と尻尾が生えていた。蓮は可愛いと思ってしまったが、同時に自分の品性を少し軽蔑して自制した。


そんなふうにして楽しいキャットランを過ごすと街に向けて戻った。蓮と黎明はホテルの前で下ろしてもらった。篠宮が暁に美味しいレストランに案内したらどうかと提案したので暁も降りて、3人はレストランに向かった。


レストランで暁は2人にオーストリアに留学するつもりなのだと伝えた。ピアノを本格的に学びたいそうだ。ピアニストになるのかと黎明が聞くと、そういうわけではないがただピアノが好きだから一度本格的にやりたいのだと話した。大学はしばらく休学するとのことだった。


黎明はとても寂しそうな顔をしたが、暁は「ずっとじゃないし、一度日本には帰らないといけないからね」と笑った。

暁は蓮に向き直ると、

「だから黎明をよろしくね」と真面目な顔をして言った。暁は以前は蓮に黎明を取られたくないと思っていたが、蓮の黎明に対する愛情は本物だとわかってきていたし、今回スイスの旅についてきて検査を受けさせた蓮の姿を見ていてもそれを確信した。それに、黎明は暁を深く愛してくれているのを暁は感じていたし、それは黎明が真木親子を通して受け取ってきた愛なのだと思った。真木親子と短い間関わった中でも、真木親子にひどいことをした自分を赦し、大切に家族のように扱ってくれたことを本当に感謝していた。任せられると暁は信じた。


「ああ、もちろんだ。頑張ってこいよ。」蓮はそう言ってくしゃくしゃと暁の頭を撫でた。蓮も暁を可愛がって、弟のように思いはじめていた。


「いつ戻ってくるの?」と黎明が聞くと、これからだというのにいつ戻ってくるのかもう聞くのかと2人に笑われた。


暁も今まで離れて生きてきた分黎明との時間は大切にしたかった。

「1〜2年で戻るつもりだよ。就職は日本でしようと思うから。」と、暁は答えた。黎明の近くにいたいのもあったが、恩人である誠一郎の助けにもなりたいと考えていたのだ。


「暁、私暁がとっても大好きよ。赤ちゃんの時私を守ってくれてありがとう。そばにいても離れていても私たちはずっと二人で一つよ。」黎明は涙ぐんでそう言った。森を走りながら夢のことを思い出して、自分がずっと欠けていたもう一人を心のどこかで探していたのだと気付いたのだ。


「ありがとう。僕も黎明が大好きだよ」そう言って暁も涙ぐんだ。


蓮はそんな二人を見ながら、自分がこの二人を守っていこうと心に誓った。


-----------------------------

帰国する日、篠宮の家に挨拶に行った。

マダムは、蓮に感謝を述べた。

「全てあなたと、あなたのお父様のおかげよ。本当にありがとう。私は本当に大きな間違いを犯してきたわ。本当はここにいるべき人間でもないのだけれど。」そう言って目を伏せた。


「暁は変わったわ。あなた達のおかげね。本当はあんな風に笑う子だったのね。暁にはこれから自分の人生を自分の好きなように生きてもらいたいわ。私のことなんか忘れてね。」

マダムがそういうと蓮は言った。


「あなたは暁にとって母親同然の存在です。間違いはあったれど、暁にとってあなたはとても大切な人であることは変わらないんですよ。どうか暁の思いも受け取ってこれからはよく彼自身を見てあげてください。」


マダムは驚いて蓮を見上げた。そして、涙ぐんで言った。

「そうね、そうするわ」


篠宮は

「この度はわざわざ足を運んでくれてありがとう。また何かあったらいつでも言ってくれ。お父さんにもよろしく。黎明ちゃんもお元気でね。」というと蓮と黎明と握手をした。


蓮と黎明は感謝を述べて旅立った。

暁は空港まで二人を見送って、「また来週!日本で!」といってまた黎明を抱きしめてから搭乗口へと二人を送り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る