第8話  門出

孤児院を出る日送迎会が開かれた。黎明の世代は1人だったので、今年施設を出るのは黎明だけだった。黎明は大学もそんなに離れたところではなかったし、住む場所も近くだったので、これからも度々手伝いに来たいと思っていたのでそんなに大きく環境が変わる気持ちにはなっていなかった。


しかし、節子やヒロトたちは大泣きだった。節子は、18年間という他のどの子どもたちよりも長く黎明と過ごし、本当に母親のような気持ちになっていた。黎明がいるのが当たり前だったし、黎明を支えるより自分が黎明の存在に支えられていたことにその時初めて気が付いた。


黎明や真木達が孤児院に関わってくれていたおかげで、子どもたちも支えられて、誰一人警察の世話になるような事件を起こしたり、退学したり、非行に走ったりすることはなかった。黎明の問題解決の方法には問題がなかったとは言えないが、それでも結果として黎明の強さは弱い立場に置かれた子ども達の碇のようになっていた。


次の朝、真木がハイエースで荷物を新しい家に運んでくれたが、節子さんはそのときも真っ赤に眼を腫らしていた。真木も流石に心配になるほどで、しばらく2人で話込んでいた。


「またすぐに来ますよ!」そう笑顔で手を振って私たちは孤児院を後にした。


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新しいアパートは、真木親子の最寄駅のひとつ先の駅だった。孤児院を出て進学する子ども達には、生活費が国から支給されて住宅の費用もある程度賄うことができたが、そんなに大きなところには住めない。駅からは少し距離があったが、そのかわりセキュリティがしっかりしていてこじんまりしていても綺麗な部屋に住むことができた。仕事の合い間をぬって蓮が何軒も足を運んで探してくれたのだ。


その日は、ホームセンターや家電量販店を回ったり、真木が照明や家電の配線などを手伝ったりしてくれた。大きいものは車で運べたので大変助かった。


夜になると蓮がお寿司を買って来てくれた。まだ家具の組み立てもまだで段ボールだらけの部屋だったので、机もなく、空いた段ボールを机にして3人でお寿司を食べた。


そのあと蓮が家具の組み立てをしてくれたので1日でちゃんと住める家になった。


「入学式来週か。俺も親父も新入職員の対応やら異動やらで忙しくて行けそうになくてごめんな。」


「そんな、もうこんなになにもかも準備してくれてもう充分、感謝しきれないくらいだよ。今度何かお礼させてください。」


黎明は丁寧に頭を下げた。


「あれ、黎明入学式何着るの?」


「これからいろいろ情報収集して準備するつもりだったからまだ何も準備してないよ。」


「スーツは?」


「入学式ってスーツ?」


「これは大変だ。」と、おじさんが焦り出す。


蓮はその場で三木に電話をかけた。

「もしもし、三木?お前今暇だろ?明日黎明のスーツ見に行ってやれる?」


「大丈夫だよ。スーツくらい自分で見れるって。」


「黎明、ここのスーツの袖あるだろ?これ白いところ出すの、出さないの、どっち正解?」


「わからない」


「黎明自分のスーツのサイズはわかる?」


「M」と黎明は答えた。


「たぶん9号くらいだと思うけど。」


黎明は自分のあまりの無知に不安になって来た。


黎明はとても賢いし、教えられたらなんでも一度で覚えられたが、普通の家庭で両親がいたら自然と覚えることや、同性同士の友人関係の中で覚えるような「普通」のことを学んでいなかった。真木達もそれはわかっていたし、蓮も早くに母親がいなくなり、父と協力して生活して来たので黎明はそれ以上の苦労があると思うととても放っておけないのだ。


そして黎明は三木とスーツを見に行くことになった。


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三木は、突然降りて来た合法デートに舞い上がっていた。三木が待ち合わせに指定したのは表参道であった。


「三木先輩、私そんなに予算ないですよ。」と申し訳なそうに黎明が言ったが三木はご機嫌である。


「黎明!ところで来週から大学に何着て行くの?」


「普通にこんな感じで行きますよ。」黎明が着ていたのは、白いドルマンTシャツにスキニージーンズだった。黎明は手足が長くスタイルが良いし、独特のエキゾチックな雰囲気を持っていたのでそれだけでもなぜか人目を引いてしまうのだが、三木には野望があったので引き下がらなかった。


「黎明、うちの大学は都内でも有数のブランド大学だよ。キャンパスにはテレビのアナウンサーみたいな女の子ばっかりだよ。特に最初は肝心なんだ。舐められたら飢えた男どもの鴨になるか、恐ろしい女性達のマウンティングマウンテンの下敷きになるかのどちらかだよ。最初のマウンテンは重装備じゃないと怪我するよ。」


三木は何を言っているかちょっとよくわからなかったが、ジーンズはだめらしいと分かると何を何を着たらいいかと黎明は悩んでしまった。


「さて、そこで今日は1番行きたいお店があるので向かいましょう。」


三木は慣れた足取りで大通りから細い道へと入っていった。そこにはコンクリート打ちっぱなしの「θεα」と看板がついたお店があった。三木がガラスを通して中の店員と目が合うと右手を上げた。


「いらっしゃいませー!三木さんご無沙汰してます!


 あれー!三木さん!彼女はもしかして!」


「そうなんだよ遂に連れて来ちゃったよ。」

と、話した。


私ははじめての雰囲気に戸惑いながらも置いてある服に馴染を覚えた。


「あれ?」


「気付いた?よく俺がライブの時のみんなの衣装にしてた服、ここのなんだ。」


「今日もライブの衣装ですか?」店員が尋ねると三木が片方の眉を上げて答えた。


「No no今日は黎明ちゃん大学デビューの衣装です。」


「黎明ちゃん大学生になるんですか?おめでとうございます!」


「ありがとうございます。」黎明は丁寧にお辞儀をした。


そして三木の袖を引っ張った。

「三木先輩、私今日スーツ買うための予算しかないんです」

と、心配そうに囁いた。


しかし、三木は黎明の両肩に手を置いて言った。

「大学合格祝いと卒業祝いと入学祝いまとめてということで!」


そういうと早速三木は5枚のトップスをほとんど確認もせずに選び2枚のボトムスをささっと選ぶと試着を頼んだ。


「ほい、まずこれ着て」

黎明は言われるがままに試着室に入り着替えるとカーテンを開けた。


「おおお!思った通りだね!」よく似合ってるよ!


三木も店員のお兄さんも眼をキラキラさせていた。


「じゃあ次これも!」

と次々に着せられた。

「待ってそれこっちに代えて」

とか、

「もしかしてこれもいけるんじゃないか。」

とか次々と取っ替え引っ替え着替えさせられるものだから、自分が何をきて何を着ていないのか分からなくなった。


黎明も内心楽しかった。特にダークなカラーの花柄のワンピースはとても気に入った。ワンピースは女の子らしくてラブリーなイメージで自分には合わないと思っていたが、その一枚は自分でもよく似合っていると思った。


「ああ、とっても可愛いよ!黎明!」

と、三木に無邪気に言われると少し照れてしまった。


最終的に余裕で1週間以上着回せるくらいの服を三木は選ぶと黎明が靴紐を結んでいる間にさっさとクレジットカードで支払いを済ませてしまった。


「ええ!三木先輩!買いすぎです!」と黎明が焦ると、三木は


「ちゃんと花柄のワンピースも入ってるよ。」とピースして、ラッピングの間ちょっと二階に挨拶に行ってくると行ってしまった。


2階はカフェになっているみたいだ。

店員のお兄さんは、三木が時々二階のカフェでのイベントでDJをしているのだと教えてくれた。


「三木さんって本当に多才ですよね。この前もこの近くで個展やってましたし。グッズとかもすごいお洒落なの作ってて、僕も買っちゃいました。」


個展?そんなの初めて聞いた。お金があるのは家が裕福だからかと思っていたけど、もしかして結構自分でも仕事を取ってるのかもしれない、と黎明は三木に少し申し訳なく思った。


「それに三木さんのミューズに今日は会えて本当に光栄でしたよ。三木さん、よくウチに来ますけど自分の服を見ないで女性の服だけ見て帰っちゃうこともよくあるんです。今日最初にほぼ確認せずに何枚も服をピックアップしたの覚えてますか?全部三木さんが前から見てた服ですよ。」


「そうだったんですか。」

三木は天才の部類だと前々から思っていたが今日改めて本当に三木はアーティストなんだなあと黎明は思った。


ラッピングが終わった頃にちょうど三木が二階から降りて来て私たちは店を後にした。だいぶ荷物が多くなってしまった。 


その後三木は黎明を女性が好きそうなお洒落なカフェレストランに連れて行ってくれた。全て初めての体験で新鮮だったし、三木は女性をこういうところに連れてくるのは慣れているのかもしれないとも思ったが、黎明が感じたのは三木の純粋な優しさだった。


スーツを買いに行ったのは、普通の洋服も置いてある店だったので、ちょっと不安に思ったのだが三木はそこで、少しだけフレアになったスカートのスーツを選んだ。本当はパンツスーツの方が似合うのではと黎明は言ったけれど、入学式でパンツスーツはあまりいないと三木も店員にも言われてしまった。三木の選んだスーツを着ると印象が柔らかくなりとても清楚で利発に見えた。真っ黒なスーツにタイトスカートだと黎明はキツくなるのでそのスカートの形は黎明にぴったりだった。黒の色合いも滑らかに光を反射する良い色合いだった。


黎明はそのスーツに決めた。三木が購入しようとしたがそれは無理に止めて自分で買った。ラッピングしている間、三木はちょっとこれ着てみてと、黎明に示したのはハイウェストのワイドパンツとジャケットとフレアのブラウスだった。黎明は試着室で着替えて出てくると、三木が黎明の首にスカーフを巻いた。


「入学式、これにしない?」


「いや、ダメです。攻めすぎですよ。最初から悪目立ちしたくないです。」


「そっか、残念。すごい似合ってるのに。」

確かにそのままランウェイを歩いて行けそうな風格があった。


「もっと大人になったらこういうのも着てみたいですね。」と黎明は笑った。

三木は本当に着せ替え人形で遊んでいるみたいだった。買い物に付き合ってもらって申し訳ないと言う思いが始めはあったが三木があまりに楽しそうなのでホッとした。


スーツとたくさん買った服や靴で荷物がいっぱいになってしまってこれは持ち帰るのが大変だと思っていたところ、店を出ると三木が片手を挙げた。タクシーに乗るのかなと思ったのだが、高級車が路肩に寄せられた。初老の男性がこちらを見ると会釈をした。

黎明は三木の本当のボンボン振りを初めて見た。運転手付きの車って存在してたのか。

三木は自分のマンションまで車を走らせた。

「三木先輩、なんで先輩のマンション何ですか?」

というと、

「今日は俺の部屋に行くんじゃない。俺のアトリエに行くんだ。」

と意味のわからないことを言っていた。マンションの前に着くと黎明は、

「普通に先輩のマンションですね。」

と言った。

「荷物は置いてっていいぞ。」

それは自分への保険でもあった。


三木黎明がメイクを一度もしたことがないことを知っていた。

「黎明!メイクはどうするの?」

と聞くと、

「しなきゃダメですかね。」と言った。黎明がメイクをしなくても唇はピンクで、まつ毛はバッサリと長く目鼻立ちもはっきりしていてお人形のような顔なのは間違いないが、やはり、三木は昼間と同じようによくわからない喩えで脅してメイクの必要性を説いた。


三木は黎明をソファに座らせるとキッチンでガチャガチャしたとおもうと、綺麗な二層に分かれたイタリアンソーダを作ってローテーブルに置いた。

「ちょっとこれ飲んで待ってて」と言うと、

別な部屋に行ってしまった。すると何やらボックスを抱えてやってきた。沢山のメイク道具が入っていた。

「先輩こんなのまで持ってるんですか。」


「多趣味なんだよ。一度自分の顔にもやって見ようと思ったんだけどね。なんか全然似合わなくてね。」


三木の肌は小麦色で、少し垂れ目がちの目も鼻もはっきりしていて、髭も少しあり髪もパーマが掛かっているのでそれだけで印象が完成しすぎていてメイクをする余地があまりなさそうである。


じゃあ始めようか、そういうと私の顔を綿やら指やら筆やらでいじり始めた。鏡の前にいないのでどうなっているのか何をしているのか全くわからない。てっきりメイクの仕方を教えてくれるとばかり思っていたのだが、パソコンで音楽の編集をしている時と全く同じ顔で真剣だったので黙ってされるがままにしていた。


なかなか時間が経ったと思う。退屈で長く感じただけだろうか。


「できた!」と三木の目が細くなった。

鏡を渡されたので見ると黎明は言った。


「これは、アートですよね。」


「メイクアートだよ。」三木は満足げに話す。

しかしこれで毎日大学に行けるわけがない。アイライナーの色が何かカラフルだし。一本じゃない。しかも頬のチークの付け方は、日本人のつけるやり方じゃない。先程表参道に行ったことで何か彼の導火線に火がついてしまったのだろうか。


「残念ですが、これは、なしですね。」


「黎明にはこれしかないと思ってたんだ。何枚も絵も描いた。」


先輩絵も描くんだ。すごいな。でも、

「この顔で大学歩いてる人います?」

「いないね」

「………『………』」


「取っていいですか?メイクは、自分で調べてやってみます。」


「あーー待って待って、ちょっと着てほしいやつがあるんだ。」


先輩は別な部屋に行くと何やら布の塊を持ってきた。


「これ着てみてよ!」


「これ着るものですか?」


「君はなかなか哲学的なことを聞くね。はい。ここから体通して被る感じで着て。腕はここから出してね。バスルームここ!」


と私を引っ張ってバスルームに布と一緒に放り込まれてしまった。


これ。なんか嫌な予感がする。


「あ!フェイスカバーはこちらです!」


「急に開けないでくださいよ。」


バタン!

そして急に閉められた。


嫌な予感。この布。シーツだ。


買い物に付き合ってもらったし、多少先輩の遊びに付き合ってやってもいいかと思って渋々着替えて出た。


「先輩…これ、シーツですよね」

先輩はバスルームから出てきた黎明を見て言った。


「黎明、服は概念なんだよ。」


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入学式の前日、黎明は久しぶりに荒野を走っている夢を見た。黎明の目線は低かった。ひたすら風を切って走っていると隣で自分と並走している者がいることに気付いた。それは、真っ白な豹だった。


入学式の日には三木が一緒にいてくれた。三木は綺麗に髪をセットしてくれたがメイクはもちろん自分でした。


黎明は心細かったので三木がいてくれたのはよかった。学部を跨いだ入学式は人が多すぎて、何がなんだか分からなかったが、中庭で三木と待っているときに思わぬ人物が現れた。向こうから近づいてくるその人物は、異色のオーラを放っていた。オーダーメイドのスーツのその生地は他の学生たちとは明らかに質が異なっているのがわかった。綺麗にセットされた少しネイビーのように見える青みがかった黒髪を少し揺らしながら歩いてくるその人物は貴族のようだった。


「こんにちは、お久しぶり振りです。」

一瞬私たちは自分達に話しかけられていることがわからなかった。

「ははっ!見た目が変わってて分からないですかね。僕ですよ。暁です。」


「!『!』」


「暁か!全く雰囲気が変わったね。君も同じ大学だなんて、奇遇だね。」


三木はさっぱりした性格なので、純粋に顔見知りが入学していたことにただ驚いていた。


「君はてっきり社会人なのかと思っていたけど、君いくつだったっけ?」


「18ですよ。」

三木はジャズバーで会った時に一緒に飲んだ記憶があったのだが、黎明と同い年だと!?

こいつ、やっぱり底知れないな。と三木は思った。


黎明は彼の眼を見ていた。ブラウンだった。でもコンタクトの線が入っている。金色の眼がやはり裸眼だろうと黎明は思った。


「黎明、これからよろしくね。」暁は黎明が自分の目を見つめていることに気付いていた。


「暁、俺もだぞ。俺も同じキャンパスだ。」

三木が言った。


「そうでしたか!三木さんは、博士ですか?」


「いや、学士だ。」


「え?」


「学士だ。」

黎明は信じられない、という目で三木を見ていた。

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