第7話 白の貴公子


俺がその青年を見たのは、ジャズバーだった。何度か足を運んでいたが、彼を見たのは初めてだった。彼が弾くピアノはクラシックでもジャズでもなかった。一つのジャンルを弾いていたわけでもないように思った。


彼はとても美しい青年だった。真っ白な羊毛のような髪に金色の目、とても派手な見た目だが、同時に高貴で上品な雰囲気を醸し出していた。何人もの女性客が彼を見ていたが気軽に声をかけることを怖れさせるような雰囲気を彼は持っていた。


演奏が終わると俺の席の方に近づいてきた。2席離れた場所に着くと、カクテルを頼んだ。女性客が隣に座ろうと近付いてきたが、彼が何か言うと女性は頬を赤らめて帰って言った。一体何を言ったんだろう。


少し静かになると俺は彼に話しかけた。

「とてもいい演奏だったね。知らない曲ばかりだったけど、二曲目はもしかしてルドウィゴ・エイナウディかい?」


「そうです、よくご存知ですね。僕が即興で弾いていた曲も多いので他の曲は知らなくて当然ですよ。」彼は笑った。


「ジャズっぽいのもあったし、現代音楽も弾いてたし、どんなジャンルが専門なの?」


「僕は趣味の幅が広いので大抵なんでも弾けますよ。今日のは僕が好きなものを好きなように弾きましたが。」


三木は最高だと思った。

「俺も実は音楽やってるんだ。ジャンルはバラバラ。バンドやってるんだけど、固定メンバーは俺ともう1人だけ。よかったら今度一緒にやってみない?」


「え?いいんですか?僕バンドとか初めてですけど大丈夫でしょうか?」


「全然大丈夫だよ。俺がオーガナイズしたら絶対失敗しないから。」

三木は得意げに話した。


「俺は三木泰生。君は?」


「僕は暁って呼んでください。」



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ジャズバーでのライブの当日、黎明はかなり気が立っていた。ほとんどピアノに合わせて歌うというのにピアニストと会うのが当日なのだ。これから本番前まで合わせる時間あるとはいえ、一回くらいはなんだかんだで顔合わせや練習ができるだろうと楽観視していた自分が憎い。


黎明は少しでもピアニストと早く会えないかと集合時間の1時間前に店に着いたが、いたのはセッティングをしていた三木だけだった。三木をさりげなく睨みつけながら、待つとドラマーの保井が「うぃっす〜」と入ってきた。

「黎明ちゃん、なんかピリピリしてない?」と、保井は言ったが、

三木は

「おお!お前にもそれがわかるようになったか!」

と、まるで他人事だ。

ピアニストは、結局集合時間ぴったりに入ってきた。

ピアニストが入ってきたとき私は息が止まった。金色の眼だ!

彼はまっすぐこちらを見るとニコリと微笑んだ。


「こんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします。」


「よろしく!」「よろしくね〜」三木と保井が声をそろえた。


その声は私の頭の中に反響した。間違いないあの人だ。荒川組の事務所で会った彼だ。この声。あの凄惨な現場で響いた声は心の奥底にストンと落ちて心を落ち着かせた。今も変わらず、とても危険な人物であるはずなのになぜかホッとしてしまう。こんな白い髪だっただろうか、これじゃあ目立ちすぎるから前に会った時は隠していたのだろうか。目の印象が強すぎて他を覚えていなかった。


「時間ないから早速始めようか!通しで一回やってみよう!」三木が声をかけると各人は位置についた。三木の合図でピアノが始まる。今回はカバー曲ばかりだから、原曲しか聴いてなかったけど、原曲でキーボードだったところがグランドピアノになるとこんな音になるのか。すごく気持ちいい。

私が歌い始めると三木は声を上げず爆笑していた。大きな悪戯をやり遂げた子どものようだった。三木はギターを手に取るときもあるが、ほとんどエフェクトをかけたり出力を調整したりとエンジニアリングのようなことをライブ中にも行なっている。三木の周りにはいつもPCとピカピカ光る機械といろんな機材が置いてある。そして曲によっては突然ベースを弾き始めたり、チェロをポロポロ鳴らし始めたりする。


暁のピアノと私の歌声は元々一つかのように響いた。呼吸が完全にピッタリだった。


三木は満足げに

「ほら、大丈夫だっただろ?」

と私に言った。私は怒る気持ちももう忘れていた。


「今日はライブ遅い時間からだから蓮も来るってよ!」と三木は言った。


「うん、知ってる。蓮が送ってくれるからって伝えてあるから今日は遅く帰っても大丈夫。」


暁はその会話を微笑を浮かべて聞いていた。


ジャズバーでのライブにはとても多くのお客さんが入って満席になった。


本番は照明も少し暗くなり、大人な雰囲気に変わった。常連のお客さんと思われる人たちもちらほらいていつも以上に緊張した。


しかし、暁のピアノが鳴ると私は何もかも忘れてしまった。楽しくて、気分がよくて、最後の曲になっていることに気付かないほどだった。


ライブは大盛況に終わった。三木が「黎明ちゃんはまだ高校生なので早く帰らないといけないんです〜!」と言うまでアンコールが止まなかった。


三木がそう言い出したのも客席から蓮が無言の圧をかけていたからに他ならないのだが。


ライブが終わると蓮が来て、

「今日すごく良かったな」と黎明に言った。

「黎明と暁、最高に合ってたね。俺もびっくりしたよ。」と三木が話していると、1人の女性客が来たので、三木の取り巻きの1人かと私たちは思ったが、その女性は蓮に声をかけた。「えええ?俺じゃなくて!?」と目をまん丸にしている三木を見て黎明と保井は噴き出した。蓮はモテる。身長も180以上あり、彫りの深い顔に、筋肉質だが、ボディビルダーのようではなく、普段から使うことで鍛えられたしなやかな筋肉がついた均整のとれた体格に、知的で静かな雰囲気は俳優と言っても通じるくらいだ。そんな中、暁が黎明の隣にきた、暁こそ1番目立っていた。現実離れした王子様のような出立ちの暁はその一挙一動に視線が集まるほどだった。

「黎明、今日は本当に最高だったよ。」と、黎明の肩に手を回すと、三木と蓮の動きが止まった。沈黙が流れた。蓮に声をかけていた女性はそそくさと離れていった。


黎明はこんなに男性の近くに触れたのは蓮以外で初めてだったけれど、なぜかとてもそれが自然なことのように感じた。自分の目の前で何人もの人間の眉間に銃を打ち込んだ人間なのに感じたのは恐怖でも何でもなく温かさだった。


「黎明、今日は思いの外遅くなってしまったからそろそろ帰ろうか。」と、蓮は暁と黎明の間に入るようにして黎明を引き寄せた。

「もうこんな時間になってたんだね。」黎明はライブに夢中で時間があまりに早くすぎたことに驚いていた。


暁は微笑を浮かべて蓮の眼を見ていた。


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その後暁と会うことはなかったが、ライブの次の週、


「アイツは胡散臭い」


と人のことを悪く言うことがない三木が珍しく言っていたから、ウマが合わなかったのだろう。



その後、黎明は難なく指定校推薦をもらって三木と同じ大学(蓮も同じ大学だった)に進学することになった。


卒業式の日には真木親子が来てくれた。


蓮は学校から出てくる黎明を見て思わず言った。


「それ、何?」


黎明は両手に花束やら紙袋やらをたくさん抱えてヨタヨタこちらに向かってきた。


「なんか、もらった。」


「そんなもらうことある?」

ちらっと覗くと紙袋には手紙のようなものが入っているものもあった。


校門のあたりにも黎明を待っている生徒達が多く、中には他校の制服を着ている者もいた。あいつ、意外と友達多かったんだな。と思うと、


「黎明様!一緒に写真撮ってください!!!」


とざわざわ人が集まってきた。「様」ってなんだ。一体どんな友達関係かと驚いていると、さらに衝撃的な言葉を走らせた女子生徒がいた。


「黎明様!今日は彼氏さん来てないんですか!?」


ちょっと待った。今なんて言った?


「私レイミキファンなんです!最後に一緒に一緒に写真撮ってもらいたかったな〜!」


黎明は「はは」と困ったように笑っている。

レイミキってなんだ?と思ったが、黎明と三木のことだと気づくとパニックになりかけた。


「お前三木と付き合ってんの?」


黎明は

「いや、だけど否定するメリットも感じないしね。」と、呟いた。


ふと前に三木が、「俺んち泊まらない?」と言った時のことを思い出して無性に苛々した。蓮はもう仕事をしているし、三木はまだ学生で黎明とバンドを組んでいたから高校時代は蓮より三木の方が圧倒的に黎明と過ごす時間は長かったのだ。


真木達は親子のように校門の前で写真を撮った。真木父は自分の娘の卒業式のように微笑んでいたが、蓮と黎明はいつものように仏頂面だった。しかし、蓮の仏頂面は三木への怒りと焦燥感での仏頂面だったが、黎明のそれは、嬉しさが隠れた仏頂面だった。


「黎明、本当によくがんばったね。卒業おめでとう。」と真木父は黎明の頭を撫でた。


その夜、蓮と三木が卒業祝いの食事に連れて行ってくれた。


「黎明は高校卒業したらあそこ出ないと行けないんだよね。どこに住むかもう決めたの?」三木が聞いた。


「もう何軒か候補は決めてあるから、来週末内見に行く。」

答えたのは黎明ではなく、蓮だった。


「大学に近いところにしろよ。」三木がいうと。


蓮は「だめだ。危ない。」と即答した。


「大学から遠いときついぜ。家帰んなくなるしな。」三木は言った。蓮は大学に近いところに黎明を住ませて入り浸るつもりか、だから危ないって言ったんだよ思ったが黙っていた。


「じゃあどこにすんのよ。」と三木が訊ねると電子パッドで何枚かPDFをスライドして見せた。


「全部お前んちの近くじゃん。何でだよ。」と三木が眉をひそめると。


「その方が安全だからだ。」と、蓮が答えると、


「どうだか。」と三木が眉を上げて唇をへの字に曲げた。


その間黎明は少し残ったトリッパのトマト煮込みを自分が食べていいか聞くタイミングをずっと待っていた。


「黎明、俺と親父以外の男は絶対入れるなよ。特に三木とか。」


すかさず三木が「何でだよ!親父さん持ってきてお前の侵入を正当化してくるのは卑怯だぞ!」


と、反論した。蓮は真面目な表情を少しも崩さないから三木は自分だけが穢れた存在のように感じた。蓮の黎明への態度は本当にただ過保護な心配性の兄のように見えなくもないから、どっちなんだと長い付き合いである三木でさえわからなくなる。


「トリッパ、私食べていい?」


「お前のだ、全部食べろ。」

「ああ、もっと食べたかったらお兄さんがまた頼んであげるよ。」三木は突然兄貴面を演じ始めた。

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