第6話 その猫とマダム


マダムが僕を拾った時、僕は猫だったらしい。


12月31日の夜マダムの邸宅の庭に子どもを産んだ猫がいた。季節外れだったがマダムの庭の温室の側で暖を取っていたようだ。元旦の朝、マダムが猫が妙にうるさいので外に出てみると仔猫猫を咥えた猫がマダムの側に寄ってきて。仔猫を下ろした。白い綺麗な猫のようだったが弱っているようだった。


「私に世話をしろと言うのね。まったくもう。猫なんて飼ったことないわよ。」


そう言いながらもマダムは震える仔猫を毛布で包み、温めてあげた。そしてスヤスヤと眠り始めたので安心するとそれは男の赤ちゃんに変わったのである。


マダムは絶句した。猫に化かされたのかと外に出て見ると温室の側で親猫はグレーがかった仔猫たちに巻きついて呑気に寛いでいた。


「何よ。あなたの子どもでさえないじゃないの。」


マダムは部屋に戻るとこの子どもをどうすべきか考えていた。そしてどこからきたのかと。


そしてある可能性について考え始めた。1ヶ月前に彼女は夫を亡くした。夫は交通事故で亡くなったと聞かされた。しかし、彼女が夫の遺体を確認した時その顔に傷一つ見えなかった。医師には内臓の損傷による死だと伝えられたが、夫の行動には不審な点がいくつもあった。ある時期から夫は小さな物音に驚いたり、何かを恐れているような素振りを見せることがあった。

夫の職場は国立の研究所であった。遺伝子の研究をしていると言っていた。夫との出会いは、私の父の財団の開催したパーティーであった。誰も理解することを期待していない形ばかりの研究発表や半分以上自慢話の起業家の話を延々と聞かされる中、夫である篠宮の話しはとても有意義だった。研究者らしからぬウィットに富んだ軽快な語り口に身近な例を用いながら自分の研究をとても楽しそうに話した。私は彼に話しかけると彼はとても快く対応してくれた。自分の研究の話をとてもわかりやすく話してくれたり、まだ大学生であった私の研究のアドバイスをくれたりした。

私の大学は彼が教鞭を取っている大学でもあったので、私は彼に会いたくて、パートタイムで彼の研究室がある学部の事務に応募した。大学を卒業するとすぐに私たちは結婚した。

結婚して10年以上経ってから彼は大学で教鞭を取ることを辞めて研究所で働くようになった。国家の安全保障に関わるからと研究内容は機密事項となっていて私も知らなかったが、夫が死ぬ少し前に遺伝子に関わるものだと夫は漏らした。

夫の葬儀の準備をしていた時だった。葬儀につける真珠の一連ネックレスの状態を確認しようと引き出しをあけた時だった。ネックレスが入った箱の下に封筒があることに気付いた。遺書であった。真珠のネックレスは夫が買ってくれたものだった。自分が死ぬとそれを着けることを知って彼はそこに遺書を置いたのだ。

震える手でそれをあけると、そこに書いてあったのは、想像を超える事実だった。


「私の愛する貴方へ


こんな形で私が君の元から居なくなってしまったことを本当に申し訳なく思っています。


私はあまりに無力で何もできなかった。


あまり時間がないので多くのことは書けません。


まず、私の研究について話します。私の研究は遺伝子操作をして軍事利用するための人間を創り出すことでした。つまり、人体実験をしていました。


私は大学にいる間に研究所から声がかかり、待遇も良く、国立の研究所だからと全く警戒していませんでしたが、気付いた時には後戻りできないところに来ていました。


私はほぼ強制的に労働を強いられ、非倫理的な研究をさせられていました。


しかし、昨年の政権交代から状況は変わりました。詳しく書くことはできませんが、研究所の関係者が次々に失踪や不審な死を遂げるようになって行ったのです。


つい最近私に非常に近い人間がいなくなりました。恐らくもう帰ってこないと思います。私も避けることはできないかも知れません。


研究に協力していた某国がわたしたちを見限ったのです。


愚かにも軽率にこのような研究に関わってしまったことを心から悔いています。


そして貴方のことをとても愛しています。


最後に一つだけ私の頼みを聞いてください。


私の死因について疑いを感じても決して深追いをしないでください。もし、誰かが貴方に私の死に関することで協力を持ち掛けても決して信じないでください。


私の死について疑問を捨て、全て忘れてあなたは生きてください。


とても大切な貴方へ。


邸宅の庭の温室は本当は貴方が喜ぶかと思って造ったのですが、僕にはあんまり美的センスがなかったようで君を喜ばせることができなかったのが残念です。


どうかこの手紙は読んだらすぐに燃やしてください。


愛しています。


貴方の夫より」



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マダムは僕が彼女の夫の研究によって作られたのだと信じていた。彼女の夫の研究所は彼女が猫の僕を発見する2日前に爆発して跡形もなくなった。


彼女には子どもがいなかったが、彼女は僕を自分の子どものように育てた。しかし、それは普通の子どもに対するものとは違っていた。


彼女に取って僕は夫の形見のようなものだった。そして彼女は僕が軍事兵器であることを知っていた。


そして彼女は僕を兵器として育てた。

僕に何ができるのか知るためにあらゆることを限界まで試した。山に置き去りにされたこともあった。僕はそこでヒョウになることを覚えた。

あらゆる文芸も教え込まれた。



その中でも僕はピアノが1番好きだった。マダムは僕のピアノをとても喜んで聴いてくれた。上流階級の集う場所でピアノを弾くこともあった。ピアノもまた武器であった。


彼女は僕を暁と呼んでいた。


僕はマダムの復讐のための兵器となった。


僕はある時は清掃員、ある時はピアニスト、ある時は刺客、ある時は料理人だった。


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