第5話 プレイリスト


真木誠一郎は、正義感の強い男であった。同僚は、もっと上手くやれば出世できたのにと噂をしていた。彼は、今頃は幹部にいたはずだが、現在も現場を駆け回っている。それはある事件が原因だった。それは、とある研究所の火災である。18年前千葉の研究所で爆発事故が起こった。真木はその時現場に向かったが、年末であったからか消防はなぜか異様に遅れ、消化した時すでにその施設は跡形もなくなっていた。明らかに施設の破壊を目的とした人為的な爆発であったが、警察は事件性なしとして捜査での現場の立ち入りも禁止された。真木は大反発して、立ち入りが禁止されている中1人その施設に乗り込んだ。

その時、「おぎゃあーおぎゃー」と赤子の鳴き声がかすかに聞こえた。真木は耳を疑ったがそれは確かに施設の中から聞こえていた。

煙臭さ、そしてまだ熱ささえも残る中真木は施設の奥に進んだ。それは施設の地下から聞こえていた。焼け焦げた床に穴が空いている箇所があった。真木が足で踏むと簡単にボロボロと崩れて階段が現れた。階段を降りた真木はその空間を見た時激しい吐き気に襲われてそのまま嘔吐した。それは、間違いなく人体実験の施設であった。赤子はカプセルの中で必死で誰かに助けを求めるように泣いていた。なんと、赤子は双子であった。1人は大声で泣きもう1人はその赤子の手を握りしめて庇うようにしがみついていた。

真木は赤子を抱き抱えると、残っていた書類をかき集め急いでその場を離れた。書類のいくつかは中国語で書かれていた。


真木はこの爆発を引き起こしたのはどこかの個人や一組織ではなく、国が絡んだものであると気づき、自分が地下の施設を見つけ、この子どもたちを発見したことが知れたら子どもたちも自分も消されると確信した。


真木は東京の自宅近くの孤児院にこっそりと2人を置くと自宅に戻った。


家に持ち帰った資料を確認したが、ほとんど実験の結果に関するものであり、研究施設そのものに関する情報はあまりなかった。しかし、防衛省と、ある議員宛の封筒が見つかった。実験の結果については、ほとんど何が書いてあるのかわからなかったが、実験の結果が、何人もの子どもたちが生後すぐに死亡していることがわかった。


真木は、孤児院に置いてきた双子のことを考えた。彼らは無事だろうか。


その後真木は定期的に孤児院に訪れるようになった。初めは、実家から野菜が届いたとか、米が届いたとか言ってお裾分けという口実で伺っていた。孤児院にいる子どもたちも、そのうち真木に懐くようになって真木がくると大喜びだった。親のいない彼らにとって父性を求める心が真木に向いたのかも知れない。何度も通ったが、真木が預けた子どもはまだ外で遊べる年齢でもなかったためどうしているか伺いようがなかった。

しかし、ある日養母の節子さんが女の子の赤ちゃんを抱いているのを見た。真木が見ると、節子さんは、その子が今年の元旦に孤児院の入り口に置き去りにされていたのだと教えてくれた。真木は無事だったのだとホッとした。

「他にも同じような子どもはいるんですか?」

真木が問うと節子は、

「いえいえこの子だけですよ。赤ちゃんポストなんていうの置いてるところもあるみたいですけれどね。こんなこと滅多にあることじゃないと思いますよ。」

真木は、

「じゃあこちらの孤児院では、赤ちゃんは1人だけですか?」

と聞くと

「ええ、そうですよ。」

と節子は答えた。真木は双子の赤ちゃんであることを教えてくれると期待して聞いたのだが、1人と聞いて心が冷たくなる思いがした。もう1人は一体どうしたんだろうか。もしかして亡くなってしまったのだろうか。しかし、節子さんの顔には何の曇りもなく、赤ちゃんをあやして微笑んでいる。一体どういうことだ。

「元旦なんて本当に寒かったですから、そんな日に外に赤ちゃんを置くなんてね。」

真木は自分が残酷なことを言っているのを自覚していたし、自分が赤ちゃんを死に追いやった張本人かも知れないと思いつつも、動揺してつい口走ってしまった。

しかし、節子さんは微笑んで言った。仔猫がねこの子を温めてくれてたのよ。

「仔猫?ですか?」

「ええ、びっくりでしょう?白くて綺麗な仔猫がこの子にしがみついて温めるようにしていたの。」

「その仔猫はどうしたんですか?」

「一緒に中に入れようかと思ったんだけど、親猫なのかしらね、こちらを見てたから仔猫を抱えて置いてみたら連れて行ったわ。」


「そうなんですか。不思議なこともあるもんですね。」


真木は混乱しているままだったが、もう1人の子どもは、もしかしたら死んだわけではないのかも知れないと節子の顔を見て思った。しかし死んでないとしたら一体どこへ行ったのだろうか。男の子だけを誰かが連れ去ったのだろうか。一体何のために?もし国や研究所の関係者が嗅ぎつけたのなら2人ともいなくなっているはずだ。


真木は、もう1人の行方が気になるものの、度々孤児院に足を運んで双子の女の子の様子を伺うようにしていた。彼女は元旦の夜明けに孤児院の入り口に置かれていたのを発見されたことから「黎明」と名付けられた。

「黎明」は、とても良い子だったが、変わっているところがたくさんあった。まずはその眼の色である。彼女の眼は黄金でとても目立った。ある日訪ねた時彼女は屋根の上で本を読んでいた。まだ小学校にも入らない子どもが屋根の上に上がっていたので仰天して、なんてところに登ってるんだ!どうやってそんなところに登ったんだ!と心配でつい声を荒げると、ひょいと何事もないかのように軽く飛び降りて来たのだ。彼女が持っていたのは中学校の国語の教科書だった。真木の頭に浮かんだのはあの禍々しい研究室だった。恐らく彼女には特別なことがある。真木はそれを何としてでも隠さないといけないと強く思った。


それ以降真木は時々自分の息子の蓮を時々彼女と遊ばせた。そして黎明に彼女が特別な力があり、それを隠さないとみんなと一緒にいられなくなるかも知れないと教えた。しかし彼女を押さえつけることはできるだけしたくなかったので、息子の蓮にありったけの英才教育を施し、黎明に息子の蓮にできないことができる時は、特別なことだから隠しておくようにと教えた。蓮は黎明より6歳上だったし、幸い蓮は黎明には及ばなくも賢い子どもで、両親に似て運動能力は抜群に高かったから黎明の我慢は必要最低限にとどめられたと自負している。


黎明が小学校に入る時になると金色の眼を隠すためにカラーコンタクトを付けさせた。音が気になって眠れない黎明のためにノイズキャンセリングのイヤフォンも与えた。


真木が黎明に特別に目をかけていることに対して、節子はむしろありがたいと思っていた。黎明は想定外のことが多すぎて節子にはあまりに手に負えなかった。真木には黎明が普通に生活できるようにしてくれたことを心から感謝していた。他から見たら真木は黎明を引き取っても良いのではないかとも思われたが、真木は早くに病で妻を亡くし、男で一つで蓮を育てていることがわかっていたので誰もそのようなことを言う者はいなかった。


黎明はとても賢く、静かではあったがとても面倒見が良く、他の子どもたちをとても気遣っていた。


そんな黎明に変化が起きたのは彼女が中学生の時だった。孤児院の歳上の兄貴分だった青年がアザだらけで帰って来たのだ。彼は孤児院をでたら自分で生計を立てなくてはならないため、熱心に勉強していたが、遊びに付き合わず、ひたすら勉強ばかりしている彼は、不良グループとつるんでいたクラスメイトの標的になってしまった。黎明は何があったのかと聞いたが彼は何も答えない。黎明は次の日彼の後をそっとつけると彼がいじめに遭っていると知った。その後黎明は彼をいじめたクラスメイトを尾けて、不良グループの溜まり場を見つけた。いつも同じ時間にその場所に来ることが分かると黎明は、真っ黒な服そしてフードを被り真っ黒なマスクをするとそこに殴り込みに行った。そして、彼女の兄貴分である彼には手を出さない、出した場合にはいじめの証拠と音声とビデオを公開すると契約書を書かせて立ち去った。


その後も孤児院の子どもたちがいじめられるたび、また自分が不正義を見るたび、相手が大人であろうと子どもであろうと同じように真っ黒な服で乗り込んで解決して来た。


不良グループが立て続けにやられた際には警察も動いた。そこで真木は不良少年の証言から黎明でしかあり得ないと結論付けて、大学生だった蓮と共に黎明に話をした。


「黎明、最近黒豹と呼ばれて不良グループを潰して回ってるのはお前だとわかっている。」

黎明は黙って聞いていた。

「黎明、暴力は犯罪行為だよ。」

黎明は目を上げて言った。


「でも彼らは私の大切にしてる人たちに暴力を振るったり、脅したり、中には本当に犯罪者もいた。」

黎明の言っていることは本当だった。

しかし、真木は警察官である。


「自分で報復してはいけないんだよ。暴力を暴力で返したらお前も相手と同じだ。そして私も蓮もいるんだ。何か問題があったら相談しなさい。」


「はい。」黎明は俯いていた。


蓮は黎明を少し気の毒に思っていた。蓮ができないことは黎明はしない。そうやって彼女は生きて来た。彼女は賢いから周りをよく見て立ち振る舞いを変えていた。決して目立とうとしたりせず。大体2番を取っておけば大丈夫だとわかると、100点という上限がある勉強以外では2番を取るようになった。どんなに運動能力が人間離れしていてもいつも加減していた。蓮は1番それをよく知っていた。蓮はいつも1番だった。父と同じ警察官になるために格闘技も色々やってみたが、できないことは何一つなかった。いつも1番。でも黎明はいつも自分よりできた。そんな黎明と手合わせする時は最高に楽しかった。2人でいる時は黎明が超人的な動きをすることもあったし、それはとても見ていてとても綺麗だった。蓮は黎明のお陰で自分がいつも1番になれたのかも知れないと思った。

黎明が思いっきり跳んだり、屋根にのぼったりするとき彼女はとても生き生きしていた。でも学校に通う彼女の姿は諦めたようだった。


次の週、蓮は黎明を連れ出した。蓮も大人になり黎明とは子どもの頃のような距離では無くなっていたが、蓮にとって黎明はいつも特別だった。本当は親父と3人でキャンプにでも連れて行けたら彼女も喜ぶだろうと思った。でも彼女の生活は孤児院にあり、蓮たち親子はただの他人である。そこには明確な線引きがあるのだ。外泊だってそんなに簡単にはできない。蓮は都内から埼玉方面に車で黎明を乗せて、山に連れて行った。道中はただ音楽を聞いていた。お互い口数が多い方でもなかったので、特に話すこともなかった。蓮のスマホからBluetoothで車で音楽を流していたが、蓮が曲を選ぶこともあれば、黎明が選ぶこともあった。無言だったがとても心地よい時間だった。時々黎明が歌を口ずさんでいた。

紅葉の季節も終わり寒くなって来た今、キャンプをする人もいない。シーズンオフの人気のないキャンプ場に着くと車を降りた。川辺で景色がよく、親父と来ていた場所だ。黎明はどこへ行くのか、何しに行くのか何も聞かなかった。

「黎明、遊ぼうか」

「え?」黎明は驚いた顔をして聞いた。

でも、次の瞬間に嬉しそうに笑い出した。

「ふふふっ何するの?蓮?」

「俺が今から山に逃げるから、黎明は捕まえてね。黎明が捕まえないと俺は遭難するからちゃんと見つけろよ。あと、帰り道俺は気にせず逃げるからちゃんとここに連れて帰ること。」

「なにその放任ルール笑」

「じゃあ行くよ。俺は走って遠くに行くから、流石に無理かもって黎明が思う直前くらいに追いかけて来てね。」

「雑なルールね」

蓮は山の中に走り出した。どこへ向かっているかは自分でもわからない。ひたすら奥へ奥へと走った。そして走り続けた。



どれくらい走っただろうか。汗が滲んでいる。あたりはもう暗くなっている。黎明はどこにいるだろうか。蓮は水の音がしたので少し歩くと滝にたどり着いた。すごく綺麗だった。水に触れると想像以上に冷たかった。

蓮は岩に座って黎明を待った。


頭のおかしい遊びだとはわかっていた。でも、蓮は必ず黎明ならこれると確信していた。


どれくらい待っただろうか。もう夜が更けて真っ暗な森の中に星が輝いていた。


厚着してくれば良かったと後悔した。あまりに無計画すぎたかも知れない。もしかすると朝までここにいるかも知れないのだ。


一応ライターを持っているので火でも起こそうかと思ったその時だった。パキパキと枝を踏む音が聞こえた。やっと来たかと振り向くと、黒い塊が見えた。熊だった。


俺は熊と対峙した時の方法をある程度は知っていたので試してみたが、一向に熊の気がそれる気配はない、そしてついに熊は立ち上がりこちらに向かって来た。


その時だった。

バコン!

空から何かが降って来たと思うと熊はその場に倒れた。空から降って来たのは岩を持った黎明だった。黎明はこちらに走ってくると泣きながら抱きついて来た。金色の目が月明かりで光って見えた。

「死んじゃうかと思ったよ、危ないじゃない。」

「ごめん、危ない思いさせて。」蓮は謝ったが黎明に怒られた。

「危ない思いしてるのは蓮だよ!私は何でもないわ!お願いだからもうこんな無茶な真似しないで。」

黎明は泣いていた。

「でも黎明、お前熊倒したな。」

「倒したよ。」

泣きながら黎明は笑っていた。笑ってはいけない場面だと思っているのに笑ってしまうのだ。蓮も笑っていた。

「お前本当強いのな。上からくるとは思わなかったよ。どうやってここがわかったの?」


「半分くらいは足音だったよ。でもわからなくなってからは匂いだよ。」

「匂い?あ、俺汗かいてる。」黎明が抱きついたままなのに気づいて、引き離した。

「違うよ。汗の匂いじゃなくて蓮の匂いだよ。」

「俺の匂い?俺そんなに匂う?今日香水とか付けてないけど。」

「蓮の匂いは蓮の匂いだよ。」黎明は答えた。

「いい匂いだよ。」

黎明は言った。もうあたりは真っ暗で黎明の表情は見えない。でも彼女の金色の眼でははっきり俺の表情が見えてただろう。クソッ!


蓮と黎明はそのあと歩いて、キャンプ場に戻った。真っ暗で何も見えなかったが黎明の後をついて行ったらちゃんとキャンプ場に着いた。キャンプ場に着くと蓮は火を起こして車の中に積んできた道具と食糧で簡単な夕食を作った。黎明が「あの熊、持ってくれば良かったね。」と言った。熊の捌き方まで彼女は心得ているのだろうか。それともただの冗談だろうか。


蓮が入れたコーヒーを飲みながら黎明が言った。

「今日、久しぶりに本気で走った。」


「そうか。」


「連れて来てくれてありがとう。」


「また連れて来てやるよ。」


「怒られるよ。

早く大人になりたい…。」


川が流れる音が谷間に響いていた。満点の星空から星が輝くたびに音がしているようだった。


「また来ようね。約束だよ。」


Oh~ how I remember the soulful endless nights

When we would dance in the moonlight


彼女が口ずさむ歌は夜の闇に溶け込んで虫の声、フクロウの鳴き声、川の音、風が吹いて擦れる木々の音まで全て彼女の歌の一部のように感じられた。


帰りの車の中では、彼女は静かな音楽を流していたが、しばらくすると気持ちよさそうに眠っていた。


俺はもちろん親父にこっぴどく叱られた。

部屋に戻り、スマホを見ると、新しいプレイリストが作られているのに気づいた。


「蓮と黎明のプレイリスト」


と名前が付いていた。

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