第5話
滝田も村井も暫く何も言わず、源二郎の顔を見ていた。
やがて滝田が笑顔になった。それから村井に向いて言った。
「村井様、申し上げたとおりでしょう。源二郎は吟味方に向いております。いきなり探索に加えられても、誰にどうすれば良いか聞くことなく必要なことをやってのけている。しかも身内の仇探しと焦れ込んではいない。これからも吟味筋の
それから滝田は再び源二郎に向いた。
「村井様はおめぇが成田屋と中屋のことを調べているのは、俺が指図したんだと思ってらしたんだよ。で、これからどうするんだい?」
「昼、出かける前に他に似た押し込みがないか祖父江さんに伺ったら、三件あると申されましたので、その記録に目を通すつもりでおります」
滝田は驚いていた。
「おめぇ、いくつだっけ?」
「満二十二ですが……」
「見習いもせず、いきなり平同心になってまだ丸二年たってねぇよな……吟味筋の掛かりに入ったのも一度くれぇだよな……その三件てのは、俺も知りてぇな。読み終えて、おめぇも同じ賊だと思うなら、あらましを俺に教えてくれ」
「承知いたしました。明日は前に探索に加わった時のように、詰所に五つまでに参ればよいのでしょうか?」
「ああ。あしたはどうしたい?」
「え?」
「明日は何を調べる気だ?」
源二郎は戸惑った。少し迷ったが、滝田の気さくな様子に思いきって尋ねた。
「あの……ご質問にお答えする前に伺いたいことがあります」
「なんだい?言ってみな」
「滝田さんは麹町で聞き込みをなさったのですよね?」
「ああ。俺は奉公人の詮議をして、聞き込みは郷蔵とその手下にやらせた」
郷蔵というのが滝田の御用聞きである。表稼業では麹町で人宿を営んでいる。
「何かわかったことはあるのでしょうか?」
「残念ながら、今んところ、何も出てきてねぇ。成田屋、中屋とおんなじだよ。出入りの商人は表止まりで奥へは
質問を繰り返され、源二郎は仕方なく答えた。
「祖父江さんが同じ賊の仕業ではないかと申される三件の記録を読んでみて、同じ賊だと思えたら、今日のように、生き残った者や当時を知る人に話を聞きたいと思います」
滝田は頷いた。
「髙山様におめぇには同じ賊と思われる過去に起こった押し込みを調べ直す役をふったと伝えておく」
「髙山様が伊勢屋の押し込みの掛かりなのですか?」
源二郎は思わず聞き返していた。しまった、余計なことを言ったと思ったが、滝田はうんざりした顔で頷いた。
「残念ながらな。中屋もそうだったんでな……」
中屋もそうだったとは……と、源二郎も落胆した。
吟味方与力の
当初は公事方(民事訴訟)の与力だったのだが、二年半前の公事方の白州で事件が起こった時に真っ先に詰所から逃げ出した結果、吟味筋(刑事訴訟)に変わった。変な話だが、吟味筋の方が警戒している分、白州での事故や事件はまず起こらないからである。
件の公事に関わっていた与力や同心は解雇や蟄居など厳しい処分を受けたのに、掛かりでなかったため、とっとと逃げたことへの叱りで済んだという。実家からそれなりの金子が奉行所に入ったのだろうと噂される。
もちろん無能ではないが、なにかと杓子定規らしい。
これは今後やりにくいかもしれないと、源二郎は思った。滝田が自分を後押ししてくれるのがありがたかった。
源二郎は年番方の詰所を出ると、まっすぐ例繰方へ向かった。予想以上に年番方で時間を費やしていた。
祖父江は約束通り三冊の帳面を用意して源二郎を待っていた。
「一つは五分五分だが、二件は間違いないとわしは思うとる」
祖父江は自信たっぷりだった。
まもなく日が暮れる。記録の類いを奉行所から持ち出すわけにはいかない。源二郎は急いでまた同心の詰所へ向かった。
祖父江が挙げた三件は、七年前に起きた茅場町の乾物問屋播磨屋、その翌年の暮れに起きた小網町の水油問屋の岡崎屋、成田屋の半年前に起きた平右衛門町の乾物問屋近江屋の押し込みだった。
いずれも金の保管場所近くで寝ていた者が殺されていた。主一家の大半とともに、その三件では番頭や女中も殺されていたのである。
そして、台所近くの部屋で寝ていた播磨屋の乳母と乳飲み子、当日たまたま外泊していた岡崎屋の息子は助かっている。そこが成田屋、中屋、麹町の伊勢屋との微妙な違いだ。
一通り記録に目を通して源二郎にわかった六件に共通している点は、川や堀などいずれも大きな水路が近くにあること、侍が、おそらくは浪人が賊の中心だということだった。さらには金の近くにいた人物が殺されているというのも共通項だと源二郎は思った。
中屋と伊勢屋はそもそも奉公人が主一家の近くで寝ていなかったし、成田屋はもしもうめがもたもたしていたら、男児と共に殺されていた可能性が高い。だとすると、かなりの確率で同一の賊ということになる。
祖父江がこの三件を挙げたのもそう考えてのことだろう。
しかし近江屋では殺された奉公人の中に引き込み役だったと思われる人物がいた。勤め始めて間もなかった下女である。その点で祖父江も一件は五分五分と言ったのだろう。
他にどんな共通項があるのか。
それにしても、成田屋の押し込みが起きた時になぜ掛かりの連中が播磨屋、岡崎屋の件と結びつけなかったのか、源二郎は不思議だった。
源二郎が八丁堀の榊屋敷に帰ったのは、夜の五つ(午後八時頃)を過ぎていた。
片開きの木戸門を開けようとしたら、隣にある青井家の屋敷内から男達の笑い声が聞こえた。
青井家の冠木門近く、ちょうど榊家の隣にあたる位置に男の奉公人五人にあてがわれた小屋がある。年齢にかなり幅があるのだが、五人は仲が良いらしく、夜食を食べ追えた後もしばらく歓談し、夜の四つ(午後十時頃)近くまで話し声や笑い声が聞こえてくることが多い。
そして昼間は裏から話し声がする。その箇所の手前は青井家のこじんまりとした庭で、奥にはこじんまりした菜園があり、奉公人達が庭や菜園の手入れをしているときの雑談が聞こえるのだ。
つまり、榊の屋敷は与力の青井家に囲まれるように建っているのだ。というのも、青井家が公儀から拝領している三百坪近い敷地の一角に建っているからである。
すなわち、源二郎は借地に住んでいるのだ。借地の広さは五十坪である。
では榊家が拝領している百坪の屋敷地はどうなっているのかというと、長屋を立てて借家にしていた。
ゆえに、源二郎は大家でもある。
町人に貸してはいけないので、借り手は医者、学者、陪臣や武家奉公人である。家族と暮らすために主の屋敷を出て通いにする陪臣や渡りの武家奉公人が結構いるから、店が二月空くことはこれまでに一度も起こっていない。そして、長屋の家守は診療所と住まいとして二店を貸している医者が一店の店賃免除で引き受けてくれていた。
敷地の一部を貸している直参(旗本、御家人)は少なくないが、この形にしてしまったのは、源二郎の祖父だった。祖父と青井家の先々代が部下と上司の間柄を超えて意気投合した結果だ。敷地が広すぎて誰かに貸そうと思っていた青井家の先々代と副収入を得ようとしていた祖父の思惑が一致したのだ。しかも隣であれば行き来が簡単である。双方にとって一石二鳥だった。
源二郎の祖父は同心としては凡庸で、出世する気はさらさら無いという人物だったらしいが、長屋をうまく切り盛りしていく術を記した覚書を子孫のために残していて、それに目を通した源二郎の感想は、祖父には商人の資質があったらしい、であった。
玄関は専ら来客用にして、源二郎は家督を継いでからも勝手口から出入りしている。
富三は一礼して、勝手口の脇にある四畳半の板の間へ入っていった。そこが長年富三が寝起きしてきた部屋だ。出入口も勝手口の脇にある。
源二郎がいつものように勝手口を開けると、さち婆さんは源二郎のために用意した膳の横で板の間と畳敷きの居間との境にある障子にもたれて眠っていた。ほぼ同じ膳が富三の部屋にも用意されているはずである。
源二郎は起こさないようにさち婆さんの横をすり抜け、もう一つ奥の部屋にある仏壇に手を合わせた。朝晩の日課だ。今やその仏壇には顔を知らない祖父母や母だけでなく、父と兄の位牌も置かれている。
それから、台所に戻り、そっとさち婆さんの肩を叩いて起こした。
「あ、旦那様」
さち婆さんはあわてて立ち上がった。
「お味噌汁をあたためますんで、ちょいとお待ちを」
「冷めていて構わん。とうに日も暮れているしな」
源二郎はそう言いながら膳の前に座った。
火事の多い江戸では日が暮れてから火を使うのはなるべく避けるようにというのが、公儀の方針である。
源二郎は側においてあった米櫃の蓋を開け、さっさと自分で白飯を丼に盛った。
「そうですかぁ。そうおっしゃるんなら……」
さち婆さんは決まり悪そうに鍋から冷めた味噌汁を椀に入れ、膳に置いた。
「先に休んで良いぞ。俺はすぐには休まんからな」
さち婆さんは、ためらいを見せた。しかし源二郎が黙々と食べ始めたのを見て「そいじゃ、お言葉に甘えて……」と、自室にしている三畳の部屋へと下がって行った。
この時代の食事は白飯中心で、副菜はわずかである。青菜の入った味噌汁、魚の干物一切れと漬物で源二郎は黙々と丼飯を口に入れた。
頭の中では今日一日に起きたこととわかったことがぐるぐると回っていた。
ふと、白井般右衛門は今どこで何をしているのだろうかと思った。
翌日にも生き延びた伊勢屋の奉公人達は一人ずつ詮議を受けたが、前の二件同様、誰もが知らぬ存ぜぬだった。
しかしその再詮議で意外なことが判明した。
当初の詮議では口を濁していた、通いで難を逃れた筆頭番頭が、二度目の詮議で打ち明けた。伊勢屋にあまり蓄えはなかったというのだ。
「誠にお恥ずかしいことながら、羽振りの良い振りをしておりましたけれども、内証は火の車でして……旦那様の手元に果たして三十両あったかどうか……」
その腹いせもあっての幼児斬殺だったのか。
その事実は掛かりの面々の士気をあげた。賊が実入りの少なさに近いうちに再度商家を襲うことが大いにあり得るからだ。となると、府内に滞在している可能性も高い。
今度こそ捕まえるのだと、髙山は掛かりの助役や同心に向かって檄を飛ばした。
一方、源二郎は押し込みに関する聞き込みならば、自由に動いてよい、毎日報告だけはするようにと、滝田が裏で手をまわしたからか、髙山に言われたのを幸いと、滝田に言ったとおり、祖父江が同じ賊ではないかと考える三件と今回の伊勢屋について、万蔵と手分けして聞き込みを行った。
当時、定町廻りだった人物にも話を聞いた。播磨屋と岡﨑屋の押し込みがあったときの定町廻りはすでに奉行所を辞めていたが、一人は八丁堀で、一人は本所で元気に隠居暮らしを楽しんでいた。近江屋の現場を調べたのは、今は臨時廻りをしている仁科だったから、奉行所内で話が聞けた。
そうやって五日間を費やして得た成果は、祖父江の言う三件のうち二件、引き込みが見つかっていない播磨屋と岡崎屋は、まず間違いなく同じ賊の仕業と思えたことだった。
そして、その二件の押し込み時にはあの剣豪が賊にいなかったらしいこともわかった。あの男が盗賊に加わったのは五年から四年前の間ということだ。
奉行所でその日の活動を報告し、強い疲労を感じながら源二郎が屋敷の木戸門を開けようとしたら、中から明るいさち婆さんの声が聞こえた。
その様子に源二郎は木戸門を開ける前から客が誰かわかった。
――真の字が来てるな。また屋敷に戻りたくなくて、ここでとぐろを巻いているのか。
そう思い、源二郎は木戸門を開けた。
台所の勝手口が大きく開いていて、さち婆さんが楽しそうに喋りながら、鍋で何かを煮ているのが見えた。
さち婆さんは源二郎の姿にさらに笑顔になり、「おかえりなさいませ」と叫ぶと、さっと釜の隣から薬缶を持ち上げて足元に湯を注いだ。
すすぎ湯の用意ができていたらしい。
「また当たりましたよ。なんで真乃様はおわかりになるんですかねぇ」
さち婆さんは首を傾げながら、すすぎ湯の盥を台所の、いつも源二郎が腰かける上がり框の下に置いた。
真の字が「源二郎がもうすぐ帰ってくるぞ」とさち婆さんに予告していたらしい。よくあることだ。源二郎も人の気配には敏感な方だが、真の字の勘の良さと気配を読み取る感度は源二郎の上をいく。
案の定、源二郎の上がり框定席の横に真の字、青井真乃が座っていた。髪を後頭の高い位置でひっつめて垂らし、袴を履いたいつもの浪人風の格好だ。
やはり変わった。そう源二郎は思った。この夏から秋の始めまで引き受けていた用心棒で真乃は大きな企みに関わったらしいのだが、その中で悟りというと大げさだが、何かを会得したらしい。それまでと比べると、雰囲気にゆとりのようなものが感じられるようになっている。
「相変わらずしけた面してるな」
湯飲み片手に、これまたいつものように遠慮会釈なく言ってきた。口の悪さは相変わらずである。
「何の用だ?暇潰しに付き合う暇なんか、こっちにはないぞ」
源二郎はどさりと上がり框に腰かけてから言った。
「手詰まりなんだな」
真乃が面白そうに言った。
「兄貴から聞いてるだろう。厄介な賊なんだ」
「今日はそのことでお前を待っていたんだ。礼は雉の山椒焼きで手を打つ」
「何抜かしやがる。何がわかったっていうんだ。本当ならもったいぶるな」
源二郎も真乃が相手だと遠慮会釈なく言葉遣いが粗っぽくなる。
「成田屋、中屋、伊勢屋に、祖父江さんが気にしたうちの二件、播磨屋と岡崎屋に町方がこれまで見逃していた、共通していることがあるのさ」
源二郎はすすぎ湯に足をつけたまま真乃の顔を見た。
真乃はにやりと笑っていた。
「どれも町内で二番目か三番目の大店だとか言うんじゃねぇだろうな」
それもまた六件の共通項なのだ。理由は、おそらく町内一の大店には用心棒を雇っている店が多いからだろう。
「万蔵じゃあるまいし」
真乃はすかさず返してきた。万蔵にすっとぼけたところがあるのは真乃も認めているのだ。それはそうだろうと、源二郎は思う。いまだに万蔵は真乃を男だと思い込んでいるのだから。
「五件ともあの舟庵先生が往診していたんだよ」
源二郎が思いもしなかったことが真乃の口から出た。よりによって舟庵だ。
「まさか……」
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