第3話

 知らず引き込みをしてしまう。そんなことがあるのだろうか。事前には気づいていなくとも、押し込みが起こった後には気づくのではないか。

 成田屋の奉公人達は押し込みの後、暫く牢屋に入れられ、出た後にも暫く見張りをつけられていたという。それでも何も出てこなかったのだ。

 ――主一家の誰かがそうとは知らずに賊と通じていた?他にどんな手があるだろうか。

 そもそも同じ賊の仕業だという確証のあるのが成田屋、中屋と今回の麹町の伊勢屋ということで、連中が押し込んだ商家が他にないとは限らない。

 だがここ数年に絞るとしても、全部の記録にあたるのは難しい。

 帳面には、中屋で生き残った若旦那の御内儀はみの、当時乳飲み子だったのはきえと記されていた。


 ――おうめとおみのは今どこで何をしているのか。二人に直に話を聞くのが第一にやるべきことだ。

 源二郎がそうしたことを考えていると、話し声が聞こえた。三人がこちらに近づいてくる。

「その破落戸、女の格好をしていたが、あれは男だったって言うんだ。そんな奴いるかね?」

 日本橋の南側を受け持つ定町廻り同心、加藤の声だ。

「女に投げ飛ばされたとあっては面目がたたないから、盛ってるんじゃないのか?」

 これまた定町廻りの中村だ。今の受け持ちは上野である。

「いくら小柄な破落戸でも土蔵の壁へ背負い投げでぶち当てて気を失わせるのはすごいぞ。そんな腕のたつ奴がなんでわざわざ女の格好をするんだい?」

「世の中には色んなのがいるからなぁ……」

 三人目は定橋掛り同心の諸岡だった。三人とも四十一の同い年で、なにかとよくつるんでいる。

「土蔵にぶち当てられた破落戸を見たが、痩せてはいるものの、背丈は六尺近くある大男だったよ」

「その投げ飛ばした方も女としては大きくて、ゴツかったのか?」

「助けられた爺さんと孫娘、その場を見かけた者たちの話じゃ、背は高かったが、なかなかの器量だったらしい。男が女の格好をしているとは思わなかったと言っていた」

「まぁ世の中には色んなのがいるからなぁ……」

  源二郎は思わず聞き耳を立てていた。

 ――確かに世の中には、色んな奴がいる。だが女でそんなことをやらかせるのは、たぶん、きっと、真の字ぐらいだ。昨日はぶつくさ言っていたしな……明日は髪を島田に結わないといけないから面倒だと……真の字に間違いない。お、女の格好した男……

 笑いを堪えようとしたら、肩が震えた。


 そう、源二郎の乳兄弟であり幼馴染みの、与力の家に三月早く生まれた「真の字」は、女なのだ。だがとてつもない剣術の才があり、体格も源二郎とほとんど変わらない。その大柄な体格と剣術の才を活かし、日頃は袴を履いた浪人風の格好をして用心棒という「人助け」をしている。本当の名前は青井真乃しんのだが、用心棒としては「青井真之助」と、男の名で通している。

 真の字の家が榊家と同じ同心の家だったなら、もっと気楽にいられたろうにな……源二郎が時々思うことである。


「おう、榊の源二郎か。そんな隅っこに座って何を読んでるんだ?」

 源二郎はあわてて挨拶するために振り向いた。詰所の入り口に黒の巻き羽織が三人立っていた。

「お帰りなさいませ」

 加藤がずかずかと源二郎の方へやって来て、広げたままの帳面を覗きこんだ。

「ああ……中屋の……」

 納得したというように大きく頷いた。

「昨夜起きた麹町の伊勢屋もそうだってな。おめぇのことだから、大丈夫だろうが、焦れ込みすぎねえようにな」

「お気遣いありがとうございます」

 この人もかと、源二郎はため息をつきたくなるのをなんとか我慢し、一言礼を言った。


 今朝は急な呼び出しで屋敷を飛び出し、先が読めないと思った源二郎は、昼の弁当はいらないと、三十年近く榊家に奉公しているさち婆さんに言ってあった。どこかへ食べにいかないといけない。その足でうめとみのの行方を探しに行こうと思った源二郎は、二冊の帳面をいったん例繰方へ返した。


 祖父江の手慣れた様子に、源二郎は思いきって尋ねてみた。

「祖父江さんのお考えで、この二件と同じ賊ではないかと思われる押し込み、他にありませんか?」

 驚くか、嫌な顔をされるかと思っていたら、祖父江の顔つきは喜んでいた。目が輝き、よくぞ、聞いてくれたという顔つきになった。

「絶対じゃないが、他に三件、似たのがある」

「三件も……」

「不思議なことに、そういうことを聞いてきたのは、隠居された青井様だけだったよ。中屋の押し込みがあって間もなくのことだ」

「真右衛門様が……」

 さすがだと源二郎は思った。


 北町奉行所で優れた吟味方与力として名を馳せ、昨年到仕 (辞職)した青井真右衛門は、乳兄弟である真の字の父親だ。源二郎に乳を与えて真の字と一緒に育ててくれた芳乃はその妻である。

 その育ての母も源二郎が十一の時に亡くなった。その通夜で、涙が止まらない源二郎を真右衛門は暫く黙って抱き締めた。源二郎にはよくわかった。その時、真右衛門も泣いていたのだ。

 その思い出のせいか、源二郎には実の父親よりも身近に感じることのある人物である。

 そして、真右衛門は恭一郎の死も父の死も、妻が亡くなった時と同じくらい悲しんでいた。


「これから町へ出ますが、夕方には戻ります。その時に三件の覚書を見せてもらえますか」

「承知した」

 祖父江は笑みを浮かべていた。嬉しそうだった。


 成田屋と中屋の件の確認に出かけますと村井に一言断り、中(昼)食を食べるために外へ出ようと門の方を見たら、門の側に継上下つぎかみしも姿の青井静馬の姿があった。青井真右衛門の長男、真の字の五つ年上の兄である。奉行所には見習いとして十年前から勤め始め、昨年、家督を継いだのを機に父親の跡を継ぐべく正式に吟味方与力助役になった。見習いの頃から、実質的には助役の仕事をこなしていたので、すぐに吟味方与力に昇進するだろうと言われている。


 なお実質は世襲しているが、町奉行所の与力も同心も一代限りの抱え席なので、書面としては単に父親が奉行所を辞め、息子が奉行所に新規で雇われた形である。源二郎も書類上は兄の後継ではなく、新規召抱えで奉行所に雇われている。しかも同心の契約期間は一年だから、毎年暮れには形骸化しているとはいえ、更改がある。


 静馬にはやはり真の字と似た雰囲気があると、最近の源二郎は静馬を見るたびに思う。体格もほぼ同じだ。兄妹なのだから、当たり前といえば当たり前だが、兄と似ているとあまり言われたことのない源二郎には、必ずしも当たり前の一声で片付けられないことである。


「中食は外へ食べに行くのだろう?一緒に食べよう」

 源二郎が近づいていくと、静馬が先に声をかけてきた。

 日頃は奉行所内で弁当を食べている静馬である。何か周りに聞かれたくない話があるらしい。


 奉行所の目の前にある呉服橋を渡ってすぐの所にある一膳飯屋に二人は入った。場所柄、奉行所絡みの人間がよく利用している。

 案の定、静馬は昼間はめったに人を入れない二階を使わせてくれと店主に言った。同心ならまだしも、与力に頼まれれば嫌とは言えない。内心ではムッとしていたのだろうが、店主は愛想よく二階へ二人を案内した。


 静馬の話は今朝方伊勢屋に押し入った賊の件か真の字のことだろうと源二郎は思っていたが、蓋を開けてみれば、その両方だった。

 まずは押し込みのことから話は始まった。

 賊の中に本当に源二郎の兄、恭一郎を斬殺した奴がいたのかと静馬は尋ねてきた。

「おそらく」と、源二郎は短く答えた。

「そうか。とうとうまた現れたか……落ち着いているようだが、仇を目の前にしてもそうやって落ち着いていられるのか?」

 昔からよく知る静馬にまで言われ、源二郎はそっとため息をついた。

「皆、俺が焦れ込むのではないかと心配しているようですが、あくまでも賊を捕まえ、これ以上犠牲者を出さないことしか考えていませんよ」

「そうか。それなら良いのだが、人は案外自分のことには気が付いていなかったりするからな。真乃もお前にそんな心配はいらないと言っていたが……」

 そこで静馬は源二郎の目を見つめてきた。

「あいつも自分のことは案外わかっていないのではないかと思う」

「……どうしてそう思うんです?」

「このまま用心棒をして暮らしていけると思うか?本音を聞かせてくれ」

「先のことは誰にもわかりません。ですが、ひとつだけわかっていることがあります」

 静馬は口を挟まず源二郎の次の言葉を待っていた。

「真の字を好いてもいない相手と添わせるのは、生き埋めにするようなものだということです」

「生き埋め……」

 静馬は呆気にとられた顔だった。そこまで強い言葉が出てくるとは思っていなかったらしい。

「静馬様のご心配はよくわかるのですが、今暫く様子を見られた方が良いかと。真の字は先のこともしっかり考えているはずですし」

「そうなのか?女が一人で生きていくのは難しいのだぞ」

 確かにそのとおりだ。この男尊女卑の時代には家屋敷を買うことはもちろん、貸家を借りることも女の名前ではできない。実際には女の一人住まいであっても、沽券、後の世の登記や借り手は父親、兄弟や後見人など、男の名前になっているのである。


「それはそうですが、真の字は一人きりというわけではありませんし……」

 そう言った源二郎をまたじっと静馬が見つめてきた。真意を探るような目だ。

「なぁ、源二郎、何故嫁をもらわぬ?奉行所へ勤め始めてもう二年経つ。縁談はいくつも持ち込まれてきただろう?」

「まだ二年、ですよ。同心として勤めるとは思ってもみなかったのに、急に勤めはじめての二年。あっという間でした」

「恭一郎もなかなか嫁を迎えようとしなかったが……源二郎、お前、ひそかに心に決めておる相手がおるのではないか?」

 源二郎は吹き出した。

「おりませんよ。俺はそんなに器用でも我慢強くもありません」

 源二郎は静馬の問いに答えながら、無理やり煮物と飯、味噌汁を胃の腑に押しやっていた。

 話のせいではなく、この店の味ならば、自分で作るほうが美味しい。自分の味覚に合わせて作るからだ。

「父上はまだ望みを捨てておらぬようだが、俺はお前と真乃の間柄のことは父上よりもわかっている。一番には榊の家のためだが、父の間違った期待を打ち消すためにも、そろそろお前に身を固めてもらいたいのだ」

 静馬がそう言っている間、源二郎は味噌汁を啜り、飯を掻き込み、静馬の方は見なかった。

 出された食べ物をすべて胃の腑に納めた源二郎はやっと静馬の顔を見た。

「真の字のことはご心配なく。真右衛門様や静馬様が思っておられるよりも、ずっと頭は切れ、心身ともに逞しい。俺にも俺の考えがあります。榊家を潰すようなことはしません。これから遠出をしないといけないゆえ、先に失礼します」

 源二郎は一礼し、立ち上がった。目付きはまだまだ言いたいことがありそうな風だったが、静馬は引き留めなかった。


 恭一郎がなかなか娶らなかった理由は、叶わぬ想い人がいたからだと源二郎は思っていた。

 一方、源二郎が縁談を断り続けているのは、心に決めた相手がいるからではない。そして、静馬にもその理由を口にする気に源二郎はなれない。笑って何を言っているのかと、頭から否定されることがわかっているからだ。

 人の心は単純ではない。端から見れば思い過ごしとしか思えないことであっても、当人にはなかなかはずすことのできない枷がある。



 源二郎は一膳飯屋を出ると、すぐに己のことは頭から消し去り、探索のことを考えながら北へと歩いた。

 この時代、人の行方を突き止めるには、町名主に尋ねるのが一番である。人別帳を管理しているからだ。しかも大抵世襲している。名主と借家住まいであれば家守に尋ねれば、その町からどこへ移ったかは大抵わかるのだ。


 源二郎は鎌倉河岸から舟に乗って神田川を上り、牛込の揚場まで行った。そこから再び徒歩で市ヶ谷田町へたどり着くと、一息入れることなく、すぐに名主を訪ねた。

 名主は事件が大きかったこともあり、うめと当時三歳だった亀吉のその後をよく覚えていた。亀吉は下谷の分家に引き取られ、うめは今も同じ町内で女中として働いていた。

 さっそく源二郎はうめが働いているその商家を訪ねた。

 思い出すのも嫌だと言われるかもしれないと思っていた源二郎だったが、当年二十歳のうめは非常にしっかりした娘だった。しっかりした娘だったから、男児とともに生き延びることができたのだろう。

 うめは賊の人数について、「四人はいたんだと思います」と言った。隣の若夫婦の部屋に押し入ったのは一人で、もう一人が更にその向こうの部屋にいたのがわかったという。はっきりした気配はその二人だったものの、四人はいただろうというのは、あの短時間に二人だけで主一家をほとんど声をあげさせることなく惨殺し、金を盗みだすのは無理だと考えてのことだ。賊の姿は全く見ていなかった。もしも賊を目にしていたら、うめは殺されていたに違いない。

 他に何か思い出したことがあったら、いつでも知らせてくれと言い置いて源二郎はうめと別れた。


 次に源二郎は元中屋の若女房に話を聞くため、再び牛込の揚場で船に乗り、神田の佐久間町まで一気に神田川を下った。

 ところが、佐久間町の名主にみののその後を尋ねたら、一年ほど前に瀬戸物町の菓子屋、清水屋へ娘を連れて後添いに入ったと聞かされた。瀬戸物町は、皮肉にも町方の組屋敷のある八丁堀の近くである。

 源二郎は佐久間町から和泉橋を越え、瀬戸物町まで黙々と南下した。


 清水屋の奥座敷で初めて見たみのは、なかなかの美人だった。帳面に書かれていた生年からは、源二郎の一つ年上である。大きな腹を抱え、大儀そうに現れた。来月が産み月だという。

 そして傍らには幼女がいた。じっと源二郎を見つめてきた。

 この子がきえだなと源二郎は思いながら、こんにちはと苦手な笑みを浮かべて軽い挨拶をした。

 果たして嫌な思い出を掘り起こして話してくれるだろうかと不安に思っていた源二郎だったが、みのは忘れたことはないと前置きし、時々言葉につまりながらも、あの夜の詳細を語った。


 みのは夫の声で目が覚めた。何事かと半身を起こしたら、濡れ縁側の腰高障子が開いていて、そこに頭巾を被り、抜き身を手にした男が立っていた。

 直後にみのは夫に突き飛ばされた。部屋の奥へ倒れながら、みのは背中に夫の悲鳴を聞いた。目の前には生後十月の娘、きえが寝ていた。夫の悲鳴に目を覚まし、泣き始めた。

「きえを……」

 夫の力のない声はそれきり途絶えた。みのは急いできえを抱えて叫んだ。

「この子は、この子はお見逃しを!」

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