第2話
「どうだ、奴だろう?」
伊勢屋
「そうですね。奴だと思います」
源二郎は素直に答えた。内心ではわざわざ知らせてくれなくても良かったのにと思っていたが、大先輩の親切を無下にはできない。
「押し込みは明け方近くだったから、まだ御府内にいるだろう。すぐに出ちまうかもしれねぇがな。おめぇも探索に加わることになる。前々から上との話はついているからな」
探索に加わること自体は望むところだったが、源二郎にとってそれはあくまでもこれ以上犠牲者を出さないためであり、兄の仇を討つためではない。だが周りはお膳立てをしないといけないと思っているようだ。そんな雰囲気が時々鬱陶しい。
兄、
それにしても、早朝に呼びつけられた麹町十一丁目にある硯墨問屋、伊勢屋の主一家が寝ていた三部屋の惨状は、目をおおいたくなるものだった。
どうしてここまで惨たらしい有り様にしないといけないのか。奉公人は全員無事だったのだが、主の家族はたった五つの治郎右衛門の孫まで殺されていた。
源二郎はそのことに一番腹を立てていた。
四年前に同じ賊が押し入ったと思われる成田屋では主の孫だった三歳の男児は子守りが抱えて二階へ逃れ、生き延びた。二年前の中屋は、兄、恭一郎の奮闘もあり、若女房とその乳飲み児は生き延びた。
今回、主一家は全滅だ。
蓄えた金の近くに主一家が寝ているのは確かだが、どうして幼子まで手にかける必要があるのか。五つやそこらの子が成長した後に家族の仇と盗賊を探すなど、まず考えられない。おそらく頭巾を被っていたであろう賊を後々見極められるとは思えない。
「富裕な商家に恨みのある連中だな」と、五歳の子の亡骸に布をかけながら、同じくらいの娘がいる滝田は呟いた。
外へ出ようとした時、源二郎の押し掛け御用聞きの万蔵が伊勢屋に走りこんできた。
「あっ!榊の旦那!検視は終わりやしたか?」
「ああ、終わったよ」
源二郎は万蔵の横を抜けて伊勢屋の外へ出た。
万蔵が榊家の住み込みの奉公人である小者の
富三はもうすぐ六十になる。源二郎が生まれる前から父の供をしていた小者で、期間は短かったが、兄の供もした。真面目で、万蔵と違って無口な男だ。やはり源二郎が生まれる前から榊家に奉公しているさち婆さんとは姉弟である。姉が口下手な弟を雇ってくれと頼んできたのだ。確かに愛想は悪かったし器用ではなかったが、身体は頑健で、やることはきっちりやろうとする頗る真面目な男なので、源二郎も、父、兄に続いて富三を供として奉行所に通い続けている。
そんな富三だから、元博打打ちであるお喋りな若者の万蔵と馬が合うとはとても思えないが、源二郎に対しても万蔵に対しても嫌な顔は全く見せず、自ら口を開くこともない。
自称「二十歳くれぇ」の万蔵は、まだ兄も父も存命だった二年半ほど前、源二郎が道場の師範代で小遣い稼ぎをしていた頃に出会った。万蔵の
「……で、どうでやした?」
「一家は皆殺しだ。たった五つの孫まで殺されていた。無惨な有り様だった。奉公人は全員無事だが」
「そうでやしたか……なんてぇ奴らだ!それで、そのぉ……殺ったのは……」
こいつまでも気にしているのかと、源二郎はうんざりした。
「なんだ。はっきり言え」
その間にも源二郎は大股で歩いている。
「へい、あの……あの、下手人には、例の兄上様を斬った奴がいるんですかい?」
「……たぶんな」
「旦那はもちろん探索に加わりやすね?」
「加われと命じられれば、加わる」
源二郎の短い答えで万蔵は満足したらしい。その後は源二郎が北町奉行所に戻るまで黙って後ろを歩いていた。
御用聞きの連中は奉行所内に入れない。奉行所の前においてある腰掛けは訴人用だから、待ち時間の長い訴人をあてにして店開きしている茶屋が主な溜まり場だ。
奉行所の門前で一礼し、「あっしは、あっちで控えてますんで」と、御用聞きの溜まり場へ向かおうとした万蔵を源二郎は止めた。
「今日はそもそも当直だ。調べものもしたいし、今日はもう出掛けないぞ」
万蔵は少し残念そうな顔つきになったが、「へい、わかりやした。念のため八つ(午後二時頃)にまたここへ来やす」と答えて足取り軽く去っていった。
まだ御用聞きを使う立場ではないと何度言っても聞かない万蔵に、源二郎は諦めの気分でいる。本当に御用聞きを使うなら、万蔵よりもっと使える奴がいるとも思う。
しかしどういうわけか、乳兄弟であり、腐れ縁的な幼馴染みである「
「万蔵はお前のために命がけで御用をこなす気でいるんだぞ。そんなめでてぇ奴が二人といるものか」
ついこの前も真の字はそう言ってきた。
裏で手を組んでいる気のする二人である。
源二郎は富三も一旦屋敷へ帰した。富三は源二郎のために弁当を買いに行く気でいたようだが、源二郎は夕方にまた来てくれと、富三に言った。
源二郎は奉行所に戻ると、すぐに上司である年番方与力、村井
滝田は源二郎を探索に加えることは「上」と話がついていると言ったが、名前ではなく「上」で済ませたということは確かめないといけない。迂闊に鵜呑みにしていると、後で「『上』とは誰のことだ」となりかねない。
奉行所に勤め始めて間もない平同心の仕事は奉行所の警護である。「番方若同心」と呼ばれる役目だ。三人の当番方与力の下、三交代で四六時中奉行所の警護と何かが起きた時の緊急対応をする。
源二郎はこの日、朝の五つから七つ(午前8時頃~午後4時頃)※まで勤める当直だった。源二郎が抜けた穴を埋める必要が出てくるのだから、今日から押し込みの探索に加わることになるとは思えず、明日か明後日からだろうと思っていた。だが勤番の合間に記録を読むことくらいはできる。
ちなみに宿直は夕方の七つから翌朝の五つ(午後4時頃~翌朝の8時頃)※まで交代で仮眠をとりつつ勤める。遅刻はもちろんのこと、ぎりぎりに顔を出すのも厳禁である。
当直、宿直、非番でこなしているので、三日に一度が非番だ。
宿直の日は夕方近くまでゆっくりできるとはいえ、朝から勤めたり、夕方から勤めたりというのは身体に優しくはない。勤めはじめた頃は不眠症気味になった源二郎だった。幸い半年ほどで慣れ、二年近く経ったこの頃にはどうということはなかった。
しかし当直に入るつもりで村井に尋ねたら、あっさりと今日からもう押し込みの探索に加われと言われた。いくぶん呆気にとられ、本当にいいんですかと、ついまた尋ねてしまった源二郎に、村井は渋い顔つきで答えた。
「前々から、番方と吟味方の間で決めてあったんだ。もしまたあの賊が現れたなら、即、お前を探索に入れるとな。もちろん御奉行の許可も得ている」
源二郎は複雑な気分だった。奉行所をあげて源二郎が兄の仇を取ることを後押しするということなのだ。しかも今のお奉行は中屋の押し込みが起きた時のお奉行ではない。昨夏に着任した。一体誰がわざわざ新任のお奉行の耳に入れて承諾を得たのか。
同心が賊に殺されたのは確かに奉行所として不名誉だろう。内部では妬みや嫉みも少なくないが、全体としては、外に対してとなると、仲間意識が強い。
上の方はそうした感情を鼓舞する方が探索や捕物がうまくいくと思っているのかもしれない。
では、まずは
例繰方同心、
なお奉行所に限らず、この時代の武士の勤めに定年退職はない。本人が辞めると言い出さなければ、基本的には死ぬまで勤めることになる。
「もっと早く見にくるかと思っていたよ」
「目の前のことをこなすのに精一杯ですから」
そう一言だけ返して源二郎は一礼し、帳面を脇に抱えて表門の右側にある同心の詰所へと向かった。
大抵数人いるのに、珍しく詰所には誰もいなかった。
源二郎は窓際の一番端の席につき、文机に二冊の帳面を置いた。
まずは四年前の市ヶ谷田町二丁目にあった乾物問屋成田屋の帳面を開き、続いて神田佐久間町一丁目の薬種問屋中屋の記録に目を通した。
どちらも内容は発見の経緯、犠牲者の名前を含む検視時の現場の状況、生き残った奉公人の名前と証言、直後の現場周辺での聞き込みだ。
どちらも賊は敷地に入り込むと、素早く主一家が寝ている部屋に乗り込んであっという間に息の根を止めたらしい。
主一家とは離れて寝ていた奉公人達の証言は共通していた。何かの物音で目が覚めたが、何で目が覚めたのかわからず暫く布団の中でぼんやりしていたという。
成田屋では唯一人、三歳の孫、亀吉の子守りをしていたうめの証言がその夜に起きたことを類推する手掛かりをくれた。
うめは悲鳴で目が覚めたという。目覚めた時には鳥肌が立っていた。そして、隣の部屋から若女将の途切れ途切れの「うめ、逃げて」と言う声が聞こえた。
うめは考えるより先に体が動いていた。すぐにまだ寝ている亀吉を抱え、悲鳴が聞こえた部屋とは反対側の襖を開け、他の奉公人達が寝ている二階へ駆けた。
うめの知らせに階下に降りた男の奉公人達が見たのは、一太刀で殺されている主一家と空になった金の保管場所だった。
賊は奉公人が寝ている部屋へは近づくことなく、あっという間に主夫婦、若夫婦とその弟を斬殺し、金を奪って逃げたのだ。
中屋では若女房とその乳飲み子が助かった代わりに筆頭番頭と手代一人が殺された。正確にいうと、手代は大怪我を負っていたが、恭一郎が自分の木戸送り(木戸が閉まった後に町を通り抜ける通行人が現れた場合、木戸番が次の木戸を出るまで見張りにつくこと)をしていた木戸番を走らせて町方へ知らせ、捕り方が駆けつけた時にはまだ生きていた。亡くなったのは夜が明けてからである。
恭一郎は押し込まれた家の者の悲鳴に応援を待たずに中屋へ入り、若女房を助けようとして賊に斬られたと記載されていた。ただ、続けて若女房が泣きながら「あの御役人様が助けてくれた」と延々繰り返していたということがわざわざ書かれていた。
二件とも裏の潜り戸から賊は敷地内に入り、まっすぐに主一家の寝室と金の保管場所に向かい、襲っている。家の造りをよく知っていたとしか思えない。
そして、賊は近くの大きな水路に舟で乗り付け、舟で逃げたのだと考えられた。成田屋は堀、中屋はその堀の先にある神田川の近くである。
誰かが裏木戸の閂を外したわけだが、それが身の軽い賊の一人なのか、引き込み役が店の中にいたのかは不明ながらも、家の造りや誰がどこに寝ているか賊が把握していたことから、奉公人の中に賊に通じている者がいるに違いないと町方の掛かりは考え、どちらの奉公人も一人ずつ、全員が厳しく問い詰められた。しかし、誰も「知らない」、「身に覚えがない」の一点張りだった。
源二郎は当時既に見習いとして奉行所に勤めていた兄から成田屋の奉公人達の詮議の苛烈さとそれがもたらした奉行所内での論争のあらましを聞いていた。
ことに成田屋のうめ以外の奉公人達は相当厳しい問い質しを受けたため、中に自害しようとした者や言動に異常を来す者が現れたのだ。石抱きといった問責をしたわけではなかったが、何日も朝から晩まで同じことを繰り返し聞かれ、罵声を浴び続ければ、おかしくもなる。そのため奉行所内でもそのやり方と是非について論議を呼んだ。
自害しようとした者が引き込みではないかと短絡する者がいたが、掛かりではなかった吟味方与力の青井真右衛門が話を聞きつけ、「自白を迫るよりも、証を見つけるのが先だ」と諌めたという。
実のところ、自害しかけた手代の周囲の評判は良く、怪しい者と会っていたとか、押し込みのあった夜に気になる動きや様子を見せていたという目撃談は全くなかったのである。
中屋では成田屋の二の舞は避けようとしたことと若女房が生き延びたことで成田屋の奉公人達が受けたほどの厳しい問い質しは行われなかった。とはいえ、やはり奉公人は皆一度は厳しい詮議を受けた。だが中屋でも引き込み役ではないかと疑うに足る人物は出てこなかった。
そして今回も賊は裏の潜り戸から入っている。おそらくは前の二件同様の手口だったのだろう。
裏の潜り戸から押し入っているのは、金の保管場所に近いからだと、源二郎は記録と今朝見た現場から確信した。
どちらの帳面も、最後は突き止められなかったが、店にいた者の中に知らず引き込みをしたか、賊に通じていた者がいたに違いないと結んでいた。
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