第四章 ガヘリス

 母さんは「世界一可愛い」と僕に言った。

 僕は母さんの世界一。

 僕の上には兄さんがいるのに世界一。


「アグラヴェインはロトのもの。わたくしの世界一にはならないの。あの子はわたくしのガウェインの補佐になるのだから、ロトが指導するのはわかるわ。でも、少しくらいわたくしに懐いてくれてもいいのに」

 母さんは不服そうで、たまに兄さんを構いにいく。兄さんはうっとうしそうにする。母さんはおかんむりだ。

「ロトにそっくりの顔で拒まれたら、わたくし傷つくわ!ガヘリス、ガヘリスはいい子。さすがわたくしとあの方の子だわ」

 母さんは僕を抱きしめ、顔じゅうにキスを降らせる。

 母さんはときどき父さんのことを「あの方」と呼ぶ。変なの。


 母さんが僕を可愛がっている間、父さんはなんとも複雑そうな顔でこちらを見ている。

 母さんは父さんの視線に気づいてもプイッと無視して僕の頬にキスする。

「ウフフ、こうするとね。お父様は嫉妬するの。可愛いわね。わたくしを取られた、いやガヘリスを取られた、いやどっちも取られた、どうしていいかわからない、と思っているのよ。フフフ、とっても可愛いわね。あらあらやきもきしてるわ」

 母さんは父さんが嫉妬しているのがそれはそれは嬉しいようで、いつもにこにこしていた。

 ある夜、父さんがブツンと切れた。

 まずは僕を抱え上げて兄さんに渡す。

 そして母さんの腰に腕を回し、もう一つの手で母さんの頭を後ろからすくいあげ、思いっきり口づけた。

「……モル、ゴース、モルゴース、君は俺を、壊すつもりか!!」

「ああ、ロト、なにを、なにを言ってるの?わたくしの可愛いロト?」

 いや、母さん。父さんがなんで切れたのか知ってるよね。

 父さんは母さんに何度も口づけながら、もう限界になっていた。

「わからないか……!君は、君は……ッ、なんて、なんて、純真なんだ。俺の心は真っ黒だ!じっくり、わかってもらうからな!!」

 父様は母様を抱き上げて、猛然と寝室へ走って行ってしまった。

 うわあ……

 父さん、完全に騙されてる。

 母さんの手のうちでコロッコロだ。

 えっ、ちょっと続き、見たい……。

 でも、兄さんがくるっと向きを変えたので、何も見えなくなった。

「アグ、アグ」

 続きはうまく発音できないんだよ。

 アグラヴェイン。発音しにくい名前。なんでそんな名前なんだ兄さん。

「あっち行って遊ぼう、ガヘリス」

「アグ」 

 兄さんの指をにぎにぎ掴む。

 母さんたち、見に行こう?

 絶対面白いよ。

「こっちだ」

 僕の話聞いてよ!

「アグ、イィ」

「ようし、いい子だ」

 駄目だ、全然話、通じない。


 兄さんが夜中構ってくれて、僕を同じベッドで寝かしつけ。

 翌朝も兄さんが家令にこまごま命令し、僕は知らない女の乳を飲まされ、兄さんにたまに抱っこされ、知らない女におしめを変えられ、昼が過ぎ、兄さんにたまに抱っこされ、知らない女の乳を飲まされ、知らない女におしめを変えられ、兄さんにまた抱っこされて、夜が来た。

 バタンと扉が開く音がし、足音がする。

「ガーへーリースー!」

 母さん、母さんが来る!

「ママ、ママ」

 僕が手を伸ばすと、兄さんが僕を、やって来た母さんに渡す。

「私の可愛いお菓子ちゃん!」

 チューッと母さんが口にキスをしてくる。

 母さんすごく元気で、お顔がつやつや。

 父さんが後ろからのっそり出てきて、兄さんをよしよしと撫でている。

「すまない、世話をかけた」

「いいよ、父上。限界だったでしょ」

「ああ、すまん」

「次からときどきこういう時間取った方がいいよ。父上の健康に良くない」

「息子に息子の心配をされる……」

「父上、下品」

「大変申し訳ございません。アグラヴェイン様、どうか愚かな私めをお導きください」

「なにそれ」

 兄さんは父さんと息ぴったり。

 とにかく母さんと父さんがとんでもなく仲良しなことはわかったし、僕が世界一でないことはわかった。

 母さんは僕を可愛がるふりをして、父さんを挑発してるだけ。

 母さんの世界一は父さん。

 父さんの世界一は母さん。

 それが厳然たる事実。

 やってられない。僕は兄さんと遊ぶ。

「アグ、アグ」

「まあ、アグラヴェインのことを呼んでるの?」

「ウ、ウ」

「貸して、母上」

 兄さんが両手を母様に差し出す。

「大事にするのよ」

「わかってる」

 母さんが兄さんに僕を渡す。

「アグ、アグ」

 僕がいつまでも兄さんを離さないので、兄さんは結局夜、僕を自分のベッドに連れ帰った。


 それからは僕は、母さんより兄さんに懐くようになった。

「ガヘリスはお兄様が好きなのね……」

 母さんはめそめそ言うようになった。

 違うよ、母さんが父さん大好きだから遠慮してるんだよ。

 二日に一回は、夜、兄さんが僕を自分のベッドに連れていってくれる。そうなってから父さんはいつもニコニコするようになった。

 それが赤ちゃんのときの記憶。


 父さんが家からいなくなった。

 兄さんは「戦争に行ったんだ」と言い、母さんは「人殺しに行ったのよ」と悲しそうに言った。

「人殺し……?」

「人が二度と帰って来られないように、人にとどめをさすの。それをするのが人殺し」

 母さんは僕の前でだけ泣いていた。

「早く帰ってきて、ロト……」

 僕の前では泣くのに、兄さんの前では平気なふり。

「どうして兄さんの前で平気なふり?」

 僕が母さんに訊くと、母さんは毅然として答える。

「ガヘリス、お兄様は、お父様の務めを代わりにやってるの。わたくしもしているけど、皆はお兄様を慕っている。お父様と同じようにね。だからお兄様にやってもらうのが一番いいの。でもわたくしが悲しんでるのを見たら、お兄様は不安になってしまう。それは駄目なの」

 そうなんだ。

 そして、父さんの軍が負けた知らせが来た。

「ロト、ロト、わたくし、わたくし、探しに行くわ、ガヘリス。駄目なお母様でごめんなさい。いざというときはアグラヴェイン兄様の言うことをよく聞くのよ。あと、マーリンという魔術師が来たら信用していいわ。わたくしの愛するガヘリス、もしかしたら、もしかしたら、さようなら」

 母さんは何度も何度も僕に口づけてから、父さんのところへ行ってしまった。


 母さんは帰ってきた。

 でも、様子が変だった。

 兄さんに問い詰められて、「ロトには会えたわ。でも危ないから……帰れと……」と答える。でもすごく、上の空。

 母さんの目線はずっと宙を彷徨っていた。

 母さんのお腹はどんどん大きくなった。

 母さんはひどく不安げで「ガヘリス、ガヘリス手を握っていて」と言う。

 お産の間もずっと手を握っていてと言うものだから手を握っていた。

 母さんが絶叫する。

 怖い。

 母さん死なない?母さん死なない?大丈夫なの?

 血がドバドバ出る。

 そして赤ちゃんが生まれて来た。

 母さんは生死の境をさまよった。

 僕は必死で手を握っていた。

 なんにもできないけど、僕が手を握っていると、母さんはホッとした顔をする。

 一度、ご飯を食べてくるほんの少しの間だけ手を離して置いていったら「ガヘリス、ガヘリス」とずっと呼んでいたと、付き添いの侍女から聞かされた。

 侍女から言われる。

「奥方様のお身体に必要なことは私達がいくらでもいたします。でも、奥方様のお心に必要なのはガヘリス様なのです。私達では奥方様のお心のお役に立てません。奥方様のお心を守って差し上げてください」

 僕はうなずく。

 母さん、母さん、ここにいるよ。


 母さんは精神が不安定で、とてもじゃないけど生まれてきたガレスの面倒は見れなかった。

「ロトは、ああ、ああ、ロト……」

 母さんは窓の外を見て、ぼんやりし、ときどき涙を流す。

 でも兄様がいるときだけは、かたくなに何も言わず、涙を流さなかった。

 兄さんが去ると堰を切ったように涙を流す。

 僕は母さんの手を握って、ただただ側にいた。

 ガレスは、兄さんが手配した乳母が、お乳を飲ませてお世話をする。

 僕もときどきお世話する。

 でも、母さんが僕を呼んだら飛んでいく。

 母さんはガレスを見ない。見たくないみたいだった。だから僕がガレスを一緒にいると近寄ってこない。

 ガレスと一緒にいないときはふらふらと僕のほうへ寄ってくる。そして僕の手をとって、涙を流し始めるんだ。


 一度、乳母がいないときにガレスといた。

 すると母さんが僕を呼んだ。

 僕はガレスを置いて、母さんのところへ行った。

 するとガレスは力の限り泣いて泣いて泣いて泣いて泣いた。

 泣き声を聞きつけた兄さんがすっ飛んできてガレスを抱き上げあやし、従者に乳母を呼びに行かせ、乳母が到着し、兄さんは乳母にガレスを手渡した。

 そして僕を別室に呼んでカンカンになって怒った。

「ガレスを放っておくんじゃない。大事な俺たちの弟だ!父上の子なんだぞ!」

 でも、でも母さんも大事だ。

「でもガレスがいると母さん来てくれないんだもん!」

 その間、母さんを泣かせておくの?放っておくの?その間に死んじゃったらどうするの?

「あー……わかった。乳母を二人に増やす。どちらかが絶対にガレスの側にいるようにする。だから置いていくときは乳母に絶対に預けろ」

 良かった兄さん、わかってくれた。

 それならできる。

「うん。それならいいよ」

「ごめんな。お前にばかりまかせてしまって。俺がついててやれればいいんだが、父上がいないし、母上は……とにかく俺が父上の代わりをするしかないんだ。ごめんな」

 そうだ。

 兄さんも不安にしちゃいけない。兄さんだって必死なんだ。

「ううん。大丈夫だよ」

「ごめんな。ガレスのことは守ってやらなきゃいけないんだ。父上の大事な子なんだから。もしかしたら最後の……いや。とにかく大事にしてやってくれ」

 父さんはもしかしたら死んでるかもしれない。兄さんも、もしかしたらって思ってる。でも兄さんは半信半疑だ。

 でも母さんを見てると、父さんは死んだかもしれない。そんな気がする。

 でも母さんが言わない限りははっきりわからない。たぶん母さんは父さんが死んでても言わない。兄さんが不安になるから。

「うん、頑張る!」

 僕はすべてを飲み込んで、兄さんに笑いかける。

 兄さんが僕をよしよししてくれる。

 兄さんは頑張ってる。

 兄さんを不安にさせちゃ、いけない。


 兄さんは忙しい合間を縫って、ガレスをよしよししている。優しい兄さん。一生懸命な兄さん。

 僕もたくさんガレスをよしよししたり、母さんが呼んだら、乳母に預けて母さんのところに行って。落ち着いたらガレスのところに戻って。

 行ったり来たり。行ったり来たり。

 兄さんを、兄さんを支えなきゃ。


 アーサー王から、勧告が来た。

 戦うか、降参するか。

 兄さんは降参を選んだ。

 仕方なかったのだという。

 なんでもいい。とにかく母さんも兄さんもガレスも生きないと。


 降参を選んだことで、母さん・兄さん・ガレスと一緒にアーサー王の都キャメロットへ行くことになった。

 めちゃくちゃ遠かったけど、挨拶に行かなかったら、アーサー王のご機嫌を伺わなきゃ戦争だ。そして僕たちの国は破壊される。行かないわけにはいかない。

 大きな広間で、アーサー王に挨拶する。

 母さんが口を開く。僕たちは首を垂れる。

「ロジアンとオークニーの王ロトの妃モルゴース、ならびに息子のアグラヴェイン、ガヘリス、ガレス。アーサー王陛下にご挨拶にまいりました」

 いきなり物凄い威圧感を叩きつけられる。アーサー王、アーサー王、これがアーサー王!!押しつぶされる押しつぶされる、押しつぶされる、これは何?何?何?わからない、わからない、わからない、何?何?何?どういうこと?どういうこと?

「陛下」

 母さんの毅然とした声。

 いきなり楽になった。

 身体が今になってガタガタガタガタ震え出す。

 横を見ると兄さんもガタガタガタガタ震えていた。

 そう、これは、怖いんだ。恐怖なんだ。

 遅れて冷や汗が噴き出してくる。

 ガレスの方を向くと、ガレスはぽかんとアーサー王と母さんを見比べている。

 何?

「モルゴース殿」

 アーサー王のはずんだ声。

「お久しぶりです。お会いしたかったですわ」

「おお、余もだ」

 アーサー王のはずんだ声。

「あとでまた……お話いたしましょう?」

 母さんがにこやかに微笑う。

 愛おしそうな顔。

 母さん、もしかしてアーサー王を騙そうとしてる?僕を「世界一愛している」と騙したように。

 母さんが本当に世界一愛しているのは父さんだ。でもたぶん父さんは死んでいる。殺された。

 じゃあ今、母さんが本当に愛しているのは。

 決まっている。

 兄さんと僕だ。

 さらにはご機嫌伺いに失敗したら国は潰される。僕たちの、父さんが残したロジアンとオークニーが。

 母さんは僕たちと国を守ろうとしてる。

 そのためにアーサー王を騙す。

 そしてアーサー王と、父さんと同じことをするんだ。夫婦でしかしないようなこと。愛してる人としかしないようなこと。

 アーサー王がそれを望んでいるから。


 僕たちに割り当てられた宿所。そのベッドで、僕と兄さんはガタガタガタガタ震えていた。

 母様は生贄になったんだ。アーサー王にグチャグチャ食べられる生贄。

 兄さんが何か言ってる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、でも、でも、でも、いいよね、いいよね、俺、俺は、子供だから、戦わなくていいよね?ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ」

 ああ、母さんが危惧していたのはこれだ。

 兄さんが不安になって壊れ始めてる。

 僕は、僕は、どうしたらいい?

 母さん、兄さんの心をどうやって守ったらいい?

 ガレスが動いた。何をするんだ?

「よしよし、よしよし、兄様いい子」

 ガレスは兄さんの頭を撫でる。

 すると兄さんは、がばりとガレスに抱きついた。

「よしよし、兄様よしよし、兄様いい子、兄様いい子」

 侍女の言葉が蘇る。

「奥方様のお身体に必要なことは私達がいくらでもいたします。でも、奥方様のお心に必要なのはガヘリス様なのです。私達では奥方様のお心のお役に立てません。奥方様のお心を守って差し上げてください」

 兄さんにとってのガレスは、母さんにとっての僕なのか。

 なにかできるわけじゃない。

 そうじゃないけど、でも、ただ、そこにいるだけでも心が守れる。

 僕もガレスにくっつく。僕もガレスに、母さんに対してのようにしてあげられるかな。

 するとガレスは僕のことも撫でてきた。

「いい子、いい子、ガヘリス兄様もいい子、アグラヴェイン兄様もいい子。いい子だからだいじょうぶ。いい子だからだいじょうぶ」

 ボタボタと涙が溢れてきた。

 ガレスは僕の心も守ろうとしている。ガレス。ガレス。ガレス。

 壊れそうになっていたのは僕自身だった。

 ガレスは幼いのに、なんでこんなことがわかるんだろう。

 ガレスは天使だ。天使様が間違えてこの世に生まれてきたんだ。

 僕はひたすらボロボロ泣いて、毎日毎日泣き暮らした。


 母さんが思いのほか、元気に帰ってきた。

 母さんとロジアンに一緒に帰る。

 また母さんのお腹がふくれてきた。

 今度はアーサー王の子だ。

 母さんはまた出産する。

 母さんは絶叫する。

 お産ってなんでこんなに叫ぶんだろう。

 そんなに痛いのかな。

 またドバドバと血が出る。

 アーサー王軍の人が来て、生まれた子供を連れて行った。

 母さんがお腹の中にずっと入れて、絶叫して、ドバドバ血を出して産んだのに、簡単にその子を連れて行ってしまう。

 アーサー王は怖いし酷い。

 母さんがかわいそう。

 ああ、母さんが、母さんが壊れる。


 母さんは食べなくなった。

 食べなくなったら人は死ぬ。

 母さんは死のうとしてる。

 僕が話しかけても、もう声は届かない。

 僕は、僕は、もう母さんを守れない。母さんの心を守れない。

 助けて、助けて、助けて!

「助けて、助けて、母さんが死んじゃう!母さんが死んじゃう!助けて兄さん、兄さん!」

 兄さんは顔を真っ青にして、うなずいた。

「わかった、ガヘリス、なんとかする。俺が。兄さんがなんとかするからな。兄さんがなんとかする。父上の代わりの俺が」

 兄さんに心の負担をかけまいとしていた母さん、ごめんなさい。僕は母さんが助かってほしいばっかりに、兄さんに負担をかけました。

 それでも母さんに生きてほしかったから。

 兄さんも「母上、母上」と声をかける。

 …………無理だ。兄さんにも無理なのか。

 もう母さんは死ぬのか。

 ねえ、父さん。父さんは死んだの?

 死んだから母さんに付いてきてほしいの?

 いやだよ、いやだよ、もし連れていくなら僕も連れてってよ。

「しっかりしろ、モルゴース!」

 父さん?!父さんにそっくりだった!

 いや、違う、兄さんだ。怒鳴ったのは兄さん。なんだ、似てるからびっくりした。

「あら、ロト、どうしたの?」

 母さん?母さんも父さんだと思ったの?

「ロト?」

「モ……モルゴース、しょ、食事にしないか」

 兄さんが父さんのふりをする。

「ええ、そうね」

 母さんが父さんだと思って答える。

 よ、良かった。

 勘違いでもいい。間違えててもいい。

 兄さん、父さんのふりをして!母さんに食事をさせて!


 母さんは兄さんに杯を押し当てられてきちんと飲む。

 手ずから肉を口に入れられて食べる。

 すると母さんが肉を奪い取って、兄さんに食べさせる。

「美味しい?」

「ああ、もちろん。君からのものならなんでも美味しい」

 兄さんは母さんの指にチュッとキス。

 そう、父さんもときどきしてた。兄さんは父さんをよくわかってる。

 すると母さんは兄さんの顎をつかんで口づける。兄さんが離そうとしたのに離れない。そのうち兄さんも夢中になって口づけ始めた。

 どうしたの兄さん?落ち着いて。

 母さんは兄さんの股のあいだをゆっくり摩り出した。

 や、やめてよ、それは……

 兄さんが父さんのように母さんの身体をつかみ、呼吸を奪うように口付ける。

 やめてよ!

 兄さんは母さんを抱き上げて、寝室へ行ってしまった。

 どういうこと……?

 決まってる、夫婦の営みをするんだ。子供ができるようなこと。夫婦にしか許されていないこと。

 ほかの人とやったら神様の罰が降る。

 兄さんは、父さんと似てるけど、母さんと夫婦じゃない。

 親子だ。

 親子はそんなことしちゃいけない。

 それをやった男は、自分の両目を潰してしまった。

 怖い、怖いよ。怖いよ。兄さん。兄さんはそんな恐ろしいことをしようとしてる。兄さんも目を潰すの?それとも神様から罰が降るの?

 ガレスが母さんと兄さんについて行こうとする。

「行っちゃ駄目だ」

「どうして?」

「絶対に駄目だ」

 ガレスはわかってない。見せちゃいけない。こんなこと、気づかせちゃいけない。

 なかったことにしないと。

 なかったことにしないと。

 僕たちは何も見なかった。聞かなかった。

 それならいいよね?兄さん、自分を罰さないよね?神様、兄さんを罰さないよね?

 僕は無我夢中で、僕とガレスの寝室に行き、ひたすら眠ろうと頑張った。

 僕はなにも見なかったんだから。

 だから大丈夫なんだから。


 翌日からは中庭でガレスと過ごすことにした。見なければいい。城の中でのことを見なければいい。

「ガレス、アグラヴェインの兄様はね、忙しいんだ。城の中は大変なんだ。僕たちは邪魔しちゃいけないからね。中庭にいようね」

「うん、わかった」

 素直なガレス。

 夜は中庭から僕とガレスの寝室へ。

 僕は眠る。可愛いガレスが頭を撫でてくれる。ガレスにだけは、悟らせちゃいけない。


 毎日毎日毎日繰り返す。何回もそれを繰り返す。

 ガレスに気づかせちゃいけないんだ。見せちゃいけないんだ。どうしてもどうしても。

 神経が焼き切れそうだ。

 僕はいつまで見ないふりを続けなくちゃならない?


 ある日の昼下がり。

 寝不足の僕はすやすや寝こけてしまった。

 夕方、肌寒さに目を覚ます。

 ガレスがいた。

「ガヘリス兄様あのね。母様がアーサー王軍の人とキャメロットに行ったよ」

 何?!

「母様嫌がってたんだけどね。アーサー王が呼んでるからって、アグラヴェイン兄様が気絶させて乗せたの。母様、アーサー王と喧嘩してたから駄々こねてたみたい」

 喧嘩?!駄々??

 そんな訳ない。

 アーサー王は母さんをなぜ呼んだ?

 決まってる。子供を産ませるためだ。

 そしてまた母さんのお腹はふくれて、絶叫して、血をドバドバ流して、そして子供を奪われて、母さんは気が狂って……

 兄さんはそんな馬車になぜ乗せた?

 決まってる。アーサー王が怖いからだ。

 怖いから、母さんを生贄にするんだ!

 僕は走り出した。

 走って、走って、走って、兄さんを探す。

 たぶん広間だ。いた!

 兄さんは僕を見て、嗤った。

「来たか、ガヘリス」

 兄さんは両手を広げて僕を迎える。

「人殺し!」

 僕は兄さんに思いっきりぶつかっていく。

 兄さんは簡単に後ろ向きに倒れた。

 兄さんに馬乗りになる。

 兄さんを殴る。殴る。殴る。

「母さんが死ぬ、母さんが死んでしまう、アーサー王に兄さんは母さんを売った!なんでそんなことできる?今度こそ母さんは壊れてしまう!母さんを殺すんだ、お前は、お前は、お前は!」

 母さんが絶叫してるのを聞いたか?母さんが血を流してるのを見たか?

 お前のために母さんはずっとずっと頑張ってたのに!

 殴る。殴る。殴る。

 母さんの痛みを知れ。痛みを知れよ。

 アーサー王怖さに母さんを見捨てたクズ野郎!

「やめて、死んじゃうよ!」

 ガレスが僕の右腕を両腕でギュッと掴む。

 ささいな力。弱い力。

 なのに僕は動けなかった。

 死ぬ?誰が?兄さんが?

 兄さんの顔を見る。

 血まみれで、ヒュゥヒュゥ息をしてる。

 兄さんはなんで殴られてるの?僕より力が強いのに。ずっとずっと強いのに。城の誰より強いのに。

 ガレスにぐいぐい退かされる。

「医者をつれてきて!」

 ガレスが叫ぶ。

 城の者がバタバタ動く。

「……ぃぃんだ、ガレス。ガヘリスの気の済むようにしてゃ」

「馬鹿!」

 ペチッと軽い音が聞こえる。

 ガレスが兄さんの頬を叩いた。

 力なんてないに等しいその手で、さらに力が入らないよう手の甲で。

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、兄様は馬鹿!アグラヴェイン兄様は馬鹿!ガヘリス兄様も馬鹿!死んじゃやだ!兄様たちが死んじゃやだ!やだから、やだから……やだ!」

 わんわんわんわんガレスが泣き出す。

 僕だってやだよ。

 兄さんが死んだらやだよ。

 僕の兄さんが死んじゃやだよ。

 兄さんがのっそりと腕をあげてガレスの頭を撫でる。

「お前だけが、いい子だ」

 そう、ガレスだけがいい子だ。

 本当はずっとわかってた。

 見ないふりしてる僕は臆病者。

 立ち向かった兄さんは、勇気を出したんだ。勇気を出して失敗した。でもきちんと立ち向かったんだ。僕よりはえらい。

 僕はなんにもしていない。兄さんに助けてって言っただけ。

 そしたら兄さんが勇気を出して、失敗して、壊れちゃっただけ。

 兄さんにそうさせたのは僕。

 兄さんに代わりにさせたのは僕。

「ごめんなさい、兄さん、ごめんなさい」

 兄さんの頬に触れる。

 血がベットリつく。

 兄さんが声を絞り出す。

「許してくれ、許してくれ、ガヘリス、許してくれ、俺は、死んでやれない。お前に殺されても良かった。良かったんだ、俺なんて生きる価値はない。でも、ガレスが、ガレスが泣くから、ごめんな……」

「いいよ。いい。死ななくていいよ、死なないでよ、僕もやだよ。兄さんが死ぬのはやだよ」

 僕もガレスとわんわんわんわんわんわん泣いた。

 ガレスが呼んだ医者が来て、兄さんをきちんと治療してくれた。


 僕たちは三人一緒に同じベッドで寝るようになった。僕も兄さんも、ガレスがいないとうまく眠れない。

 僕と兄さんの間にガレスを挟み、僕たちは一緒に横になる。

 ガレスが兄さんの背中をさすりながらたずねる。

「アグラヴェイン兄様、最近吐かなくなったね?良くなったの?大丈夫?」

 え?

「ああ、それはもう大丈夫」

「良かった。毎日毎日吐くから、病気かと思ったの」

 毎日?

 毎日吐いてた?兄さんが?

 なんで知ってる?ガレス?

「ガレスが毎日さすってくれたから治ったんだ」

「そうなの?良かった!」

 兄さんはぐるりと身体の向きを変え、ガレスの頬に口づけた。ガレスはキャッキャとはしゃいでいる。

 ガレスは何もわかってない。

 たぶん兄さん、それ、駄目だ、兄さん、それ母さんの、ことでじゃないか?毎日?毎日だ、僕が逃げてた間か?兄さん、必死で、母さんに食べさせて、自分は吐いて、耐えて、母さんに食べさせて、自分は吐いて、耐えて、母さんに食べさせて、自分は吐いて、耐えてた?

 兄さんは今でもずっと、ずっとずっと朝から晩まで仕事してる。夜、あんなに憔悴してるのに。ガレスに背中をさすってもらわないと眠れもしないのに。

 僕が中庭に逃げてたときも毎日。

 だって城の者は毎日滞りなく働いてる。

 ずっと国は機能してる。

 兄さんは仕事をしながら耐えてたんだ。

 母さんの痛みはあったけど、兄さんの痛みもある。当然だ。

 僕に殺されかけても、母さんに父さんと間違われても、禁じられた恐ろしいことをしても。

 ずっとずっと、それでも僕たちの国が攻め入られたりしない理由は?

 ピクト人やサクソン人に攻められやすいロジアンが今も無事にきちんとあるのは?

 兄さんが、耐えて耐えて耐えて耐えて王の代理の仕事をしていてくれてるから。父さんの代わりをしてくれてるから。こんなにボロボロなのに。

「兄さん」

「ん?」

 兄さんの穏やかな声。

「ごめんなさい兄さん」

「なんだ?なんかやらかしたのか?」

 兄さんが手を伸ばして、僕の髪をクシャリと撫でる。

「違う、間違えた」

 ごめんなさいじゃない。

「なんだそれ」

 兄さんがおかしそうにくつくつ笑う。

「ありがとう、兄さん。いつも、その、お仕事」

「おやおやこれは?兄上の偉大さが身に染みて感じられたご様子でございますな」

「な、なあに、それ」

 僕が噴き出すと、兄さんがくつくつと笑って、身体を伸ばして僕のひたいにキスをした。

「ありがとう、ガヘリス。明日もなんとか頑張れそうだ」


 もう、母さんは帰ってこないかもしれない。ならばもう切り替えよう。

 僕も大人になろう。

 兄さんを支える強い男になろう。

 せめて、兄さんとガレスを失わないように。


 そこまで覚悟していたのに、母さんが帰ってきた。

 死んでしまうかと思っていた母さんは、物凄く元気になっていた。父さんが生きていた頃、いや、それよりもさらに元気で。

 母さんの傍らに、母さんそっくりの、母さんより一回りも二回りも大きな人がいる。あの竜を殺す大天使様みたいな人がいる。

 大天使様はにこやかに母さんに笑いかけ、母さんの頬は薔薇色に輝く。

「アグラヴェイン、ガヘリス、ガレス。ガウェインお兄様よ。攫われたお兄様は漁師に拾われて、ローマの教皇のところに行き、ローマで育ち、ローマで騎士になって、ブリテンに戻ってきたの。しかもアーサー王に決闘を挑んで勝ったのよ!すごいでしょう。アーサー王はお兄様を素晴らしい騎士として円卓に加え、讃えたわ。そしてね、お兄様の赤子のときのおくるみにね、うちの紋章が残っていて、それでわたくしたちの子とわかったから、お呼び出しがかかったの……」

 そういえば聞いたことがあった。もういなくなってしまった兄さん。

「はじめまして、兄弟たち。アグラヴェイン、ガヘリス、ガレス。私はガウェイン。いきなり帰ってきてすまない。驚かせたね」

 ガヘリスと呼んだときに、きちんと僕の方を見て微笑みかけてくる。礼儀正しい大天使様。心が天に舞い上がる。

 しかし兄さん、アグラヴェインの方の兄さんは答えを返さない。アグラヴェイン兄さんだって礼儀正しいのに?

 アグラヴェイン兄さんを見ると、凍りついてる。

 あ、礼儀以前の問題だ。奇跡に遭遇してすべてが飛んでしまった人間だ。言葉失くしてる。

「……私はここから出ていった方がいいのかな?私は邪魔?」

 違う違う違う、大天使様どっかズレてない?兄さん感動して止まってるだけ。あ、気がついた。

「いや、ずっといてください」

 うわ、アグラヴェイン兄さん無愛想。棒読みじゃん。あ、でも「いてくれ」とは言った。ギリギリ及第点。

「それは良かった。本当に良かった……ありがとう。受け入れて貰えて本当に嬉しい。アグラヴェイン、君はまだ騎士にはなっていないと聞いているから、よければアグラヴェイン、とそのままで呼んでもいいかな?」

 あれで受け入れて貰えたと思えるの、なかなか猛者だな……ガウェイン兄さん、意外と図太いのかもしれない。

「なんとでも」

「私のことは好きに呼んでくれ。君の呼びたいように。アグラヴェイン」

 あ、アグラヴェイン兄さんが倒れ、うわガウェイン兄さん反射神経良い!

 倒れたアグラヴェイン兄さんをひょいっと、それはもう父さんが母さんを抱え上げたときのように抱えちゃった。アグラヴェイン兄さん、かなり痩せたけど、それでもかなり重いよ。

 ガウェイン兄さんを母さんが導いて、アグラヴェイン兄さんの部屋に来る。ベッドを用意させる。

 そしてガウェイン兄さんが、まるで重くもなんともない空の籠をフワッと優しく置くように、アグラヴェイン兄さんを優しくベッドに寝かせた。

 母さんがベッドに上がりこんで、兄さんの頭を膝に乗せ歌い出す。なんてご機嫌。

 母さんはアグラヴェイン兄さんのひたいにキスをする。母さんとしての子供へのキスだ。

 母さんもまた天使みたいだ。

 元気になって良かった。本当に良かった。

「母上は声も天使のようですね」

 大天使が何か言ってる。二人とも天使だよ。なんで僕たちの家族に天使が二人もまぎれこんでるんだ?奇跡でも起こしにきたのか。

 大天使はガレスとお話してる。

 ああ、平和な。

「兄様、死んでもいいみたい」

 ガレスの言葉にガウェイン兄さんが凍りつく。

 平和じゃない。そうだ、アグラヴェイン兄さんは。アグラヴェイン兄さんは。

「だから死なないように頑張ってるんだよ、僕」

 ガウェイン兄さんは、ハッと気を取り戻した。

「そうか、えらいね、ガレス」と平気なふりでガレスの頭を撫でる。

「ガウェイン兄様も一緒に頑張らせてもらってもいい?」

 あやすように言う。

「うん!僕だけじゃたぶん無理なんだ。いっぱい頑張ったけど、ほんのちょっとしか元気になってくれないから」

 ガレス、そんなことないよ。お前がいなかったら僕もアグラヴェイン兄さんもどっちも死んでたよ。

「大丈夫。ガウェイン兄様は強いからね。大丈夫。元気になるよ、アグラヴェイン兄様は」

 アグラヴェイン兄さん、元気になるの?

 思わずガウェイン兄さんの左に回り込んで、腰をつかんで訊く。

「本当?」

 ガウェイン兄さんは僕の頭を撫でる。

「本当だよ、ガヘリス」

 優しい、優しい声。

「僕、アグラヴェイン兄さんにひどいこと言っちゃった」

「何て言ったの?」

「人殺し」

 ガウェイン兄さんが止まった。

 ごめん。ごめんね。びっくりするよねガウェイン兄さん。でもガウェイン兄さんしか相談できない。

 ガウェイン兄さんはハッと気づいて僕に訊く。

「人殺しなの?」

 違うよ。いや、殺してたかもしれない。母さんを。でも、アグラヴェイン兄さんも限界だったんだ。耐えて耐えて吐いて仕事もして耐えて母さんを看て父さん扱いされてそれでもご飯を食べさせようとして狂ったんだ。それでもお仕事して耐えて吐いてそれでも頑張ってどうしようもなくて、そこにアーサー王軍の人が来たから……心が折れちゃったんだ。

 僕なんて、すぐにアグラヴェイン兄さんに押しつけて逃げただけで何にもしなかった。

「違う。アグラヴェイン兄さん、必死で助けてくれた。僕が助けてって言ったから。母さんを助けてって。必死で助けてくれたんだけど、今度は兄さんが壊れちゃった。兄さんもつらかったのに、僕がいけなかったんだ。僕が悪い子なんだ」

「……そうか。よく言えました。ガヘリス、きちんと反省して、次からの行動を変えることができれば、ガヘリスはいい子に戻れるよ」

 そんな、そんな、子供に言い聞かせるような正論。でも、そうだ。そう。正論なんだ。

 じゃあその通りにしてみたらいいんじゃないか。大天使様の言う通り。

「はい、ガウェイン兄さん。でも、でも。どうしたらいいかわからない」

 母さんとアグラヴェイン兄さんを見る。

 たまたま母さんは元気になった。たぶんガウェイン兄さんのおかげ。いや、間違いなくガウェイン兄さんのおかげだ。

「もっと鍛えるんだ。心も身体も。強く、強く、強く。騎士になるんだからね。強くなるんだ」

 ガウェイン兄さんの、しっかりと響く声。

 ひどく当たり前に言われているようなこと。でもガウェイン兄さんが言うと、違う。

 ガウェイン兄さんが言うのが本物で、他で聞くのは上っ面なんだ。

 でもガウェイン兄さんの声は、心は、しっかり届く。

 兄さんが心からそう思って、言ってるから。

「それでアグラヴェイン兄さんは回復する?」

「アグラヴェイン兄様のことは私に任せてくれたらいい。絶対に回復させてみせる。母様のようにね」

 母さんを見る。本当に元気になった。奇跡だ。奇跡だよ。ガウェイン兄さんは奇跡を起こせるんだ。

「はい!お願いします、ガウェイン兄さん」

「任せて。そして、ガヘリス」

「はい」

「ゆくゆくは君自身が母様を助けられるくらいになるんだ。だから、明日から特訓だ」

「はい!」

 ガウェイン兄さんの脇に抱きつく。

 あったかくてがっしりして揺るぎない。

 大人の男だ。父さんと同じ。大人の。


 アグラヴェイン兄さんが目を覚まし、ガウェイン兄さんは僕とガレスをくっつけたまま様子を見に行った。

 アグラヴァイン兄さんは母さんを見てひどく狼狽した。ゾッとした顔だ。

 ああ、そうか。アグラヴェイン兄さんの心は滅茶苦茶に傷ついたまんまなんだ。

「気分はどうだい?アグラヴェイン」

 ガウェイン兄さんが声をかけた。

 すると不思議なことが起きた。

 アグラヴェイン兄さんが嘘のように落ち着いたんだ。

 母さんが、ガウェイン兄さんが美人でびっくりしたんだろうと言う。

 そんなまさか。

「そんなまさか!」

 ガウェイン兄さんも一笑に付した。

「いや、その通りだ」

 その通りなの?!

 というか兄さん何、その無愛想な顔。

 褒めてるのに褒めてる感じしない。

 母さんよくアグラヴェイン兄さんのことわかるな……あ、父さんに似てるのか。本当、アグラヴェイン兄さん、父さんに似てるもんね。

 でも兄さんは父さんじゃない。でも……あれ?母さん、ちゃんと父さんとアグラヴェイン兄さんの見分けついてる?


 次の日の朝。

 アグラヴェイン兄さんの叫び声が聞こえたから飛び出していった。

 そしたら、ガウェイン兄さんがアグラヴェイン兄さんを、軽い籠でも持つかのようにふんわり抱き上げている。

「おろせ!馬鹿が!」

 アグラヴェイン兄さんが怒鳴る。あ、やっぱり不本意なんだ。

「フフッ、初めての兄弟喧嘩だ!嬉しいな。もっと罵ってくれ!」

 そんなにこやかに兄弟喧嘩するのはガウェイン兄さんだけだよ。

 ガウェイン兄さんはアグラヴェイン兄さんを貴婦人のように抱き上げたまま、宣言した。

「私はガウェイン!ロト王とモルゴースの長男、アグラヴェインの兄。ガウェインだ!」

 うわ、アグラヴェイン兄さん、魂出てる出てる。かわいそう。

 フフ。でも、フフ、おかしいな、フフ。

 すごくいい感じがする!ガウェイン兄さん!


 ガウェイン兄さんは大天使じゃなくて悪魔だった。

 皆を鍛錬に引っ張り出し、散々に走らせた後。

「壁と壁の間を登りましょう」と言い出した。

 うちの城には壁と壁の間がちょうど狭くなってるところがあって、人一人が、壁の両方に両手足をついたらギリギリ登っていけるくらいのところがある。

 ここ、城で一番壁が高いところなんだよね。頂上までがすごく遠い。

 で、一回だけ父さんが登っていったのを見たことある。いたって普通に。ただのいつもの散歩のように。

 化け物かと思った。母さんはパチパチと拍手をし、父さんは小さなアグラヴェイン兄さんに「お前もこれくらいは簡単にできるようになれ」と言った。

 当時の兄さんは両手足を両方の壁につくには全然身体の大きさが足りなかった。けど片方の壁をよじよじ登りだした。母さんは慌て、父さんは見守った。

 父さんの身長の倍は登ったところでアグラヴェイン兄さんは落ちた。母さんは叫んだけど、父さんが当たり前に受け止めて「流石俺の息子だ〜」と抱きしめて頬ずりしてた。

 あれを見たときから、アグラヴェイン兄さんに敵う気がしないんだ。

「俺が手本を見せる」

 アグラヴェイン兄さんが壁にトンッと手をつく。両方の壁に両手足をつけて、スイスイ登っていく。

 嘘ぉ……

 アグラヴェイン兄さんは頂上まで登った後、今度は片壁だけでスルスル降りてきた。

「はい終わり。ああ疲れた」

 いや、息も乱してませんけど?!昨日倒れてたよね?!

 ガウェイン兄さんがパチパチ手を叩いて。

「では皆さん、やってみましょう!」

 できるか!


 僕はやった。

 二回、落ちた。

 どっちもあっさりガウェイン兄さんが受け止めた。

 そしてまた俺の両腕を掴み、俺の片手をこっちの壁、もう片手をもうひとつの壁につけさせる。

 そしてにっこり宣った。

「ガヘリス、君の限界はそこじゃないはずだ!壁登りあともう三回!」

 悪魔、悪魔、悪魔じゃないか!!

 なんとか、なんとか登りきった。そして降りようとして、僕はまた落ちた。

 死ぬ、死ぬんじゃないかこれ!

 しかし、また受け止められた。

 ガウェイン兄さんかと思ったら、アグラヴェイン兄さんだった。

「……流石に、あの高さからはちょっと痛いな」

 アグラヴェイン兄さんは僕をよいしょとおろして地面に立たせてから、顔を上げる。

「やりましたね、ガヘリス!」

 ガウェイン兄さんがにこにこ笑ってる。

 アグラヴェイン兄さんはそれを見る。

 そして、綺麗な顔で微笑した。あれだけ父さんに似ているのに、その瞬間だけは母さんみたいに。

 僕が見惚れてぽかんとしてたら、アグラヴェイン兄さんが口を開き、ぶっきらぼうに言った。

「次は、もっと下の方から落ちてくれ」

 腕が痛くてかなわん、と文句を言う。

 うーん、台無し!


 朝食の席。アグラヴェイン兄さんが泣き出した。

 さっきまであまりにも頼もしかったアグラヴェイン兄さんが吹いたら消えそうだ。

 アグラヴェイン兄さん大丈夫かな。大丈夫だといいな。大丈夫になって。

 お願いします、神様。

 兄さんを見捨てないで。


 日々は穏やかに過ぎていく。

 ガウェイン兄さんはうまくやっている。アグラヴェイン兄さんと仲睦まじいと城の者が感心するくらいだった。

 でも僕は怖くて仕方がなかった。


 ある日の朝食の後、ガウェイン兄さんがアグラヴェイン兄さんに付いていった。

 別にそれは大したことじゃない。

 でも、母さんがその後を追った。

 どうしたんだ?

 僕もその後を追う。

 アグラヴェイン兄さんの怒鳴り声が聞こえてきた。

「父上は!父上はどうしたんだ、教えろ!」

 兄さんは母さんの両肩を掴んでがくがく揺さぶる。

「アグラヴェイン、ごめんなさい、ロトが死んだのはわたくしのせ」

 母さんは絶望した顔。

 いやだよ!また、またこうなるのか?

「どういうことだ!」

「わたくしが帰る途中にペリノア王に見つかって襲われたの、それを、ロトが、ロトが見つけて戦って、殺されて、マーリンが助け」

「いつだ!」

「ガレスが生まれる前よ!」

 ペリノア王?ペリノア王って何?襲われたってなに?父さんが殺され、マーリンが助け?

「待て。犯されたのか」

 アグラヴェイン兄さんが怖い。

 そんなの、直、母さんに聞くなよ、馬鹿なのか?

 母さんがガタガタ怯え出す。当たり前だ。

「やめろ!アグラヴェイン!」

 ガウェイン兄さんが割って入ってくれる。

 アグラヴェイン兄さんを止めて、止めてよ!

「ガレスは父上の子か?」

「わ、わからない」

 止めてよ!

「お前のせいで父上は死んだんだな?」

「アグラヴェイン、違う!母上は被害者だ!」

「あんたは黙ってろ!!」

 アグラヴェイン兄さんは、ガウェイン兄さんの言葉も聞かない。

 すると、アグラヴェイン兄さんは母さんの頬を、優しく優しく両手で包みこむ。母さんのひたいに、兄さんのひたいをそっと合わせる。

 あれ?アグラヴェイン兄さん、怒りを収めてくれた?

「戦場が危ないなんて子供でもわかる。女が行けば犯されるのなんて馬鹿でもわかる。なんで行った。なぜ行った。行かなかったら、お前がいなければ、強い父上がやられるものか。お前がいたからだ。お前のせいで、父上がやられた。お前が死ねばよかったのに。死ねよ」

 兄さんが素早く母さんの首を締めた。

「駄目だ!」

 ガウェイン兄さんが、アグラヴェイン兄さんを落とす。

 気絶したアグラヴェイン兄さんを片腕に抱え、母さんを助け起こす。

「母上」

「ガウェイン、ガウェイン、わたくしわたくし」

「大丈夫。母上は身を隠していて。アグラヴェインは私がしばらく預かります」

「母さん」

 俺は出て行って、母さんを支えに行く。

「ああ、良かった。ガヘリス、母上を頼みます」

 ガウェイン兄さんはアグラヴェイン兄さんを抱き上げて、また、部屋の中に入っていった。

 僕は、泣きじゃくる母さんを支えて、母さんの部屋に向かう。

 本当に、本当に、大丈夫なの、ガウェイン兄さん。

 そうだ、ガレス、ガレスは、ガレスは父さんの子じゃない?

 だから母さんはずっとずっとずっとガレスを無視していた?

 自分を犯した男の子供だから?

 ガウェイン兄さんが部屋から出てくる。

 母さんを抱き上げた。

「ガヘリス、ついてきて」

 僕はついていく。

 ガウェイン兄さんは母さんを自室に連れて行った後、僕を通路に引き出して言った。

「今日から熱を出したことにして、空いてる部屋に入ってなさい。ガレスと同じ部屋にいないように」

「ぃやだ」

「何が」

「殺してやる」

「誰を」

「ガレスを」

「駄目です!」

「母さんを犯した男の子だ!」

「それ以前に母上の子です!」

「いらないよ、父さんの子じゃないんなら」

「いらない子なんていない」

「いらないよ!僕にもいらない!母さんにもいらない!父さんの子のふりをした悪魔だ!」

「違う!」

 ガウェイン兄さんは僕を担ぎ上げる。

 家令を呼んで付いて来させ、僕を空き部屋に放り込んで、外から鍵をかけさける。

「ガヘリス、すみません。でも、出すわけにはいかない。しばらく頭を冷やして。弟を殺してはいけません。ガレスは私たちの弟。指一本たりとも傷つけてはいけない」

「いやだ、いやだ、殺す、出せ、出せ、出せ、出せ」

 ガウェイン兄さんの足音が遠ざかる。

 くそ、くそ、くそ、くそ、僕は、僕は、悪魔を殺しにいかなきゃ、殺しにいかなきゃいけないのに!!


 ガウェイン兄さんが戻ってきた。

「ガレス、ガレスは父さんの子じゃない!」

「ガヘリス」

「母さんを無理矢理犯したクズの子だ!」

「ガレスのせいじゃない」

「わかってるよ!でも、でも、そいつの血が流れてるんだろ。半分はそいつでできてるんだろ。いやだ、気持ち悪い、殺してやる」

 殺して、母さんの憂いを断つ!

「ガヘリス!」

 パシン!と頬を打たれる。

 痛い。痛いけど、ガウェイン兄さんは完璧に手加減してる。敗北感。

「なんだよ、なんなんだよ、いっつも母さんばっかり。ガウェイン兄さんがさらわれて母さんはずっと悲しそうだったのに、父さんは気にしてないみたいだったし。アグラヴェイン兄さんは母さんを殺そうとするし。ガレスなんかを産んで可哀想だ。汚い男の子供を産まされて可哀想だ。アーサー王への生贄にされて可哀想だ。汚い男の子供をまた産んで、つれてかれて、死んで……母さん壊れちゃったじゃないか。アグラヴェイン兄さんも壊れちゃった。ガウェイン兄さんが来て、ようやく戻ったのに、結局また壊れちゃった。二人とも壊れちゃった。どうしたらいいんだよ。僕はなんにもできない。僕はなんにもできない。ガウェイン兄さん、どうにかできるんじゃなかったのかよ!」

「大丈夫、するよ」

「どうやって!」

「まずはガレスを受け入れる」

「無理だ!」

「無理じゃない」

「ガウェイン兄さんは受け入れてるの?!」

「悪いのはペリノア王だ!」

 そこで、部屋の外からガシャン、と何かを落とす音。

「しまった!ガレス!!」

 ガウェイン兄さんが駆けて出ていく。

 僕は取り残される。

 ガレスに聞かれた。

 ガレスに。殺すって。父さんの子じゃないって。

 ガレスはそんな、何も、なんにも知らないのに。

 母さんに無視されてもずっと耐え、僕たちが面倒を見ているようで、ずっと面倒見られてたのは僕たちのほう。

 ガレスがいなきゃ、僕もアグラヴェイン兄さんもとっくに死んでる。

 でも、ガレスがいなかったら、ペリノア王がいなかったら、そもそも母さんはこうなってない。父さんも、父さんも、父さんも死んでない。

 どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだよ、教えてくれよ、教えて……

 ああ、こんなときに教えてくれるのもガレスだった。


 また、ガウェイン兄さんが現れる。

「ガヘリス、キャメロットに行きませんか」

「キャメロット?」

「はい。アグラヴェインの騎士叙任と合わせて、正式にアグラヴェインを王にする。それはそれとして、マーリンに相談します」

「マー、リン?」

「最高の魔術師です。彼に相談すれば良い策が見つかる。それとは別に」

「?」

「まずはガレスと距離を置き、落ち着きなさい」

 僕は首を垂れた。

「僕も、どうしたらいいかわからないんだ」

「そうですか」

「ガレスをどうしたらいいかわからない」

「一歩前進です。……キャメロット行きは?」

 僕は大きくうなずく。

「よし、いい子だ!」

 その後ガウェイン兄さんは、僕の頭をずっとずっと撫でていた。


 外に出て、慌ただしく旅の準備をして、母さんとガレスの顔を見ずに、ロジアンの城を後にする。

 アグラヴェイン兄さんとガウェイン兄さんとの旅。

 アグラヴェイン兄さんは、久しぶりに会った僕を見ると、無言で抱きしめた。

 何を語ればいいのかなんてわからない。

 僕もアグラヴェイン兄さんもどうしたらいいかの答えを知らない。


 途中の宿。

 僕たちは同じ部屋に泊まり、ガウェイン兄さんは僕を宥めるように撫でて、眠くなるように眠くなるようにする。

 とろとろまどろんでいると、もう寝たと思ったのか、ガウェイン兄さんが離れていく。

「母上から、事情を聞いてある。話しておきたいが、聞けるか?」

 ガウェイン兄さんの声。アグラヴェイン兄さんと話してる。

「聞く」

 覚悟を決めた、アグラヴェイン兄さんの声。

「よし。……母上が、父上のところに行ったとき。一夜を共にしたらしい。その後帰りがけにペリノア王に襲われ……犯されて。忘れ物を届けに来た父上が見つけて。父上が助けようとして。父上が殺されて。そこへ父上との和平交渉に来たマーリンが来たんだ。

 マーリンはペリノア王を一瞬で眠らせ、母上を連れ帰り、治療した。その際に母上はアーサー王と会った。アーサー王に母上が誰かは、告げなかったそうだ。

 マーリンが『ロト王は死んだ。戦は終わりにしよう』と言い、遺体は丁重に葬られた。母上は行きがかった人のようなふりをして参列した。

 母上は帰ってきてガレスを出産した。ペリノアの子かもしれないと思ったらお腹の子もろとも死んでしまいたかったが、父上の最後の子かもしれないから、産まないわけにもいかなかった」

 ……僕、僕、早合点した!

 嘘、父さんの子の可能性、父さんの子の可能性、あるの?

「でも、産んだら、怖くなった。わからない。あの男の子供かもしれない。夫の子供かもしれない。どうしていいかわからなくて、顔が見れなくて、とにかく逃げ回って……君やガヘリスにすまなかったと言っていた。母親をまったくできなかったと。

 そしてアーサー王から呼び出しがかかり、宮廷で、アーサー王が猛烈な殺意をアグラヴェイン、君に向けた。

 母上は恐怖した。君が殺されてしまう、と」

 そうだ、母さんは僕たちのために、怖くても立ち向かう。そういう人なんだ。

「まさか」

 兄さん?母さんが怖くないとでも?

 ……そうだ、アグラヴェイン兄さんには、母さんが全部隠してたんだ。

「アグラヴェイン。母上は、普通の人間だ」

 そうだ。そんなことも、たぶんアグラヴェイン兄さんは知らない。

 ガウェイン兄さんはゆっくりゆっくり言い聞かせる。

「私たちと同じ人間だ。怖いことだってある。ましてや、私たちより力の弱い女性だ。私たちより、怖いんだよ」

「まさか」

「君にも怯えていたのを忘れた?」

 アグラヴェイン兄さんは止まっている。

 本当に気づいてなかったんだ。

「続けるよ」

「ああ」

「……恐怖した母上は、ハッと思い出した。自分の母のイグレインのことを。

 モルガン叔母上がユーサー王に襲われそうになったとき、飛び出して庇ってくれた母のことを。

 アーサー王の目は、自分に恋していると如実に語っていた。ならば、ならば、自分も母と同じことをすればいいと思った。

 自分の身を差し出せば、アーサー王の怒りはおさまる。

 怖いけれど、怖いけれど、怖いけれど、でも。君を……守らなくては、と」

 そうだよ。

「母上はアーサー王に恋をしているふりをして、自分を欺いて、ひたすら恐怖をおさえこんで、アーサー王と毎夜過ごして、妊娠して、出産するから里帰りさせてくれとアーサー王に頼み、ロジアンに戻って子を産んだ。

 でもアーサー王は妃として迎える知らせはよこさず、子供だけを連れていった。

 アーサー王は自分に恋をしてるんじゃなかった。子供がほしかっただけだった。そうか。私は子供を産む容器か。勝利して手に入った見映えのする地位の高い女。それだけだ。それだけだったのだ。使い捨ての、子を産ませる容器。

 そう思っていたら、モードレッドが死んだという知らせが入った。

 母上は思った。また容器にされる。使い捨てのやりたい放題に利用して捨てられる容器。

 母上は気が狂った。すると隣に夫が帰ってきた。優しい夫が。自分を愛している夫が。嬉しくて嬉しくてずっと側にいて求め続け。

 でもアーサー王から呼び出しがかかると、夫が馬車に自分を詰め込んで送り出した。

 夫まで私を容器扱いする」

 そうだ。それは、そうだ。母さんを、兄さんは……でも僕に責める権利なんてこれっぽっちもない。

「キャメロットについた母上は驚いた。アーサー王は心の底から母上に詫びて、言った。

『心から恋していた。でも、恐ろしい事実を知った。異父きょうだい同士であったと知った。どうしていいかわからなかった。

 モードレッドのことは本当にすまなかった。でも生きていたら恐ろしいことになっていた。

 とにもかくにも許してほしい。なんでも償う。君の子供は余の甥。なによりも大切に可愛がろう。

 そしてもう一人、君の子供がこのキャメロットにやってきた。ガウェインだ。

 おくるみに紋章も名もあった。君の子に間違いない。いや紋章なんて見なくても、生き写しだ。絶対君の子だ。余は彼に決闘で負けた』と」

 モードレッドが死んでて良かったんだ。母さんとアグラヴェイン兄さんにも……子ができなくて、良かった。

「そこからは母上でなく、私の話になるが……母上はアーサー王の言うことが信じられなくて半信半疑なようだった。

 でもね、私とアーサー王と母上で一晩中飲み明かした朝のことだ。

 私がアーサー王を宙に放り投げて、それを地面すれすれで受け止めた」

 は?

「アーサー王は仰天して腰を抜かして立てなくなった」

 それはそうでしょ!

「そのとき母上はすばらしく明るく笑った。あんな美しい顔で笑う人を初めて私は見た。ガリガリに痩せ細っていたけど、それでもこの世の奇跡のように美しかった。

 母上は安心したんだ。私がアーサー王より強いと。もう大丈夫だと。心の底から。

 それから母上はめきめき回復されて、それはもう大天使ガブリエルのごとく美しくなった。

 アーサー王は泣きそうな顔で悔しがっていたよ。なぜ、なぜ、この人と姉と弟で結婚できないんだと。

 でも母上は私を引き寄せて腕を組み、『無理ですー。私はロト王の妻ですー。息子もいますー』と言ってケラケラ笑っていた。その顔がまた美しくて、アーサー王は本気で泣き出したよ」

 そうか。

 僕は結局、ガウェイン兄さんの足元にも及ばなかった。

 母さんはガウェイン兄さんをこそ待っていた。

 侍女の言うことなんか僕は真に受けちゃいけなかった。あれは女性の言い分だ。

 まだ小さいガレスはそれでもいい。でも僕は違うだろ。僕は力が無くちゃいけなかった。力が無くちゃいけなかった。なのに僕には力が無かった!

 でもアグラヴェイン兄さんでも敵わないアーサー王の力。ガウェイン兄さんだけが敵うアーサー王の力だ。僕には当然、敵わない。

 ガウェイン兄さんが言う。

「なあ、アグラヴェイン。私たちは、強くなきゃいけない。母上は強そうに見えるけど、脆いんだ。私たちが強くてはじめて、安心して笑えるんだ。

 私は強くあり続ける。母上のためにも。君たちのためにも。

 でも、アグラヴェイン。君には守られているだけではいてほしくない。

 君にも強く在ってもらいたい。

 私に並び立て!私の弟なのだから」

 ガウェイン兄さん!

 僕も、僕もなれるかな?

 アグラヴェイン兄さんみたいに壁くらい簡単に登らなきゃいけない。

 何があっても仕事を投げない。

 ガウェイン兄さんみたいに、強く強くなきゃいけない。

 僕にできるかな。

 いや、できるかなじゃない。

 やらなきゃ。僕はやらなきゃ。

 兄さんに頼ってばっかりじゃなくて、兄さんに並び立てるように!


 キャメロットに到着すると、アーサー王に面会。

 あの恐ろしい威圧感は微塵もなく、そして母さんの弟だというのに、見た目は確かに生き写しのようなのに、なぜだかまったく似てる印象を受けなかった。

 なんというか……母さんや兄さんみたいな神々しさがない、というのかな?

 アーサー王は不服そうに言う。

「姉上は来ていないのか」

 うわ、やっぱり母さん好きなんだ。

 ガウェイン兄さんが辛口に返す。

「おりません。当たり前です。アグラヴェインが国にいない分、できれば母上が国にいた方がいいのです。緊急でもない限り」

 そうだよ。父さんがいない分、母さんか兄さんたちが領土の管理をするんだから。

「ガウェイン、なんだ、怒っているのか」

 そう言って、ガウェイン兄さんの名を呼んだときのアーサー王の顔。

 え?

 ええ?

 ええええ?

 嘘でしょ嘘でしょ、この人、

「怒っておりません」

 ガウェイン兄さんがツーンとする。

 ガウェイン兄さんがチラッとアーサー王を

見る。

 アーサー王がそれはそれは土砂崩れの嬉しさ満面の顔をした。

「フッ」

「フッ」

「「アハハハハハ!」」

 ガウェイン兄さん、笑ってないで!ああああ、アーサー王と抱きしめ合わないで!

 アーサー王、兄さんに恋してる!!兄さんに恋してるよ!!駄目だよ、危険だ、兄さん鈍感!超絶鈍感!!

 ちょっとアグラヴェイン兄さ、うわぁぁもう、気づいてないぃぃ!面倒くさそうな顔してる、絶対気づいてない!

「ガウェイン、嬉しいぞ。弟をつれて来てくれたな」

 嬉しくないないないない、ちょ、ガウェイン兄さん狙わないで!

「ええ、アグラヴェインは年頃ですからね!あともう一人連れてきていますよ。騎士にするには早いですが、私の従者として。紹介します、ガヘリス!」

 ええ、ええ、出ますとも!

 ガウェイン兄さんに手を出すな!この魔物化け物アーサー王物!!

「ロト王とモルゴースが第三子、ガヘリスです。アーサー王に置かれましてはご機嫌麗しゅう」

 麗しそうでいらっしゃいますね本当にね!

「おお、何と何と、ガウェインに似ているではないか!」

 アーサー王は喜色満面でガウェイン兄さんと僕をギューッと抱き締める。

 グェ、力、力強!ウェ、内臓出る!ガウェイン兄さんみたいな加減はないのかこの馬鹿力王!!

 アグラヴェイン兄さんは遠巻きにして「ご愁傷様です。骨は後で拾いますね」と言わんばかりに、手をひらひら振っている。

「可愛いな!ガウェインから産まれてきたようだ!そなたも年頃になったら余が騎士にしてやるぞ!」

 産んでない産んでない、産めるか、兄さんが!僕は兄さんの弟だ!!!!!


 アーサー王と別れた後で、アグラヴェイン兄さんは明日の騎士の叙任のため、徹夜で教会行き。僕たちは用意された宿所へ行く。

 僕はガウェイン兄さんに全部ぶちまけた。

「なんですかあの人は!!ちょっと!母さんが無理だからって、ガウェイン兄さんに目をつけて!ガウェイン兄さんに恋してますよ、アーサー王!絶対に絶対に絶対に油断しちゃ駄目ですよ!アーサー王に敵うの、兄さんだけなんですからね!」

「うーん、それは、正確にはどうかな……」

「はい?!」

「あのね、たぶんね、戦いになったら、アーサー王は私より強いよ。恐ろしく力が強いからね。あと威圧。私は普段から力が強いけど、アーサー王は戦いのとき限定で力が強……あ、いやまあ普段も強いけど。とにかく戦いのときの威圧が凄まじい。ガヘリス、君たちはたぶんそれを感じたことあるんじゃないのかな。王、脅してすまなかったって言ってたし」

「……ある、あるよ!威圧、母さんを僕たちから取り上げたときのアレ、めちゃくちゃ怖かった!」

「それだよ。アレには私も勝てるかよくわからない。実際決闘のとき負けかけたし」

「でも、勝ったんでしょ?!」

「私の兜をアーサー王の剣が割って、私の血だらけの顔を見て、アーサー王が戦意を喪失したんだよ。その後はほぼ無抵抗。おかげで勝てた」

 甘っ!

「だからね、単に私に甘いだけで、シンプルな強さは私より上だと思う」

「難敵だね」

「腕が鳴るよ!」

「えっ、強」

 そこでやる気出るの?変態なの?

 僕はこんな戦闘欲に溢れた兄やアーサー王に並ばなきゃいけないの?

「無理な気がする」

「え、ガヘリスは私が勝てると信じてくれないのか?」

 ガウェイン兄さんがショボンとする。

「いや、そっちじゃないよ」

「どっち?!」

 なんでムキになってるの、おかしいの。

「兄さんは力が強いのに、心が弱いよね」

 ガウェイン兄さんがガックリうなだれる。

「ど、どこらへんが?」

「僕たちに弱過ぎでしょ。僕にも、アグラヴェイン兄さんにも」

「ああ、それはそうだよ。世界で一番、私は母上と君たちが大事だから」

 出た、世界で一番。

 母さんと一緒。信用ならない。

「一番が四人いるの?多くない?誰か決められないの?」

「決めてほしいの?」

「どうせガレスでしょ」

 あ、驚いてる驚いてる。

「なんでわかるの?」

 ああもぅ、顔を赤くしちゃって。

「一番天使だもん」

 ガウェイン兄さんは見た目がすごく綺麗だ。だからそういう人は、見た目なんか相手に求めず、心根がいい人を好きになりやすい。

 おっほん!説明しよう!

 第一に見た目が天使なのは母さん。もちろん見た目は除外。で、母さんはいたずら好き過ぎて、性格がいいかといえばたぶん悪い。生まれたての赤子を当て馬に使う奴があるか!僕はその点に関しては許さないんだからね。大好きだけど。

 アグラヴェイン兄さんはまず見た目は天使じゃない。欠片も。そして性格は……そりゃあ僕にはいい兄さんだけど……よその人には威圧するし、他人行儀になればなるほど言葉はカミソリで切るような切れ味で交渉相手が震え上がるのはざら、必要あらば当然実力行使も辞さないからうちの国は守られてるし、身体能力的にも腕力も体力も武術も小さい頃から徹底して鍛えている鬼だし、アグラヴェイン兄さん外の人には怖過ぎる人じゃん、怖。大好きだけど。

 僕は僕だからね。論外。

 でも、ガレスは違う。父さんと違う血が流れてることは、母さんを汚した男の血が流れてることだけは怖気が走る。やっぱりどうしたらいいかわからない。

 でもそれを除けば、ガレスは天使。完璧に。

 あの小さい身体で、自分のできることを最大限にやって、アグラヴェイン兄さんと僕の心をなんとか繋ぎ止めておいてくれた。あの天使の性格。

 あの性格をガウェイン兄さんみたいな人が好きにならないわけがない。

 あー、ガウェイン兄さん真っ赤だ。

「ガヘリス、君ね、鋭過ぎる……」

「世界一なんて言葉、嘘に決まってるからねー、研究してるんですー」

「待って、世界一は嘘じゃない」

「え、でも妻ができたら妻にメロメロになるでしょ」

「ならないよ」

「嘘だぁ」

「そういうの、よくわからないし」

「えっ?」

 どういうこと?

「好きな貴婦人とかいらっしゃらないので?我が兄君」

「なんで、アグラヴェインもガヘリスもいきなり他人行儀になるんだ」

「ふざけてるだけ」

「私をからかって楽しいか?」

「楽しい」

 兄さんが感情がぐっちゃぐっちゃになったややこしい顔になる。

 アハハハハハ、楽しい!

「あ、でも本気で気になる。好きな貴婦人いるの、いるんでしょ?誰?誰?」

「特にこれと言って」

「嘘。兄さん、いろんな女性から引く手あまたでしょ、ちょっとはいるでしょ」

「いないよ」

「嘘、本当、もしかして童貞?」

「いや全然」

 あ、やることはやってるんだ。

「え、どこでどこで、どこで経験あるの?お兄様教えて!」

「あ、いや……どこででも?」

 はい?

 なにそれどういう意味。

「どこででも、寝られます、ので?」

「まあ、誘われたら」

「そ……それは何人で?」

「数えてない」

「えっ、手の指の数より多い?」

「多いよ」

「ときにそれは片手?両手?」

「両手」

 多っっっっっ!

「えっ、千人斬りとか目指してらっしゃる?」

「目指してないよ!お誘いがあったら……ご婦人への礼儀的に、その、行くだろう?」

 お誘いって何?!そんなのあるの?

「行かないよ!」

 そもそも誘われたことないよ!というかまったくそれどころじゃなかったしね!

「あ、そっかガヘリスはまだ外に出てないからね。無いだろうね」

「外に出るとあるの?!」

「そりゃね……あ、いや、待って。周りの騎士に『そりゃお前だけだろ』って言われたことがある」

 ほらぁぁぁ!

「えぇぇぇ、知りたくなかった燃える剣持つ大天使ミカエル兄上の下半身事情」

「聞いてきたのはガヘリスじゃないか?!というか大天使ミカエルって何?」

「兄さんに一番似てる大天使様」

「似てないよ!」

「似てるよ、そっくり」

「そんなの見た目だけだよ」

「あ、見た目に関してはお認めになってらっしゃるのね。なるほどなるほど」

 兄さんは頭を抱えて悶絶した。

 おもしろーい。

「でも好きな貴婦人はいないんだね」

「特定の人、とかはないね」

「ふーん、じゃあやっぱりガレスが一番なのか」

「最初からそう言ってる」

「ガレスにさっきの下半身事情言ってもいい?」

「絶ッッッッッッッッ対、駄目だ!」

「アハハハハハッ!」

 あー、面白!うちの兄さんがこんんなに面白かったとは。

「あの、ガヘリス」

「ん?」

「ガレスと口をきいて、くれるのか?」

 びっくりして眉が上がる。

 今の今まで、許せてなかったのを忘れていた。ああ、そっか。

「……いきなりは、無理、かもしれないけど」

「殺したり、しないか」

「……しないよ」

「ガヘリス!」

 ガウェイン兄さんがキューッと抱きしめてくる。アーサー王みたいな力任せでなく、力加減している。

 僕の優しい優しい優しい兄さん。

「僕のこと四番目には好きなんだよね」

 最下位でも四位。アーサー王よりも上。ならいいか。

「いや、四人とも世界一だ」

「こだわるよねえ」

 いいよ。そういうことにしといてあげる。


 翌日はアグラヴェイン兄さんが騎士に叙任され、さらにロジアンとオークニーの王と大々的に紹介され、兄さんの地位はアーサー王に保証されることになった。

 うーん、感慨深い。ガウェイン兄さんは欠片も王になりたがらなかった。まあこんな下半身事情がとっ散らかった王、めんどくさいもんね。アグラヴェイン兄さんはゴリッゴリに堅物だから大丈夫。

 兄さんたちの姿を探す。

 ああ、いたいたアグラヴェイン兄さん。

 あれ?なんか銀髪の綺麗な人に引っ張られてる。女?男?大きな樫の杖。魔術師。

 あ、魔術師マーリン?!

 これはこれはワクワクの予感!

 こっそりアグラヴェイン兄さんとマーリンに付いていく。ガヘリスくんの追尾を舐めるなよ?

 マーリンは一室に兄さんを連れ込んで話し出す。扉は適当にしか閉められてない。ちょっとだけ空いてる。これはこれは行幸行幸。

 魔術師マーリン殿が口を開く。

「ガレスをロト王の子だと判別しただけだ」

 はい?!

「なんだ、それが知りたかったのではなかったか」

 それは知りたいですけども!

 マーリンがアグラヴェイン兄さんに話すところによると、髪の毛で誰の子供がわかるらしい。魔術って不思議。

 そしてマーリンは母さんが好きらしい。

 おお。

 ガウェイン兄さんに母さんの面影を見てる、え、ガレスにも見てるの?え、嫌っ……

 最後にマーリンは、アグラヴェイン兄さんに惚れられてるのを恐れて逃げた。

 ああ、まあ、兄さん、怖いからね。堅物が惚れた時ほど厄介なものはない。監禁されたりして。うわ兄さんしそう。

「おい」

 え?

 アグラヴェイン兄さんがズンズン扉の方にやってくる。

 扉を開けて、僕の服の後ろをがっしり掴んで、ぷらんと空中にあげる。

 エーン、馬鹿力!

「聞いてたか、ガヘリス」

「聞いてましたぁ」

「聞かせてやったんだ。お前にも聞く権利があると思ってな」

 えっ、最初からバレてたの。

「俺も気づくし、俺が気づくくらいだからマーリンも気づいてる。扉も半開きにしてやった」

 残念。残念!僕が!

「で、これでいいか」

「なに?」

「ガレスの件だ」

「うん、全然、もう、ばっちり大丈夫」

 既に昨日ガウェイン兄さんと話してるもんね。もう、いいんだよ。

 でも、やっぱり、父さんの子だと嬉しいね。

「エヘヘ」

「なんだ気味の悪い」

「良かったね、兄さん」

「……ああ」

「父さんの、最後の子だ。僕たちの天使だ」

「ああ、そうだな!」

 アグラヴェイン兄さんのすがすがしい笑顔。うん、良かった!でもね。

 そろそろ下ろしてもらえる?


 数日後、アーサー王とグウィネヴィア王妃の結婚式が行われるということで、キャメロットにはぞくぞく人が集まってきた。

 ガウェイン兄さんと城壁の上から眼下を見下ろす。

 ごったがえす人たち。

 あ、騎士がいる。ふーん、獅子の紋章だ。誰なのかな?兄さんなら知ってるかな。

「兄さ……」

「イウェイン!」

 兄さんが叫ぶと、騎士の方が気づいてこっちを向き、手を上げた。

 ガウェイン兄さんが猛然と城壁の下へと走り出す。

 おお、知り合いか……イウェ……従兄弟殿だ!そう、会ったことはないんだけど、母さんの妹モルガンの息子だ。

 へえぇ、ガウェイン兄さん、前にキャメロット来たときにでも会ったのかな。

 のんびり兄さんの後を追う。

 城門を入ってすぐのところでようやく追いつい……わお。

 相手の騎士はもう馬から降りて兜を取り、ガウェイン兄さんに熱烈に口づけをしていた。兄さんも相手をギューッと抱き締めて、熱烈さはどっこいどっこい。

 へえ、イウェイン卿、ガウェイン兄さん大好きなんだ。まあ僕たちも大好きだけど。

 …………全然離れないな。

 …………全然離れないな?

 …………全然離れないな!

 ちょっとちょっとちょっと兄さん返してくれる?!

 いい加減引っ剥がしてやろうと、ガウェイン兄さんの後ろから近づいて手を伸ばす。

「ガウェイ」

 ガンッ!

 いきなり頭から衝撃が来て僕はその場に倒れた。

 その後も頭上から押しつぶされつづける。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖いアーサー王アーサー王、アーサー王だこれ、怖い怖い怖い怖いよ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い

「にぃ、さ……」

「……ガヘリス?!」

 ガウェイン兄さんの声。

「ガヘリス?」

 知らない声。

 あ、痛いの、消え、た。

 ガウェイン兄さんに助け起こされる。

「ガヘリス、ガヘリス!大丈夫?大丈夫?!」

「兄さ、アーサー、アーサーお……」

 アーサー王の威圧感だった。絶対に渡さない殺すというあの威圧。

 でもなんで?ここに来たとき、あんなに歓迎してくれてたのに。可愛い可愛いって言ってくれてたのに。

「アーサー王?」

 兄さんの不思議そうな声。

「来てないよ。それより大丈夫?真っ青だ」

 兄さんが背中をさすってくれる。

 怖い、怖い、怖かった、何、アーサー王、遠くからこんなの飛ばしてくるの、ガウェイン兄さんが勝てないって言ってた訳だ、めちゃくちゃ怖い、すごく怖い。

「なんだったのかな……」

 不思議がる兄さんの声にホッとして、僕は意識を失った。


 目を開ける。

「ガヘリス!」

 ガウェイン兄さんの声。

「お、目覚めたか」

 知らない声。

 ガウェイン兄さんがそっと頬に触れてくれる。

「大丈夫?」

「……うん、特に、なんともない」

「何があったの?どこか痛んだ?」

「アーサー王の威圧」

「えっ?」

 兄さんは首をひねる。

「王はいなかったけど……イウェイン、いた?」

「いいや。でも遠くから飛ばしたりとか、できるんじゃないのか」

 それだよ!

「兄さん、やっぱりアーサー王危険だよ」

「え、でも、ガヘリスに?」

「そう!そうなんだよね」

 ガウェインが産んだとか言ってたし、グェグェに抱き締めてきてたし、僕に敵意は抱いてない、はず。

「なんか間違えたんじゃないのか?」

 間違えるかなぁ?!

 って、この人。

 イウェイン、だ。イウェインだよね。さっき兄さんに呼ばれてたし。

「イウェイン卿?はじめまして」

「おお。ガヘリス、はじめまして。普通にイウェインでいい。従兄弟なんだし」

「ごめんなさい。着いて早々、迷惑かけちゃった」

「いい、いい。それより具合は?もう大丈夫なのか」

「うん、平気」

「そりゃ良かった」

 ニッと爽やかに笑う。

 銀髪をガウェイン兄さんみたいに腰まで伸ばし、青い瞳がキラキラしてる。

 顔立ちは母さんにも似てるし、兄さんにも似てた。

「ガウェイン兄さんと双子みたいだ」

「おぅ、よく言われる」

 この人笑顔、爽やかだなあ。

「名前も似てるしね」

 兄さんが肩をすくめる。まあガウェインとイウェインだもんね。

「ほぼ同時期に産まれたしな。俺のがちょっと後だが」

「母上と叔母上が名前をしめし合わせたんだろうね」

「だな」

 本当に双子が交互に喋ってるみたい。

 それにしてもなんで会う機会があんまりなかったんだろう。母上とモルガン叔母上仲悪いのかな?……でも名前を合わせるくらいなんだよね。仲は良いよね。

「それにしてもこーんな可愛い従兄弟殿がいるとは。ガウェインが産んだみたいだな」

 うわ、イウェイン、アーサー王みたいなこと言ってる。

「私は産めないよ……」

「産ませることはできるだろ」

「年に無理があるだろう……」

 ああ!無理がないくらいの、

「子供はいるかもしれないね」

 あんなに寝まくってたら一人や二人は出来てるでしょ。

「何ッ?」

 イウェインが驚いてこっちを見る。

「わからないよ、そんな、確認してないし」

 ガウェイン兄さんが首をすくめる。

 怖いな、何人出て来るだろう……

「何ッ?」

 イウェインはガウェイン兄さんの方を振り返る。忙しい人だな。

「ガーウェーイーンー」

「な、何?」

「そいつら皆殺す」

「駄目」

「なんで!」

「ご婦人も子供もお守りするのが騎士のつとめ」

 イウェインが悲愴な顔で今度は僕の方を見る。知らないよ。

「ガウェイン兄さんのすべてを受け入れられないなら一緒にいるのやめなよ。僕はどんな兄さんでも大好きだよ」

 ガウェイン兄さんの希望だからガレスには言わない。でも、たぶんガレスは兄さんの行状を聞いたからってガウェイン兄さんを嫌いには……ならないと思うな。わんわん泣きはするかもしれないけど。

 イウェインはこれで兄さんのこと嫌いになるの?ならそんなやつはいらない。

 イウェインはガウェイン兄さんを見る。

 すると、ガウェイン兄さんは泣き出しそうな顔をしていた。

「イウェインは私のことを汚いと思うか?」

「?!」

 イウェインは驚いてガウェイン兄さんの肩を掴む。

「そんな話じゃないだろ、何言ってるんだガウェイン、ちょ、泣くな。泣くなよ。俺が悪かった、な、ガウェイン、俺が悪かった、泣くな……」

 イウェインはガウェイン兄さんを抱きとめながら、謝り続けていた。

 ガウェイン兄さんの涙は止まらなかった。

 僕も訳がわからない。


 アーサー王とグウィネヴィアの結婚式が行われる。

 グウィネヴィアは薔薇が咲き誇るような美しさの綺麗で可愛いお姫様。母さんとまるきり違うタイプ。

 ふと、アーサー王は、遠くにいるガウェイン兄さんを見て、ものすごく愛おしそうな目をした。グウィネヴィアを見るよりずっとずっと愛おしそうな顔。

 兄さんは苦笑する。イウェインとのことがあってから兄さんはどうも様子がおかしい。

 アーサー王、アーサー王。グウィネヴィアと結婚しない方がいいんじゃないのかな。

 ガウェイン兄さんに恋した状態で別の人と結婚したら、恋した状態を隠せもしないなら……王妃様は不幸にならない?


 結婚披露宴に白い鹿が乱入してきた。そしてまた去っていく。

 マーリンの助言と王の命で、ガウェイン兄さんが白い鹿を仕留める冒険に行くことになった。従者の僕ももちろん一緒に。

 アーサー王は涙目だ。マーリンの言でしぶしぶで、本当は冒険に出したくないんだろうな。

「成功し、そなたが名誉を得られるよう。神のご加護を」

 ガウェイン兄さんは優しく儚い微笑みを浮かべ、アーサー王を抱擁する。

「余の狩猟犬を三頭連れていくがいい。そなたにすぐに懐いていたあの三頭だ。そなたにやろう。鹿を追うのに必要だろう」

「感謝します、王。心から。ずっと大切にします」

「……そなた自身をも大切にせよ。よいな」

「……はい」

 なんだか兄さんがずっとおかしい。

 アーサー王は馬鹿そうだけど、さすがに兄さんの様子がおかしいのは察してる。

 様子がおかしいのは、イウェインのせいだ。

「ガウェイン」

 イウェインが進み出てきて、ガウェイン兄さんに深く深く口付けた。兄さんは静かにそれを受けてる。

 あたりの空気まであと神聖な雰囲気になる。

 金銀の見目麗しき双子のようなガウェインとイウェイン。

 二人合わさると、より神々しい。

 周りの人たちがすごく静かだ。

 イウェインが口づけからガウェイン兄さんを解放する。

「ガウェイン、俺はどんなお前でも愛してるからな。忘れるな。いいか?」

「うん」

「いいや、その顔はわかってない。わかれ、いいか。……駄目だ。わかれって言ってるだろ」

 ガウェイン兄さんは泣きそうだし、イウェインも泣きそうだ。

「やれやれ、長いな。私からも良いかな」

 マーリンがのそのそと出てきた。

 ああイウェインと同じ髪色なんだこの人。色もそっくり。でも顔立ちが全然違う。

「相変わらずあんたは何にも通じねぇよなぁ」

 イウェインはガウェイン兄さんの肩に肘をつきながら、マーリンを睨んでいる。

「私に威圧しても効かんよ。魔術師だからな」

「他の魔術師には効いたんだが?」

「凡百と一緒にするな」

 威圧?え、僕にはなにも来なかったけど……

 静かな周りを見る。皆、首を垂れてガクガク震えていた。僕やアグラヴェイン兄さんがアーサー王にやられたときと同じ症状。

 僕には来なかった、し、マーリンが言ってることを鑑みるに……イウェインがやってるのか?これ?!

 周りで無事なのはアーサー王だけだ。苦虫を噛み潰したような顔でイウェインを見てる。イウェインも王の甥だと思うんだけど?!

 僕が思わずイウェインを見ると、視線に気づいたイウェインが手をちょっと上げて「悪い悪い、シーッ」と口と手だけで僕に言う。

 なんか内緒にすることある……あ、ガウェイン兄さんに威圧してるの知られたくないの?

 兄さんを見ると、放心してる。周りに気づいてない感じだ。

「ガウェイン、頼まれていた薬だ」

 マーリンは全然気にしてない。この人マイペースだなあ。

「ありがとうございます」

「わかってると思うが、多用しないように。ああ、後、私は別にお前さんの中にモルゴースなんて見てないからな。アグラヴェインがどう伝えたかしらんが」

「……そうなんですか」

「そうだ。アーサー王のお守りをしてくれる同志だと思っている。世話が焼けすぎるからな、あれは」

 アーサー王を見ると、うわ、よそ見て知らんぷりして拗ねてる。子供か。

「では一緒にがんばりましょう」

「ああ」

 マーリンがガウェイン兄さんの頬をちょっとだけ叩いて、すごく優しい目をする。

 兄さん、マーリンに自分が母さんと重ねられてると思ってたの?

「アーサーもお前さんのことはモルゴースとは関係なく好いておるぞ。まあ昔は重ねていたかもしらんが、今はそうじゃない」

「そう、ですか」

「ガウェイン!」

 アーサー王がガシリと兄さんを捕まえる。

「余の愛を疑うな」

「……はい」

 兄さんはようやく、日が射すように微笑った。


 白い鹿をずっと追いかける。

 アーサー王が兄さんにくれた狩猟犬三頭はそれは優秀で、ゆるぎなく走っていくのを追う。

 キャメロットからどんどん遠ざかり、山も谷も越えて行く。なんてことはないロジアンの方がずっと遠いし。

 夜になり城下町にやってくるが、犬は止まらなくて追いかけ、町を通り過ぎ、坂を上り、城へ。

 城門は開いてる。

 犬たちが中へ踊り込む。兄さんと顔を見合わせて城門の中へ入り、中庭。

 いた!白い鹿!

 犬たちが襲いかかり、鹿を仕留める。

「よし!いい子だ!」

 すると城の奥から馬に乗った一人の騎士が出てきた。犬たちがその騎士の方へ走っていく。

 ガウェイン兄さんが大声で呼びかける。

「そこのお方、我らは王命によりその鹿を追い求めし者!怪しい者では……」

 騎士が犬に槍を突き刺した。

 犬がギャン!と叫び、絶命する。

 もう一頭も、突き刺される。絶命。

 もう一頭も……突き刺されて絶命。

「何をする!それは、それは、私の犬だぞ!」

 兄さんが叫ぶ。アーサー王から貰った犬だ。兄さんに懐いた犬。可愛い犬。

「その鹿だって俺の物だ!許さんぞ、成敗してやる!」

 騎士は兄さんに向かって馬を全速力で走らせてくる。兄さんも馬を全速力で走らせる。

 兄さんの槍が相手の騎士の盾に命中し、盾を貫き、相手の騎士が吹っ飛ばされて落ちる。

 兄さんは無傷!良し!

 兄さんは馬を降りて、相手の騎士のところまで行き、兜を外す。

 まだ若い騎士だ。

「死んでもらおう」

 兄さんがすらりと剣を抜く。

「ま、待ってくれ。俺が悪かった!なんでもする、なんでも償う!だから神の名において、慈悲を」

「お前は私の大事な犬を殺した。王からいただいた大事な大事な犬たちを。だから死んで償え」

 ま、待ってよ兄さん、駄目だ、慈悲をかけてやるのが騎士道だ。

 兄さんが剣を振り下ろす。

 僕は目を閉じる。

 ……目を開ける。

「おお、神よ!神よ!なんてことだ。目を、目を開けてくれ!」

 あの殺されかけた騎士が嘆きながら、女の人を抱えている。女の人は血まみれで、ばっさりと斬られて絶命している。

 兄さんは血の滴る剣を持って、立ち尽くしていた。

「ああ、なんてことだ、なんてことだ」

 騎士はずっと嘆いていて。

 兄さんはただ凍りついて見ている。

 ああ、あの女の人が飛び出てきて、代わりに殺されたのか。

 城中が俄かに騒がしくなって、たくさんの騎士が出てくる。

 危ない、囲まれる!

 馬を降りて、兄さんの腕を掴んで揺すぶる。

「兄さん、駄目だ、逃げよう!殺られる!」

 兄さんは放心したまま、動かない。

 どうしようどうしよう。

「おのれ、息子の婚約者を殺めたか!」

 中年の領主らしき騎士が後ろから走ってきて、僕がいる方の逆の、剣持つ兄さんの右腕に切り掛かる。

 兄さんの右腕から鮮血が迸る。

 どやどやとたくさんの騎士たちが兄さんと僕を取り囲んで、拘束される。

 兄さんは兜を外されて、顔をさらされる。

 皆が驚いた。そりゃあそうだ、美し過ぎる。

「そなたは、何者だ」

「私はアーサー王の甥、ガウェイン」

 皆が騒ぐ。

「どうする?」「殺すか」「殺してわからないように埋めてしまえば」「しかし、話が伝わると」

 皆が処遇に困っている。

「静まりなさい!」

 四人の貴婦人たちが出てくる。ものすごい年嵩の老婆が一人、老婆が一人、中年が二人だ。

「お祖母様……」

 さっきの領主らしき男が言う。

 一番年嵩の老婆が言う。

「アーサー王の甥とあらば、お助けすべきじゃろう。あの子のことは残念じゃったがどう見てもガウェイン様は反省してらっしゃる。そうじゃな」

 兄さんはうなだれて言う。

「いかようにも償わせていただきます。ですので、我が従者だけは助けていただけませんか」

 僕?

 老婆は僕をまじまじと見た。

「似てなさる」

「弟です」

「なるほど」

 老婆はニヤリと笑って「ほら散った散った」と孫の領主やその部下たちを解散させる。

 僕たちは縛られたまま、四人の貴婦人に引

っ立てられる。

 広い部屋にベッドが二台。

「ここでお休みなされ」

 僕は一つのベッドに連れていかれる。縛られたままだけど、それでも厚遇だ。

 ベッドの四隅では下男四人が斧を持って、僕を取り囲んでる。生きた心地がしない。

「ガウェイン様はこちらじゃ」

「ありがとうございます」

 もう一つのえらく大きなベッドに兄さんは案内される。豪奢なベッドだ。兄さんの方が厚遇されるんだな、当たり前か。

 四人の貴婦人たちは兄さんのベッドの前に用意された椅子に座り、酒を飲みながら高みの見物をしている。優雅なことだ。癪に障るけど、こちらはあちらのひ孫の婚約者を殺したらしいし、酒のつまみにされるくらいなら甘んじて受けるべきなんだろう。

 兄さんの甲冑は全部外され、医者が来て、右腕の治療がなされていく。

「問題はありません、1ヶ月ほどで完治されますでしょう」

 ああ、良かった。

 本当に貴婦人たちは兄さんも僕も助けてくれる気なんだ。

 態度はだいぶ悪いけど、感謝しておくべきかな。

「ではガウェイン様、どうぞ」

 給仕の者がガウェイン兄さんにも杯に入れられた酒を持ってくる。

 兄さんは怪我した右腕はがっちり固定されてるし、もう片腕も胴に縛りつけられたままだ。どうやって飲むんだよ。

 老婆の貴婦人が立ち上がると、杯の酒をあおり、兄さんの唇に口づけた。

 な……に、するんだよ。

 兄さんは抵抗せずに飲み下す。

「よろしい」

 老婆が笑うと、いきなり服を脱ぎ始めた。

 もう一人の老婆と、中年の貴婦人二人も服を脱ぎ始める。

 なん、だよ、なんなんだ、なんなんだよ。

 しわくちゃの垂れた皮膚や乳房。

 記憶にある母さんとは似ても似つかぬおぞましさ。

 母さんはいくら痩せこけても、それでも美しかった。でも、こいつらは化け物みたいに醜悪だ。

 吐き気がする。

 僕はベッドの傍らに吐いた。

「おぉ、良い身体をされておられる」

 婆さんの声。

「今をときめくアーサー王の甥御ですもの」

 中年の婦人の声。

 ピチャピチャと唾液の絡む音。

「あらあらガウェイン様、そろそろ薬が効いてきました?」

 薬?さっきの?酒?

「気持ち良さそう……お慰めしますわね」

 衣擦れの音。水音。

 聞きたくない。

 僕はまた吐く。

「あぁ、なんて素敵」

「わしが一番先じゃぞ」

 あの一番婆の声。

「わかっておりますとも、お義母様」

 二番目の婆の声。

「わたくしたちにも残しておいてくださいね」

「お祖母様はお元気すぎるんですもの」

 中年の婦人たちの声。

 聞きたくない。

「おぉおぉ、では可愛がってやろうな」

 身体を打ちつける音。兄さんの熱に浮かされたような喘ぎ声。

 やだよやだよやだよやめてよやめてやめてやめて僕の兄さん僕の兄さん僕の兄さんにやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてよ

 僕は吐き、涙を流し、グチャグチャになりながら、一晩中、ずっとずっと、あらゆる音を聞き続けた。


 翌朝。

 僕は身体を雑に拭かれた後、風呂に突っ込まれた。

 されるがままに洗われ、綺麗に服を着せられ、中庭に連れてこられる。

 兄さんは既に甲冑をまとって、馬に乗っていた。

 兄さんの首には、あの死んだ若い女の人の首が吊り下げられていた。

 目の前にはあの四人の貴婦人がいて、重々しそうに言う。

「我らの大事な乙女の死を招いた罪人であること、ゆめ忘れるでないぞ」

 なにが罪人だよ。

「心から謝罪いたします。償いのお支払いも改めていたします。そして貴婦人方の寛大なる措置に心からの感謝を捧げます」

 なにが寛大だよ。

「ガヘリス、行こう。キャメロットへ帰ろう」 


 キャメロットの道中、兄さんが言う。

「ご婦人方はとてもお優しいほうなんだよ」

「どこがだよ」

「これが戦場なら、乙女は男たちに犯されて、悲鳴を上げ続けても打たれて犯され続けて、その場に捨てていかれる」

「聞きたくないよ、そんなこと」

「世を儚んだ乙女が井戸に落ちて死んでるのもよくある話だ」

「聞きたくないって言ってるだろ!」

 知らない乙女なんかどうでもいいよ!兄さんが、兄さんが……

 僕は馬を降り、また吐いた。

 兄さんも馬を降り、一旦乙女の首を外してから、僕のところへ来てくれる。

「ごめんね、ガヘリス、ガヘリス、ごめん。私が不甲斐ないばかりに怖い目に合わせた、本当にごめんね」

 怖い目にあったのは兄さんだろ!

 ガウェイン兄さんが背中をさすってくれる。

 ガレスと同じ、優しくて優しくて優しくて、こっちを必死で思いやってくれる手。

「なんでだよ。なんで兄さんがこんな目に合うんだよ……」

「違うよガヘリス、普通なら殺されているところ、私たちは許してもらえたんだよ」

「その贖いがこれかよ!」

「ごめん、怖い思いをさせた」

「怖かったのは兄さんだろ」

「私は慣れてるから大丈夫」

 慣れてる……?なにそれ。

 なんだそれ。

 あれ?あれか?

 誘われたら?寝るっていう?

 嘘だろ。

 そんな、こんなじゃなくて、可愛い乙女や素敵な貴婦人に誘惑されるとか、そういうのじゃないの。違うの。

 嘘だろ。

 そんな、嘘だろ。

 そりゃガレスに言いたくないはずだ。ガレスが僕と同じように一晩中聞かされたら気が狂ってしまう。

 イウェインの反応を気にしてたのは、イウェインに汚いと思うかと、泣いてたのはこれか。

 でも僕の反応には平気だった……?

 僕に打ち明けても兄さんは全然平気だ。

 どうして。どうして。考えろ、考えろ、馬鹿、動け!僕の思考!

 僕は兄さんを大天使に例えた。ふざけて笑って面白がった。

 僕が面白がって平気にしてたからだ。

 面白がるのが正解なの?平気なふりが正解なの?じゃあそうする。兄さんがそれで、それでいいって、それがいいって言うなら。

「あ、ああもう、怖かった!周りを斧で囲んでるやつらがいるんだもん。いつバッサリ首を切られるのかと」

 笑え、僕。

「しかもしわくちゃな婆さんがいっぱい来るんだもん。僕のゲロをぶつけてやりたかったね」

 笑え笑え、僕。

「兄さんも次こそは若い綺麗な乙女がいいよね。僕も綺麗な乙女と遊びたいな」

 笑え笑え笑え、僕。

「早くキャメロットに帰ろ。口直しにグウィネヴィア様の綺麗なお顔を拝見しようよ」

「ああ、そうだな」

 ガウェイン兄さんがおかしそうに微笑う。

 良かった、正解だ。

 これが正解なんだ。

 ごめんね、兄さん。全然、全然、僕は兄さんを守ってあげられない。僕はまだ弱くて、騎士にもなってなくて、なんにもできなくて、逆に兄さんに守られただけだった。

 これから強くなることはあるだろうけど、イウェインやアーサー王みたいに威圧されたらお終いだ。僕は、僕は弱い。

 でもせめて、せめて、兄さんの心くらいは守れる。僕はなにがあっても兄さんの側で笑ってふざけて、絶対兄さんを嫌いなんかにならないって安心してもらえる。

 兄さんの世界一は僕たちなんだから。

「僕、世界一兄さんが大好きだからね!」

 僕が言うと、兄さんはキョトンとして。それはそれは無邪気に可愛く笑った。

 まるで小さなガレスのように。

 

 キャメロットに戻って。

 兄さんは冒険の結果を一から十までアーサー王と王妃に報告した。でも貴婦人たちに陵辱されたことは一切言わず、ただ「お優しい婦人がたが私を助けてくれたのです」と言った。

 グウィネヴィア王妃は兄さんに言う。

「あなたはひどいことをなさいました。亡くなった乙女に祈りを。ガウェイン、あなたはご婦人方の優しさと慈愛に感謝しなければなりません」

「はい、王妃様。心から感謝しております」

「よろしいですか。あなたはこれから一生ご婦人に仕える騎士になるのです。他のご婦人からの要望と競合してしまうときを除き、ご婦人からの命に絶対に服従するように。それが許してくださったご婦人がたへの贖いとなるのです。死んでいった乙女へのせめてもの贖いとなるのです」

何も知らないお綺麗な王妃様。お綺麗な論理で兄さんを裁く王妃様。

「王妃様の寛大なる措置に感謝いたします」

「ガウェイン卿、これからは円卓の騎士として誇れる良き騎士の振る舞いをなさってくださいね」

「神かけて良き騎士の振る舞いをいたします。王妃様」

 良き騎士ってなんなんだろうね。

 あのまま死んだ方が良かったっていうのかな。

 お綺麗な王妃様は地獄を知らない。

 母さんの地獄も、兄さんの地獄も知らない。

 お綺麗なお綺麗な王妃様はなんにも知らない。


 僕たちは、ガウェイン兄さんと僕は、各地に冒険をして回った。

 僕は従者を卒業し、騎士になって、それでもずっと兄さんと一緒に冒険した。


 あるとき、モルガン叔母上が造反した。

 アーサー王を殺そうとしたのだ。

 アーサー王はモルガン叔母上を凄まじく信頼していたらしく、裏切られてもうカンカンだった。

 モルガン叔母上の息子のイウェインも追放処分になった。イウェインはなんにもしてなかったのに。

 ガウェイン兄さんが盛大に怒って「イウェインを追放するということは私を追放するということです。私もイウェインと共に追放されます!」とアーサー王に自らの追放を叩きつけてイウェインと出て行った。

 そのときのイウェインの勝ち誇った顔といったらなかった。もう、それはそれはこの世を勝ち獲ったみたいだった。

 真っ青になったアーサー王を、グウィネヴィア王妃が心配そうな目で見ていた。


 結局、兄さんもイウェインも許されて、アーサー王宮廷に戻れた。まあアーサー王が兄さんを手放せるわけないしね。


 兄さんはとにかく次から次へと冒険を受ける。あと、ご婦人の命令はなんでも聞く。グウィネヴィア王妃が兄さんに出した、ご婦人への服従を誰も知っていたから、兄さんはご婦人方の格好のなぶり者だった。

 兄さんはさすがに頭良く捌いてたし、体力的になんてことはなかったけど、精神的には辛そうだった。僕がふざけるのを聞いてるときだけが、唯一心が休まるようだった。

 

 ある日、キャメロットの近くで狩りをしていたら、真っ白な出で立ちの一行に会った。

 そのうちの一人の騎士がとんでもなく美しい……というより、色気が全身からムンムン立ち昇っていた。

 男女とか関係ない。すべての人の心を奪っていく。

 ガウェイン兄さんですら「なんて美しい騎士なんだ。彼のような美しい人は世界中駆けずり回っても見つかることはない」と褒め称えた。

 かの騎士の名はランスロット。

 アーサー王が騎士叙任に当たったが、叙任の仕上げに剣を佩かせてやる直前に、ランスロットは別件に巻き込まれに行き、冒険に行ってしまった。

 イウェインが「あいつ、叙任の仕上げ、わざとすっ飛ばしやがった」とぼやいていた。

 どういうこと。

 しばらくして、王妃様がランスロットに剣を贈って、ランスロットを騎士にした、という話が広まった。

 イウェインが「ほらな。あいつは王妃様に見惚れて心を奪われてたから。だから王妃様に騎士にしてもらいたかったんだよ」とウンウンうなずきながら言った。


 緑の騎士のときだけは、一人きりで来い、だったからガウェイン兄さんだけを行かせた。兄さんは無事に帰ってきたけど、宮廷の皆はほんの少しのミスを恥ずかしがる兄さんを見て、舌舐めずりした野獣のように喜んだ。

 大天使のように美しく、気高く、行い正しき兄さんが、生命惜しさに少し嘘をついただけのことを、傷をえぐるようにグシャグシャやって、兄さんを辱める。

 兄さんが失敗について話題にされ、羞恥に顔を染める度に「おお、おお、ガウェイン卿の人間らしいところが見られて我らは嬉しいのです」「やはり人間らしいところもおありなのですなあ」と悦に入って笑う。

 兄さんの人間らしさは、お前らみたいな下衆の汚い人間らしさとは全然違うのに。一緒だ、一緒だ、と同じドブに突き落とそうとする。下衆め、下衆め、下衆め。


 すこぶる不快な日々。

 ちょうど五月の聖霊降臨祭が来るので、アグラヴェイン兄さんがロジアンからキャメロットに来ていた。

「兄さん兄さん!久しぶり!」

「ガヘリスか」

 アグラヴェイン兄さんにがっちり抱きつく。

「大きくなったなぁ」

 アグラヴェイン兄さんの穏やかな声。

 ああ、安心する。すごく安心する。僕を育ててくれた人の声。僕を守ってくれた人の声。

 僕に殺されかけても甘んじて殺されようとして、欠片も僕に敵意なんて向けなかった。

「アグラヴェイン兄さん〜〜!」

 頭をグリグリ肩口に押しつけてたら、くつくつ低く笑ってる。

「お前、赤子のときから全然変わらないな」

「兄さんも変わらないぃぃぃ」

「おぅおぅ、よしよし」

 頭を撫でられる。

「……子供扱いしないで」

「これはこれは、大人になられましたガヘリス卿は子供扱いがお嫌いでいらっしゃる」

「もうぅ」

 アグラヴェイン兄さんの胸をおざなりにポカポカ叩いてると、兄さんは笑いながら言った。

「ところでガヘリス」

「なに?」

「今から最高のものが見れるが、絶対に絶対に絶対にガウェインの兄上にバラすなよ」

「何?何かあるの?」

「おぅ。とびっきりのやつがな」


 聖霊降臨祭のときにそれは起こった。

 豪華な服を着た少年が、今にも死にそうな様子で二人の従者に身体を支えられて、宮廷のど真ん中を進んでくる。

 なんだろう?

 アーサー王はワクワクしながら少年に言う。

「我が宮廷にようこそ。立派な若者よ。どうされたのかな?」

「王様に、三つの願いを叶えていただきたく参りました。ひとつは本日今すぐに。ふたつは12ヶ月後に。叶えることは王様の誉れとなりましょう」

「ならば言うがよい。叶えてみせようとも」

「では……。宮廷で飲み物と食べ物を与えていただきたいのです。12ヶ月の間ずっと」

「それはもちろん叶えてやるが、もっとほかのものでなくていいのか?そなたは身分が高そうだ。武具でも気前良く余はやろうぞ」

「いえ、それだけで十分です」

「それがそなたの望みならば叶えよう。ケイ卿!こちらの若者に食べ物と飲み物を」

「承知しました」

 ……変なの。

 でも別に、ただの見た目にそぐわない物乞いじゃん。王は王らしく物乞いに気前良く振る舞っただけ。

 でも王は良くても、家令のケイ卿、無駄な出費嫌がるし、新参の胡散臭い奴への当たりは破茶滅茶にキツい。叩き出されるんじゃない?僕たちは新参といっても甥っ子だから、素通りだったわけだけど。

 あ、早速、ケイ卿少年の真横に陣取って睨んでる。うわあ、あんな間近。追い出す気満々じゃん。

 すると若者がいきなりケイ卿に爆弾発言をした。

「お美しいお顔だなと讃嘆しておりました」

 ウワァ、正気か。

 えっ、ケイ卿ってお美しいか?

 ……いつも変顔過ぎてよくわからない。変顔じゃないときある?あの人。

「心からの讃辞を申し上げているのです」

 うわぁ、口説き始めたよ。

 これは面白い。

 え、これ?これなの?アグラヴェイン兄さん?……兄さん、腹抱えて笑ってんじゃん。なんであらかじめ知ってんの。マーリンにでも聞いたの?

 若者が、ケイ卿の手を取る。

「あなたのお側にいられることが喜びです。以後、お世話になります」

 そのまま若者はケイ卿の頬にキス。

 おぉ、すごい、これは拍手だ。

 あっ、ケイ卿がキレた。

 ドターン!!

 うわ早。瞬殺じゃん。ケイ卿強かったんだ。おお、意外。

 アグラヴェイン兄さん爆笑じゃん。

「舐めんじゃねぇぞ、下っ端!こき使ってやるからな!」

 まあそうなるよね。

 すると人垣の中からランスロットが出てきて少年を庇う。

 まあ、こういう時はランスロットやガウェイン兄さんが場を収めるのがセオリーだよね。

 そう、ランスロット、キャメロットでめきめき頭角を表してるからなぁ。

 アグラヴェイン兄さんを見ると、ウワァ、敵意剥き出しで睨んでいる。まあガウェイン兄さんと競合する人を潰したいのはわかるけど……でも嫌な人でもないしなあ。僕はそんなに嫌いじゃない。まあ王妃様を信奉するあたり、底が浅い人だな、と思うけど。

 ランスロットを見たら皆夢中になるのに、この少年は動じてない。珍しいな

 あ、ガウェイン兄さんが出てきた。

 うわ、少年、兄さんに感動して止まってる。アグラヴェイン兄さんと一緒だ。感動するよね。奇跡みたいだもんね。

 ケイ卿がガウェイン兄さんにぷりぷり怒った後、ガウェイン兄さんが少年の真ん前に顔を近づけて覗き込む。あ、それ、気絶コースだ。アグラヴェイン兄さんに同じ。

 おおっ、少年、兄さんの頭を抱き締めた!これは意外!積極的!

 あ、力尽きた。昇天しちゃった。やっぱりね。


 それから少年はボーメインとケイ卿に名付けられて、モリモリ厨房で働くようになった。

 あとランスロット、ケイ卿、ガウェイン兄さん、アグラヴェイン兄さんによく絡まれてる。社交的なランスロットやガウェイン兄さんならわかるけど、ケイ卿とアグラヴェイン兄さんは珍し過ぎない?

 アグラヴェイン兄さんなんてキャメロット滞在を引き伸ばしてボーメインに絡んでる。

 なんでだ?

 アグラヴェイン兄さんはいかにもワクワクした顔で言う。

「いいか、絶対にバラすんじゃないぞ!」

 え、だから何を?

「ボーメインに絡むのも禁止だからな。俺が絡んで、お前まで絡み出したらもうバレるしかない」

 なんだそれ?

 アグラヴェイン兄さんはもう僕が全部承知した前提っぽく話するんだけど、全然意味がわからない。

 でもわからないのも癪に障る。

 ずっと観察しているうちにアグラヴェィン兄さんはロジアンに帰った。


 半年が経ち、なんとランスロット卿がボーメインにかかりきりになって鍛錬をつけ始めた。

 ちょっと覗くと、ひたすら戦闘戦闘戦闘。鬼かな?!

 三ヶ月経ち、今度はガウェイン兄さんがかかりきりで鍛錬をつけ始めた。

 こっちはこっちで体力をつけるための鍛錬を馬鹿みたいな量やった後、疲労困憊のまま戦うというやっぱり馬鹿みたいなメニュー。

 こっちは僕も一緒に付き合った。

 ボーメインを観察する。

 何か、何か、知っている気がする。でも気づく前に頭がボンヤリして動かなくなる。

 考えなかったら何も起こらない。なんか変。

 でもアグラヴェイン兄さんが面白がってガウェイン兄さんにバラすな、と言ってる時点で危険性はない。

 じゃあ、いっか。

 僕は考えるのをやめた。


 そして一年経ち、ボーメインはランスロットに騎士にしてもらうように頼んで冒険に出る。活躍が聞こえてくる。

 馬上槍試合が開かれ、ボーメインは大勝利した。

 衆目の前でボーメインが高らかに言う。

「『ロト王とモルゴースの子ガレスです』」

 ガレス?!

 僕はボーメインを改めて見る。

 どう見てもガレス。今さっきまで見てたのもガレス。

 あれ。あれあれあれ。去年から見ていたボーメインの姿が全部ガレスに塗り変わっていく。

「……ガレス!」

 傍らのガウェイン兄さんが叫んで駆け出した。

 ガレスを抱きしめ口づけし、立っているガレスをそのまんまトロフィーのように抱え上げ、皆に示す。

「私の最愛ガレス!私の誇り!」

 ……やっぱり兄さんの世界一はガレスじゃん。

 ガウェイン兄さんの顔。ガレスの顔。

 まったく一緒の幸せの絶頂です、という顔。

 良かったね。本当に、良かった。

 ああ、アグラヴェイン兄さん。最高のものってこれか。たしかに最高だよ。完璧だ。


 そして、馬上槍試合からキャメロットに帰る。

 すると、今の今まで留守にしていたマーリンがいた。

「もう宮廷を辞そうと思ってな。今まで世話になった……いや、今まで世話をした、だな。アーサー王、元気で。ガウェイン、後を頼む」

 いや、いやいやいやいや嘘でしょ、なんで?

「なぜだマーリン!」

 アーサー王が突っ込んでいって、マーリンの肩をガクガク揺さぶる。

 いや、そんなブルンブルン動かしたら声ブレるでしょ。

 あ、マーリンに杖でどつかれた。アーサー王止まった。というか凍った。魔法で凍らされてる。

「好きな女がいる」

 ……ええ?!

「ええ?!」

「嘘!」

「なんで?」

「どこに?」

「誰?」

 皆めいめい驚いている。

 マーリンはあたりを見回してフゥとため息をついた。

「誰か知りたいか」

 知りたくないやついないでしょ!

「やれやれ。詮索好きばっかりだな。いいよ。出ておいで」

 すると物影からトタタタタと女の子が出てきた。

 か、可愛いいぃぃぃぃ

 母さんの小さい版みたいな女の子だ。

 嘘だろ、奇跡のように可愛い。

 ガレスが女の子になったらこんな感じだ。

 めちゃくちゃ可愛い、

 えっと、12歳?ぐらい?

 マーリンが両手を差し伸べると、女の子はその腕に飛び込んでいく。

 マーリンは高々と片腕で抱き上げた。

「紹介しよう。私の好きな人。ヴィヴィアンだ」

 は、は、は、犯罪ィィィィィィ!!!

「マーリン、それは……幼過ぎないか?」

 アーサー王が思わず言う。ですよね。

「もちろん成長するまで待つに決まってる」

 マーリンが、そんなこともわからんのか?と言わんばかりに首を振る。

「いや、でも、別に好きだからと言って、宮廷を辞す必要はないだろう?」

 アーサー王が必死で食い下がる。

 マーリンが眉を顰める。

「なにを言う。一分一秒目を離したくないに決まってるだろうが」

 変態だーーーーーーーっ!!!

 ちょ、ちょ、この人ヤバい、ヤバい人だよ、誰か、

「それは行き過ぎだろう!」

 アーサー王、アーサー王よく言った!

「やかましい」

 マーリンの杖にポコンと頭を叩かれたアーサー王はフリーズした。魔法使われてる。えげつなーい。

 マーリンは腕の中の少女と「ねー」「ねー」と仲良さげに言い合っている。

 おじょうちゃん、そいつはきけんなきけんなやつだよ。

 誰も、マーリンを止められるやつはいないのか……いるわけないな……君の将来に幸あれ、ヴィヴィアンちゃん。

 身体が動くようになったアーサー王が「マーリンンン」とマーリンに泣きついてるのを、マーリンに抱き上げられたヴィヴィアンちゃんがヨシヨシしてあげている。なかなかシュールな図だ。

 マーリンはめんどくさそうな顔をしつつおざなりにアーサー王の頭をポコポコ杖で叩きながら言う。

「あとな、アーサー。ガウェインはよく冒険に行くだろうから、心強い者を残しておく。カドール!来てやってくれ!」

 すると壮年の男が入ってきた。精悍な顔つきの生気の漲った男だ。腕に小さな男の子を抱えている。

 えっと、カドールって母さんの兄さんだよね。母さんが「お母様がお父様と、結婚前に作っちゃった子なのよ〜」と言ってた。婚外子で正式に兄と名乗れなかったけど、結局養子に入って正式に兄さんになったって。

「カドール伯父上!」

 アグラヴェイン兄さんが走っていく。

「おお、アグラヴェイン、息災か」

「もちろんです!」

 わ、アグラヴェイン兄さんが懐いてるじゃん。そっか、兄さんは会ったことあるんだ。

「コーンウォール公のカドールだ。先王と先王妃の養子に入ったから、アーサーの兄に当たるな。アグラヴェイン卿には伯父にあたる。あんまりにコーンウォールに引っ込んどるから引っ張り出してきた」

 マーリン、そんな物置きから引っ張りだしたみたいな。

 カドールは爽やかに自己紹介した。

「アッハハ、引っ張り出されたカドールだ。この子は息子のコンスタンティン。可愛いだろう!」

 確かに血の繋がりを感じるなぁ。母さんに結構似てるもん、この子。

「コンスタンティンです!父上、下ろして」

「ん」

 カドール公がコンスタンティンを床に下ろすと、コンスタンティンはマーリンの方に走り出し、抱えられているヴィヴィアンに向かって片膝をついてお辞儀をした。

「僕と結婚してください!」

 わお、おませさん!

「下ろして、マーリン」

 ヴィヴィアンに言われるがまま、マーリンはヴィヴィアンを下ろす。

 ヴィヴィアンはコンスタンティンの手を取った。

「お前が大きくなっても私が好きだったら考えてあげるわ!」

 た、高飛車〜!

 マーリンが凍りついてる。

「マーリンの女にするのは無理なんじゃないか、あれは」

 アグラヴェイン兄さんが辛辣。

「僕は尻に敷かれると見たけど」

「しかしな、無理矢理は吐き気がすると言ってたからなぁ。押し切られるんじゃないか」

「じゃあ無理かな。そっちの方がいいよ。健全」

「だな」

「マーリン、あの子、母さんに似てるからどっかから攫ってきたのかな」

「……果てしなくその可能性が高いな」

 マーリンに常識なんか要求しても無駄だもんなぁ。

「ヴィヴィアン」

 気を取り直したマーリンがヴィヴィアンに手を広げると、ヴィヴィアンはまたマーリンにヒョイッと抱え上げられた。

「ではな」

 マーリンは早足でアグラヴェイン兄さんの後ろに回り込むと、その影にドプンと消えた。

「なんで俺の影を使うんだ……」

 アグラヴェイン兄さんがこぼしていると、アーサー王がアグラヴェイン兄さんの影に手をついて「おい、おい、マーリン、おい!」と呼んでる。

 なかなかシュールだ。


 別にマーリンがいなくても日々は続く。

 ガウェイン兄さんはガレスがガレスとわかってから超絶ご機嫌で、一緒に鍛錬ばっかりしてる。

 二人があまりにも四六時中一緒にいるものだから、僕かイウェイン、あとはガレスが懐いてるケイ卿とランスロット、それにアーサー王くらいしか近寄れない。……わりといるな。

 アグラヴェイン兄さんは「いいものを見た。ではな」とロジアンに即、帰っていった。

 とにかくガウェイン兄さんがガレスに構っているせいで、ご婦人方がガウェイン兄さんに近寄ってこないのがかなり助かる。イウェインがいるときはご婦人もついでに散らしてくれるんだけど(ご婦人は即気絶だ。別にガウェイン兄さんを見て誰か気絶しても、問題視はされない)イウェインはレゲッドにときどき帰ってしまう。なんでも、ほぼ実質レゲッドの王をやってるのはイウェインらしい。

 イウェインの父親母親の話はイウェインが極端にしたがらないから避けてた。人間、触れられたくない事情があるときはあるだろう。昔のうちみたいに、ね。


 ある日、ガウェイン兄さんとガレスが朝から狩りに出ている時。

 ラモラック卿とパーシヴァル卿がキャメロットに帰ってきた。

 イウェインが凄まじくピリピリしてる。

「ガウェインが初めてキャメロットに来たときいたんだよ、ラモラック卿。あいつ、ガウェインに執心していて、ガウェインも苦手にしてる。パーシヴァルの方はよく知らんが。あとな、あいつらはな……」

 ラモラック卿とパーシヴァル卿がアーサー王に冒険の報告をしているのを横目に見ながら、イウェインが言うのを聞く。

「ペリノア王の子だ」

「えぇぇっ?!」

 僕が叫ぶのを聞いて、ラモラック卿とパーシヴァル卿が振り向く。パーシヴァルが顔を輝かせた。ラモラック卿の腕を引いて、僕の方を二人で見て、二人ともびっくりしている。

 アーサー王が「ああ」と気づき、僕の方を手で指し示して言う。

「ガウェインの弟のガヘリスだ」

「うわぁ!」

 パーシヴァル卿が喜んで僕に突っ込んできて抱きつき、僕はバランスを崩して思いっきり尻餅をつく。パーシヴァルは床の上で遠慮なんてなしに抱きしめたまま、まくしたててくる。

「初めまして!パーシヴァルです!お兄様のガウェイン卿はお世話になっています!大好きです!ガヘリス卿も小さいガウェイン卿みたい!大好きです!」

「痛い痛い痛いやめてやめてやめて!」

 甲冑のままフルスロットルで力いっぱい抱きしめるのやめてやめて!!

「パーシヴァル」

 か、解放された……いってぇぇぇ!!

 見ると、ラモラック卿に両脇を挟まれて持ち上げられ、プラーンとぶら下がるパーシヴァル卿。ほぼ、首根っこつかまれた猛獣の子供だな……

 ラモラック卿は赤毛が肩口まで無造作に生えていて、顔は良いけど、まあガウェイン兄さんほどでもない。アグラヴェイン兄さんとどっこいどっこいくらい。

 パーシヴァル卿は銀の髪をイウェインみたいに伸ばしていて、ラモラックよりはるかに美形で可愛らしい。雰囲気的にはガレスに近い。小さな天使。馬鹿力だけど。

「ガ、ガヘリスです。ガウェイン兄さんに会ってるの?」

「はいっ!冒険先でお会いして!お噂をお聞きしてたので、もうすごく嬉しくて!すごく優しくしてくださったんです!大好きです!」

 ああそう……って、ペリノア王の息子だった、パーシヴァルとラモラック!

 そうだよ。ペリノア王。キャメロットにいても全く話を聞かないし、全然会わない。

 皆に聞いても、アーサー王に聞いても「ペリノア王はクエスティングビーストを追ってるから年中不在だ。ロト王の件については、見つかり次第、審議する」だ。

 アーサー王は母さんがペリノア王に犯されたことは知らない。いや……知ってるかもしれない。直後にマーリンが助け出してきたときに会ってるんだ。でも、ただ怪我をしただけだとマーリンが隠していたとしたら?下手に言って怒り狂ったら?このラモラック卿やパーシヴァル卿まで血祭りにあげられるかもしれない。

 パーシヴァル卿はガウェイン兄さんを無邪気に慕ってるみたいだ。さすがに可哀想な気がする。

「これはごきげんよう、ラモラック卿」

 イウェインが僕の脇に手を入れて持ち上げプラーンとぶら下げる。うう、僕も猛獣に首根っこ掴まれた子供じゃん。

 でも正直身体がバッキバキに痛いので、助かるといえば助かる。

 にしてもイウェイン、嫌そうな声だな。

「おや、イウェイン卿。ごきげんよう」

 ラモラック卿も嫌そうな声だ。

 もういっそ挨拶やめなよ。空気凍るじゃん。

「あ、ガウェイン卿!」

 パーシヴァル卿がビョンッとラモラック卿の手から離れる。発見した、狩りから帰ってきたガウェイン兄さんとガレスの方へまっしぐらに走っていく。

「パーシヴァル?!」

 ガウェイン兄さんは全速力で突進してきたパーシヴァルの両脇をフワッと持って、空中高く上げ、クルクルッと回った。

 なるほど、ああすれば突進して来ても勢いを殺せるのか……できるか!ガウェイン兄さんの馬鹿力でないと無理!

「久しぶりだね、パーシヴァル」

「お久しぶりです!ガウェイン卿!嬉しいです!大好きです!」

 わー、直球だ。

 横にいるガレスが目を白黒している。

 ガウェイン兄さんはガレスの様子に気づいて、すぐにパーシヴァル卿を下ろす。

「ガレス、パーシヴァル卿だよ。パーシヴァル卿、こちらはガレス。私の最愛の弟だ」

 うわ、兄さんも直球で言った。あ、ガレスの顔が赤い。

 パーシヴァル卿が顔を輝かせてガレスに突進しかけたところでガウェイン兄さんが片手で肩を押さえて止め、パーシヴァルの手を持ち上げてガレスの方に差し出させる。

 ガレスも手を差し出して、握手。握手。

 おぉ、ガウェイン兄さんが入ると平和だ。

「初めまして、パーシヴァル卿。ガレスです。ランスロット卿からお噂はかねがね」

「えっ、ランスロット卿!どこ?どこ?」

「こっちだ!パーシヴァル!」

 ランスロット卿が手を上げたので、パーシヴァル卿はランスロット卿の方へ走って行った。

「あ、慌ただしい人だね。ガウェイン兄様」

 ガレスはポカンとしてる。

 ガウェイン兄さんは苦笑する。

「気をつけないと抱き潰されるから気をつけて。私はまあ平気だけど、ガレスだと骨折するかもしれない」

 ……僕の骨大丈夫かな。

 そういえば、ラモラック卿だ。

 ラモラック卿を振り返ると、さっきとまったく場所移動できないまま、膝から崩れ落ちてその場でガクガク震えてる。

「クソッ、クソッ、なんだ!またか!クソッ!」

 ラモラックは毒付いてる。

 うわ、イウェインに威圧されてるんだ。しかも理由わかってないっぽい。

「おやおや長旅でラモラック卿はお疲れのご様子。弟御はあんなにお元気でいらっしゃるのに不甲斐ないことですな。後で弟御にお伝えしておきましょう。お兄様は赤子のように情けなくお倒れになっていたと。きっと抱き上げて赤子のようにあやしてもらえるでしょうな」

 うわ、イウェイン言い過ぎ言い過ぎ。

 可哀想かな。

 ……でもガウェイン兄さんが苦手にする人なんておそらく人間のクズだしな。ほっとこ。


 晩餐後、ガウェイン兄さん、イウェイン、僕の三人で集まる。ガレスがいると話しにくいこともあるから、ガレスが別室で寝てから集まった。

 ……ガウェイン兄さん今すぐにもすごく行きたそうだけど!いっつも抱っこして寝てるって言ってたし!後で!行けば!いいよ!

 僕だってガレスと寝たいよー、ガレスにいつも背中さすってもらったり頭撫でてもらって寝てたんだよー。あれ最高にホッとするんだよね。……と前に言ったら、ガウェイン兄さんが「じゃあ私たちと一緒に寝る?」と事もなげに言ってきた。や、遠慮しときます。ガレス、たぶん兄さんと二人きりの方が幸せだろうし。

 早速イウェインが切り出す。

「ラモラックが来てた」

「聞いたよ……でも私の前には現れなくてホッとした」

 ガウェイン兄さんがすごく嫌そうな顔をする。

「兄さんが嫌がるの珍しいけど、何したの?ラモラック卿」

 ガウェイン兄さんとイウェインが同時に僕を見る。

「「四六時中付きまとい」」

「エッ、気持ち悪」

 ガウェイン兄さんがうなずいた。

「私もね、好意の強い人はたくさん見てきたつもりだよ。でもね、何をするにもどこに行くにも誰と話してても延々と付いてきて、さすがにね、隠れてても気配もわかるし、隠れてないことの方が多いけど、本当にどこまでも何しててもずっと付いてきて、正直神経が参ってしまって」

「俺がちょいとマーリンからあいつ限定のおまじないを教えてもらって、極力それでガウェインのところに行けないように行動制限してるんだよ」

 あ、イウェイン嘘ついた。嘘じゃんそれ、おまじないじゃなくてアーサー王と同じ、触るなっていう威圧じゃん。誰に対してもできるじゃん。マーリンにだけは効いてなかったけど。

「イウェインとマーリンには感謝してるよ」

 わあ、兄さん騙されてる。というかイウェイン、威圧してること兄さんに一切言ってないよね。気づいてるのもアーサー王とマーリンくらい。うわぁ策士。

「そろそろ冒険に行くか?ガウェイン」

「……そうだね。ガヘリスも来てくれる?ガレスも連れて行きたいんだけど、いい?」

「うん、もちろん」

 ガレスなら大歓迎だし。

「そうか、しばらくお別れか」

 イウェインは寂しそうだ。

「イウェインはレゲッドに帰るの?」

「ああ。ちょうどいいしな」

「じゃあ、明日一緒に経とう」

 ガウェイン兄さんが言う。

 イウェインが兄さんの肩に手をかける。

「ガウェイン……」

「イウェイン……」

 あっ、始まった?

 ガウェインとイウェインの耐久長々口づけタイムが始まったので、僕は部屋を速攻で抜け出し、ガレスの寝てる部屋に行く。

「わぁ、ガヘリス兄様!」

 物音で起きたガレスがベッドに迎え入れてくれたので、久しぶりにガレスと一緒に寝た。別に背中をさすってもらう必要も頭を撫でてもらう必要もなかったので、一緒にひっついて寝た。

 翌朝起きたら、僕とガレスをガウェイン兄さんがまとめて抱き込んでて、イウェインがガウェイン兄さんを後ろから抱き込んで寝てた。

 んんん、良い朝!


 翌朝僕たちは旅立った。

 アーサー王は泣いていた。


 僕たちがキャメロットを経って、一ヶ月ほど経った時、使者がやってきた。

「ガウェイン卿、ガヘリス卿、ガレス卿!至急キャメロットへお戻りください!弟君のモードレッド様がお見えです!」

 僕たちは仰天して顔を見合わせた。


 キャメロットに急いで帰ると、城門で母さんとかち合った。

「母さん!」

「ガヘリス、ガヘリス、どうしましょう、どういうことなのかしら」

「とにかく行こう!」

 城の中、広間へ急ぐ。

 広間へ入る。こちらに背を向ける形でアーサー王と語らってる者が、アーサー王の傍らにいる。

「王!」

 ガウェイン兄さんが大声で呼ぶと、背を向けていた人物が振り返った。

 顔立ちはアーサー王によく似ているが、体格は一回り小さく、僕くらい。金色の髪の伸ばし方はまるで兄さんのように腰まで伸ばし、新緑の瞳に金が入って光っている。

「モードレッド!」

 母さんが駆け出した。

 母さんがそいつの胸に飛び込んでいく。

「……かあ、さん?」

 そいつは受け止めたものの、半信半疑だ。

「そう、そうよ、お母様よ」

「まだ決まったわけではないが」

 アーサー王が言う。

「いいえ、この子はわたくしとあなたの子。モードレッドよ。わたくしは覚えています。首の付け根に馬蹄型のアザが三つあるの。あったわ、ここに」

 母さんがモードレッドの首周りをはだけて、アーサー王に見せる。

 あ、そういえば。

「覚えてる!あったよ!」

 僕も産まれてすぐのときに見てる。変わった形だったから、よく。

 母さんは僕を見てうなずき、アーサー王に言う。

「ガヘリスはモードレッドを産んだときにずっとわたくしの側にいました。ですから見ております」

「ガヘリス卿、確かか?」

 アーサー王が僕を厳しい顔で見る。

「はい、間違いなく」

「そうか……」

 アーサー王がぐったりとした。

「私、は、母さんの子でいいんですか?」

 モードレッドはぶるぶる震えながら、母さんに問う。

「ええ、ええ、間違いないわ」

「ああ、母さん!」

「モードレッド!」

 二人が抱き合う。

 なんというか、なんだろうな、どうしたらいいのかな、これは……どうしたらいいのかわからない。

「良かった……」

 アーサー王が、母さんとモードレッドをまとめて抱き締めた。

 傍らの王妃の椅子から、静かにグウィネヴィア王妃が立ち上がり、スルスルと広間を出て行く。

 そりゃあ、居づらいよね。

「ガレス、母上の方に行って。ガヘリス、私たちは王妃様をお慰めする」

 ガウェイン兄さんの言葉に、ガレスが母さんやモードレッドの方へ走り出す。

 僕と兄さんは王妃様を追って、王妃様の私室へ行く。

「王妃様、王妃様、入れていただいてよろしいですか?ガウェインとガヘリス、ここに参りました」

 兄さんが声をかけると「お入りなさい」と中から声。

 兄さんが扉を開ける。

 すると短剣を持ったグウィネヴィア王妃が襲いかかってきた。

 兄さんは咄嗟に王妃の手を捻りあげ、短剣が床に落ちる。

「王妃様、どうか落ち着かれて……」

「死になさい!」

 王妃様は悲愴な顔で兄さんに言う。

「失礼」

 兄さんは王妃様の両手を掴んで、片手で上にまとめ上げ、壁にフワッと押しつけた。

「離しなさい、離して!」

「申し訳ありませんが、それはできません」

「お前たち男はいっつもそう!」

 王妃様は暴れようとするが、全く兄さんの力には敵わない。

「いつもとは……?」

「わたくしを馬鹿にしているのです!」

「しておりません」

「しています!アーサーも!あなたも!そこの男も!そしてあの女も!あの男も!全部全部死になさい!死んでおしまいなさい!」

 いや、死なないけどさぁ、なんなのこの人。兄さんは心配して来たっていうのに。

 ……ああ、でもそうか。母さんのことは、この人からしたらもう憎い敵か。

 でも母さんは別に好き好んで産んだわけじゃないし、好き好んでアーサー王と寝たわけじゃない。そりゃあアーサー王は母さんのこと好……

 ヤバい。駄目だ。完全に駄目だ。

「いつもいつもいつもいつもアーサーは私を子供のように扱うだけ!可愛らしいお姫様として扱うだけ!ガウェイン、あなたに対するような愛のこもった目で見てくれない!仕方ないと思っていました。男性同士でしかわからぬ絆もあると。女性のわたくしではどうしても立ち入らないことがあると。でもあの女が来たとき、あなたに対する目と同じ目をした!」

 ああ、やっぱり、こうなるのか。

 あの女は母さん。母さんへの目と兄さんへの目。僕は少し違うと思うけど、この人に差なんてわからない。この人に対するときより、アーサー王は母さんと兄さんを熱い目で見てる。この人はいたく傷ついたんだろう。

 でも、その言われ方は兄さんも傷つく。

 案の定、動揺した兄さんの拘束が一瞬ゆるんだ。グウィネヴィア王妃は兄さんから逃れて、這いながら部屋の隅へ行き、丸まった。

「わたくしを馬鹿にして!あなたたち皆でわたくしを馬鹿にして!どうせわたくしは力の無い女です!魅力のない女です!嘲笑われるためにいます!わたくしを誰も愛さない!わたくしは誰からも愛されない。ちょっと見映えのいい人形。そこに置いておくのにちょうどいい、子供を産むための容器。それなのに子供を産めなかった駄目な容器。わたくしなんて要らないんだわ、要らないんだわ、要らないなら捨てなさいよ、殺しなさいよ!笑いものにするんじゃなくて殺しなさいよ!馬鹿にして、嘲笑って、そこに置いて、いたぶり続けて!悪魔、悪魔、お前たちは悪魔よ!死になさい、死になさい、死になさいよ!」

 王妃様は「死になさい、死になさい」と繰り返しながら、身体を震わせて泣いている。

 殺してやるも言えないんだ。兄さんに簡単に取り押さえられる、か弱い女性。母さんも言ってた、産むための容器って。

 ただ力無く、戦う力もなく、ただ気が狂って、この人も死ぬんだ、たぶん、もう、死んじゃうんだ。

 ガウェイン兄さんもどうしていいかわからなくて、止まってる。

 どうしてあげたらいいんだろう。

 誰が助けてあげられるんだろう。

 誰にも愛されない、愛されない、生命。

 ……思い出した。

 王妃様を選んだ人。いたじゃないか。イウェインが言ってた。

 ランスロットだ。ランスロットはわざわざ騎士に叙任してもらう人に王妃様を選んだ。アーサー王に騎士にしてもらえるはずなのに、それを捨てて王妃様を選んだんだ。

 僕は部屋を出る。

 通路を通って広間へ。いない!

 中庭へ。いない!

 果樹園へ。いた!

 ランスロット卿は、林檎の木の下で眠っていた。

「ランスロット!ランスロット卿!起きて!来て!王妃様が!王妃様が大変なんだ!」

「……どこだ!」

 ランスロットは飛び起きて走り出す。僕も全速力で走る。

「王妃様のお部屋!兄さんじゃ無理なんだ。王妃様は傷ついてる!モードレッドが来て、母さんが来て、アーサー王が母さんを愛する目で見るから!ガウェイン兄さんを愛する目で見るから!王妃様は愛されないって泣いてる!このままだと死んじゃうよ!」

 ランスロットは走る。速い、速い、速い、でも、僕も、なにがなんでも付いていく!

 王妃様の部屋、ランスロットが扉を開ける。

「王妃様!」

 ランスロットが叫ぶと、部屋の隅にうずくまる王妃様がちょっとだけ振り返る。

「ラン……ス……」

「王妃様!」

 ランスロットは部屋の中に駆け込み、王妃様の前に跪き、王妃様の片手を両手で包み込む。

「王妃様、貴女のランスロットです。貴女にお仕えするランスロットが参りました。王妃様を愛しております。この世のなによりも誰よりも、愛しております。して欲しいことはありますか?叶えて欲しいことはありますか?なんだって叶えてみせましょう。それがこの世を壊すことでも、それがすべてを捨てることでも。王妃様のためならばなんだって」

「ランスロット!」

 王妃様がランスロットに勢いよく抱きついた。ランスロットはしっかり抱きとめ、王妃様の肩口に顔を寄せて、それはそれは優しくささやく。

「なにかお望みはありますか?」

「わたくしを愛して。わたくしを愛して、ランスロット!」

「愛しております、何よりも」

 ランスロットの言葉を聞くが早いが王妃様は口づけた。ランスロットの両頬をつかみ、必死に、すがるように。

 何度も何度も口づけながら、王妃様はうわごとのように言う。

「ランスロット……わたくしを愛して……わたくしを愛して、ランスロット……」

「愛して……愛しております……愛して」

「もっと……もっとよ……もっと……」

 二人が口づけ続けるのを惚けて見ていると、ガウェイン兄さんがそっと肩に触れた。

「ガヘリス、出よう。よく連れてきてくれた」

 僕は兄さんと一緒に扉に向かう。

 扉を閉める直前。

 パサリと、脱ぐ、音がした。


 僕たちが広間にやって来ると、アーサー王と母さんとモードレッド、そしてガレスが仲良く、それはそれは穏やかに平和に、愛に溢れて語らっていた。

 あっちでは地獄だったのに、こっちでは天国だ。それとも逆かな。あっちが天国で、こっちが地獄。

 僕にはもうわからない。

 母さんが僕に気づいて、僕の方へと駆けてくる。

「ガヘリス、ありがとう、ガヘリス。おかげでモードレッドが認めてもらえました」

「母さん一人で十分だよ」

「いえ、わたくし一人だと、戯言だと思われたりするもの」

 母さんが僕をギューッと抱きしめる。

 大好きだ、母さん。僕の母さん。

「美しい……」

 広間の入り口にラモラック卿がいた。

 美しいって何が?

 ラモラック卿が母さんの前に跪く。

「お美しい貴婦人、私は一生貴女の奴隷となりましょう。なんでもお命じください。私にできることならなんでもいたします。どうぞ私をお見知り置きください、ラモラック、と申します」

 一息で長口上を言いきったラモラック卿。

「あら、まあ、面白い方」

 母さんはお気に召したらしい。

「光栄至極に存じます」

 ラモラック卿がかしこまる。

 母さんは僕を解放し、跪くラモラックの顎をすっと片手ですくいあげ、顎の裏をスルスル撫でる。

「母さん、そいつ、ペリノア王の息子だよ!」

 母さんは僕の言葉に目を見開き、ラモラックからゆっくり手を離す。

「そう」

「モルゴース様、モルゴース様でいらっしゃるのですよね!」

 ラモラックが母さんの手を逃すまいと両手でがっしりと掴む。

「離れろよっ!」

 ラモラックをどかそうとラモラックの身体を押しても、てこでも動かない。

 クソッ、こいつ、力が僕より格段に強い!

「母さんから離れろ!」

「ガヘリス!」

 ガウェイン兄さんが来て、兄さんは母さんの方を抱き上げて奪い取った。

「まあ、ガウェイン」

 兄さんに抱き上げられて、母さんは満足げ。ああ、呑気だ。

「ラモラック卿、母上をお返しいただきます」

 ガウェイン兄さんの言葉に、ラモラックはぽかんと呆けてる。

「なんとも、ない?」

 ラモラックは不思議げを両手を見てる。

 ……あ、イウェインの威圧!イウェインの威圧がないから、いつもの症状が出ないことにラモラックが気づいた!

「なる、ほど。癒しの天使が現れたから、か?」

 え、なにそれ気持ち悪。

「モルゴースさ」

 ラモラックが母さんにまた近寄ろうとしたところで、ガウェイン兄さんは母さんを抱き上げたまま、アーサー王のところまで飛びすさって移動した。

「どうしたガウェイン?」

 モードレッドと話していたアーサー王が手を止める。そしてガウェイン兄さんと母さんに近寄り、兄さんに抱き上げられたままの母さんの片手を両手で握る。

 母さんは「まあ、アーサー」とにこにこ上機嫌だ。呑気!

「母上にラモラック卿が言い寄ってくるので、逃げてきました」

「ほう」

 いきなりラモラック卿がくずおれた。

 頭を床に叩きつけんばかりにこすりつけ、痛みにもがいて悶えている。イウェインがこの間やったのよりえげつない。

 そうだ、イウェインがいなくてもアーサー王がいるんだった!

 僕もアーサー王の方に駆けていく。

 良かった。たまには役に立つ!

「おお、ガヘリス」

 アーサー王は甘やかすような声で僕を呼ぶ。

 ……いや、アーサー王も母さんから手を離してくれないかな。でも僕の力じゃ無理だし。ああもう、仕方ない。

「アーサー王」

 僕は両手を広げてアーサー王に抱きつきにいく。うぅ、自分を犠牲にするしかないのが情けない。

 アーサー王は自主的に母さんから手を外して僕を抱き締めた。

 ウェ、きつい、手加減いつまでも覚えないなこの人。一応作戦成功だ。

「なんだ、ラモラック卿が怖かったかな?」

 アーサー王が甘やかしてくる。

 あー……そういうことでいいか。

「あの人、ガウェイン兄さんを追っかけてて、元々気持ち悪かったんです」

「何?!」

 アーサー王が剣呑になる。

 あ、もしかして。

 ラモラックを確認したら、震えるどころかばったり力尽きて倒れていた。

「あ、あれ、死んでませんか?アーサー王」

「あやつは円卓の騎士だ、そこまではせぬ」

 そっかあ……でも、むしろ死んでほしい気がする。

「あ、あの、ガヘリス卿」

 おずおずとモードレッドが話しかけてくる。

「ん?」

「モードレッドです。あの、初めまして」

 うわ、野暮ったい。

 母さんより断然アーサー王よりなんだよなあ、この人。

 あと物腰もなんとなくさっきのラモラックを思わせて気持ち悪い。なんていうの、こう、自分のことだけ見えてて、他人の出方を完全に無視してるタイプじゃない?おそらくだけど。

「ああ、初めまして。ガヘリスです」

 一応、握手はしておく。大人だからね。

 ガウェイン兄さんが苦笑してる。

 あ、まずい。やっぱバレた?僕が冷たいの。

 ガウェイン兄さんはモードレッドにそっと言う。

「ガヘリスは赤子の君の面倒を見ていてくれたんだ。しかもきちんと証言もしてくれた。優しい兄上なんだよ。ね。お礼を言おう」

 あ、そうだ。そういうのをこいつ言おうとしないから無礼に感じたのか。

 普通先に礼を言うのに、なんもなしだもんな。なるほど。うわ、ガウェイン兄さんさすが、よく見てる。

「す、すみません!私は本当に不調法者で、あの、怒らないでください……」

 いや、僕怒らなかったよねぇ?なんで僕が怒ったことにしてんの。やだやだこいつ気持ち悪い、やだよどっか行ってくれないかな、本当に。

 ていうか兄さんの話聞けよ!兄さんはお礼を言おう、って、めちゃくちゃ優しく言ってくれてんのになんなんだこいつ、本当なに。

「怒ってないよ。気にしないで」

 もう限界!無理!やだこの人すごいやだ!

「ねえ、ガヘリス」

 なに!ガウェイン兄さん。

「いったんロジアンに帰ろう。アグラヴェインにモードレッドを紹介しなきゃ」

 うわぁ、やだ。なんかやだ。

 ええ、この人ロジアンに連れ帰るの?僕たちのロジアンに入れるの。やだよ、どっか行ってほしい。

「まあ、そうね。アグラヴェインにも会わせないと!」

 母さん〜!嬉しそうに言わないで〜!

「久しぶりに皆で帰れるね、ガヘリス兄様!」

 ガレス〜、そりゃガウェイン兄さんとガレスと母さんと帰るのはいいよ?でもこいつとはやだ〜!でも、でも言えない〜!

「そう、だね、ガレス。帰ろう」

 これ以上は言えない、無理。無理だよ。


 ロジアンに着くと、アグラヴェイン兄さんが城門のところで既に待ち構えていた。

「やあ、お帰り!君がモードレッドかな。うんうん、アーサー王にそっくりだ。間違いなくモードレッドだね。ここは君の生まれた場所で君の居場所だ。さあ、こっちに来るがいい、案内しよう」

 なんでそんな奴に、そんなに愛想いいの、アグラヴェイン兄さん!!

 ガウェイン兄さんはホッとした顔でアグラヴェイン兄さんに連れていかれるモードレッドの様子を見てる。

 モードレッドは「あ、キャメロットみたいに装飾はないんですね」「あ、キャメロットみたいな宝石は嵌め込まれてないんですね」「中庭、そんなに広くないんですね」とかアグラヴェイン兄さんの案内に感想を言っていた。

 城中を案内した後、アグラヴェイン兄さんは綺麗に改装し終えてる部屋にモードレッドを案内する。

「すまない、いきなり連れ回してしまったな。晩餐までゆっくり休んでいてくれ」

「あ、はい。あの、母さんは」

 母さんは最初から城に着いた時点で早々に部屋で休んでる。そりゃあ僕たちと体力が違うからね。疲れてるはずだ。

「母上は長旅でお疲れだ。しばらく休ませてやってもらえるか」

「あの、でも」

「晩餐のときに改めて会おうな」

「……はい……」

 アグラヴェイン兄さんはモードレッドを部屋に残し、僕たちはその場を立ち去った。


 アグラヴェイン兄さんは、兄さんの部屋にガウェイン兄さんとガレスと僕を入れる。

 自分も入って、後ろ手に扉を閉めた。

「なんっっっっっっっっっっっだ、あいつは!バラバラに千切って海に捨てるぞ!!」

 アグラヴェイン兄さん切れてる切れてるブッチブチだ。

「だよね?だよね?ひどいよね!」

「なんでもかんでもケチつけやがって!キャメロットと比べるな!何かしてもらったら礼くらい言え!母上に対する思いやりくらい見せろ!態度がでかい!なによりアーサー王に似てるところが腹が立つ!クソがクソがクソ野郎が、二度とロジアンに来るな!」

 わぁ、僕が言いたいこと全部言ってくれた。さすがアグラヴェイン兄さん〜!

「に、兄様、落ち着いて。モードレッドもどうしたらいいかわからないんだと思うよ。そもそもちゃんと教育を受けてないのかもしれないし」

 ガレスは天使なことを言ってる。

「ああ?!教育?教育だけでああなるか?!野盗のところででも育ったのか、あいつは!」

 アグラヴェイン兄さん、それ、それだよ。教育以前だよ、ガレスなんか生まれつき天使だった記憶しかないし!

 ガウェイン兄さんが困った顔でゆっくりと丁寧に言う。

「モードレッドは浜辺に流れ着いたのを拾ってくれた漁師のところで育ったそうだ。私も最初はそうだったからね。ただ、私はすぐにローマに行って、教皇様のところで育った。私の教育は最高だった。彼は漁師の教育しか受けられなかった。その差だよ」

「そうかぁぁ?!違うだろ、根性だろ、根性が捻じ曲がってるに決まってる」

「アグラヴェイン、君はロト王に、生まれたときから最高の帝王学を学んでいるはずだ。ガヘリスとガレスは、そんな君に育てられている。陰に日向に最高の教育を受けているんだよ。全然違うのは当たり前なんだ」

「であろうがなんだろうが、あいつは虫酸が走る!嫌だ!気持ち悪い!」

 同意見〜!

 ガウェイン兄さんは僕の方を見る。

「ガヘリスも同意見?」

「寸分の違いなくアグラヴェイン兄さんと同意見」

 もう言いたいこと全部言ってくれました。

「ガレスはどう思う?」

 ガウェイン兄さんはガレスを振り返る。

「彼はガウェイン兄様の言う通り、教育が足りないだけだと思うんだ。教育を受けたら変わるんじゃないかな?」

 ああガレスらしい意見……

 ということは。

 決まったな。

 ガウェイン兄さんは清々しい笑顔で言った。

「彼に、教育しよう!!」

 

 そしてもうすぐにその日の晩餐から「教育」は始まった。

「モードレッド!食べる前に、手は先に洗って!水を持って来てもらってるからかけて貰うんだ。ほら、手を出す!手を出すんだ、飛ばさないように手の向きに気をつける!違う、私のを見ていて!こう!いやもうちょっと……そう!上手い、そうだよ!ああ無言で終わらすんじゃない!水を持ってきてくれた人に『いい香りですね、これはなんのハーブですか?』だ。香りがわかるときは『ローズマリーですね、いい香りですね」だ。もっと工夫した言い回しを考えることも大事だが、まずはシンプルにその二択でいい!人に何かしてもらったら、心地良かったことを褒めること!人の上に立つ人間には当たり前のことだ。いいね?」

 手に水をかけてもらうだけでこれだ。ちなみになんでもかんでも褒めるのはガウェイン兄さんくらいだ。アグラヴェイン兄さんは、ふとしたときにいきなり「いつも、その、ありがとう」だ。ちょっとタイプが違う。

 が、どちらにしても相手への思いやりはある。そもそもアグラヴェイン兄さんは赤子の僕の面倒を完璧に見ていたからね。

 ああ、そっか。モードレッドはそっちか。

「ねえねえ、モードレッド」

「な、なに、なにですか、ガヘリス卿」

 モードレッドはパンを千切るにもおっかなびっくりになりながら言ってる。

「子供のとき、兄弟って、いた?」

「いません。う、うわ!一人です!」

 あ、パンを吹っ飛ばした。

 なるほどね。だからかぁ。

「魚を釣り上げる方法は、教わりました!」

 うん、それ、滅多に使わない〜。

 ガウェイン兄さんが口添えする。

「ああ、それなら私も教わりましたよ。もう朧げですが」

「今度、教えてあげましょうか?」

 うわ、モードレッド、兄さんに対して感じ悪。

「いや、教えてはいらないよ」

 おお、ガウェイン兄さん、意外に辛辣。

「やってみたらあまりにも釣れ過ぎて、重さで船がひっくり返って溺れかけてね……ちょっと釣りは怖いんだ」

 天才なだけだった。

 というか現実でもそうだよね。兄さん、人たらしだもん。パーシヴァルやラモラックまで引いちゃってさ。

「ラモラック、どうなったんだろうね」

 僕が言うと、ガウェイン兄さんがビクッとする。

「彼がいそうなときは母上を連れていかないようにする。私もできれば会いたくないし、イウェインと連絡を取って一緒の時期に行こうかな、キャメロット……」

 兄さんにここまでさせるラモラック。一体お前はなんなんだ。

 モードレッドが兄さんの言葉にギョッとした。

「だ、誰ですか?ラモラック?」

 あ、モードレッドは知らないか。

「僕たちの仇敵。ガウェイン兄さんに付きまとってたかと思ったら、母さんに宗旨替えしたゴミ野郎。強いから注意。あとあいつの父はペリノア王。母さんを犯して、父さんを殺した正真正銘のクズ野郎だよ。あんなやつの子供だ。ろくなもんじゃない」

「ガヘリス」

 ガウェイン兄さんは首を振る。

 何、あんなクズ庇うの。

「親は関係ない。パーシヴァルは良い騎士だ」

「ああ、まあ、あの人はね」

 好意全開で、あんなのを嫌いになりようがないもんなあ。身体は痛いけど。

 ガウェイン兄さんはモードレッドの目をじっと見て言う。

「パーシヴァルも生まれは騎士でも、彼の母上が騎士として育てようとしなかったから、育ちはまったく騎士じゃない。でも、彼は騎士に憧れ、必死で修行して、騎士たる振る舞いを身につけた。君にもできるはずだ。ただし、やる気がないと何も始まらない。君にやる気はあるのか。アーサー王とモルゴースの子として、騎士として生きていく気はあるか。ないならロジアンからもキャメロットからも去れ。漁師に戻れ。どうする?モードレッド」

 さすがガウェイン兄さん。結局一番スパルタだ。

「私は、騎士になりたい」

 モードレッドは顔を上げる。

 ガウェイン兄さんは首を振る。

「なりたいではいけないね。どう言うんだったっけ?」

「なります!騎士になります!騎士に、してください!」

「ようし、その意気だ!明日は壁を10回登ろう!」

「はい!」

 うわあ、鬼だ。

 結局翌朝。モードレッドは10回中10回ともロクに登れずに落ちた。

 全部受け止めたガウェイン兄さんは「挑戦する意気や良し!」と明るく笑って「さあまだ時間はあります。あと5回やりましょう!」と追加してた。


 モードレッドの騎士道修行が始まって一カ月。

 態度がだいぶマシになってきた。

 ちゃんと礼も言えるようになったし。

 教育って偉大なんだなぁ……。

 おかげでわりと快適に過ごしてる。

 でもそろそろキャメロットに戻りたい気持ちもある。あの華やかさはロジアンにはない。

 あと、僕はいい加減ガウェイン兄さんから自立した方がいい。一人の男としてやっていくんだ。

 モードレッドはガウェイン兄さんに任せれば大丈夫だし。

 まずは……母さんに挨拶からかな。母さんに挨拶して、それから皆に、僕一人でキャメロットに行く話をしよう。

 まずは母さんの部屋に向かう。

 母さんの部屋に行くの、子供のとき以来だな。さすがに今は、広間に来てくれるのを待つようになったし。

 母さんの部屋の前まで来る。

 扉がほんの少し開いてる。

 母さん不用心だな。

 まあこの城で、僕たちがいる状況で、襲ってくる人なんかいな……

 ピチャパチャと物音がする。

 あぁ、アア、と喘ぎ声がする。

「アァ、アァ、イイ、イイわ、お上手、お上手ね、ン、アァァッ」

 母さんの声がする。

「モルゴース様、天使、あなたは天使です!私の病いを癒し、そして、ああ、良い、最高、最高、最高です、麗しい、なんという肌、なんという胸、なんという、ああ、あなたのナカは最高です……ッ!」

 ラモ、ラック……?

「本当に、お、上手、ああ、そっくり、そっくりだわ!荒々しくて、わたくしを、わたくしを崇め、アァッ、愛し、たくさん突いて、たくさん出して、ァァッ、本当にお上手だった、でも」

「ィ、イタ、イタ、痛いです、痛!あぁ、アァ、アァァ、何か、何か、私はいけなかった、でしょうか!」

「あなたのお父様はわたくしの、アァァッ、ンッ、ァァッ、大事な、大事な、ロトを殺めた、のよ!万死に値するわ!」

「ああ、ウッ、あぁ、お許しを、お許しを、モルゴース様、お許しを」

「えぇ、だから、ンンッ、よこしなさい、全部、全部あなたのすべてを、わたくしに!アァァァァッ」

「捧げます、捧げます、なにもかも……ああ、モルゴース様、モルゴース様、あなたは女神、女神だ、私の元に舞い降りた……」

「ウフフ、可愛いわ、そうよ、お父様も言っていたわ、わたくしを女神と……アァッ、だから、ゥンッ、捧げなさい、なにもかも!」

 母がラモラックと性交していた。

 それも、犯されてるんじゃない。

 こんな、こんな、こんな、嘘だ、嘘だ、嘘だろ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、

「ウアァァァァァ!」

 部屋の中から大きな声が上がる。

 僕は扉を開ける。

 そこには。

 ベッドの上で腹に短剣を刺されて仰向けに倒れた母さん。

「モルゴー、モルゴース、さま!モルゴース様!モルゴース様!」

 ベッドの上で母さんを抱きかかえて、母さんの名を呼び、泣き出すラモラック。

 そしてベッドの横に立ち尽くした、血まみれの手の……

「ガレス?」

「……ガヘリス、にい、さま?」

 振り返ったガレスが大粒の涙をこぼす。

「ああ、ああ、モルゴース、モルゴースさま、さま、さま」

 うるさいな!

 うるさいラモラックを弾き飛ばす。

 ラモラックはベッドから転げ落ちて、喋らなくなった。

「母さん?」

 腹から血がドクドクと出てる母さんを覗き込む。

「ガヘ、リス……いい子ね」

 母さんが腕を上げて僕に触れようとするのを払いのける。

「母さん本当なの?母さんはペリノア王と喜んで寝たの?父さんを裏切ったの?母さん、答えて、母さん」

「父様じゃ、ない。父様じゃない、わ。ガヘリス。あなたの父様はユーサー王」

「なに。それ」

 なにそれ。わかんない。なんにもわかんないよ。

「ガレス、ガレス」

 母さんがガレスを呼ぶ。

「あなたは、マーリンの子よ」

「かあ、さま?」

 母さんが花が咲くように微笑む。

「ガウェインと同じ、マーリンの子。ロトとはあのときには寝てないわ。ペリノア王と寝た後に、マーリンと寝てあなたができたの。マーリンは、嘘をついたの。マーリンの子という結果が出たの。嬉しかったわ。ガウェインと同じ、素敵な子になると。でもロトの子ということにしないと、アグラヴェインが許さないでしょ?だからロトの子と言ったの。あなたのためを思ってなのよ」

「ガウェイン兄様と?」

 なんだよ、どういうことだよ、ペリノアと?マーリンと?ガウェイン兄さんが。マーリンの子?僕はユーサー王の子。なんなんだよ、どれだけ寝てるんだよ、母さん、そんなそんな男たちと、ペリノアだって、ラモラックだって、ユーサーだって、マーリンだって、アーサー王も!

「大淫婦だ……バビロンの……大淫婦……」

 僕たちの母さんが、そんな、そんなものだったなんて。

「ガヘリス、ガヘリス。あなたはユーサー王の子よ。アーサー王の弟なのよ。アーサー王の子はモードレッド。ユーサー王の子はあなた。どちらかが次の王になるわ。素敵なことよ。さあガヘリス、助けてちょうだい。ガレスは間違ってしまったのね。自分がペリノア王の子だと思ってしまったのね。大丈夫、許してあげるわ。わたくしの息子ですもの。わたくしの可愛い可愛い子供たち」

 僕は母さんの腹に刺さった短剣に手をかける。

 母さんが慌てる。

「ガヘリス、いきなり抜いては、」

「死ね、淫婦」

 僕は短剣を抜いて母さんの腹に刺す。また抜いて腹に刺す。また抜いて腹を刺す。また抜いて腹を刺す。また抜いて腹を刺す。また抜いて腹を刺す。また抜いて腹を……

「やめて、ガヘリス」

 いつのまにか、ガウェイン兄さんが僕の手を掴んでいた。

「兄さん、だってこれ殺さなきゃ」

「ガヘリス」

「大淫婦だよ、殺さなきゃ」

「ガヘリス」

「父さんを裏切ってた、父さんは父さんじゃなかった、兄さんの父さんもマーリンだった、これ、ペリノア王とも喜んで寝てた、ラモラックとも喜んで寝てた、化け物だよ、化け物、僕たちも化け物の子供」

「ガヘリス」

 兄さんが僕をゆっくり抱きしめる。

「彼女はただの人間。私たちもただの人間。怖がらなくていい。ただのか弱い女性」

 僕はただのか弱い女性を見た。

 血まみれで、内臓がグチャグチャで……

 顔は、僕の、僕の母……

「ウアアアアアアアアアアア!!」

「ガヘリス」

「アア、アア、母さん、母さん、母さん、母さん、母さん、嫌だ、母さん、母さん、やだ、母さん、母さん、母さ」

「見たぞ!」

 ベッドの下からラモラックの声。

 ラモラックがゆらりと立ち上がった。

「殺した!殺した!モルゴース様を殺した!言ってやる、アーサー王に言ってやる!女神を殺した!お前は処刑だ!」

 ラモラックが走り去る。

「待て!」

 ガウェイン兄さんが僕を置いて、ラモラックの後を追う。後ろからモードレッドも一緒に追う。

 ああ、二人とも来ちゃったんだ、僕が殺したところ見てたのかな。母さんを殺しちゃった僕を。

「どうした!何があっ……」

 アグラヴェイン兄さん。

 扉のところに立ってる。

 今、来たの?

 じゃあ、じゃあ、聞いて、ないよね。

「兄さん」

 僕が、僕がね、これを殺したのはね。

 アグラヴェイン兄さんがよろよろ近寄ってくる。

「ガヘリス、ガヘリス、何が、何があった、母上は、この血はこの血は、その剣は、お前がやったのが?」

 ガレスがハッとして口を開く。

「ちが、兄様じゃな」

「僕が!」

 僕がやった。

 ガレスからのは、助かる怪我だった。

 僕が殺ったんだ!

「僕が殺したんだよ兄さん」

「お前が……?なんで……」

 アグラヴェイン兄さんが僕の肩を揺する。

「なんでだ、なんで母上を!」

「このベッドで寝てたんだ、ラモラックと」

「何?」

「合意の上で、喜んで、だよ。信じられる?ペリノア王とだって喜んで寝てたんだって、信じられる?僕だってわけがわからない、化け物がいたんだ。化け物がいたんだ。僕は化け物を殺したんだよ!僕も化け物の子なんだ!」

 アグラヴェイン兄さんは頭を抱えて首を振る。目を瞑って、なにも見たくないって、ギュッと。

 兄さん兄さん。僕は隠すよ。

 兄さんしか父さんの子はいない。

 でも、そんなこと言ったら兄さんは壊れちゃう。

 ただ、ただこの女が淫売だったことにする。ただそれだけにする。

 ガウェイン兄さんも僕もガレスも父さんの子。兄さんと同じ父さんの子。

 だから大丈夫、大丈夫だよ。

 兄さん、ごめんね。

 ガレスに目配せする。

 ガレスは涙目でうなずいて、アグラヴェイン兄さんを抱きしめる。

「兄様、兄様、兄様、兄様、兄様、兄様……」

 ガレスはずっと兄さんの背中をさする。

 兄さんが狂わないように。

 兄さんが安心するように。

 












 愛しい愛しい俺の天使

 なぜ他の男の妻になった?

 間違えたんだな、そうだろう?

 さあ殺してあげようね


 俺には最強の魔術師がいる

 なんでもかんでも思いのまま

 他の男のふりをして

 天使のところへやって来た


 天使はなんと三人いた

 涙で誘う魅惑の天使

 物欲しそうな淫らな天使

 そして俺を強請る天使!


 強請る天使を可愛がる

 ああ、俺に気づいていたのか

 なんて可愛い強欲な天使

 俺から搾り取っていく!


 強請る天使は手に入れた

 次はどちらの天使にしよう?

 魔術師そっとささやいた。

「『あの方』と結ばれたいと来ております」


 物欲しそうな淫らな天使

 俺のところへやって来た

 俺の上で腰を振る

 淫らな淫らな俺の天使


 さあ次は涙で誘う魅惑の天使

 魔術師そっとささやいた

「待ちきれないと来ております」

 来たか来たか、俺の天使


 怖がっているふりをしている

 涙で誘う魅惑の天使

 わざと叩くと泣いて悦ぶ

 淫らな悦楽貪る天使


 しかし俺は翌日から

 血反吐を吐いてのたうち回った

 苦しい苦しい助けてくれ

 俺の天使よ魔術師よ


 天使たちは誰も来ない

 魔術師だけがやってくる

 必死で俺を看ているが

 役に立たない、痛い!痛い!


 助けてくれ、俺の天使

 どうしたんだ、俺の天使

 苦しい!熱い!痛い!苦しい!

 天使よ、おのれ。毒を盛ったな!



 


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