第三章 ガレス

 ぼくはいらない子。

 かあさまはぼくと目をあわせない。

 ガヘリスにいさまはいつも遊んでくれるけど、かあさまがどこかにいればすぐにそっちに行っちゃう。

 ぼくをおいてけぼりにする。ぼくがいっしょにいると、かあさまはこないから。

 ぼくのさいしょのきおくは、アグラヴェインにいさまがガヘリスにいさまをしかっているのを、こっそり見ていたこと。

「ガレスを放っておくんじゃない。だいじな俺たちの弟だ!父上の子なんだぞ!」

「でもガレスがいると母さん来てくれないんだもん!」

「あー……わかった。乳母を二人に増やす。どちらかが絶対に側にいるようにする。だから置いていくときは乳母に絶対に預けろ」

「うん。それならいいよ」

「ごめんな。お前にばかりまかせてしまって。俺がついててやれればいいんだが、父上がいないし、母上は……とにかく俺が父上の代わりをするしかないんだ。ごめんな」

「ううん。だいじょうぶだよ」

「ごめんな。ガレスのことは守ってやらなきゃいけないんだ。父上の大事な子なんだから。もしかしたら最後の……いや。とにかく大事にしてやってくれ」

「うん!頑張る!」

「いい子だ」

 アグラヴェインにいさまがガヘリスにいさまをいい子いい子する。

 ぼくは父さまのだいじな子なんだ。だからアグラヴェインにいさまは「まもらなきゃ」と思ってる。

 ぼくは母さまにはいらない子。でも父さまや兄さまには、だいじな子。だいじな子。だいじょうぶ。ぼくはだいじな子。だいじょうぶ。

 父さまの子だからだいじょうぶ。


 つぎのきおくはガヘリス兄さまがいい子いい子してくれたきおく。それとアグラヴェイン兄さまがいい子いい子してくれたきおく。

 いっつもいい子いい子してくれてた。

 アグラヴェイン兄さま、ガヘリス兄さま、だいすき。


 僕たちはキャメロットに来た。キャメロットはものすごく綺麗なお城のある素敵なところ。

 僕たちはお城で、この世で一番強い王様に会う。

 僕もガヘリス兄様にならって頭を下げた。

 いきなり頭を押さえつけられた。

 押さえつけられてないはずなのに、押さえつけられてる。押しつぶされる。押しつぶされる。押しつぶされる!いたいいたいいたいいたいいたいいたい怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いやだやだやだやだ助けて兄様兄様兄様兄様兄様アグラヴェイン兄様!

「陛下」

 母様の一言で、押さえつけられなくなった。

 アグラヴェイン兄様の方を見る。アグラヴェイン兄様がガタガタ震えていた。ガヘリス兄様もガタガタ震えていた。

 母様だけが平気でお話していた。

「モルゴース殿」

「お久しぶりです。お会いしたかったですわ」

「おお、余もだ」

「あとでまた……お話いたしましょう?」

 母様がにっこりやさしく微笑う。

 いつもガヘリス兄様を見てるときの顔だ。その人が大好きでたまらない顔。僕に一度も向けてくれたことのない顔。

 母様はその人のことが好きなのね。でもどうして僕のこと好きじゃないの?どうして?


 母様はその後ずっと帰ってこなかった。

 アーサー王と仲良しで、帰ってきたくなくなったのかな?

 兄様二人はずっと顔色が変で、様子がおかしかった。

 僕たちが過ごしてる部屋のベッドの上で、アグラヴェイン兄様はずっと何か呟いている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、でも、でも、でも、いいよね、いいよね、俺、俺は、子供だから、戦わなくていいよね?ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ」

 アグラヴェイン兄様子供だったのね、そうだね、兄様大人ではないもの。大人くらい大きいけれど、僕らの城のみんなは「若君」と言ってる。兄様はまだ子供。子供の兄様はいい子いい子してあげなくちゃ。

「よしよし、よしよし、兄様いい子」

 頭を撫でるとアグラヴェイン兄様はガバリと僕に抱きついてきた。寒くもないのにガタガタガタガタ震えてる。かわいそうなお兄様。

「よしよし、兄様よしよし、兄様いい子、兄様いい子」

 兄様怖いのね。よしよししてあげるね。

 するとガヘリス兄様もくっついてきた。うん、うん、ガヘリス兄様もいい子いい子してあげる。

「いい子、いい子、ガヘリス兄様もいい子、アグラヴェイン兄様もいい子。いい子だからだいじょうぶ。いい子だからだいじょうぶ」

 僕はずっとずっと二人をいい子いい子してあげてた。ずっとずっと、母様が来るまで。


 母様が帰ってきたから、僕たちはロジアンに戻った。

 母様には子供ができて、でもアーサー王軍の人が子供を連れてっちゃった。そして、その子は死んじゃったってお知らせが来た。

 そしたら母様の気が狂っちゃった。


 母様がどんどんやせていく。全然なんにも食べない。

 ガヘリス兄様は母様に「母さん」「母さん」とずっと呼びかけるけど、母様は無視。僕への態度と一緒。

 僕は遠巻きに見てるだけ。

 ガヘリス兄様はアグラヴェイン兄様に「助けて、助けて、母さんが死んじゃう!」と泣きじゃくる。

「わかった、ガヘリス、なんとかする。俺が」アグラヴェイン兄様はガヘリス兄様をいい子いい子した後、母様のところへ行く。

 アグラヴェイン兄様が「母上」「母上」と呼びかける。母様は無視。僕への態度と一緒。

 僕は遠巻きに見てるだけ。

 アグラヴェイン兄様が母様の肩をつかんで「しっかりしろ、モルゴース!」と叫ぶ。

 すると母様が気づいた。

「あら、ロト、どうしたの?」

 アグラヴェイン兄様の表情が固まった。

「ロト?」

「モ……モルゴース、しょ、食事にしないか」

「ええ、そうね」

 アグラヴェイン兄様が母様の隣に座る。兄様が杯を持って、母様のくちもとに傾けると母様が飲む。

 アグラヴェイン兄様が肉を切り、母様のくちもとに持っていくと、母様が食べる。

「ふふ、美味しいわね、ロト」

「そうだな、モルゴース」

「あなたも食べなくちゃ」

「ああ、食べてるよ」

「そんなこと言って、わたくしにばっかり。ほら、貸しなさい」

 母様はアグラヴェイン兄様から肉を奪い取って、兄様に手ずから食べさせてあげる。

「美味しい?」

「ああ、もちろん。君からのものならなんでも美味しい」

 アグラヴェイン兄様は母様の指にチュッとキスをする。

 仲良しでいいな。

「馬鹿ね」

 母様はアグラヴェイン兄様の顎をつかんで、兄様の口にゆっくりキスをした。ゆっくりゆっくり、ピチャピチャと音がするくらい。

「は……モルゴー……!」

 兄様が声をあげかけると、またキス。

 アグラヴェイン兄様は観念したのか、そのままずっとキスをうけていた。やがて兄様も母様の肩をつかんで夢中でキスしてる。

「さあ……もう少し食べて。あら。あらあらあら?もう、きかんぼうさんね。そんなにわたくしと寝たい?」

 母様はアグラヴェイン兄様の股の間に手を伸ばして、なんかしてる。

「モルゴース!」

 アグラヴェイン兄様は母様の後頭部に手を回し、もう一方の手で腰を抱くと深く深く口づけた。

「ふふ……せっかちさん……ッいいわ、今日は、早く……ンッ、いきましょう?」

 アグラヴェイン兄様は母様を抱き上げると、そのまま寝室へ。

 ついていこうとしたら、ガヘリス兄様にガシリと腕をつかまれた。

「行っちゃ駄目だ」

 ガヘリス兄様が涙を両目にためながら言う。

「どうして?」

「絶対に駄目だ」

 ガヘリス兄様は僕の腕を掴んで、母様の寝室と真逆の方向へ、僕たちの寝室へ、僕を連れていった。

 一緒のベッドに入ったガヘリス兄様はガタガタずっと震えていた。

 僕がいい子いい子してあげていたら、しばらくしたら眠った。

 僕は眠れない。

 母様、なんだか不思議な感じだった。ロトって父様だよね。アグラヴェイン兄様と勘違いしてたのかな。アグラヴェイン兄様、父様にそっくりだってガヘリス兄様言ってたもの。見分け、つかないのかな?

 やっぱり眠れない。お散歩しよう。

 外に出て果樹園を歩く。

 なにか、物音がする。遠くの林檎の木の下のところに人影がある。

 誰か眠れないのかな。それとも侵入者?

 おそるおそるこっそり近寄っていくと、ゲホッ、ウェッと吐いてる音。

 気分が悪いんだ!

 僕が走っていくと、アグラヴェイン兄様だった。

「兄様、兄様!大丈夫?大丈夫?」

 アグラヴェイン兄様が顔を上げる。

 月明かりに照らされた兄様は、ひどく痛そうな顔をしていてかわいそうだった。

「ガレ……ス?」

「背中さすってあげるね!」

 僕は兄様の背中をさすってあげる。

 アグラヴェイン兄様は、もう少しだけ吐いてから、口を拭って、よろよろと隣の木に移動していく。僕も後を追って、兄様がへたり込んだところで、また背中をさすってあげる。

「食べすぎちゃった?」

「ガレス」

「なぁに?」

「なにか見たか?」

「なにを?」

「……どこにいた?」

「ガヘリス兄様と寝室にいたよ。ガヘリス兄様はもう寝てる」

「そうか」

 背中をずっとさすってあげていると、兄様は落ち着いてきたようで「もう大丈夫」と言って立ち上がった。

「ガレス」

「なぁに」

「ありがとうな」

「?……うん!」

 僕はアグラヴェイン兄様と手をつないで一緒に帰り、アグラヴェイン兄様の寝室に付いていって、一緒のベッドに入り、ずっと背中をさすってあげていた。アグラヴェイン兄様はしばらくして眠った。

 僕はガヘリス兄様のいる寝室に戻って眠った。


 翌日、ガヘリス兄様は僕と中庭で遊び回り、食事も中庭に持ってくるように命じ、僕たちは中庭で過ごした。

 夜になるとガヘリス兄様は寝室でガタガタ震えてるから、いい子いい子してあげて眠らせた。

 今夜もまたアグラヴェイン兄様、果樹園に来てないかな?

 そんな気がして、今度はお水を用意して、果樹園に降りていく。

 アグラヴェイン兄様は林檎の木の下で、また吐いていた。

「兄様、兄様」

 アグラヴェイン兄様は、ちょっと僕を見て苦笑して、また吐いた。

「兄様、食べ過ぎたら駄目だよ」

 背中をさすってあげると、また吐く。

 今日は長いな、兄様二日続けて吐いて大丈夫なのかな。

「び、病気じゃないよね?」

「……違う、食べ過ぎだ」

「もう、明日からは食べ過ぎたら駄目だよ」

「善処する」

「?」

「……食べ過ぎないようにがんばる」

「うん。お大事にね」

 兄様の背中をさする。

「お仕事忙しいの?」

「ああ、そう……だ、な……」

「僕たち中庭にいて邪魔しない方がいい?」

「……悪いな、そうしてくれると助かる」

「無理しないでね」

「ああ」

 兄様はウッ、となってまた吐こうとするけどもうなにも出ない。

 背中をさすり続ける。

 しばらくしたら呼吸が整ってくる。

「はい、お口ゆすいで。……うん。じゃあお水飲んで。うん。もうちょっと飲める?うん」

 水を飲んで、一息ついて。兄様は苦笑した。

「なんて用意がいいんだ。ありがとう、ガレス」

「そういう予感がしたから」

「……なあ、ガレス」

「なあに」

「明日も来てくれ」

「うん、いいよ」

「うん」

 兄様は膝を丸めてそこに顔を伏せた。

 たぶん、泣いてる。

 僕は兄様の背中をさする。

 背中をさする。

 背中をさする。

 しばらくして、アグラヴェイン兄様は立ち上がり、僕の手を引いて、アグラヴェイン兄様の寝室へ。ベッドの中で背中をさすってあげて、アグラヴェイン兄様が寝たのを確認したら、ガヘリス兄様との寝室へ戻る。


 次の日も。あくる日も。そのまた次も。

 震えるガヘリス兄様を寝かしつける。アグラヴェイン兄様は果樹園で吐く。僕は背中をさする。

 繰り返し繰り返し繰り返し。

 そんな日々が続いた。

 アグラヴェイン兄様はげっそりとやせ細っていった。

 死なない?兄様死なないよね?

 お願い兄様、死なないで。


 ある日の昼下がり。

 中庭でガヘリス兄様はすやすやお昼寝。

 昨日、なかなか寝付けなかったもんね。

 僕も眠い。僕もお昼寝しようかな。今夜も兄様たちを寝かしつけなきゃだし。

 とろとろと眠気に落ちそうになってると、城門の方が騒がしいのに気づく。

 なんだろう。

 ガヘリス兄様を起こさないようにそーっと動いて、城門へ。

 するとアグラヴェイン兄様が母様を抱き上げて、馬車の前に連れて行っていた。

 周りにはアーサー王軍の人たち。

 母様は、アグラヴェイン兄様にすがりついて震えてた。

 母様の声が聞こえてくる。

「いやよ、いや、やめてロト。わたくし行きたくない、行きたくないの」

「行くんだよモルゴース」

「やめて、いやなの、わたくし怖い、また、またアーサーに……」

 アグラヴェイン兄様は母様になにかした。

 母様がいきなりぐったり動かなくなった。

「アグラヴェイン様?!」

 アーサー王軍の人たちが慌てた。

 アグラヴェイン兄様はゆったりわらう。

「母は父がずっと行方不明で少々気が狂っていましてね。私が父に似ているものですから時々混同するのです」

「えっ?ロト王は行方不明ではなく…」

 アーサー王軍の人が声を上げかけたけど、横にいた別のアーサー王軍の人が小声で言う。

「おい馬鹿やめろ。無神経だぞ」

「す、すまん」

 二人とも小声になった後、また大きな声でアグラヴェイン兄様に言う。

「失礼いたしましたっ。では、あの、モルゴース王妃をお連れします」

「ああはい、どうぞ」

 アグラヴェイン兄様は腕に抱いている母様を、軍の人にそのまま渡そうとした。軍の人はまた慌てる。

「あの、私では、王妃様を抱くなど、畏れ多く!」

「ああ、王のモノには触れづらいですか。では」

 アグラヴェイン兄様は母様を抱いたまま、馬車に入り、そして兄様だけ出てきた。

「どうぞ持っていってください」

「あ、あの!こんな……王妃様にご許可なく」

「暴れたら縛ってくれて構いません。気の狂った人間には当然のことですから。抗議などしませんよ。お好きにどうぞ」

 軍の人たちは顔を見合わせてうなずく。

「ご協力感謝いたします。アーサー王より必ずすぐに連れて来いとのご命令でしたので、助かります」

「ああ、当然のことをしたまでです」

「アグラヴェイン様はいらっしゃらないので?」

「近頃、北方のピクト人の動きが妙なんです。離れられないものでしてな」

「そういうことでしたら、我らはこれで。あの、丁重に、お連れしますので!」

「ええ。大事なモノですからね。頼みます」

「神のご加護を」

「神のご加護を」

 馬車はガラガラと行ってしまった。

 呆然と見ていた僕にアグラヴェイン兄様が気づく。

「ああ、ガレス。母上はキャメロットのアーサー王のお呼びがあったから行かれたんだよ」

「うん、母様、アーサーの王様好きだもんね。楽しみだろうね」

「ん?」

「母様、アーサーの王様好きだもん。でも嫌がってたね?あれ?……喧嘩してて気まずいのかな」

「……ああ、だから二人とも仲直りさせないといけないと思ってな。送り出したんだ」

「そっかぁ。できるといいね」

「ああ。ところで、ガヘリスはどうした?」

「中庭でお昼寝」

 アグラヴェイン兄様はわらった。

「それは良かった。ゆっくり、眠りたいだけ眠らせておいてやってくれ」


 夕方、目覚めたガヘリス兄様に、お母様が行っちゃったことを言うと、ガヘリス兄様は走り出す。僕も追いかけた。

 ものすごく速いから追いつけない。

 必死で追いかけたら、広間からガヘリス兄様の怒鳴り声。

「人殺し!」

 僕が広間に入ると、ガヘリス兄様がアグラヴェイン兄様に馬乗りになって、力いっぱい殴っていた。何度も。何度も。何度も。

「母さんが死ぬ、母さんが死んでしまう、アーサー王に兄さんは母さんを売った!なんでそんなことできる?今度こそ母さんは壊れてしまう!母さんを殺すんだ、お前は、お前は、お前は!」

 ガヘリス兄様がアグラヴェイン兄様を力のかぎり殴る。アグラヴェイン兄様はなんにもやり返さない。駄目、駄目、そんなに思いっきり殴ったら!

「やめて、死んじゃうよ!」

 僕がガヘリス兄様の右拳が上がった瞬間、兄様の右腕に、渾身の力でしがみついた。

 ガヘリス兄様はぴたりと止まった。

 僕はぐいぐいガヘリス兄様を退かせる。ガヘリス兄様は呆然としていて、簡単に退いた。

 アグラヴェイン兄様の顔を確認する。

 アグラヴェイン兄様の顔は血塗れ。息してる?大丈夫?……うん、息はしてる!

「医者をつれてきて!」

 僕が叫ぶと、アグラヴェイン兄様が弱々しく呟く。

「……ぃぃんだ、ガレス」

 兄様は、声を絞り出すように、続ける。

「ガヘリスの気の済むようにしてゃ」

「馬鹿!」

 ペチッと手の甲で、アグラヴェイン兄様の頬を打つ。

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、兄様は馬鹿!アグラヴェイン兄様は馬鹿!ガヘリス兄様も馬鹿!死んじゃやだ!兄様たちが死んじゃやだ!やだから、やだから……やだ!」

 兄様の頬をペチペチペチペチ弱く叩きながら、死なないように弱く叩きながら、わんわんわんわん声を上げて泣く。

「ごめん……ガレス……」

 アグラヴェイン兄様の小さな声。

「馬鹿!兄様悪い子!兄様悪い子なんだから!」

「そうだ……な……」

 アグラヴェイン兄様がのっそりと腕を上げて、くしゃりと僕の頭に手を置く。

「お前だけが、いい子だ」


 アグラヴェイン兄様は夜中に吐かなくなったけど、代わりに夜はずっと僕とガヘリス兄様の寝室で一緒に横になるようになった。

 アグラヴェイン兄様とガヘリス兄様の背中をさすってあげたり、いい子いい子してあげたり。

 兄様たちはそうするとちょっとだけ、ほんのちょっとだけ痛くなくなるみたいだった。


 母様が帰ってきた。すごく元気だ。アーサーの王様と仲直りできたのかな。

 母様の横に、母様そっくりの、でもアグラヴェイン兄様より大きい身体の兄様がいた。


 母様は嬉しげに言う。

「アグラヴェイン、ガヘリス、ガレス。ガウェインお兄様よ。攫われたお兄様は漁師に拾われて、ローマの教皇のところに行き、ローマで育ち、ローマで騎士になって、ブリテンに戻ってきたの。しかもアーサー王に決闘を挑んで勝ったのよ!すごいでしょう。アーサー王はお兄様を素晴らしい騎士として円卓に加え、讃えたわ。そしてね、お兄様の赤子のときのおくるみにね、うちの紋章が残っていて、それでわたくしたちの子とわかったから、お呼び出しがかかったの……」

 あ、そっか。

 ガウェイン兄様が帰ってきたから上機嫌だったのか。

 ガウェイン兄様は言う。

「はじめまして、兄弟たち。アグラヴェイン、ガヘリス、ガレス。私はガウェイン。いきなり帰ってきてすまない。驚かせたね」

 ガレス、と言ったとき、僕の方をちゃんと見て微笑んでくれた。

 ガウェイン兄様も僕を無視しない!嬉しいな。僕ガウェイン兄様大好き!

 答えたかったけど、でもここは一番上のアグラヴェイン兄様が答えるべきだよね。

 僕もガヘリス兄様も神妙に黙っていたら、アグラヴェイン兄様がいつまでたっても答えない。えっ、僕たちが答えた方がいいの?

「……私はここから出ていった方がいいのかな?私は邪魔?」

 ガウェイン兄様が困ってる。なんでアグラヴェイン兄様黙ってるの?邪魔なわけないよね?そうだよね。

「いや、ずっといてください」

 ああ良かった。アグラヴェイン兄様も一緒だった。良かったあ。

「それは良かった。本当に良かった……ありがとう。受け入れて貰えて本当に嬉しい。アグラヴェイン、君はまだ騎士にはなっていないと聞いているから、よければアグラヴェイン、とそのままで呼んでもいいかな?」

「なんとでも」

「私のことは好きに呼んでくれ。君の呼びたいように。アグラヴェイン」

 アグラヴェイン兄様がぐらりと倒れかけ……たと思ったら、ガウェイン兄様がひょいっとすくいあげる。あ、両腕で抱き上げた。あれ、アグラヴェイン兄様が母様にやってたのと一緒。

「さすが、ガウェインは力持ちさんね」

 母様がきらきらした笑顔で言う。母様すごくご機嫌が良い。ガウェイン兄様がそんなに好きなのかな。

「このガウェインにお任せを。運びましょう。どちらに?」

「こちらよ」

 ガウェイン兄様がアグラヴェイン兄様を連れていくのにぞろぞろ付いていく。

 アグラヴェイン兄様の部屋。ベッドが準備される。ガウェイン兄様がそっとベッドの上にアグラヴェイン兄様を乗せた。

 母様がベッドに乗り上げて、アグラヴェイン兄様の頭をお膝に乗せていた。

 母様が歌を歌い出す。


 五月の女王 きょうもごきげん

 あたらしいのがやってきた

 あたらしいのがやってきた

 

 五月の女王 きょうもごきげん

 かわいいかわいいこどもたち

 わたしのかわいいこどもたち


 そうしてアグラヴェイン兄様のひたいにキスをする。

 絵のように綺麗で素敵。

 母様はやっぱり美しい。

「母上は声も天使のようですね」

 ガウェイン兄様は眩しそうに目をすがめている。

「うん、母様はなんでも綺麗」

 でも僕を無視するから、いつも悲しい。

 ガウェイン兄様は僕に目を止め、しゃがみこんで、目を合わせる。

「はじめまして、ガレス。兄のガウェインだよ。アグラヴェイン兄さんより少し上の歳なんだ。アグラヴェイン兄さんのことは好き?」

「うん、大好き。兄様悪い子だけど」

「……悪い子?」

「兄様、死んでもいいみたい」

「……」

「だから死なないように頑張ってるんだよ、僕」

「そうか、えらいね、ガレス」

 ガウェイン兄様が頭を撫でてくれる。

 優しい大きな手。アグラヴェイン兄様より大きい。

 ガウェイン兄様がゆったりと穏やかな声で言う。

「ガウェイン兄様も一緒に頑張らせてもらってもいい?」

「うん!僕だけじゃたぶん無理なんだ。いっぱい頑張ったけど、ほんのちょっとしか元気になってくれないから」

「大丈夫。ガウェイン兄様は強いからね。大丈夫。元気になるよ、アグラヴェイン兄様は」

「本当?」

 いきなりガヘリス兄様の声。

 いつのまにかガヘリス兄様が、ガウェイン兄様の左横に立っていた。

 ガウェイン兄様は右手で僕を撫でながら、左手でガヘリス兄様を撫でる。

「本当だよ、ガヘリス」

「僕、アグラヴェイン兄さんにひどいこと言っちゃった」

「何て言ったの?」

「人殺し」

 ガウェイン兄様が眉をひそめる。

「人殺しなの?」

 ガウェイン兄様の問いに、ガヘリス兄様は首を振る。

「違う。アグラヴェイン兄さん、必死で助けてくれたの。僕が助けてって言ったから。母さんを助けてって。必死で助けてくれたんだけど、今度は兄さんが壊れちゃった。兄さんもつらかったのに、僕がいけなかったの。僕が悪い子なの」

「……そうか。よく言えました。ガヘリス、きちんと反省して、次からの行動を変えることができれば、ガヘリスはいい子に戻れるよ」

「はい、ガウェイン兄さん。でも、でも。どうしたらいいかわからない」

 ガヘリス兄様は、母様とアグラヴェイン兄様を泣きそうな目で見てる。

 アグラヴェイン兄様の頬はこけて、顔色もすごく悪い。大きな身体もかなり小さくなっちゃった。

 母様がすごく元気になったから、余計に兄様がかさかさして死にそうに見える。やだよ、兄様。兄様が死んだらやだ。

 ガウェイン兄様の声が響く。

「もっと鍛えるんだ。心も身体も。強く、強く、強く。騎士になるんだからね。強くなるんだ」

「それでアグラヴェイン兄さんは回復する?」

「アグラヴェイン兄様のことは私に任せてくれたらいい。絶対に回復させてみせる。母様のようにね」

 ガヘリス兄様は母様を見た。別人のように元気になった母様。

 ガヘリス兄様はみるみるうちに嬉しそうになって、笑顔になった。

「はい!お願いします、ガウェイン兄さん」

「任せて。そして、ガヘリス」

「はい」

「ゆくゆくは君自身が母様を助けられるくらいになるんだ。だから、明日から特訓だ」

「はい!」

 ガヘリス兄様は、ガウェイン兄様に横からぎゅっと抱きつく。

 僕も逆側からぎゅっと抱きつく。

 アグラヴェイン兄様より大きいガウェイン兄様。母様をすごく元気にできたガウェイン兄様。

 きっと、きっと元気になる。アグラヴェイン兄様。

 目を覚ましたアグラヴェイン兄様は、どうやらガウェイン兄様を天使だと思ってるみたいだった。そうだよね。大天使のミカエル様みたいだよね。


 翌朝。

 ガウェイン兄様が皆を集めて特訓を始めた。アグラヴェイン兄様も隣にいる。

 アグラヴェイン兄様、すごく顔色がいい。といってもちょっと青いけど。でもでもいつもの抜け殻みたいな兄様とは全然違う。

 僕もお願いして、特訓に参加。僕も強くなるんだもんね。兄様たちから引き離されちゃったけど、僕はまだ小さいから仕方ない。

 あ、ガウェイン兄様がなんか泣きそうになってる。僕も一緒に頑張るよ!

 僕がガウェイン兄様のところに行く。ガウェイン兄様は、アグラヴェイン兄様に他人行儀にされたらしい。

 そう。アグラヴェイン兄様が外の人に接してるとき、声がするする滑っていくようで、背中が冷たくなる。柔らかくてなめらかなのに、ものすごく拒んでる声。短剣でじりじり刺されている感じ。あれすごく怖いんだ。外の人たちもギョッとしながら「いやぁ、ロト王にそっくりでいらっしゃる」と冷や汗かいてる。

「あ、アグラヴェインの兄様がガウェイン兄様を泣かした〜!」

 僕が言って走っていくと、アグラヴェイン兄様は「何が??」という顔をした。

 自覚ないのかな!アグラヴェイン兄様!

 しょぼんとしたガウェイン兄様のところに言って、手を軽く叩いてあげて励ます。

「ガウェイン兄様、大丈夫ですか?アグラヴェインの兄様は顔は怖いし声も怖いけど、怖がらなくて大丈夫ですよ」

 そう、怖くないよ。僕たちにはね!

 大丈夫、ガウェイン兄様にも怖くないはず。

 そしたらガウェイン兄様は笑い出して、寂しくて悲しかっただけ、と言う。

 あ、そっか。ガウェイン兄様にはアグラヴェイン兄様は怖くはないか。でも他人行儀なときのアグラヴェイン兄様、こばんでる感じするもんね。たしかにそんなのされたら寂しいし悲しい。

「うわ、アグラヴェイン兄様最低」

「俺なんかしたか?!」

 アグラヴェイン兄様はわかってないみたい。やっぱり自覚ないのかな?

 するとガウェイン兄様が明るい声を上げた。

「なあんてね!」

 ガウェイン兄様はアグラヴェイン兄様の首に腕を巻きつけて笑ってる。アグラヴェイン兄様もなんだか……すごく嬉しそうに笑ってる。

 冗談だったのかな?

 ガウェイン兄様と目が合う。ガウェイン兄様はこっそりパチン、とウインクしてくれた。

 ふふ、冗談だったみたい。そうだよね。ガウェイン兄様に他人行儀をするお遊びを仕掛けたんだ、アグラヴェイン兄様。

 ガウェイン兄様はそれくらいアグラヴェイン兄様と仲良くなったんだ!


 朝食の席では母様がアグラヴェイン兄様をきちんと名前で呼んでいた。

 あれ?そういえば昨日からだ。

 キャメロットに行くまでは父様の名前と間違えて呼んでたのに。

 ちゃんと兄様とわかるようになったんだ。

 兄様泣いてる。そうだよね。怖かったもんね、間違えてる母様。

 これもガウェイン兄様のおかげなのかな。


 毎日が過ぎていく。

 アグラヴェイン兄様とガウェイン兄様は仲良くずっと話しながらお仕事をしている。

 城の者たちはずっと噂している。

「まるで、ロト様とモルゴース様みたいだ」「でもガウェイン様は太陽みたいでいらっしゃるな」「今日は私の髪型を褒めてくださったのよ」「俺の給仕も上手だと」「僕の鎧の手入れもすごく上手だって!」「よく見ていてくださる」「よく戻ってこられた」「でも、正直な話、今から若君が代わるのも……」「次の王はアグラヴェイン様だと思ってきたし」「若君は若君だよなあ」「奥方様が発狂されているのに、あれだけおやつれになってるのに、ただの一日も休まれなかったんだぞ」「若君はひとつも文句もこぼされないんだよな」「若君も下手くそだけど労ってくれるぞ。一回、じっ……と見て『いつも、その、ありがとう』と言われたことが俺にはある」「僕がお身体の具合を心配したら『世話をかける。あの、だな、お前も……疲れて、ないか?』と労ってくださった」「外の人には立て板に水で怖いんだけど、俺たちには不器用なのにお優しいんだよ」「いいよな〜」「若君」「やっぱり若君だよな」「俺聞いたぞ、ガウェイン様がおっしゃってた。『当然、アグラヴェインが次の王ですよ。私はキャメロットでアーサー王の右腕をしますから』と」「おお、そうなのか」「良かったー」「さすがガウェイン様、わかってくださる」「ブリテン王の右腕かあ」「またキャメロットのお話も聞きたいな……」

 ずっとそんな感じ。

 いい感じ!


 ある日、アグラヴェイン兄様が高熱を出して倒れた。

「大丈夫なの?」

 僕がアグラヴェイン兄様の寝室に入ろうとしたら、ガウェイン兄様に止められた。

「ガレス、入っちゃ駄目だ。子供にうつると危険な熱なんだ。大丈夫。アグラヴェイン兄様の歳なら、数日で下がるような熱だから」

 本当?

 アグラヴェイン兄様のうわごとが壁越しにも聞こえてくる


 いやだ

 来るな

 父上

 死んだなんて

 無理

 無理だ

 もういやだ


「父様、父様死んだの?」

 ガウェイン兄様が痛そうな顔でうなずく。

「だからアグラヴェイン兄様はショックで、そんなときに悪い熱をもらっちゃったんだ。でもガウェイン兄様がいるから大丈夫だ。ガウェイン兄様はローマにいたときにこの熱にかかってる。一度かかったら二度とはかからないから看病できるんだ。治療法も学んであるから心配いらない」

「そうなの?」

「ローマで最新の医術を叩き込まれてるからね。医者と同じだと思ってくれていい。あと」

「?」

「ガヘリス兄様も隔離が必要なんだ。アグラヴェイン兄様から熱をもらってるかもしれなくてね。しばらく待ってほしい」

「うん」

「いい子だ」

 ガウェイン兄様はそう言って、僕をガヘリス兄様と僕の寝室に連れて行って、ベッドに入れ、寝かしつけようとする。

 僕がすぐに眠ったふりをすると、すぐに立ち去っていった。

 僕はこっそり追いかける。

 ガウェイン兄様はガヘリス兄様が隔離されてる部屋に来ていた。

 壁からガヘリス兄様とガウェイン兄様の声が聞こえる。

「ガレス、ガレスは父さんの子じゃない!」

「ガヘリス」

「母さんを無理矢理犯したクズの子だ!」

「ガレスのせいじゃない」

「わかってるよ!でも、でも、そいつの血が流れてるんだろ。半分はそいつでできてるんだろ。いやだ、気持ち悪い、殺してやる」

「ガヘリス!」

 パシン!と音。

「なんだよ、なんなんだよ、いっつも母さんばっかり。ガウェイン兄さんがさらわれて母さんはずっと悲しそうだったのに、父さんは気にしてないみたいだったし。アグラヴェイン兄さんは母さんを殺そうとするし。ガレスなんかを産んで可哀想だ。汚い男の子供を産まされて可哀想だ。アーサー王への生贄にされて可哀想だ。汚い男の子供をまた産んで、つれてかれて、死んで……母さん壊れちゃったじゃないか。アグラヴェイン兄さんも壊れちゃった。ガウェイン兄さんが来て、ようやく戻ったのに、結局また壊れちゃった。二人とも壊れちゃった。どうしたらいいんだよ。僕はなんにもできない。僕はなんにもできない。ガウェイン兄さん、どうにかできるんじゃなかったのかよ!」

「大丈夫、するよ」

「どうやって!」

 まだ二人は言い争っていた。

 でももう耳に入ってこない。

 僕は母様を無理矢理犯したクズの子。

 僕は母様を無理矢理犯したクズの子。

 父様じゃないクズの子。

 ガヘリス兄様が殺したいクズの子。

 母様にいっつも無視されるクズの子。

 クズの子だったから僕いらなかったの?

「いらないよね、僕なんかいらないよね、僕なんか僕なんか……」

 手に持った燭台をガシャンと落とす。

 僕は駆け出した、通路をかけて、上へ上へ上へ。

 城の塔の上に出る。

 高い高い塔の上から、遠く遠く下のほうにある中庭を見下ろす。

「僕はいらない子、僕はいらない子、僕はいらない子」

 塔のはしから身を乗り出す。

 中庭へ中庭へ。グシャッと落ちたら死んじゃえる。

 僕いらない子だからね、いなくなるね。

 塔のはしの床をけって、中庭に飛び降りる。

「ガレス!」

 あれ?落ちてない。

 空中にぷらんぷらんしてる。

 足を掴まれてる。

 グワッと風景が回転して、僕は、今度はガウェイン兄様の腕の中にいた。

 ガウェイン兄様は空中の僕を引っ掴んで、塔の中側に倒れ込んだんだ。

「よ、かった……無事だね、ガレス」

「良くないよ。せっかくいなくなろうとしたのに、止めないで」

「いなくなっちゃダメだ」

「でも僕が死なないと、ガヘリス兄様が僕を殺したくなっちゃうでしょ。ガヘリス兄様人殺しになっちゃうでしょ。ガヘリス兄様、人殺し嫌いなのに。そんなのに自分がなっちゃったら嫌でしょ。だから僕が自分で僕を殺しちゃえば」

「ガレス」

「僕が死んじゃえばちょっと楽になるでしょ、ガヘリス兄様」

「ならないよ!」

 ガウェイン兄様は僕をギュウギュウ抱きしめながら泣き出した。

「ガレス、ガレス、ほんとにいい子だ。優しい子だ。でも、でも、でも間違ってる、死んじゃ駄目だ」

「でも僕いらないでしょ」

「いるよ!」

 さらにギュウギュウされる。

「苦しいよ」

「……ごめん」

 兄様の力がほわっとゆるまる。

 それでもあったかく抱きしめたまんま。

「ガレス、ガレス、兄様は、ガウェイン兄様はガレスが生きてないと生きていけないんだ」

「どうして」

「心が寂しくて死んじゃうんだ」

「大変!」

「そう、大変なんだ。大変だから、だから死なないで、死なないで、ガレス」

「でも僕、汚れたクズの子だよ。父様の子じゃないよ」

「関係ないよ。ガレスは母様の子だろう?」

「うん。それは……それはそう」

「だから大事なんだ。母様の子なら、私の弟だ。違いなんかない。父様が誰でも関係ない。私の弟だ。間違いなく私の弟だ。だからガウェインの兄様はお前に生きていてほしいんだ。でないと死んじゃうんだ」

「そうなの」

「そう。生きてられない」

 目が熱い。

「ガウェイン兄様、僕が生きてないと死ぬの」

「ああ死ぬ。弱って弱って死んじゃうんだよ」

「強いのに」

「強いのはガレスがいるからだよ」

「僕、いてもいいの」

「いいよ。いなくちゃ困るんだよ。ガウェイン兄様がね」

「だったら仕方ないね」

 ごそごそ体勢を変えて、ガウェイン兄様に馬乗りになる。

 手の甲でペチペチ叩いて、にっこり笑いかけてあげる。

 頬っぺたが熱くて熱くて濡れてるけど、喋りづらいけど、でも、きちんと言ってあげる。

「ガウェイン兄様のために生きてあげる」

「ありがとう、ガレス」

 ガウェイン兄様は僕の身体を引き寄せて、またギュッと抱きしめた。

 ガウェイン兄様のために、ガウェイン兄様が死なないために、生きてあげなくちゃ。


 ガウェイン兄様は言った。アグラヴェイン兄様とガヘリス兄様を、キャメロットに連れて行くと。

「ガヘリス兄様はちょっと混乱してるんだ。キャメロットでいろんなものに触れてしばらくしたら心も落ち着くと思う。また、元に戻れると思う。だからちょっとだけ辛抱してほしい。ごめんね、ガレス」

 ガウェイン兄様もなんだか落ち着いてないけど。

 僕はガウェイン兄様にそっと抱きついて背中をさすってあげる。

「大丈夫、大丈夫だよ、ガウェイン兄様。きっとガヘリス兄様も良くなるから、大丈夫」

 背中をさすってあげてると、ピチャッと雨がひたいに落ちてくる。

 見上げると、ガウェイン兄様が滝のように涙を流していた。

「こんな、こんな、ガレス、ガレス……君のおかげで、君のおかげで。アグラヴェインもガヘリスも生きてたんだな。ガレス」

「何?何が?どういうこと?」

 兄様は僕をいったん離すと、かがみこんで僕に口づけし、僕の肩口に首をのせて僕を抱きしめて誓う。

「小さな騎士様。私の愛をお受けください。身体は違いますが、心は一つです。あなたの心が私の身体を動かし、わたしの心があなたの身体を動かすでしょう。離れていてもずっと側におりましょう」

 くすぐったい。

 丁寧な丁寧な言葉。

 でも他人行儀じゃなくてとっても側にいる言葉。

 僕もかしこまって言葉を告げる。

「大きな騎士様。あなたの愛を受けましょう。身体は違いますが、心は一つです。あなたの心が私の身体を動かし、わたしの心があなたの身体を動かすでしょう。離れていてもずっと側におりましょう」

 そう言ってもう一度、顔を見合わせて。

 誓いのキスを兄様と交わした。


 旅先の兄様から細やかに手紙が届く。

 手紙には「魔術師マーリン殿にいろいろ相談するつもりだ。銀の髪がさらさらで、青い瞳が透き通った空のようで、妖精のように綺麗な方なんだ。そして魔術の腕は凄まじい。そしてちょっと私に甘い。私は彼をとても頼りにしているよ」

 そろそろキャメロットに着いた頃かな。

 そう思って果樹園で空を見上げる。

 母様は寝室に閉じこもってるし、そっとしておいた方がいいとガウェイン兄様が言っていたからそっとしてる。

 いい天気だな。

 アグラヴェイン兄様がよく吐いていた林檎の木の横にある、一休みしていた木。僕が背中をさすり続けていたあの樫の木。その木陰に座り込んだ僕は空を見つめる。

 そよ風が気持ち良い。

 ガウェイン兄様が無事でありますように。

 アグラヴェイン兄様が無事で……

 後ろに気配!

 僕は前方と飛びすさって、短剣を構える。

 銀の髪さらさらの、青い目の、大きな杖を持った……魔術師!

「マーリン、様?」

「ん、そうだ。そなたガレスだな」

 やっぱり。

 警戒を解いて、短剣をしまう。

「なんだ。元気そうだな」

「うん?僕は元気だよ」

「あー……モルゴースはどこだ?」

「連れてくね」

 緑の柔らかなマントを引っ張る。

 マーリンは眉を少しあげてから、僕に引っ張られるままに付いてきた。

 母様の寝室の前に案内する。

 扉をトントントンと叩く。

「母様、マーリン様がおいでです」

「マーリン?!」

 部屋の中から声が聞こえ、すぐに扉が開かれる。

「やあ、モルゴース」

「入りなさい!」

 マーリンはマントを引っ掴まれて、部屋の中に引き込まれちゃう。ついでにバタンと扉を閉められる。

 もっと見ていたかったのにな。

 扉の前で待っている。

 するとすぐにバタン、と扉が開く。

 マーリンが出てきた。

「ちょっと失敬」

「痛ッ」

 僕の髪をプチッと一つ取る。

「失礼」

 マーリンが手で、僕の顔を一度、二度、三度撫でる。

「ではな」

 マーリンがまた部屋の中に戻る。

 扉を半端に閉めたせいで、キィキィと風で扉が動く。

 僕はそのまま待つ。

 待つ。

 待つ。

「えぇっ?!」

 母様の声。

 思わず部屋の中を……扉の隙間から見えるだけ見る。

 母様がマーリンに耳打ちされていた。

「ロトの、ロトの子なの?!ガレスが?」

 えっ?

「たしかにわたくし、ペリノアに襲われる前にロトと一夜過ごしたけど……本当に?」

 マーリンはあたりをキョロキョロして、僕の姿を確認して、頭を抱えた。

 マーリンがちょいちょい、と僕の方を指し示す。

 母様がこちらに気づいてハッとする。

「ガレス!」

 母様が走って部屋から出てきて、外にいた僕に飛び込むように抱きついてくる。

 僕の頬にすりすりと頬ずりし、思いっきり深く口づけた!

 アグラヴェイン兄様にしてたのよりは、全然短いけど、それでも。母様からのはじめてのキス。

「母様」

 母様は小さなキスを僕の顔に雨のように降らせる。

「ガレス、ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい、悪い母様だった、悪い母様だったわ」

 僕、僕、父様の子だったの。

 父様の子だったのね。

 母様は僕がペリノアとかいうのの子だと思ってたから、だから、僕のこと無視してたのね。

 父様の子じゃなければ、母様は愛せないということだったの。そうだったの。

 でも、モードレッドは……

 でも、母様、アーサー王のことはお好きだったみたいだし、そういうことなのかな。

 ペリノアとかいうのが大嫌いだったから。

 そうだよね。それはそう。

 母様も怖かったんだ。兄様たちがいつもガタガタ震えてみたいに。アグラヴェイン兄様がいつも吐いてたみたいに。

 僕が、慰めてあげなきゃ。

「大丈夫、大丈夫だよ、母様。母様もいい子になれるよ。きちんと反省して、行動を変えればいい子になれるよ」

「まあ……やっぱりガウェインみたいなこと言うのね」

 母様がにこにこ微笑う。

 こんな笑顔、僕に向けてくれたのはじめて。

「ガウェイン兄様が言ってたもの」

「あらあら……そう」

 母様が僕の頭を撫でてくれる。

 撫でてくれたのもはじめて。

「ふぇ」

「あら、あらあらあら」

 僕は声を上げてわんわんわんわん泣く。

「ガレス、ガレス、愛しているわ、ガレス。これからはたくさん一緒にいましょうね」

 母様はずっと僕の背中をさすりながら僕を抱きしめていた。


 僕が泣いている間にマーリンはいなくなっていた。

 そして、毎日が天国になった。

 母様がいつも一緒にいてくれる。

 母様と一緒にお食事。母様と一緒に遊べる。鍛錬の間は母様が見ていてくれる。

 母様がお仕事の間は遠くから見ている。すると、たまにウインクしてくれる。

 夜は母様が傍に寝て、僕の頭を撫でながらお歌を歌ってくれる。


 五月の女王 きょうもごきげん

 あたらしいのがやってきた

 あたらしいのがやってきた

 

 五月の女王 きょうもごきげん

 かわいいかわいいこどもたち

 わたしのかわいいこどもたち


「お母様は五月の女王様のお歌がお好き?」

「これはね、あなたのお祖母様が歌っていたのよ。だからわたくしこのお歌だーいすき」

 だーいすき、という言葉と一緒にギュウッと抱きしめられる。

 大好きなのは僕のこともだ。

 母様は僕が大好き。

 良かった良かった。本当に良かった。


 アグラヴェイン兄様が帰ってきた。

 母様が兄様にごめんなさいして、兄様がごめんなさいして仲直り。

 母様と僕が仲良しなことに、アグラヴェイン兄様はホッとした様子だった。

 あとびっくりしたことに、母様はアーサー王のお姉様だったらしい。僕たちは全員アーサー王の甥。キャメロットでは最大限に敬意をはらわれ、大事にされるのだそう。

 

 アグラヴェイン兄様は帰ってきたけど、ガウェイン兄様は帰ってこなかった。

 アグラヴェイン兄様は言った。「ガウェインはガヘリスと一緒に冒険に行った」と。


 僕は思い出す。

 ガウェイン兄様は言った。

 僕の父が誰かは関係ない。

 母様もガヘリス兄様も、そしてアグラヴェイン兄様もきっと。

 僕の父様が違えば愛してはくれない。

 でもガウェイン兄様にはそんなの関係なかった。

 ガウェイン兄様。ガウェイン兄様。

 僕はガウェイン兄様を誰よりも愛しています。ずっと。ずっと。誰よりも。


 ガウェイン兄様とガヘリス兄様は冒険につぐ冒険。ロジアンにまったく帰って来なかった。アグラヴェイン兄様はキャメロットとロジアンを行ったり来たりしていたけど。


 各地を冒険するガウェイン兄様の冒険譚はどんどんどんどん増えていく。

 吟遊詩人たちがこぞってガウェイン兄様の冒険譚を語る。

 ガウェイン兄様が初めての冒険で、間違えて乙女を殺してしまい、ひどく反省し、一生婦人に仕える騎士になったこと。

 モルガン叔母様がアーサー王を裏切ったせいで、モルガン叔母様の息子イウェインが同罪とされ、追放刑になる。するとガウェイン兄様は「彼だけをみすみす追放させはしない。我が従兄弟イウェインを追放するということは、私を追放するということだ」と自主的に追放の刑を負い、イウェイン卿と共にキャメロットを去ったこと。

 その後兄様はまたアーサー王の宮廷に復帰したこと。

 宮廷に乗り込んできた妖精の緑の騎士の挑戦をアーサー王が受けた。緑の騎士の挑戦は王の生命を損なう危ないものだった。ガウェイン兄様が肩代わりした。挑戦の結果は大成功。でもガウェイン兄様は、ほんの少しだけやってしまった失敗をどこまでも恥ずかしがった。ガウェイン卿が恥じ入るあまり、真っ赤に肌を染める。その様子が「あまりに健気で心をそそる」「ふるいつきたくなるほど魅力的」「あの完璧なガウェイン卿が弱いところがあるなんて最高」と宮廷の人たちが心を射抜かれ、ガウェイン兄様を応援する者みな緑の帯をつけたこと。……僕の兄様に劣情を抱くの本当やめてほしい。


 いくつもいくつもガウェイン兄様の冒険譚が降り積もっていく。

 僕も兄様に並び立ちたい。


 そんなとき、もう一人、異質な騎士の話が入ってきた。

 彗星のように現れた騎士の名は、湖のランスロット。

 彼の冒険譚も兄様と同じくらい謳われる。

 たとえば、グウィネヴィア王妃が攫われて、それを奪還しにガウェイン兄様と共に出た冒険。ランスロット卿は兄様が成し得なかった王妃奪還を果たし、その後敵に囚われたものの、無事に帰ってきて、敵を討ち果たしたとか。

 多数の馬上槍試合に出ても連戦連勝。乙女たちの心を鷲掴み。かの高名なるガウェイン卿もランスロット卿を評価して、観覧席で讃美の声を上げ、それが皆に語り継がれるだとか。


 ガウェイン兄様に讃美されるほどの騎士。

 僕も、僕もそうなりたい。

 ガウェイン兄様のような騎士じゃなく、ガウェイン兄様に讃美される騎士になりたい。


 思いを募らせとうとう僕は、ロジアンに帰ってきたアグラヴェイン兄様に「そろそろ僕の騎士叙任を」と話す。

 アグラヴェイン兄様はふうむと唸った。

「そうだな。そろそろだったな。俺たちは王の甥、あらかじめアーサー王からの騎士叙任を確約されてる。よし、じゃあ次、俺がキャメロットに行くときに一緒に行くか」

 えっ、それは面白くないんじゃないかな。

 ランスロットは最初は名も知れぬ騎士として活躍し、名を上げてから、ベンウィック王バンの子供であると名乗ったらしい。

 兄様も最初は名もなき騎士としてやってきて、アーサー王に勝利してから名を名乗った。

 名もなき騎士が実力を認められ、実は高貴な身分と明かす。

 人の心をとらえる冒険譚は、それだ。

 でも、アグラヴェイン兄様に話すと爆笑された。

「ハハハハッ!それはいい!俺としても大賛成だ!しかしだな。そもそもお前の顔はガウェインとガヘリスにすごく似てるぞ。あと俺にもちょっとな。フフ、ハハハハ!一瞬で『あ、弟だ』とわかる。フフ、いくら俺が黙っていても意味がない」

「えっ、そんなに似てる?」

「生き写しとまではいかんが、相当な。フフ、ハハハハハ!ケイあたりに速攻で突っ込まれてバレて終わりだ!アーサー王が喜んでお前の肩を打って騎士にしてくれるさ」

 騎士になるときは剣で肩を打たれて騎士になる。アグラヴェイン兄様やガヘリス兄様はアーサー王に肩を打たれて、騎士になってる。僕もそれに従えと。

 アグラヴェイン兄様は腹を抱えて笑い続ける。むううう、そんな笑わなくたって。

「ケイって誰?」

「ケイはアーサー王の血の繋がらない兄だ。なんだ、興味があるのか?なら教えてやろう。

 アーサー王は赤子のときに、王家からただの一領主のエクター卿ところに移された。そしてエクターに我が子同然に育てられている。アーサー王自身もエクター卿の子だと思い込んで育ってる。

 アーサー王がブリテン王になる剣を抜いたときは、エクターに『お前は私の子供じゃない』と言われてこの世が終わったと思ったそうだ。ブリテン王になれるのにな!家族の方が大事らしい。まあ、わからんでもないがな。

 ユーサー王の子だとわかったのは……母上と、アレだ、アレで、モードレッドを出産した後だとさ。マーリンに「実の姉だぞあれは」と告げられたらしい。マーリンも早く言ってやれよな。

 とにかくケイは、長年アーサー王が本当の兄だと思った人物だ。めちゃくちゃアーサー王に信頼されてる。

 そんなわけでケイは家令をやってる。宴の差配も、城で働く者の差配も、なんでもかんでもだ。

 家令はうちにもいるが……キャメロットと規模が違う。おまけにアーサーは王としての訓練など積んでない。俺のようにな。

 だからすべての仕事は全部家令のケイ頼み。そんな感じの信頼だ。いるか?そんな信頼。信頼のおかげでケイは過労。

 よってケイは死ぬほど口が悪い」

 ンフッ!

 思わず笑ってしまったので、アグラヴェイン兄様も得たりとばかりに語り出す。

「宮廷に騎士が挑戦に来たらケイがまずは相手になる。決闘でも、口喧嘩でもな。あいつに勝たないとなんにも始まらない。門前払いだ。まあそこまでは強くはないがな。

 あいつをぶっ倒してからやっとアーサー王宮廷の門が開く。そんなもんだからあいつの紋章は『鍵』なんだ」

「へえ」

 アグラヴェイン兄様は柔らかい表情になる。

「とはいえ、嫌な奴じゃあない。そもそもアーサー王宮廷が誰にでも開かれていたら大問題だ。円卓の騎士に不心得者はいらんからな。たとえ身分が低かろうと実力さえあればアーサー王宮廷は門を開く。実力だけが必要なんだ」

「でも、僕たちは実力なくても入れるんでしょ」

「俺たちは特例だからな。まあ……実力も持ってるわけだが」

 もちろん。

 アグラヴェイン兄様も一日たりとも鍛錬を欠かさない。

 あの一番憔悴していた時期ですら、早朝にガウェイン兄様が引っ張りだした鍛錬で、アグラヴェイン兄様は誰よりも早く壁を登り切っていた。まあガウェイン兄様が監督じゃなくて、一緒に競争していたらわからなかったけど。

「だからケイ卿は実力のない奴はアーサー王宮廷に入らせない。あいつはそういう門の番人だ。

 あと仕事熱心だな。九日九晩仕事ができるんだ俺は!と言って、馬車馬のように働いてる。本当に九日九晩仕事をする。まああれはなんかしらの特殊能力だな。どこから授かっているのか知らんが。うちの兄と一緒だ」

 そう、ガウェイン兄様の力は異様に強い。

 なにかの加護を受けているのか、太陽が出ている間、特に日の出から正午までの時間すさまじく力が強い。正午からはやや弱まるけど、それでもやや、だ。普通の騎士よりははるかに及びもつかないほど強い。

「アグラヴェイン兄様はケイ卿が好きなんだね」

「ンンッ?!」

 アグラヴェイン兄様が咳き込む。

「いやいやいやいやいやいや、あいつは顔はとんでもなく良いが表情が最悪で、表情で全部帳消しにするような奴だぞ」

「とんでもなく顔が良いんだ。アグラヴェイン兄様、すんごい面喰いだから相当だよね」

「私は面喰いでは決してありません」

「アハハハハッ!」

 大きくなってくるとわかった。

 アグラヴェイン兄様は、皮肉を言う時とふざける時に他人行儀になる。

 ああもちろん僕たちに対しての話だけど!

 それにしてもケイ卿、興味湧いてきちゃったな。仲良くなれないかな。絶対アグラヴェイン兄様に似てる人でしょ。……それを言ったらアグラヴェイン兄様怒りそうだけど。

「まあ諦めろ。普通にアーサー王に騎士にしてもらえ。まあ大好きなガウェインお兄様に騎士にしてもらうのもありだと思うが」

 今度は僕が咳き込んだ。

「大好きなガウェインお兄様って……!」

「いや、違わないだろ」

「違わないけど、でも」

「ガレスも恥じらいを覚える年になったんだな」

 アグラヴェイン兄様がうんうんとうなずく。

「昔は素直で本当に可愛かった」

「今は可愛くないの」

「今もお前は誰よりも可愛いよ」

 僕の心臓が飛び出しそうになる。アグラヴェイン兄様、ときどき真顔で心臓が飛び出そうなことを言う。

「お前、俺の言葉に悶絶してたら、ガウェインの言葉を聞いたら死ぬぞ。あいつの人たらしは神がかりだ」

「知ってるよ……だから僕たち今こんなに幸せなんじゃないか」

「そうだな」

 アグラヴェイン兄様は本当に綺麗に笑う。綺麗に笑うようになった。

 昔の気の狂ったとき嗤い方を思い出すと戦慄する。母様を馬車に押し込めたときの直後。当時、僕は気づいてなかったけど。あとで思い出して戦慄した。兄様は明らかに狂っていた。母様をモノ扱いした、恐ろしい、兄様。

 正気に戻って、本当に良かった。

「というわけで、名もなき美丈夫の騎士!なんて冒険譚は諦めるんだな」

 そのとき柔らかな声がしっとり言った。

「諦める必要ないわ。面白そう。いいじゃない」

「母様!」

 母様が兄様の執務室に入ってくる。

 後ろについてきてるのはマーリン。

「また君は僕になにかやらせるのか」

 マーリンがげんなりと言う。

 マーリンは母様相手だと口の利き方が変わる。前にアグラヴェイン兄様にその話をしたら「あいつは母上に片思いしてるんだ」と言っていた。

「あら人聞きが悪い。あなたの力を有効活用する絶好の機会が来たのよ!僕の活躍の機会!と喜ぶところではなくて?」

「要はタダ働きしろ、じゃないか」

 やれやれとマーリンは首を振って。

「失礼」

 マーリンが声をかけ、僕の顔に手を当て、一度、二度、三度撫でた。

「はい、出来上がり」

「なにも変わってないじゃない」

と母様。

「そうだな、変わらん」

とアグラヴェイン兄様。

「君たち二人にだけはそのまま見える。正体を知っているからな。正体を知らない他の者からわからないようにする魔法だ。魔法を解きたい時には、相手に名乗ればいい。『ロト王とモルゴースの子ガレスです』と。それじゃあな」

「あ、待ちなさい!」

 母様の制止を聞かず、マーリンはアグラヴェイン兄様の影にヒュッと入って消えていった。

「逃げたわね」

と母様。

「あいつはなぜ俺の影を使うんだ」

とアグラヴェイン兄様が頭を抱える。

「『僕に好意を持ってる人の影は使い心地がいいんだ』と言ってたわよ」

 母様の言葉にアグラヴェイン兄様が悶絶してる。哀れ兄様、面喰い確定だ。

「よし、俺たちじゃ駄目なら他の奴に見てもらおう」

 アグラヴェイン兄様が話を逸らした。

「そうね。誰か、果実水を持ちなさい!」

 母様が大声で命令すると、侍女が果実水を持ってくる。僕が生まれる前からいる侍女だ。

 母様は、僕の背後から僕の両肩をそっとつかみ、侍女に質問する。

「この人はだれでしょう?」

 侍女は僕の顔をじっと見る。首を傾げる。

「すみません、奥方様。わたくしの存じている方ではありません」

 侍女とそんなやりとりをして侍女を去らせた後、アグラヴェイン兄様が同じように従者に質問したり、母様が雑用係に質問したりした。

 誰一人答えられない。みんな僕を知ってるのに。

 母様とアグラヴェイン兄様が盛り上がっている。

「すごいわね」

「さすがだな。妖精に騙された気分だ」

「我が息子はマーリンを素敵な妖精さんだと思ってるわけね」

「物の例えだ、母上……」

 兄様は顔を赤くして頭を抱える。

 どうやら僕は本当に、皆に別人見えているらしかった。


 アグラヴェイン兄様は先にキャメロットに向かい、僕は一足遅れてキャメロットに立った。

 大きなお祭りの五月の聖霊降臨祭の時は、円卓の騎士がアーサー王宮廷に集う。

 そしてその祭の日には、アーサー王が何か冒険のきっかけとなることがないと、食事をしない習慣だ。

 ……どうしても何もなかったら、吟遊詩人が冒険譚を語るらしい。

「アーサー王は冒険の匂いがするのが大好きなんだ。どう考えても狙い目だ。行け!ガレス!できうるかぎり、仰々しく派手に、印象的にやるんだぞ!」

 アグラヴェイン兄様が焚き付けてくる。

 僕は美々しい豪華な服を着て、連れてきた二人の従者に支えられるようにもたれかかり、アーサー王宮廷にヨロヨロと入っていく。まるで飢えて仕方がないように。

 さりげなく宮廷内を伺うと騎士たちの中にアグラヴェイン兄様がいる。ものすごくニヤニヤしてる。もう。

 ガウェイン兄様を探す。いた!

 ガウェイン兄様は相も変わらず奇跡のように美しい。人間たちの中に一人、大天使がまぎれこんでいるみたいだ。

 ガヘリス兄様もガウェイン兄様の傍にいる。ガヘリス兄様もとっくに騎士になっていた。大きくなったね、ガヘリス兄様。

 アーサー王は二人の従者に支えられている僕を見て、ワクワクと興味を示す。好奇心を抑えきれない感じだ。子供みたい。

「我が宮廷にようこそ。立派な若者よ。どうされたのかな?」

「王様に、三つの願いを叶えていただきたく参りました。ひとつは本日今すぐに。ふたつは12ヶ月後に。叶えることは王様の誉れとなりましょう」

「ならば言うがよい。叶えてみせようとも」

「では……。宮廷で飲み物と食べ物を与えていただきたいのです。12ヶ月の間ずっと」

「それはもちろん叶えてやるが、もっとほかのものでなくていいのか?そなたは身分が高そうだ。武具でも気前良く余はやろうぞ」

「いえ、それだけで十分です」

「それがそなたの望みならば叶えよう。ケイ卿!こちらの若者に食べ物と飲み物を」

「承知しました」

 僕が宮廷の片隅に来ると、たっぷり食事を持ってきてくれた。豪勢だ。すごく美味しい。

 周りのものはじろじろ、こっちを見てる。

 アグラヴェイン兄様はにやにやをしまって!

 噂のケイ卿は、僕の真横に座って、テーブルに肘をつき、ものすごく顔を近づけてこっちを見てる。

 薄茶色の柔らかな髪がウェーブしていて気持ち良さそう。つやつやとまつ毛の長いその奥には黒くて濡れたような瞳。整った眉。鼻梁も素晴らしく格好がいい。身体つきもしなやかで綺麗。

 マーリンがちょっと女性的なのと似てる。

 わぁ……アグラヴェイン兄様、こういうのが好みなんだ……

 僕が思いっきり見返しながら食事をしていると、ケイはものすごく嫌な顔をする。具体的に言うと、顔面の筋肉を滅茶苦茶に品悪くグッチャリ歪めた。

 うわ、野盗みたい。

「お前、何見てんだよ」

 うわ、面白!因縁つけてきた!

「お美しいお顔だなと讃嘆しておりました」

 ケイ卿がガタッと身を引いた。

 ウワァ、嫌そう嫌そう嫌そう。

「おちょくってるのか」

「心からの讃辞を申し上げているのです」

 お肉を飲み込んでから、ケイ卿の手を取る。

「あなたのお側にいられることが喜びです。以後、お世話になります」

 そのまま彼を抱きしめて頬にキス。

 おぉー!と周りからパチパチパチパチ拍手が上がる。

 なかなか幸先いい滑り出しだ。仲良くできるといいな……ッ?!

 ドターン!!

 いきなり僕は床に投げられ、叩きつけられていた。

 嘘でしょ。全然動作が読めなかった。

「舐めんじゃねぇぞ、下っ端!こき使ってやるからな!」

 ……強いよこの人!アグラヴェイン兄様!!

 見ると、アグラヴェイン兄様が人垣の中で爆笑している。

「ケイ卿、友好的に来てくれたものをそう無下にするものではない」

 まろやかな低音。うっとりして気絶しそうなほどの美声。

 その声と共に、人垣から一人の騎士が進み出てきた。

 鴉の濡れ羽の肩より少し長い黒髪はどこまでも艶やかで、その艶のきらめきだけで心臓は壊れそうに脈打つ。

 長くしっとりした睫毛の奥には、静かな湖面のごとき薄い碧のような不思議な色。それが揺れると共に、こちらの血流すら揺れる。

 見たこともないくらい大きく盛り上がった胸はふっくらとして気持ち良さそう。あれに抱きついたら極上だと思う。

 腰回りはきゅっと引き締まってして、お尻は大きいけれどこれもキュッと上がってて、身体中のありとあらゆるラインが綺麗。

 この人に抱かれたら、天国に昇った心地がするだろう。見るからにそれがすぐわかる。

 一言で言うと、色気の塊みたいな騎士が来た。

 ガウェイン兄様の神々しいのとは全然違う魅力だ。

 ガウェイン兄様は?どこ?

「ケイ卿、いきなり投げてはいけない」

 すると天啓のような優しくも厳しい声。

 きらきら輝く黄金の波打つ髪は豊かに腰まで伸びている。

 身体は大きくがっしりしているけど、全く人を怖がらせない溢れ出る慈愛と穏やかさ。

 大天使ミカエルのごとき騎士。

 ガウェイン兄様!!

 ああ、見惚れてしまう。兄様が一番。兄様が一番だよ!!

「あのなあ、俺は揶揄われたんだよ!」

 ケイ卿はプリプリして、人差し指でガウェイン兄様の胸を突く。

「そうなのか?」

 ガウェイン兄様が僕の方にずいっと顔を寄せる。

 兄様兄様久しぶりの兄様だ!

 思わずギューッと兄様の頭を抱き締める。

 周りがドヨドヨッと、どよめいた。

 しまった!

 パッと兄様を離すと、兄様は全くひるまずに僕の顔を覗きこむ。

「不思議だ、初めて会った気がしない」

 うん、いっぱい会ってるよ!

「は、初めまして、ガウェイン卿!」

「おや、これは私も知られているものだ。お初にお目にかかる。アーサー王の甥にして、ロト王とモルゴースの子、ガウェインだ。君は?」

 ああぁぁ、久しぶりの兄様。兄様。

 尊い兄様。

 兄様……好き……

 僕はそのまま気絶した。


 パチリ、と目が覚める。

「気がついたかよ」

 ケイ卿の声。

 なんか知らない部屋に寝かされてる。だいぶ質素な使用人の部屋。

「俺の部屋の隣だ。ガウェインが運んでくれた。感謝しとけよ」

 兄様……

 ジーンとしてたら、ケイ卿はガシガシ頭をかいている。

「なあ、名は?」

「言えません」

「またか。んな奴ばっかだ。あー、なら名前をつける。お前はボーメインだ。"美しい手"ボーメインだ」

「なんですかそれ」

「手が綺麗だからだな」

「なんですかそれ」

 僕は思わず笑う。

「ああ、人の噂じゃ人ってわからないものですね」

 なんだかこの人、めちゃくちゃ面白い。

「俺の噂ぁ?ロクなんじゃねぇだろ。なんて言われてた。言ってみろ」

「ものすごい美人。と面喰いの人が言ってました」

 ケイ卿が物凄い変顔をする。ウワァ美人もここまで崩れると原型わかんないや。

「アハハハハッ!」

「んあー、じゃあ、あれ、ただの噂の確認で見てたのか」

「そうですよ?なんだと思ったんです?」

「天然かよ……」

 ケイ卿がウェェェと吐き真似。

 ああ、面白い人だ。

 食べ物作戦にして良かった。僕はたぶん……

「とりあえず、お前の面倒は俺が見ることんなった」

 この人に面倒を見てもらえる!

「やった!」

「えっ、気持ち悪」

 うわっ、アグラヴェイン兄様がたまに言ってるやつだ。

 やっぱりこの人アグラヴェイン兄様に似てる。

「大好きですケイ卿!」

「俺は嫌いだよ!馬鹿、やめろ!」

 僕が抱きつくと、ケイ卿はひとしきり悪態をついたが、今度は投げ飛ばさずに大人しく腕におさまっててくれた。


 毎日厨房をお手伝いする、全然余裕の楽な生活が始まった。

 身体が鈍るといけないから、こっそり隠れて鍛錬していたらランスロット卿に見つかった。

「どうやら君はどこかの貴族か王族の子弟のようだ。実によく鍛錬しているね。私が付き合ってあげようか」

「本当ですか!お願いします!」

 ランスロット卿は早速付き合ってくれた。

 基礎の鍛錬をひたすらやってからの少し戦闘の、ガウェイン兄様やアグラヴェイン兄様のやり方と違い。

 ランスロット卿の場合、ひたすら戦闘、戦闘、戦闘、戦闘、嘘でしょ、戦闘しかしない!!

 僕が力尽きてバタン!と倒れると、ランスロット卿は兜を取ってアハハハハッと明るく笑った。

 うわぁ……見応えある。

 色気のある人って健康的でも色気あるんだな。ムンムンしてる。

「実に筋がいい。恐れ入ったよ」

 ランスロット卿からまったく勝ちの一つの欠片も取れませんでしたけどね!

「君は、ガウェイン卿を目指してるのかい?」

「あ、いえ。ランスロット卿を目指しています」

 ガウェイン兄様に!讃美される騎士!

「おや、君はガウェイン卿のことを大好きだろう?」

 アグラヴェイン兄様みたいなこと言う!

 肯定するの、恥ずかしい、じゃん。

「悪い悪い、恥ずかしかったかな」

 何、何なの、何でわかるの。

「いや、顔が真っ赤だから」

 僕の顔!勝手に赤くならないで!

「アッハハハハハ!押さえても何も変わらないよ!」

 ランスロット卿はヒィヒィ言いながら笑っている。

「失敬失敬。いやなに、嬉しくてね。大抵の人間が私と話してると話を聞いてなくて顔か胸か腰ばっかり見てるし、たまに股間も凝視されるし、なんか襲われるし、なんか襲われるし、なんか襲われるし……気が休まらないんだ」

「あぁ、わかります。でしょうね。色気の塊ですから、ランスロット卿」

「やっぱりそうなのか……」

 ランスロット卿が頭を抱える。

「自覚はちゃんと持たれた方がよろしいかと」

「持ってる。持ってるけど、私もどうしたらいいかわからない。剣を向けても襲われるんだ」

「それはいっそ斬ればいいのでは」

「女性なんだ……」

「それは斬れないですね」

 難儀な日々を送ってるんだな、この人。

「ボーメイン、友になってくれないか」

「僕で良ければ喜んで」

「助かる。普通に喋れる人、貴重なんだ」

 本当大変なんだな、ランスロット卿。


 そしてアグラヴェイン兄様も、僕が部屋で一人のところを狙って来た。

「元気か」

「元気」

「厨房は?」

「余裕だから、鍛錬をランスロット卿としてる」

「エッ」

 アグラヴェイン兄様はすごく嫌そうな顔をする。

「ランスロット卿苦手なの?」

「嫌いだ」

「どこが」

「評価が」

「え、評価悪いの?なんで?」

「良過ぎる!」

「ああ、そっち」

「ああそっち、じゃない、ガウェイン兄上が霞むだろうが、許さん!」

 うわぁ、アグラヴェイン兄様めんどくさい。

「そんなこと気にすることないんだよ、アグラヴェイン」

 いつのまにかガウェイン兄様がいる!ガウェイン兄様!ガウェイン兄様!

 僕が兄様に心の中で熱く歓呼の声をあげていると、ガウェイン兄様がフフッと微笑みかけてくる。

「やあ、ボーメイン。この名前をケイ卿がつけたと聞いてね。嫌じゃないかな」

「いいえ、むしろ嬉しいです。ケイ卿優しいな、と」

「おお、ボーメインはそれがわかるんだね」

「あれ、優しいかぁ?!」

 アグラヴェイン兄様が抗議する。

 僕も抗議し返す。

「優しいですよ。揶揄ってないとさえわかったら、抱きついても理不尽に投げ飛ばしたりしませんし。ケイ卿、皆さんから誤解されてると思います」

 ガウェイン兄様が拍手する。

「そうそう、そうなんだよね。ボーメイン、君すごいね!」

 ガウェイン兄様に褒められたっ!

「わからん、俺にはさっぱりわからん」

 アグラヴェイン兄様は頭をグシャグシャやってる。

 ガウェイン兄様がこんこんと言う。

「アグラヴェインはケイ卿を理解してはいないけど、ケイ卿が好きだからね。ケイ卿に冷たくはしないからまあいいよ。でも、できれば理解してくれるともっといいと思う」

「あれの何を理解しろっていうんだ」

 アグラヴェイン兄様がぶつくさ言う。

「えっ、わからないの?」

 あれだけ語りに語っておいて?

 僕が言うと、ガウェイン兄様が笑い出した。

「ど、どうしたの?」

「ア、アグラヴェインとも仲良いんだね。珍しい。ボーメイン、君、ガレスみたいだ」

 ギクッ。

 あ、アグラヴェイン兄様もギクッとした。

「あ、の、ガレスっ、て?」

 一応誤魔化してみる。

「私の最愛の弟」

 ガウェイン兄様が最強の笑顔で言う。

 眩しい。幸せ。死んじゃう。これ、死んじゃう。

「兄上、それくらいにしとけ、ボーメインが溶ける」

「えっ、なんで?うわっ、大丈夫?」

 僕はまた気を失った。


 そんな感じで、僕のキャメロットの生活はすこぶる順調だった。

 しばらくしたらガウェイン兄様に慣れてきて、失神はなんとかしなくなったけど、代わりに思いが溢れ出して洪水になりそうになる。

 そもそもなんで、ロジアンに全然帰ってこなかったの。兄様。


「兄上がロジアンに帰ってない理由?いや、あいつキャメロットにも普段滅多にいないぞ?」

 いつものように僕の部屋に来たアグラヴェイン兄様に訊いても、知らないみたいだった。

「いるじゃない、今。ずっと!」

「いや、今がイレギュラーだ。普段は滅多にいない。もう聖霊降臨祭とか万聖節とか復活祭とか円卓の騎士が召集されてるときしかいない。すぐに冒険に行く。あれは病気だな」

「そうなの?!」

「いや、病気かは知らんがな」

 うわぁ、雑……

「そんな目で見るな」

「おや、仲が良いな」

 あ、ランスロット卿。

「こんにちは、ランスロット卿」

「こんにちは、ボーメイン」

 ランスロット卿がいきなり横入りしたので、アグラヴェイン兄様が拗ねた。

「私が今話してるんだから、横入りしないでいただけませんかランスロット卿」

 うわ、アグラヴェイン兄様きつい。

「卿がいつまでもボーメインを独占しているから、こうせざるを得なくてねアグラヴェイン卿」

 ランスロット卿もきつい。

「け、喧嘩しないで!」

「してないぞ」

「してないよ」

 してます〜!

「と、とりあえず、アグラヴェイン、卿、ひとまず今日はこれで」

 アグラヴェイン兄様に退出をうながしてみる。

 アグラヴェイン兄様がすごくショックな顔をする。俺か?俺の方なのか?という顔。

 身内でしょ!ちょっと遠慮して。

「今日ロジアンに発つから、別れをと……」

 アグラヴェイン兄様がボソボソと呟いて、僕は真っ青になった。

「う、嘘!ごめんなさい!ごめんなさい、アグラヴェイン……卿」

 アグラヴェイン兄様に抱きつく。

「急な旅立ちだね」

「そうでもない、お前がキャメロットに来たのを見て一ヶ月。心配で滞在を引き伸ばしてたんだ。でも母上から催促の手紙が来てな。いい加減手が回らないから早く帰れと」

「ごめんなさい。行ってらっしゃい……寂しいよ」

「ああ、俺もだ、……ボーメイン」

 兄様言いかけたね、僕の名前。でもよくできました。

 兄様は僕のひたいに口づける。

 僕も兄様の頬にキスを。

 兄様、兄様、僕、大丈夫かな。

 アグラヴェイン兄様が去っていく。

 寂しい、というより心細い。

 するとフワッと後ろから抱き締められる。

「ボーメイン」

 わ!わ!ランスロット卿。

 いたの。いたね!そういえばね!

 うわ、お胸フワフワ。当たってる背中の感触が良い!

「私がいるから寂しがらなくて大丈夫だ」

「……ランスロット卿、それ他の人に言わないでくださいね」

「君にしか言わない」

 うわ、このセリフ余計不味いやつ。

「やあボーメイン、ランスロット卿」

 ガウェイン兄様?!

 ちょ、ランスロット卿、どいて!うっわ力つよ!動けない。

 仕方なくランスロット卿から抱きしめられたままガウェイン兄様に挨拶する。

「こんにちは,ガウェイン卿」

 ガウェイン兄様が僕とランスロット卿の様子をまじまじと見る。

 背中から覆い被さってきてるんだよね、ランスロット卿。重い。

「仲が良いね」

 誤解です、誤解です兄様。

「ああ、貴重な友なんだ」

 ランスロット卿、まぎらわしいこと言わないで!

 あ、ガウェイン兄様に報告しなきゃ。

「あのアグラヴェイン……卿が、もうキャメロットを発つとおっしゃっていて」

 ガウェイン兄様は目を丸くする。

「そうなのか?じゃあ見送りに行かないと、失礼」

「ああ」

 ランスロット卿はひらひら手を振り、ガウェイン兄様はすぐアグラヴェイン兄様を追っかけていってしまった。

「ええん、ガウェイン……卿ぉぉ」

「うーん、ボーメインはいいなあ」

 ランスロット卿はしみじみ言う。

「なにがですかあぁ」

 ガウェイン兄様がアグラヴェイン兄様見送りにいくのは仕方ないけど、仕方ないけど……ランスロット卿がいなかったら僕も一緒にもう一回行けるのにいい。ランスロット卿を連れて行ったらアグラヴェイン兄様絶対嫌な顔するでしょ。

 でも離れろとも言えないし。

 別にランスロット卿が嫌いなわけじゃない。

「尊敬はしてるんですよね……」

「ん、なにが?」

「ランスロット卿のこと。尊敬はしてるんです」

「それはありがとう。……尊敬『は』とは?」

「仲が良いわけじゃないです」

「悪かったのか?!」

 パッと僕を解放する。

 思わず振り向くと、さっきのアグラヴェイン兄様みたいなショックを受けた顔。

「あ、いや、ごめんなさい、悪くはないです。悪くはないです。ごめんなさい」

 ランスロット卿が吹き出す。

「わかってる。大丈夫大丈夫。ガウェイン卿が好きだから誤解されたくないんだね……私とのことは誤解なのか?」

 ランスロット卿がはて?と首を傾げる。

「誤解でもないですけど、なんでしょうね?」

 僕も首を傾げる。

「お前ら兄弟みたいだな」

 あ、ケイ卿!

「こんにちは!」

「おう、こんにちは」

 ランスロット卿がギョッとした顔で目を剥く。

「ケイ卿が普通に挨拶した……?」

 ランスロット卿は怖いものを見た顔でイヤァァァという顔をしている。

 ック。

「アハハハハハ!」

 僕が笑うとケイ卿が拗ねて言う。

「なんだよ、人を亡霊みたいに」

 あれ?ランスロット卿。

「ランスロット卿、あんまりケイ卿と仲悪くないんですね」

「え、私はケイ卿のことは好きだよ」

「やめろ、俺はお前のことは嫌いだぞ」

「こういうとこがね」

 ランスロット卿がいたずらっぽい顔でニヤニヤする。好かれ過ぎると自分を嫌いな人が好きになるのか。

「ランスロット卿は自分を嫌ってる人が好きですからねえ……」

「いやそれは違う。アグラヴェイン卿は嫌いだぞ」

「僕はアグラヴェイン卿だーい好きです」

「本当お前さん変わってるなぁ」

 ケイ卿がやれやれといった風情で言う。

「アグラヴェインとランスロットとガウェインを手懐けるとは。よりによって猛獣ばっかり」

「ガウェイン……卿は猛獣ではありません!大天使様です!」

「主張するのそこかよ」

 ケイ卿がウエエエと嫌そうな顔をする。

「まあケイも猛獣だしな」

 ランスロット卿がニヤニヤして言う。

 えっ?

「エッ、どこが?」

「そうだろう?」

 ランスロット卿が言う。

「全然そんなことないですよ」

「じゃあ、何?」

「え、うーん?うーん……兄様!」

 ケイ卿が吹き出す。

 ランスロット卿はニヤニヤ笑っている。

「弟さんが増えられましたね、ケイ」

「いらん!あいつだけでも手がかかるっていうのに」

 あいつって……ああ!

「アーサー王がですか?」

 たしかに好奇心旺盛な感じの王様だったけど。

 って、え?

「おお、兄さん。ここにいたか!」

 アーサー王!アーサー王だ?!

 アーサー王、母様の弟なんだよね?

 顔は似てるはずなのに似てない。ガウェイン兄様にも似てない。こう、全体的に雰囲気が。どっちかと言うとケイ卿っぽい。うわ、本当一緒に育った兄弟なんだな。

「うえ、来たよ」

 うわ、ケイ卿の方はげんなりしてる。

 アーサー王はすがすがしい笑顔だ。

「おお、ランスロット、ボーメイン。兄さんを返してもらうぞ」

「王の思いのままに」

 ランスロット卿がふざけて言うと、アーサー王はニッと笑ってランスロット卿の肩をポンと叩く。ランスロット卿は拳をちょっと上げる。息ぴったり。

 そして、アーサー王は座っていたケイ卿の片腕を引く。やれやれとケイ卿は立ち上がって、アーサー王と一緒に歩き出す。

「ケイ卿って呼べ、って言ってるだろ」

「正式な場所以外いいだろ、兄さん」

「あー、なんだよ。何かあったか」

「なにもないから暇!」

「俺は忙しい」

「クダを巻いてたじゃないか」

「休、憩!してたんだ! 」

「俺と休憩してよ兄さん」

 アーサー王に引っ張られてケイ卿は行ってしまった。

 わあ、懐かれてる。

「ようやく二人きりになれたね」

 ランスロット卿はもう帰ってください。


 アグラヴェインの兄様がキャメロットからいなくなって、五ヶ月。

 お金がなくなりそう。

 アグラヴェイン兄様からかなり貰ってたけど、ロジアンにいるときよりとにかくお金がいる。瞬く間にお金は減っていった。

 うう、どうしよう。

「お金がなくなりそうなんです。ランスロット卿。稼ぐあて、ありませんか……」

 ケイ卿にも言えないし、ガウェイン兄様には言いたくないし、ランスロット卿に言うしかない。

「ああ、ちょっと待って」

 ランスロット卿が一旦宿所に戻って、またやってきて。袋一杯の金貨といくらかの服をくれる。

 うわ、いいの?

「た、助かります。ありがとうございます」

「代わりに三ヶ月、いつもの三倍鍛錬に付き合って」

 鬼だこの人。


 三ヶ月経った。

 すると今度はガウェイン兄様がにこにこ笑顔で金貨の袋と質の良い服を渡してくる。

「君にお金を渡したら、三ヶ月、三倍鍛錬に付き合ってもらえるときいて!」

 エーン、ランスロット卿、バラさないで!


 二週間、僕の身体はバッキバキになった。

 そして腕がめきめき上がった。


「甘やかされてるねえボーメイン」

 厨房の楽々作業をしてると、ケイ卿が話しかけてくる。

「やっぱりそう思います?!」

「甘やかされ大王として表彰してもいい」

「自立したい……」

「それなら自分で稼ぐことだな」

「稼ぎ方がわからない」

 アグラヴェイン兄様みたいに領地から収入があるわけじゃない。もちろん、アグラヴェイン兄様にいえばお金は貰える。でもそれじゃ駄目だ。

 ケイ卿がうーんと考える。

「たとえば……ランスロットやガウェインを冒険に一回出すと、アーサー王あてに捕虜を十人は送り込んでくれる。そいつらの保釈金で財政は潤うな」

 そんなお金の儲け方してるの?!キャメロット!

「でもランスロットやガウェインから直ふんだくるのも悪くないと思うぞ」

「ふんだくるって言わないで……もう十分もらいました」

 とんでもない金額を二人とも渡してきた。

 全然、鍛錬に付き合うのなんか見合わない金額。

 なにより鍛錬なんて……僕から頼んでつけてもらうものじゃないか。二人とも、僕にお金をくれて鍛錬もつけてくれただけじゃないか。貰ってばっかり。情けない。

 こんなのじゃガウェイン兄様に讃美してもらえる騎士なんて程遠い。

「あー、気づいたか?」

「はい」

「ならばよし」

 ケイ卿にポンポンと頭を撫でられる。

「冒険で儲けてこい!」

 冒険ってそういう理由で行くの?!


 折しもキャメロットに来て12ヶ月。三つの願いのうち一つは貰って、残り二つ。

 そして今日は五月の聖霊降臨祭。

 ああ、アグラヴェイン兄様も来てる。

 そう、今日は何かが起こるはず。アーサー王が冒険を待ち望む日だから、誰かが何かを持ってくる。

 宴の準備が整った大広間に、一人の乙女が駆け込んできた。

「私の姉、女城主ライオネスを赤の騎士が狙っています。赤の騎士は、嫌がるお姉様に結婚を強いる不届者。どうかアーサー王宮廷の騎士の方、ご助力を!」

 ああなんておあつらえ向き。

 僕は進み出て発言する。

「陛下。どうかわたくしにかつてお約束いただきました、残り二つの願いを叶えてくださいませ」

 アーサー王も好奇心満々にうなずく。

 うわあ、本当に冒険好き。

「うむ、言うてみよ」

「ただいま、そちらにいらした乙女の冒険をどうか私に引き受けさせてください。それが二つ目。

そして私が旅立った後、一人の騎士にその後を追わせてください。私が望んだとき、その騎士に私を騎士にしていただきます。それが三つ目」

 誰かを騎士にするのには騎士なら誰でもできる。貴婦人でもできる。

 でも誰にしてもらうかは重要だ。

 本来のアーサー王にしてもらうのはそれはもちろん最高の誉れに近い。

 でもそれは僕なら順当な段階になってしまう。

 運命を自分で変えるものこそ、冒険譚に謳われるべき騎士!

 アーサー王はうなずいた。

「うむ。叶えよう。して、どの騎士に追ってきてもらうつもりかな?」

「ランスロット卿に」

 オオォォ、と宮廷がどよめく。

 ランスロット卿が席を蹴って、立ち上がった。

 アーサー王は満足げにうなずく。

「ランスロット卿、頼めるか?」

「謹んでお引き受けいたします」

「うむ」

 アーサー王がまたうなずくと、やって来ていた乙女が叫ぶ。

「待って、この男は誰なのです?」

 僕を見て乙女が言う。

 この男。

 まあ、そうか。誰か隠してるもんな。

「厨房の下男ボーメインだ」

 ケイ卿がにべもなく答える。

「下男?!下男ですって?お姉様を安く見ないでちょうだい!どういうことなの?アーサー王宮廷では素晴らしい助力を得られるのではなかったの?」

「素晴らしい助力です!レディ」

 ガウェイン兄様が立ち上がって言う。

「私はアーサー王の甥ガウェイン。かのボーメインの実力は私もランスロット卿も認めています。そうですね、ランスロット!」

 ランスロット卿は腕を組み、鷹揚に二、三度うなずく。

「ですのでレディ、ご安心を」

 乙女は不承不承、承諾した。

 ありがとう、兄様。


 実際、冒険に出てみると、敵は驚くほど弱かった。

 ガウェイン兄様やランスロット卿はおろか、アグラヴェイン兄様やケイ卿にも及ばない。

 そして、しばらくキャメロットから距離を取ったところで、追いついてきたランスロット卿に告げる。

「僕を、騎士にしてください。ランスロット卿」

「喜んで」

 ランスロット卿は言ってくれたが、ふと、手を止めた。

「でもその前に、君が何者かだけは聞かせてもらうよ」

「ええ、お教えします。『ロト王とモルゴースの子ガレスです』」

 マーリンの解呪の言葉を言う。

 すると、ランスロット卿の目が驚愕に見開かれた。

「君は……君は……本当はそんな見た目をしていたのか!」

 マーリンの魔法で認識をおかしくしてたんだからね。

「ちなみに、もともとどう見えてたんです?」

「もともと?もともと……」

 ランスロット卿が意識を辿る。

「いや、待って。混乱してきた。記憶の中の君が今見た君に全部塗り替えられている。どういう魔法なんだい?」

「マーリンの魔法です」

「ああ……それなら仕方ない」

 ランスロットはがっくりとうなだれた。

「それにしてもガウェイン卿の弟御とは。さすがにそうは思わなかった。アグラヴェイン卿が懐くわけだ。合点が言ったよ。てっきりパーシヴァルの弟あたりかと思っていた」

 パーシヴァル?

「誰ですか、それ?」

「ああ、まだ彼はあまり有名ではないか。パーシヴァルの兄のラモラック卿と私は仲が良くてね」

「え、珍しいですね、仲良い方」

「君と同じだよ」

「え?」

「ラモラック卿はガウェイン卿が大好きなんだ」

「えっ、嫌っ……」

「アハハハハ!嫌と来たか。ラモラック卿も可哀想だな。ちなみにパーシヴァル、パーシヴァル卿もガウェイン卿に懐いてるよ。まあパーシヴァル卿の方は言って『懐いてる』という程度だ」

「えっ、ラモラック卿は違うんですか?」

「ガウェイン卿に惚れてる」

「やーだー!」

「アハハハハハ!」

「ちょ、笑わないで、ランスロット卿!」

 笑い事じゃないよ、もう!

 え、でも、ランスロット卿、君と同じ、って……

「惚れてるの?僕、ガウェイン兄様に?」

 ランスロット卿は困ったよう微笑って、僕を見た。

「なんだ、自覚、やっぱりなかったのか」

 ないよ。ないよ。だって、だって、兄様は兄様だし、男だし、そんなの、神がお許しに……

「君も神がどうとか思っているのか」

「う、わ、わかんないよ……」

 ランスロットはやっぱり困ったように微笑ったままで、両手を広げ、柔らかく僕を抱きしめた。

「人が人を愛するのは素晴らしいことだよ」

 ランスロット卿の腕の力が強まる。

 少し、痛い。

「それを禁じるなら、禁じる教えの方が間違えているんだ」

 ランスロット卿の腕の力がギリギリとさらに強まった。

 痛い、痛いよ、ランスロット卿。

 どうしたの、ランスロット卿、ランスロット卿のことじゃないのに、ランスロット卿、

「ランスロット卿、ランスロット卿も誰かを、禁じられた人を、愛してるの?」

 ランスロット卿はパッと力を抜いて僕を解放した。

「まあ……ね……」

 うわぁ。

 見ると、ランスロット卿は頬を染めて、優しい顔で苦笑していて、すごく綺麗だった。

「大ロマンスだね……」

 こんな美しくて色気が匂い立ってる人、恋された人は一瞬で落ちるだろう。

「そう思うか」

「うん」

「応援してくれるか」

「うん!」

「ありがとう、ガレス」

 またランスロットは僕を抱きしめた。

 今度は羽根のように優しい力だった。


 ランスロット卿に騎士に叙任され、僕は冒険に舞い戻る。

 戦いに連戦連勝し、見事にライオネス婦人を赤の騎士から解放する。

 さらにその後の馬上槍試合で大勝利した。

 僕はその後、集まった皆の前で言った。

「『ロト王とモルゴースの子ガレスです』」

「……ガレス!」

 ガウェイン兄様の声。

 ガウェイン兄様が走ってきて、僕を抱きしめ、口づけする。

 ああ兄様、兄様、愛しています!

 兄様は僕を縦に抱え上げ、まるでトロフィーのように高らかに上げて、皆に見せびらかした。

「私の最愛ガレス!私の誇り!」

 見ていた皆は大歓声で手を叩き、僕たちを祝福する。

 皆は僕たちのことを仲の良い兄弟としか思っていない。

 ガウェイン兄様もそうとしか思ってないかもしれない。

 でも僕は幸せだった。

 僕は幸せだった。

 恋人でなくていい。

 血の繋がった弟がいい。

 たとえ、母様の血しか繋がってなかったとしても、僕には兄様と同じ血が流れている。

 それが僕の誇り。

 愛する兄様と同じ血。

 母様ガレスは幸せです。

 僕はとても幸せです。






 俺は戦争のまっただなか。

 通りがかった森の湖。

 美しい女に会った。

 こんな戦地に普通の女がいるはずがない。


 きらきら燦く黄金の髪。

 新緑のような緑の瞳。

 湖の水を浴びて。

 綺麗な裸体が奇跡のように浮かび上がる。


 俺は女神に会っているのか。

 女神は俺に気づいて近寄ってきた。

 女神は俺にのしかかってきた。

 ひどく幸せだった。

 女神は俺を愛した。

 愛して愛してねぶりつくす。


 女神の愛を受けて悦楽のとき。

 茂みの向こうから男が現れる。

 俺に対して剣を向け。

 俺から女神を奪い取ろうと。


 俺はすかさず剣を抜き、男を殺す。

 さあ、邪魔者は殺したぞ。

 さあ女神よ愛し合おう。

 しかし女神は俺の手をすり抜ける。


「ああロト、ああロト、わたくしのロト!

 おのれ、お前、殺してやるわ!」

 女神は邪魔者を大事に抱き。

 俺は頭に衝撃を受けた。


 意識が薄れる。

 ああ、女神、女神。

 お前は俺をもてあそんだか。

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