第22話 罰とカレー①
「——最近、生徒の事故の話が目立ちます。寄り道しないでちゃんと帰ってくださいね」
ホームルームが終わった。中條先生は難しい顔をして教卓でなにか作業をしているが、クラスの皆は帰り支度を始めていた。
時刻は午後四時半。いつもより時間が掛かってしまった。田辺にはホームルームが終わり次第、食堂に向かうように言われていたが、三人はバックれるつもりだった。
だから、ホームルームが早く終わってくれる事を期待していたが、そう都合よく事は進まなかった。
先に逃げてしまうのが安牌だろう。既に帰り支度は済ませているので、二人を連れてさっさと帰ってしまおうと、ハルは二人に目配せをする。
二人は掃除の事を忘れているのか、呑気に雑談していた。ハルは二人を急かして支度させる。
この時間だと、田辺がこっちに向かっていると思って間違いない。あいつは足が速いから、帰る姿を見つけられてもアウトだろう。
背中に着いてくる二人に止まるよう指示を出して、ハルは廊下の様子を確認すべく慎重に首を出す。
「おう、準備が早いなお前たち」
「げっ」
田辺は廊下で仁王立ちして待ち構えていた。
「なんだ。お前らまた何かやらかしたのか?」
絵里は我関せずと言った態度で、田辺に向かって歩いていく。英雄⋯⋯、絵里に伝え忘れたな。恨めしく英雄を睨むとバツが悪そうに頭を掻いた。席が近いから伝えておくって言っていたじゃないか。
そのまま田辺の横を通り抜ける絵里は制服の首元を掴まれて、潰されたカエルのような声を出した。
「っ、なにすんだ!」
首が締まって絵里は怒る。
「はぁ……お前ら、ちゃんと伝えておけと言ったよな。宮田、お前らは昼休みに騒いで食堂に迷惑をかけただろ。罰として放課後は食堂の掃除をしろ」
「えぇ、めんどくせ」
強面の田辺相手でも臆することなく、掴まれた手を振りほどこうとジタバタと暴れる絵里だが、田辺は余裕のある表情で離さない。田辺は呆れた顔をしながら続けてこう言った。
「どうせ今も、俺に見つかる前に帰ろうとしていたのだろう。今日は食堂を新品同様に綺麗にするまで俺が監督してやる。間違っても逃げようとするなよ」
バレていたか。アニメみたいにプール掃除であれば、サービス回のひとつ期待して、やる気も出るってものだが、食堂じゃあうま味がないし、やる気も出なかった。
目尻に深いシワを作りながら笑うと、某地球最強の男のような隆々とした身体を大きく広げ、逃げ場を塞いだ。掴まれたままの絵里は為す術なく、宙ぶらりんである。
こんなに廊下は狭かったかな、とハルは息を飲んだ。いよいよ逃げられる気がしなかった。
「ははは、まさか逃げようとなんて思っていないですよ。だからこうして俺たちは直ぐに支度を済ませて教室から出たんじゃないですか」
もちろん嘘だ。田辺が隙を見せた瞬間に逃げ出してやるつもりだ。
「あの、田辺先生。他の生徒が帰れなくなっているのでそろそろ……」
「悪いな」
中條先生の言葉で田辺が廊下の端にずれた。チャンスと見たか、絵里はそのタイミングで一気に駆け出して逃走を図ろうとしたが、田辺は手の力を抜いておらず、またしてもカエルみたいな声を出していた。
「いい度胸じゃないか宮田ァ。お前は俺が直々に掃除のやり方を教えてやろうじゃないか」
「嫌だ。放せ———!」
首元を掴まれたまま廊下を引きずられていく絵里を見て、ハルと英雄も諦めて田辺の後ろに付いていった。
厳しい監視の目を盗むことは出来ず、気が付くと掃除も終わっていた。
時刻は午後六時半。二時間で広い食堂を掃除できたのは、要領の悪い三人を見かねた田辺が手伝ってくれたからだ。
すっかり外が暗くなってしまったので、帰りは田辺が車で送ってくれると言った。
鍵を取りに行った田辺を職員用の玄関の前で待っている。昼間は温かいが夜になるとまだ肌寒く、ハルはポケットに手を突っ込んで背中を丸めた。しばらくすると、田辺が出てきて一緒に駐車場に歩いた。
キーのボタンを押すと、真っ白のワゴン車のライトが点滅する。田辺は三人に少し待つように言うと、荷物で一杯の後部座席の整理を始めた。
サッカーボールや野球のバッドにフリスビー、様々な遊び道具が散乱している。マットにこびりついた泥の汚れと、車のサイズからして子供は二人くらいだろうかとハルは予測した。
整理が終わり車内へと乗り込む。全員が後ろに座ると寂しい、と言いハルは助手席に座った。
「タバコいいか?」
そう言いながらも既にタバコは口に咥えられていて、一応確認を取っているだけで三人の返事はどうでもいいようだ。
「別に気にしないですよ。慣れてますし」
タバコの匂いは嫌いじゃない。父さんもお袋が見てなければ、よく車で喫煙していた。
「最近はタバコも高くてよ。それに禁煙ブームだ。来年は学校の喫煙所が撤去されるって話だ、肩身が狭くて肩が凝っちまうよ」
それに嫁にも口うるさくてな、と苦笑いする。
「なのに車で吸ってるんですか? 奥さんに怒られちゃいますよ」
「だから俺はこれなんだよ」
「あぁ、アイ〇スですか」
ひらひらと見せるデバイスはペンの形をしていて、小さく白色のライトが点っていた。タバコの葉を燃やして吸うのではなく、加熱して水蒸気を吸う近年流行りだしたタバコだ。
「よく知ってるな。もしかして隠れて吸っているんじゃないだろうな」
「町中にあれだけ広告があれば嫌でも目に入りますよ」
「紙に比べて匂いがあまり残らないらしい。だから車ではこれだ」
「吸ってない人からすれば、どっちにせよ臭いらしいですけどね」
「嘘だろ……」
本体の点滅していたランプが消える。田辺は運転しながら器用にカードリッジを取り外すと、アイコス特有の焼き芋のような香りが車内に広がった。
「お前らはアホなりに掃除を頑張ってくれたからな。今晩の飯は俺が出してやる」
「やったー。腹減った! 腹減った!」
後ろで絵里と英雄と肩を組んで、足をじたばたさせてはしゃいでいる。それをハルはバックミラー越しに見て、微笑ましく思った。
「俺のお気に入りの店だ。コースだから金額がわかるし、楽しんでくれ」
「先生は食べないんですか?」
「あぁ、嫁が飯を作っているからな。外食して帰ったら怒られる」
「それは大変だ」
ハルは役者のような仕草で肩を竦めた、やはり結婚すると自由が制限されてしまうのだろうか。よく聞く言葉だが、今のハルにはいまいちピンとこなかった。
「まあな。ただ、うちの嫁は料理が上手だからな。家で食う飯も悪くない」
田辺の横顔を覗く、その表情はどこか誇らしげに見えた。
「カレーが嫌いな奴いないよな。インド料理やなんだけどな、そこらのチェーン店のカレーなんか食えなくなるくらい美味いぞ」
ナンが食べ放題なんだぜぇ、と歯を見せて田辺は笑った。
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