第19話 絵里の春休み⑦
ウエイターに注意される姿が映っていた。
正直な話、話がヒートアップしていく段階で、他の客が迷惑そうに覗き込んでる姿に気が付いていた。その場にいないし、怒られている三人を見たかったのであたしは黙っていた。
注意されながら、白々しい態度の二人とは対照的に、楓姉ちゃんは真面目な性格ということもあって、二人の分までしっかりと頭を下げて謝罪していた。
初老のスタッフも、まさか店内で騒ぐ迷惑客から、こうも常識のある謝罪をされるとは思っていなかったようで、困った様子で白髪混ざりの顎髭を触っていた。
店員が去った後、他愛もない話題に戻る。
「そういえば絵里ちゃん。二人のロッカーを開けたんだってんね」
「ふふふ、余裕だったよ。二人の性格を分析してね」
「なに偉そうにしてんだ。俺だってやろうと思えば簡単だぜ」
「どうせ、片っ端から全部の数字を試すだけでしょ」
「流石だぜ、ハル。その通りだ!」
ハルに言い当てられた英雄は大げさに笑う。アホだ。
「すごいわー。どうやったのか教えてよ」
むふふ、楓姉ちゃんも興味津々だ。仕方ない、特別にあたしの推理を披露して差し上げよう。
「そんな大したことないよ。簡単さ、まずハルの性格的に———」
できる限りかっこよく、事細かに、少しだけ誇張して、探偵が推理を披露するかのよう説明した。あたしの偉大な推理にハルは黙り込んでいる。どうやら思考が読まれて悔しいらしい。
「つまり、そういった理由で解除できたって訳。ねっ、簡単でしょ」
「おぉ、絵里のくせにやるじゃねぇか」
「すごいわ、絵里ちゃん。流石は私の妹だわ」
「そんなに褒めんなよ。あたしにかかれば余裕余裕」
さて、ハルはどんな顔をしているのかな。簡単に解除されちゃってさ。さぞかし悔しいかろう。
いつも偉そうに抗弁垂れるハルの惨めな姿を見るのが楽しみで仕方ない。あれでプライドの高い男だ。いつもあたしの意見に口出すお返しだ。
⋯⋯なんで、なんでハルはあたしの事を残念そうに見ているのだ。困り眉というのか眉まで含めて、まるであたしに同情でもしているような顔をしていた。
あたしの推理は完璧なはず、あんな顔で見られる意味がわからなかった。
「絵里、そんな仰々しく説明してもらって悪いんだけどさ……」
ふん、どうせ強がりを言うだけだ。どんな言い訳が出てくるか楽しみだよ。
「⋯⋯俺、そもそもパスワードを設定してないんだよ。ゼロが四つ、簡単だったでしょ、そりゃそうだよ。それ初期のまんまだもん」
………………。
身体を構成するおよそ六割の水分が、まるで電子レンジの中でマイクロ波を当てられたかのように熱を帯びる。体温が上昇し、身体が火照っていることを自覚する。次第に視界は徐々にぼやける。自分が何を見ているのか、もはや分からなくなっていた。
「うわぁ、だっせぇ」
「こら、ひー君。そんなこと言ったら可哀そうでしょ」
ううう……誰か、殺して……。
今すぐ電話を切りたい。だけど、ここで電話を切ってしまうと、あいつらが帰ってきたときに顔を合わせづらい。ここは耐え忍ぶことしかできないの?
「じゃ、じゃあ、たまにはこっちに帰ってきなさい。お姉ちゃん、絵里ちゃんが帰ってくるなら北海道から飛んでくるから。
「さてと、もちろん姉ちゃんのおごりなんでしょ」
泣き出しそうな気持ちを堪えているあたしを放って、三人は会計の準備を始める。
「じゃあ、またお話しましょ。ばいばい絵里ちゃん」
電話が切れた。一方的に。
テレビも付いていない、何の音もない部屋にあたしは一人だった。
「うう、恥ずかしい……」
四日目
あたしは初日に手に入れた食料を、大切に、慎重に計算し計画的に食べた。何とか三日を凌いだ。食料は――持ってあと二日だろう。十分に食べることが出来て、という話ではない。死なない程度の話だ。
あたしはこの生活にうんざりしていた。消費カロリーは極力抑えたい、だからスケボーで遊ぶ事も出来ない。
暇つぶしを兼ねて、どのウィールが一番長く回るか。ただ、ひたすら回し続けてはタイムをノートに記録し続けていた。
どんなにウィールが早く回ろうが、時計の針はマイペースに時を刻んでいた。
我慢も限界に達した正午。あたしは学園に向かった。
ラジオは今日の最高気温が二十度を超えると言っていた。たしかに、外に出ると温かい、久しぶりに太陽の光を肌で感じる。
学園の裏山には日差しの良く当たる丘がある。あたしはそこでお昼寝をした。目を覚ますと思いの外、汗を搔いていることに気が付いた。お腹に何かが乗っている。頭を上げると、三匹の猫があたしの身体に身を寄せていた。
新たな友を見つけて、虚しさと寂しさが解消されたが、あたしの食糧事情は悪化したのであった。
冷え込む夜が続いている。十分に食事を取れていないせいもあるだろう。暖房の効いていない部屋は身体に堪えた。あたしは野良猫たちを部屋に招き、風呂に入れ、猫の体温で暖を取り眠った。
五日目
飢えのせいか感覚が研ぎ澄まされ、隣の部屋の蛇口から落ちる一滴の水の音さえ鮮明に聞こえるようになっていた。
自分の中の野生の本能が目覚めていくことをあたしは気が付き始めていた。
部屋にいると退屈で死にそうになるし、グーグーと鳴る腹の音が気を狂わす。だからまた、あたしは野良猫を連れて裏山の丘で昼寝することにした。
肌寒さを感じて起きると、空は鬼灯のような橙色になっていた。
そろそろ帰ろうかと、まだ隣で寝てる猫たちを揺すると、森の奥から甘い香りがしてきた。
山道からは外れたところ、匂いのする方角に舗装された道などなく、よく見ると踏みつけられて踏み折られた雑草が、微かに一本の道を作っていた。けもの道と言うやつだ。
学生が普段立ち寄る事のない場所だ。天狗でも出てきそうな薄暗い森の中をあたしは猫と共に進んだ。
やがて開けた場所に出た。こんなところがあるなんて知らなかった。そこには自然の中には余りにも不自然で綺麗なビニールハウスが建てられていた。半透明のビニールを覗き込むと、中には大きく育ったいちごが山のように実っている。
施錠はされていなかった。魅惑的な甘い香りに誘われて、あたしは我慢できず中に入ると、我を失うように食らいついた。
ビニールハウスの中は暖かかった。久しぶりの満腹感と幸福感はあたしを眠りに誘った。
次の日の朝。身体を揺すられて目が覚めると、学園長がいた。
聞けば、ここは学園長が趣味で建てたハウスで、仕事前に様子を見にやってきたのだ。
そこで、ビニールハウスの中で野良猫と寝ているあたしを発見したというわけ。
裏山の奥深く、理事会にも教員にも秘密にし続けて、長い年月をかけて建てたお手製のビニールハウスが、発見されるとは思っていなかったらしく大変驚いていた。
事情を説明すると学園長は呆れた顔をしたが、救いの手を差し伸べてくれた。そうして、あたしの極貧サバイバル生活は終了した。
最後の二日間は学園長の仕事の手伝いをして、報酬として三食のご飯を頂いた。
春休みの最終日。ハルたちが帰ってくる日だ。それは、最後のお手伝いが終わると学園長は給料と言って少しのお金をくれた。
あたしは現金の入った封筒を制服のポケットに突っ込んで、二人を駅まで迎えに行った。
終劇
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