第17話 絵里の春休み⑤

 大した苦労もなく、およそ三日分の食料が手に入った。僅かな余裕が心に生まれて、この学園でやりたかった事を一つ思い出す。


「折角だからあそこ行ってみよう」


 まっすぐ家に戻るつもりだったが、少し寄り道をしようと思った。


 文化部棟側から裏山の山道に繋がるステアに興味があった。高さこそあれ、傾斜の緩やかなこの階段には、シンプルな鉄パイプでできたハンドレールがあった。移動教室の際に見つけて以来、ずっと気になっていたスポットだ。


 裏山なんか普段立ち入らないし、実際に近くまで来たのは今日が初めてだったが、ハンドレール自体にグラつきも錆びもなく、雨ざらしにしては十分なコンディションだった。


 フロントサイドボードスライドしか持ち技がないけれど、これは動画に収めたい。


 まぁ、なんてことでしょう。リュックの中にワックスが入っているではありませんか。


 あたしはレールにワックスを塗り付けて、スケボーの腹でレールを何度か擦る。一つはワックスをムラなく塗るため。もう一つは何となく滑りの具合やレールの上での時間をイメージするためである。


 イメージした着地地点周辺の小石や枯葉を足で払い、スマホのカメラアプリを起動した。進入から着地までが綺麗に収まるように角度を調整する。


 フィルマーがいないのが悔やまれる。全体を画角に収めることが出来るのだから静止撮影でもいいけど、欲を言えばハルや英雄のようなスケボーのわかる人が撮る映像が欲しかった。


 準備が整う。授業中に何度もイメージトレーニングをしたが、いざ目の前に立ってみると恐怖を感じた。


 傾斜の緩いステアだし、着地点が見えやすいからと舐めていた。いくら傾斜が緩かろうと滑り降りるのには、それなりに勇気のいる高さだし、アスファルトもやや粗い。


 不安要素がネガティブな思考を生み出し、失敗した時のイメージが巡った。


 何度か逡巡した後、大きく息を吐いて頬を叩く。勇気のないあたしを奮い立たせる為のルーティンだ。目を瞑り自分の息の音に意識を集中させる。


 脳に溢れるドーパミンを自覚する。恐怖心が心の頃に沈んでいくと足の震えが止まった。失敗するイメージは成功に替わる。


「よしっ!」


 覚悟を決めてプッシュする。理想の速度に達して、デッキに乗った。頭で思い描いたライン上を滑り、あたしは最後の覚悟を決めて、感覚的にテールを弾いた。目線はレールの上。


 高く飛びあがり、右に肩を開いていくとデッキも勝手に着いてくる。九十度回転頃にはレールの上にデッキはクロスしていて、そのままの姿勢を維持すると、デッキの腹がレールに乗った。


 衝撃が足の裏に伝わる。理想的な形。視線の先は着地点を捉えている。スタンスは安定していて不安定感はなかった。背中に受ける風を心地いいとすら感じる。


 捻った身体を元に戻して着地姿勢を整えると、ドライブすることなく一発メイク。


 あたしってやっぱり天才?


 恐怖に打ち勝ち、最高のメイクを決めたこの高揚感。はち切れんばかりに脈を打ち続ける心臓、一秒はいつもより長く感じ、目に映るもの情報すべてが鮮明に流れる。スケートボードでしか味わえない感覚だ。もちろんバスケをしてた時だって興奮する瞬間はあった。だけど、一歩間違えれば大怪我に繋がる。このスリルがたまらないのだ。これはバスケに出来なくてスケボーにできることだ。


 減速しないまま芝生に突っ込むと、ウィールは土にハマって止まる。あたしの身体は慣性に逆らえずに吹っ飛んだ。


 今は地面に叩きつけられた痛みすら、気持ちが良い。危険に身を晒すことで。感覚が研ぎ澄まされる。自分で生成する天然ものの向精神薬だ。これだからスケートボードは辞められない。


「ひゃっほ—————!」


 あたしは人目も憚らず、腹の底から声を上げた。


 そのまま芝生に寝そべってみると春が来たのだなと実感する。日差しが暖かい。まだ冷たい風がタンポポを揺らす。心が洗われるような青色の空とそこに浮かぶ白い雲。うね雲は秋の空だけど、それに近い縞模様であった。


 あぁ、青の縞パンみたいだなー。スケボーは最高だ。



 家に帰りまず先にお風呂に入った。

 

 一日中滑り回れば汗もかく。蒸した靴下はさながら蒸しタオルのようで(上手くもなんともない)、これで部屋の中を歩き回りたくない。


 湯を張るのが面倒だったので今日はシャワーで済ました。下着を着て、髪の毛を乾かして、そのままベッドにダイブした。


 さっき撮影した映像を簡単に編集して、二人に送り付ける。


「さてと」


 返信を待つ間に今日の戦利品の確認をする。 テーブルに並べてみて、よくここまで集めたなと我ながら感心した。


 熊のグミ、パンの耳、カロリーメイトとお水、カップ麺とスナック菓子。それに取れたての卵と筍の炊き込みご飯。


 卵と炊き込みご飯はいつゲットしたんだって? 


 実は誰にも見られていないと思っていたレールスライド。これが意外に文化棟からよく見えたそうで、お料理研からメイクのお祝いに頂いたのだ。卵は知り合いの飼育員から貰った。


 足早い物から食べていくべきだな。となるとパンの耳、炊き込みご飯からだろうな。パンは夜って感じがしないし今夜の晩御飯をお料理研の炊き込みご飯に決めた。


 筍は大好きだ。あたしも八百屋の娘だ。季節の野菜についてはそれなりに詳しい。この季節はよくお母さんが夜ご飯に出してくれたっけ。


 電子レンジで温めて頂いた。味付けはあたし好みだったし、あたしのお腹を満たしてくれた。お料理研の女子生徒、涼宮さんと朝倉さんだったかな。ちゃんとお礼を言わないと。感謝の気持ちを込めて、借りたタッパーは丁寧に洗った。明日、返しに行こう。


 いい人が多くて助かった。都心に近いあたしの地元は他人に無関心だし、近所でも最低限の付き合いというのが普通だった。月城に暮らす人は誰とだって挨拶をする。思いやりのあるこの街が好きだ。


 あたしは人付き合いが苦手だけど、いつか人のために行動の起こせる人間になりたい。そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る