第15話 絵里の春休み③

 入学したての頃を思い出していた。


 折角の一人暮らしなら料理を頑張ろうと意気込んでいて、最初の何ヶ月かは柄にもなく商店街まで足を運んでは、八百屋さんとかお肉屋さんで食材を買っていた。結局は面倒になって、冷凍食品とかコンビニのお弁当に頼るようになったのだけど……。


 あたしの家は絵に描いたような日本の家庭で、家で食べる飯は毎回日本料理だった。毎日ご飯を作ってくれたお母さんに、今となっては感謝をしているけれど、心のどこかで朝にパンを食べる生活に憧れがあって、パン屋にもよく通っていた。


 そこのパン屋さんはパンの切れ端を、近くの公園のハトや池のコイの餌用として無料で置いてあった。一度だけ貰って、ハルと公園で餌やりをした記憶がある。


 これを貰えばお腹を満たせると思った。栄養面で言えば微妙なところだけど、炭水化物だしエネルギー補充にはもってこいだ。そもそも、我儘を言える立場にない事は、あたしも重々承知だ。


 パン屋に着く。なぜ、こんな田舎の商店街に開いてしまったのだろうと思うほどお店のデザインが凝っていた。都心にあれば高級なパン屋さんに見えるだろうし、西欧のおとぎ話のような店構えは、ココアちゃんみたいな可愛い女の子が接客してくれるのではと心が跳ねる。

 

 アンティーク調の扉の握りを引いて店内に入る。平日の午後、お客もいなくがらんとしていた。あたしの嫁候補の萌えキャラがお出迎え——するはずもなく、レジでスポーツ新聞を読んでいた冴えないおじさんがいらっしゃいと迎えてくれた。


 陳列された商品の中には既に売り切れていて、空のトレーもあったけれど、お目当てのパンの耳は残っていた。なにも買わないでパンの耳だけ貰うのは良心が痛むが、今のあたしに無駄な買い物をする余裕は無かった。


「おっちゃん。ハトに餌をあげたいんだけど、パンの耳貰っていっていい?」


 パンの耳の入った袋をレジの上に乗せた。店主は老眼鏡を外すと読んでいたスポーツ新聞から視線をあたしにゆっくりと移す。


「月城学園の生徒さんだね。本当は買い物してくれた人にあげている商品なんだけどね。こんな時間からハトに餌やりするお客さんもいないだろう。いいよ、持っていきな」


 聞いたことのある声、お昼休みに中庭に来るパン屋さんだ。気が付かなかった。


「ありがとう」


「珍しいね、今どきの女の子はハトに餌やったりしないだろう? これは大抵、お母さんの買い物に付いてきた小さな子か定年して暇な爺さんが持っていくんだよ。どんな生き物にだって優しくできるのは良い事だ。いろんな生き物が関わり合っているおかげで私たちの生活が成り立っているのだからね」


 まったくその通りだ。今、おっちゃんがあたしの命を繋いでくれたのだから。


「悪いね、おっちゃん。あたし今お金が無いからさ。このお礼は今度お金が入ったらするよ」


「えっ、もしかして自分で食べるわけじゃないよね?」


 しまった。本当の話をしたらやっぱり駄目だと言われてしまうかもしれない、店主の言葉を聞こえなかった振りをして店から出た。



 さあ、次はどこ行ったら食い物が手に入るかな——。

 

 パンの耳をリュックにいれて、目的地も定まらないまま、スケボーに片足を乗せた。


「ちょっと、ちょっと君!」


 おっちゃんが慌てるように出てきて、振り返る。


「ん?」


「余計なお世話だったらごめんね。これ、私の自信作で人気商品のメロンパン。時間があるときにでも食べてよ、美味しいから」


 ビニール袋に入っているメロンパンは黄金色に輝いて見えた。店主はあたしの前までくると手渡してくれた。


「いーの?」


「いいよ、これは私の百八の特技のひとつ、過剰サービスが炸裂しただけだよ」


「おっちゃん、ありがとう。いつかお金持ちになったらこのお店のパンを全部買いに来るよ」 


「ははは、それはやめてくれ。これでもうちの店は皆さんに愛してもらっているんだ。全部持っていかれたら困っちゃうよ」


 お客さんが来た時に全部売り切れていたら申し訳ないと店主は照れくさそうに鼻を掻いた。


「ほんとにありがとう。このお礼はちゃんとするよ」


「学校が始まったら買いに来てよ。いつも学生さんに儲けさせてもらっているからね」


「わかった。じゃあ、あたしは行くよ」


「はいはい。またのご来店をお待ちしております」


 少し進んでから後ろを振り向くと、店主のおっちゃんがまだ手を振っていたので、あたしも小振りにだけど手を振り返した。


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