第12話 ただの休み時間③
冷静になってみれば、英雄が失神しているというのに、誰一人として気にしていないこのクラスっておかしいんじゃないのか?
ハルはうつぶせに寝ている英雄に近づくと、彼の呼吸の音が聞こえて、ほっと胸をなで下ろした。このまま放っておいても問題なさそうだ。
「あなた達、うるさいわ。もう少し静かに出来ないのかしら」
水を差すように冷たい声で割って入ってきた女子生徒は中野夕莉。去年のハルのクラスの委員長だった。
氷のような声音は、雑音を搔き分けて真っ直ぐハルの鼓膜を振動させた。顔に息が掛かりそうな程、ぐっと顔を寄せると、委員長はその双眸でハルを捉えた。
「いい? 休み時間は騒ぐための時間じゃないの。あなた達はいつもいつも騒ぎを起こすけれど、ここは中学校とは違うのよ。この時間は予習や復習に使うべきだし、そうでなくても周りに迷惑を掛けるのは間違っているわ。そうでしょ?」
手入れのされた黒髪を手で払うと、床に伸びている英雄を呆れたように見下ろした。
自分がみんなを代表して注意されるのはどうかとハルは思ったが、絵里はこの場にいないし、英雄もまだ床で伸びている。仕方がないと諦めた。
「悪かったね、委員長。これからは注意するよ」
中野にこのセリフを言ったのは何度目だろう。
「今は委員長じゃないわ」
中野は去年で懲りたわと、遠い目をして言った。その悩まし気な表情を見て、ハルは素直に申し訳ない気持ちになる。中野に対して三人はたくさん迷惑をかけた。優秀だし、真面目でいい奴だ。本来ならばF組にいるような生徒ではない。クラス分け試験の当日に体調を崩さなければ、今頃もっと上のクラスにいたことだろう。
「止めようと思えば止められるのに、なんでしないのよ」
「見ればわかるでしょ。あれは普通の人間じゃ止められないよ」
二人はディザスター級だからね。魔王昇格も時間の問題だろう。
「おぉ、委員長じゃねーか。いったい何の話をしてるんだい」
意識が戻ったようだ。英雄は寝ていた身体をよいしょと起き上がらせる。
「気が付いたようだね。まだ受け身の練習が足りてないんじゃない?」
「普通、頭から床に落とされた時の練習なんかしねぇよ」
「それもそうか」
「ちょっと、私の事を無視しないでよ」
ハルと英雄と話し始めて、蚊帳の外に置かれてたように感じたのだろう。中野は明らかに不満な顔をした。
「そうだった。なんで委員長がここにいんだ」
英雄が中野に近寄ると、彼女は怯えるように一歩下がった。
「私もこのクラスだからよ」
英雄に負けじと強気に言葉を出すが、その声はやや弱い。まるで、路地裏で真面目な女子高生をナンパする不良みたいな絵面だ。
「絵里と英雄がプロレスしたから注意されてんだよ」
英雄にハルが補足する。
「プロレス? そんなことしてたっけな」
どうやって落とされたのかは覚えていないようだ。
「いいから謝っておけ。委員長に怒られてるとき、英雄が悪くなかった事がないじゃん」
「それもそうだな」
俺の言葉に英雄は素直に従い、ボウズ頭を掻きながら謝罪した。
「いったい俺はなにに謝ったんだ? ……絵里にやられてから——」
英雄は欠けた記憶を探しながら、自分の席に戻っていった。またしても、ハルは中野と二人きりとなる。眉間に皺が寄っていた。笑かせてやろうとハルは中野に爽やかスマイルを贈る。
「っ、本当にあなた達は私の事を馬鹿にして……。もういいわ。この件も先生に報告させてもらうから」
騒ぎの発端が英雄と絵里にあって、ハルにこれ以上何かを言っても仕方がないと悟ったのか、中野は自席へ帰っていった。
嵐の過ぎ去った後のような静けさだけが残った。
「も」とはなんのことだろうかとハルは疑問に思う。今回の他に報告されるような事件なんて起こしちゃいないはずだ。
中野と入れ替わるように、絵里が帰ってきた。何食わぬ顔をしていることにハルは若干の苛立ちを覚えた。
嫌がらせの意味も込めて「今回の件は絵里の評価に響くらしいぞ」と嘘を言った。
「そんな……悪いのは英雄だぞ」
絵里はしょんぼりと肩を落とす。
「絵里も今月くらいは大人しくしていないと駄目だよ。マジで貧乏な旅行になっちゃうから」
授業開始のチャイムが鳴り、二人は自分の席に戻った。
この一件、実に十分の出来事である。
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