第9話 妹との共同生活

「帰ったぞー」


 公園で滑った後、コンビニの駐車場で夜ご飯を食べた。ゴールデンウィークの旅行の計画を話し合ってから解散し、家に着いたのは十時頃だった。


 お風呂に入ってから、スケボーの手入れをしても、日付が変わる前には布団に入れそうだ。玄関にお尻をつくと、きつく結んでいた靴紐を解く。靴の隙間から砂と汗が混ざった匂いが鼻まで登ってきた。滑った後、必ず靴に消臭剤をかけているのに、臭いが落ちないのは何故だろう。


 春休み前までは、蒸れた靴下を履いたまま部屋に戻っていたが、今それをすると怒られてしまう。玄関で靴下を脱ぐと英雄はバスケの要領で洗濯籠に放り込んだ。それから、フローリングに足の跡を付けても文句を言われてしまうので、足を付けず赤ちゃんのようにリビングまで進んでいく。リビングの明かりが何故だか眩しい。目を細めて扉を開いた。


「おう、青葉。夜飯はもう食ったか?」


 今年からこの部屋で、英雄と青葉は二人で暮らす事になった。大学生の姉も一人暮らしをしていたが、高田家に三人分の家賃を出せるほど家計に余裕はなかった。少しでも両親の負担が軽くなればと、英雄はアルバイトをているが、生活の大半が両親からの仕送りで成り立っていたのも事実だった。


 兄弟で暮らす。何も問題なんてない。妹と暮らすなんて、まるで漫画のような展開だけど、現実はあんな甘い生活なんか送れない。気が許せるからこそ青葉の主張は強いし、上も下も女に挟まれた俺はそれが当たり前だったので、逆らう気も起こらない。


 一緒に暮らしている事をハルと絵里には話していない。別に俺は隠すつもりはないし、なんならたまに口が滑りそうになるのだけれど、青葉からは口止めされていた。


 パジャマ姿の青葉は布団の上にちょこんと座り、スマホを弄っていた。ケツの下のクッションはどうやら俺の枕のようだ。


 俺の帰宅に気が付くと、青葉は冷たい視線を向けてから立ち上がる。夜ご飯を作り置きしてくれたのだろう、と期待を込めて目で追ってみた。しかし、青葉はキッチンの方ではなく、目の前の椅子の上に登ると、俺を睨みつけるように仁王立ちになった。


「お兄。正座」


「えっ? さっきしたから正座はちょっと……、勘弁してほしいんだけど」


 青葉もバスケをやっているのだ。足首を捻った時のしんどさは知っているはずだ。青葉がいったい何に対して怒っているのかは知らないけれど、せめてもの情状酌量に期待したい。


「せ・い・ざ!」


「おっ、おう」


 なんの事だかも分からないが、英雄は痛む足首を我慢して正座する。いざ座ってみると足首の筋が良い感じに伸ばされて、ストレッチをしているみたいで気持ちが良かった。


「じっとこっちを見上げてなにを待っているの。謝ることがあるんじゃない?」


 青葉はそう言ったが、正直心当たりがない。下手に口を開けば、余計な事までバレて二重、三重に説教をされそうだ。かといって、黙っていても怒られそうなのでそれらしく答える。


「えーと、晩飯いらないのに連絡しなかったこと?」


「違う。私がお兄に夜ご飯を作ってあげたことが一度でもあった?」


 それもそうだな。英雄は顎に手を置いて考える。


「学校で、女バスの推薦で俺の妹が入学したって自慢げに話して回ったこと?」


「えっ、そんなことしてたの?」


 青葉は顔を赤くすると、ごほんと咳払いをした。


 後はなんだろうか……。青葉の歯磨きを間違えて使ってたこと。それとも、牛乳をこぼした時に拭いてた雑巾が実は青葉の練習着だったことだろうか。これは絶対に怒られる奴だもんなと英雄は唇を固く結ぶ。


「ごめん。マジでわかんねぇ」


 これ以上、自分で考えるのは危険だ。そう判断すると、英雄は諦めて全身で降参をアピールして青葉に謝罪した。


「はぁ……、なんでわかんないのかなぁ」


 青葉は呆れたようにため息を吐くと言葉を続ける。


「私が、怒ってんのはさっきの事。急に絵里さんの連絡とか困るからやめて」


「はぁ? つーかあれは絵里が勝手に――。つーかお前、絵里のこと苦手だったりすんの?」


「ちーがーう! 尊敬する絵里さんから電話を貰えたのに、こっちは何の準備もしてなかったの、折角連絡してもらえたのに失礼じゃん。言葉もしどろもどろだしマジ最悪! お兄がちゃんと時間を作ってくれれば、遅くなるなんて言わなくて済んだのに、有給使ってでも絶対に参加したのに……」


 女バスって有給あんの? 会社員みてぇだな。


 青葉は両手をじたばたさせて言葉を畳みかける。英雄は青葉の言っていることの半分以上理解できず、ひたすら顔色を伺っては相槌を入れるのが精一杯だった。


「絶対に嫌われたよ……。そしたらお兄がちゃんと責任取ってよね!」


「なんでだよ! 俺が何の責任を取るんだ。関係修復を取り持てばいいのか? はっ、もしかして俺がお前と結婚するって事かっ⁉ 兄弟の禁断の愛……」


「そんなわけあるか!」


「ぐはっ!」


 青葉の踵が俺の脳天に落とされる。


「本当にお兄は馬鹿なんだから。私これからどうすればいいのー」


「青葉、これだけは言える。絵里の奴は何にも気にしていない。何なら遅れてでも来てくれる事を喜んでいたくらいだ」


 ……たぶん? 絵里の考えてることなんてわからん。ただ、絶望したような顔をしている青葉にかける台詞はこれくらいしか思いつかなかった。


「本当に? 絵里さん、何も気にしてない?」


青葉は椅子から降りると安堵したように胸を撫で下ろした。それから上目づかいに覗くと、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。照明の明かりが瞳に取り込まれてゆらゆらとしている。零れ落ちてしまうのではないかと心配して英雄は青葉の両肩を支えた。


「あぁ、本当だ。そもそも、絵里はそんなんでいちいち怒ったりする奴じゃない。それは、お前もよく知っているだろう」


「……うん」


「よしっ、これで解決だ。俺は風呂に入ってくるぞ。みんなでお前の入学祝をするんだ。後で連絡してやれよ」


「うん!」


 俺は青葉の頭の撫でてやってから、お風呂場へと向かった。湯船に浸かり、疲労感を押し出すように息を吐くといくらかリラックスできた。


 目を閉じて今日という一日を振り返るとフッと笑いが起こる。まったく、顎と頭が痛いな……。

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