第2話 自己紹介①

 教室に戻ったのは三人が最後のようだ。他のクラスメイトは既に自分の席についていた。


「あなたたち、早く自分の席に座りなさい」


 教室に入るや否や初対面の担任の先生は、着席するよう淡白に促した。そういや始業式で新任の挨拶していたかもしれない。どうやら彼女がクラスの担任らしい。


 女性としては身長が高い方だろう。肩の下まで伸ばした赤毛の髪、綺麗に整った顔に黒縁の眼鏡はよく似合っていた。すらりとしたボディラインがスーツ姿を引き立てていて、凛とした大人の女性という印象を受けた。少しきつめの言い回しは教師らしさを意識してなのか。しかしまだ、ぎこちなさがあった。


 千春たちが席に着くのを確認すると、先生は全員の顔を確認するように見回してから話し出す。


「このクラスの担任を任された中條雨音です。科目は現代文。ベテランの先生たちと比べると頼りなく感じると思いますが、皆さんを精一杯サポートしていくつもりなので、よろしくお願いします」

 

 落ち着いた仕草でお辞儀をすると耳にかけていた髪がはらりと垂れた。


「早く皆さんと良い関係を築きたいと思っています。ですから、事務的な連絡は後にして、まずは自己紹介から始めたいと思います」


 そうして中条は改めて自己紹介を始める。この間まで大学生だったこと。趣味はカメラや読書、料理と自身について話し出した。五分程度話していたのだろうか。簡潔にまとめられた説明に彼女が何をしてきてどうして教師を目指したのか、それは彼女の物語の回想シーンを見せられているかのようにすっと頭に入って来た。きっと皆もそうなのだろう。話の上手い人だ。それが千春の感じた第一印象だった。


 「それじゃあ」と言い中條先生は手元の出席簿を開いて名前を呼ぶと、前列に座っていた女子生徒が立ち上がる。


「相生です。去年は一組で吹奏楽部に所属しています。出身は栃木です。人前で話すのは得意ではないのでこれくらいでお願いします。一年間よろしくお願いします」


 シンプルな自己紹介だった。しかし、千春は内心ほっとしていた。先生に続いて初めの生徒まで長々と話し出したら自己紹介のハードルの高さが確定してしまう。彼女が先陣を切ってハードルを下げてくれたことで教室を包んでいた緊張感が緩まったように感じた。


「次は——泉君」


 名前を呼ばれると相生さんに向けられていた視線が千春に集中する。皆、素性の知らない人間を知ろうと必死という感じだ。この自己紹介の場を利用して、これから一年間同じクラスで過ごす生徒を品定めしているのだ。


「泉千春です。去年は三組でした。みんなと仲良くできたらなと思ってます。よろしくお願いします」


 英雄らにからかわれるのは面倒だし、男は喋りすぎない方がクールだと思った。だから千春は簡素でシンプルに自己紹介を済ませた。


「おいおい、なんだか短くねえか?」


 とっとと着席してしまおうと考えていた千春に遠くの席に座っている英雄が茶々を入れやっぱり絡まれたと舌打ちをした。


「ハルはクールそうに振舞ってるがほんとは騒ぐのが好きなんだぜ。それから特技は木登り、ザリガニ釣りだ」

 

 英雄はその大きな声で千春の自己紹介に補足を入れる。なんとも格好の付かない補足だ。


「ぷぷぷ。ハルの奴、緊張して声がいつもに増して小さいし」


 と、絵里は斜め後ろの席から英雄の肩を叩いて、くすくすと人を小ばかにした顔で千春を笑う。こうしてお前らに絡まれたくないからさくっと終わらせたんだ。とわざわざ説明する千春でもないので二人に構わず着席した。周りを見てみろ、皆引いてるぜ。世間ではこういうのを内輪ノリと言って嫌われるんだ。


 その後の自己紹介はつつがなく進んでいき、英雄の番に回る。百八十センチメートルを超える身長と、中にプロテクターでも着込んでいるのではと疑いたくなるような隆々とした筋肉は初対面の人に対して威圧感を与える。野球部とは別の、ラインの入ったそのやんちゃなボウズ頭と物怖じしない自信に満ちた声量のせいで何かすれば目立ってしまうという恵まれているのか恵まれていないのかわからない才があった。


「高田英雄。去年は五組、スポーツは全般的に好きだが、団体戦よりも個人種目が好きだな」


 しかし何故だろう。このクラスでは英雄に委縮して静かになるのではなく、逆に黄色い声があちらこちらから聞こえてきた。まぁ見方によっては非常に男らしい魅力を持ってる。だた、それに鼻を伸ばして答える英雄を見てやれやれと千春は呆れてため息をついた。ぱっと見はヤンキーか、その見てくれのせいで最初は友達作りに苦労する。だけど根が良い奴なので話し出せばすぐに友達が増えていくタイプだ。

 

 いままで、そんな見た目のせいでこれまでも街中を歩けば幾度となく不良グループに絡まれては喧嘩になるというのが彼の苦労話である。ただ、好戦的なのは見た目だけではないので、喧嘩を売られれば当然買う。だからどちらかと言えば、喧嘩に巻き込まれる千春が一番苦労しているのかもしれない。


「——なぁハル。俺の邪魔をしなくていいのか?」


「いいや、別に何もする気なんてないよ」


 千春は首を横に振る。英雄はもともと目立つのが好きな性格だ。邪魔をしたところで、芸人魂じゃないけれど弄っても美味しいって思うだろう。初めは仕返しに野次の一つでもなんて考えていたが、謎に聞こえてくる女子生徒の黄色い声に気持ちが気持ちが萎えたのが正直なところだった。


「流石ハル。俺の最高の親友だぜ!」


 英雄は親指を突き出し、白い歯を見せるようにして笑った。ただ、千春が邪魔をしなかったのは、自分も彼らのようにクラスの平和を乱す一員であると思われたくなかったからである。


「キャーッ、絶対あの二人は出来てるよ!」


「ねー、どっちが受けだろう?」


「あの二人の間を邪魔する宮田さんを早く排除しておかないと……」


 女子生徒が口々にそんなこと言うと、英雄はノリを大切にする男なのでまんざらでもなさそうにはにかんだ。迷惑な男である。それよりも絵里の方がなにやら物騒なことを言われていたと思い見やると何故か一緒になって黄色い声を出していた。


 本当に馬鹿ばかりだと千春は再度ため息をついた。


 

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